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バートランド・ラッセルのポータルサイト

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 (週刊)バートランド・ラッセル(1872.5.18-1970.2.2)に関するメール・マガジン
  no.0633_2019/04/27 (2006/12/21 創刊/毎週土曜 or 日曜日 発行)

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     ■ 目 次 ■
          
(1)ラッセルの著書及び発言等からの引用
(2)ラッセルに関する記述や発言等
 編集後記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(1) ラッセルの著書や発言等から
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆
 ◆◆◆  4月27日~5月6日(10連休)はメルマガを休刊します。◆◆◆
 ◆◆◆ その関係でこの週刊版も5月4日は休刊とします。 ◆◆◆
    ◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆

■「(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366」
      n.1612~n.1616 を発行しました。

 ・月曜日~木曜日は『私の哲学の発展』 を
 ・金曜日は 『アメリカン・エッセイ集』+α をお届けしています。
 ===============================

 以下,『私の哲学の発展』から1つ、『アメリカン・エッセイ集』から
1つ再録します。

 (1) n.1614 (2019年4月24日 水曜日)
   『私の哲学の発展』第2章「私の現在の世界観」n.9
       https://russell-j.com/beginner/BR_MPD_02-090.HTM

 しかし,我々のこの世界は全てが推論の問題(a matter of inference)である
わけではない。科学者の意見を聞かなくても,我々が知っている物事はある。
(たとえば)もし,我々が暑すぎたり,寒すぎたりすれば、暑さや寒さは何から
なっているかについて物理学者に尋ねなくても、我々はその事実(暑い寒い)
に完璧に気づくことができる。他人の顔を見る時、我々(you)は全く疑う余地
のない経験をする。しかし,その経験は理論物理学者が語るようなものを見る
ことからなっていない。我々は他人の眼を見る。そうして,他人もまた我々
の眼を見ていると信じる。視対象(visual objects 視覚上の対象)としての
我々自身の眼は、(この)世界の中の推論された部分に属している。ただし,
この推論は,鏡や写真やあなたの友人の証言によってかなり疑うことのできな
いものになっている。(訳注:鏡で自分の眼を見ていろいろ思い巡らすような
状況を考えるとよい?)視対象(視覚対象)としての自分自身の眼に対する推
論は、物理学者が電子等に対して行う推論と,本質的に同種のものである。だ
から,もし物理学者の推論の妥当性を否定しようとするならば、我々は自分が
視覚の対象としての眼を持っているという知識をもまた否定しなければならな
い(訳注:つまり,物理学者があなたの眼を観察することと、自分が鏡の向こ
うに見える自分の眼を観察することは同種の推論だということ)。ユークリッ
ドが言うように,これは馬鹿げている(不合理である)。(注:野田氏は「ユ
ークリッドの言い方をまねれば、これは背理である」と訳しているが abusurd
を「背理(パラドクス)」と訳すのは感心しない。)

 我々が推論なしで気づく全てのものに「所与(与件)」(data:与えられたも
の,与えられたデータ)という名を与えてよいであろう。「所与(与件)」には,
我々が観察したあらゆる感覚(されたもの) -視覚、聴覚、触覚等-が含まれ
ている。(我々の)常識は、我々(人間)の感覚の多くは、我々の身体の外部
にある原因のせいだとする理由があると理解する(sees reason)。常識は,常
識(を持った自分)の座っている部屋が、常識(を持った自分)が眼を閉じた
り眠ったりすると存在しなくなるとは信じない(注:単数形の "it"は,前後
関係から,「常識(Common sense)」としか解釈できない。しかし,「常識」
だけでは変な訳文になってしまうので,長いですが「常識(を持った個人)と
訳しています)。常識(を持った自分)は,自分の妻や子供は自分の想像の単
なる作り物(figments 虚構)に過ぎないなどとは信じない。これらすべての
点で我々は(自分たちの)常識に同意するかもしれない。しかし,(我々の)
常識が間違うのは、無生物の対象が、その本質において、それが(原因となっ
て)引き起こす知覚に似ていると想定すること(場合)においてである。その
ように信ずることは、蓄音機のレコードがそれの生み出す音楽と似ていると考
えるのと同様に根拠のないことである。しかしながら私が主として強調したい
ことは、物理的世界と所与(与件)の世界との相違なのではない。けれども,私
が主として強調したいのは、物理学の世界と所与(与件)の世界の間にある「相
違」ではない。それどころか逆に,私が明らかにすることが重要だと考えてい
るのは、物理学が一見そう思わせるよりもずっと多くの密接な相似が両者の間
にある可能性があるということである。

Chapter 2: My present view of the world, n.9

But our world is not wholly a matter of inference. There are things 
that we know without asking the opinion of men of science. If you are
 too hot or too cold, you can be perfectly aware of this fact without 
asking the physicist what heat and cold consist of. When you see other
 people's faces, you have an experience which is completely 
indubitable, but which does not consist of seeing the things which 
theoretical physicists speak of. You see other people's eyes and you 
believe that they see yours. Your own eyes as visual objects belong to
 the inferred part of the world, though the inference is rendered 
fairly indubitable by mirrors, photographs and the testimony of your
 friends. The inference to your own eyes as visual objects is 
essentially of the same sort as the physicist's inference to 
electrons, etc.; and, if you are going to deny validity to the 
physicist's inferences, you ought also to deny that you know you have
 visible eyes - which is absurd, as Euclid would say. 

We may give the name 'data' to all the things of which we are aware 
without inference. They include all our observed sensations - visual,
 auditory, tactile, etc. Common sense sees reason to attribute many of
 our sensations to causes outside our own bodies. It does not believe
 that the room in which it is sitting ceases to exist when it shuts 
its eyes or goes to sleep. It does not believe that its wife and 
children are mere figments of its imagination. In all this we may 
agree with common sense; but where it goes wrong is in supposing that
 inanimate objects resemble, in their intrinsic qualities, the 
perceptions which they cause. To believe this is as groundless as it
 would be to suppose that a gramophone record resembles the music that
 it causes. It is not, however, the difference between the physical 
world and the world of data that I chiefly wish to emphasize. On the
 contrary, it is the possibility of much closer resemblances than 
physics at first sight suggests that I consider it important to bring
 to light.
 Source: My Philosophical Development, chap. 2,1959.
 More info.:https://russell-.com/beginner/BR_MPD_02-090.HTM


 (2) n.1616 (2019年4月26日 金曜日)
  『アメリカン・エッセイ集』の中の「老年の脅威」

 ラッセルが約90年前に「高齢化社会の脅威」について書いたエッセイ
です。(半分冗談で書いているところもありますのでそのつもりでお読み
ください。)
 老人には老害の意味がよくわかりません。いや、他人の老害は理解でき
ても、自分の老害を自覚することは困難です。権限や権力をもっていれば
いろんなことができますが、そのことで自分には「実力」があると思って
しまいます。ただ「権力」や「権限」を持っているだけなのに、「権力」
を利用したいとりまきが年取った権力者をサポートしますので、裸の王様
がいっぱい出現してしまいます。麻生さん、二階さん、もうやめたら?
 総理もだけど・・・。

 なお、全文を読みたい方は、次のページを見てください。
  https://russell-j.com/RONEN.HTM

 「老年の脅威」(The menace of old age, 1931)

 我々はいつも変化が必要だと口癖のように言うけれども,そのことを頭のな
かでは(知的には)分かっていても,現実における変化には耐えられない。
それゆえ,年取っ た急進派は,彼が無力であるかぎり幸せになれるという悲し
い身の上にある。即ち,彼は,いつも言ってきたことはいかなることも,変革の
唱道を含め,ほとんど一切やめることはできないが,当然のこと変革の実現自体
は含まれていない。

 We may remain intellectually convinced of the necessity of change 
since this is one of our fixed verbal habits, but we cannot bear 
actual change. The aged radical is therefore in the sad situation 
that he can only be happy so long as he is ineffective; he cannot
 stop doing any of the things that he always has done, including the
 advocacy of change, but not of course including its actual 
realisation.

 私が知っている最も気の毒な例の一つは,「死別した妻の姉妹との結婚を合
法化する協会」(The Society for Legalising Marriage with a Deceased 
Wife’s Sister)の事務局長(注:中野訳では「秘書」となっている。)の場
合であった。彼はこの地位を22歳の元気な若者の時についた。倦むことのない
努力と大変な手腕を発揮して彼は,50年もかかって英国民にこの協会が主唱す
る改革の必要性を認めるように改宗(転向)させた。その法案がひとたび通過
するや,その協会の存在理由がなくなり,彼は失職した。その頃には彼は,たっ
た一つのこと,即ち既に成立した法案に賛成するための論拠を明確かつ精力的
に述べる以外に何もできない72歳の老人になっていたのである。私は以上の事
実の真偽を保証しないが,それに似たことが起ったことは,まったくありそうな
ことである。

One of the saddest cases known to me was that of the secretary of the
 Society for Legalising Marriage with a Deceased Wife's Sister. 
He obtained this post as a vigorous young man of twenty-two. Through 
his untiring efforts and by the exercise of immense skill, he succeeded
 in the course of fifty years in converting the British public to the
necessity of the reform which this society advocated. The measure once
passed, the society was no longer needed, and he lost his job. By this
 time he was an old man of seventy-two, capable of only one thing, 
namely, the clear and vigorous statement of the arguments for a 
measure which had already been passed. (I do not vouch for the above
 facts, but it is quite likely that something of the sort occurred.) 

 たいていの老人は,このような不幸な運命を免れたり,また彼らがいつも唱え
てきた変革をさえ自分の周囲に起るのを阻止するためにできることをする分別
(良識)を持っている。従って,医療技術が進歩するにつれて,世の中はしだい
に保守的になっていく運命にある。あと百年もすれば,人口のほとんどが80歳
以上になるだろう。彼らはよたよたし,ブツブツと意味不明の言葉をつぶやき,
頭は完全にぼけているが,裕福で,世間から尊敬され,力(権力)を持っている。
彼らにとって代わりたいと熱意を抱いている60代の'若者'がいるのに,彼らは
全ての重要な地位を保持し続けるだろう。

Most old men have the good sense to avoid this sad fate and to do what
 they can to prevent even those changes in the environment which they
 have always advocated. Consequently every increase in medical skill
 is bound to make the world more and more conservative. Probably in
 another hundred years most people will be over eighty. They will be
 doddering, mumbling, and altogether senile, but rich, respected, and
 powerful. They will hold all the important posts in spite of the 
eagerness of young men of sixty to replace them.

 そのような世界では,進歩はまったく不可能である。それでは,どうしたら良
いか。このような危機を予見したスウィフトは,過度に長生きすると思われる
人間は80歳で投票権と財産を剥奪されるべきであると提案した。スウィフトの
提案は賞賛されるべきものであるが,すでに老人たちはしっかりと権力を握っ
ているので,スウィフトのこの計画は実際的な政策ではない。60歳以下の全て
の医療関係者は一致団結して若者を守るために,高齢者の寿命を伸ばすと推測
される全ての調査研究を阻止 するように影響力を発揮するべきだと私は提案
する。そのような運動の脅威によって,老人たちも権力を放棄する気になるか
もしれない。権力を一旦取り上げられれば,彼らは博愛の対象となってもよい
だろう。私ならば,彼らを南海の島に運んでしまうだろう。そこでは,何も禁止
されず,たばこは十分供給され,世界は破滅に向かいつつあり,いかなる点にお
いてもまったく改善がなされていないことを記述せよとの命令とともに,厳し
い検閲制度のもとで特別な新聞が発行されるべきである。このような手段によ
って,これらの(発達した)医療技術の犠牲者のたそがれの年月も幸せなもの
となり,老人たちが若者を抑圧したり,世界の新しい状況へ対応を妨げることも
なくなるだろう。

n such a world all progress will be impossible. What is to be done 
about it? Swift, who foresaw the danger, suggested that at the age of
 eighty a man suspected of undue longevity should be deprived of his 
vote and his property. This is an admirable suggestion, but already 
the old men have so firm a hold of power that I am afraid Swift's plan
 is not practical politics. I suggest that all medical men under sixty
should band themselves together into a league for the defence of youth
 and that they should exert their influence to prevent all researches
 calculated to prolong the life of the very old. By the threat of such
 a movement, the old may be induced to surrender their power. Once 
robbed of their power, they might become objects of benevolence. 
I would have them transported to islands in the South Seas, where 
there should be no prohibition and a plentiful supply of cigars and 
where special newspapers should be published under a strict censorship
 with orders to represent that the world is going to the dogs and that
 in no respect is any improvement occurring anywhere. By this means
 happiness could be brought to the declining years of these victims of
 medical skill without their being in a position to oppress the young
 or to prevent the world from adjusting itself to new conditions.


■「(ほぼ日刊)ラッセルの英語」
      n.1568~1572 を発行しました

  以下,1つだけ再録します n.1572/3650(2019年4月26日 金曜日) 
  R英語_類義語シリーズ r_ruigigo-b03: bias / prejudice
   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-b03.htm

  最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(ちくま学芸文庫/アルク,2003
 年7月刊)を参考にして(あるいはベースにして),4月10日から
 ラッセル類義語シリーズ(通称、R類義語)を提供しています。
 (ただし、都合により「R英単語」に戻ったりします。)
 
★ bias / prejudice

   https://russell-j.com/beginner/r_ruigigo-b03.htm

 最所フミ(編著)『英語類義語活用辞典』(pp.55-56)から

【"bias":「心の傾斜(偏り),即ち,人間なら誰しもが持つ,あるも
のを好み,あるものを好まないという(許容される)「偏見」や「先入観」の
こと。誤解を招きそうな場合は「偏見」という訳語はさけるべき。】
【"prejudice":(単なる好みを越えた)許されない「偏見」のこと。】

(1-1) Everyone has his bias .
[人間は誰しも好き嫌いがある。]

(1-2) I should state my bias in this particular case.
[この問題につき,私見を述べさせていただきます。]

(1-3) He is clearly biased.
[彼は明らかに一方に偏している。
 (注)裁判に関連してよく言われる言葉。裁判官は私見を述べてはならない
ということなので、当該裁判官が偏見を持っていると解釈してはならない。]

(2) racial prejudice.
[人種的偏見(racial hatred と同義)]


A.ラッセルの著作における用例
 
<用例1-1>
But to my mind, a man without a bias cannot write interesting history
 if, indeed, such a man exists.
[しかし私の考えでは,何らの偏見(先入観)をもっていない人間は-もしかりに
ほんとうにそのような人間が存在するとして- 興味深い歴史など書くことが
できないだろう。]
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第6章「アメリカ」
     https://russell-j.com/beginner/AB26-080.HTM

<用例1-2>
Since I do not admit that a person without bias exists, I think the
 best that can be done with a large-scale history is to admit one's 
bias and for dissatisfied readers to look for other writers to express
 an opposite bias.
[私は,偏見(先入観)を持たない人間は存在しないと思っているので,大規模
の歴史と取り組むにあたってなしうる最善のことは,まず人間の偏見(先入観)
を認めた上で,不満な読者のためには反対の偏見(先入観)を表明している他の
著者を探してやることである,と考える。]
 出典:ラッセル『自伝』第2巻第6章「アメリカ」
     https://russell-j.com/beginner/AB26-080.HTM

<用例2-1>
History in this bird's-eye view is encouraging and wholesome. It views
 mankind as a whole, not through the distorting lenses of national or
 racial prejudice.
[このような鳥瞰図としての歴史は,人類を勇気づけ,健全である。(即ち)
それは,人類を国家的あるいは人種的な偏見という歪んだレンズを通さずに,
1つの全体として眺める。]
 出典:ラッセル『アメリカン・エッセイ集』の中の「進歩の保証はあるか?」
     https://russell-j.com/PROGRESS.HTM

<用例2-2>
Their work has already produced widespread beneficial results in this
 respect, but there is still a mass of prejudice to be overcome.
[彼らの仕事は,この点で既に広範囲にわたって有益な結果をもたらしている
が,まだ克服しなければならない非常に多くの偏見が残っている。]
 出典:ラッセル『教育論』第二部_性格の教育_第12章「性教育」
     https://russell-j.com/beginner/OE12-010.HTM


B.他の参考例

<参考例1-1>
This museum has a bias toward Italian Renaissance art.
[この美術館は,イタリアのルネッサンスに好意を持っている。]
 出典:『新版完全征服データベース5500 合格 英単語・熟語』p.103

<参考例1-2>
My grandfather had a bias against women receiving higher education.
[祖父は女性が高等教育を受けることに対する偏見を持っていた。]
 出典:『鉄緑会 東大英単語熟語 鉄壁』p.297

<参考例2-1>
Prejudice means disliking a particular group of people without reason.
[偏見とは,理由もなく特定の集団の人々を嫌うことである。]
 出典:『英単語ターゲット』p.123

<参考例2-2>
My father has a prejudice against e-mail and cellular phones.
[父は電子メールや携帯電話に対して偏見を持っている。]
 出典:『新版完全征服データベース5500 合格 英単語・熟語』p.110


★「ラッセルの言葉(Word Press 版)v.2, n.1312~1316

1)n.1312:R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.13
     https://russell-j.com/wp/?p=4548

2)n.1313: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.14
      https://russell-j.com/wp/?p=4551

3)n.1314:R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.15
          https://russell-j.com/wp/?p=4554
      
 第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.15

 この教会改革運動は,十一世紀の後半を満たし(盛んであり),大修道院長
(Abbots),司教(Bishops)及び大司教(Archbishops)と封建貴族とを分離するこ
とに(注:封建貴族は司教等になれない),また,彼らを任命する際に,教皇
に発言権を与えることに(注:giving the Pope a voice),大いに成功した。
というのは,以前教皇に(任命について)発言権がまったく与えられていなかっ
た時には,教皇は聖職売買の堕落を見つけ出す(聖職売買の罪を犯す)のが普
通だったからである。教会改革運動は一般信徒に感銘を与え,教会に対する彼
らの敬意を大いに増した。この運動によって独身主義を課すことに成功すると
,それは聖職者(僧侶)をよりはっきりと世の中から切り離したので,禁欲主
義(の結果)の大部分がそうであるように,彼らの権力衝動を刺激したことは
間違いない(疑問の余地がない)。この運動は,指導的なキリスト教聖職者に
,伝統的な収賄によって利益を得ていた者以外信じていた,大義に対する道徳
的熱意を吹き込み,また,この運動は,この大義を促進する主要な手段として
,教皇権(教皇の権力)を著しく増大させた。

 宣伝に頼る権力は,この例のように,通常,当初は例外的な勇気と自己犠牲
を必要とする。しかし,こうした資質によって尊敬を勝ち得ると,それらは打
ち捨てられ,また,その尊敬(心)は,世俗的出世(注:wordly advancement
 世俗的な昇進/出世)のための手段として利用される。その後,やがて,尊敬
(心)は薄れ,尊敬(心)が確保してきた利点も失われる。時にはそのプロセ
スには数年かかり、時には何千年もかかるが,本質においては,どちらも常に
同じである。

Chapter IV: Priestly Power, n.15

This reform movement, which filled the latter half of the eleventh 
century, succeeded, to a great extent, in separating Abbots, Bishops,
 and Archbishops from the feudal nobility, and in giving the Pope a 
voice in their appointment--for when he had been given no voice he 
could usually find a taint of simony. It impressed the laity, and 
greatly increased their reverence for the Church. When it succeeded
 in imposing celibacy, it made priests more markedly separate from 
the rest of the world, and no doubt stimulated their power impulses,
 as asceticism does in most cases. It inspired leading ecclesiastics
 with moral enthusiasm for a cause in which every one believed except
 those who profited by the traditional corruption, and as the chief
 means of furthering this cause it involved a great increase of Papal
 power.

Power dependent upon propaganda usually demands, as in this case, 
exceptional courage and self-sacrifice at the start; but when respect
 has been won by these qualities, they can be discarded, and the 
respect can be used as a means to worldly advancement. Then, in time,
 the respect decays, and the advantages which it had secured are lost.
Sometimes the process takes a few years, sometimes thousands of years,
 but in essence it is always the same.
 出典: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER04_150.HTM

4)n.1315: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.16
       https://russell-j.com/wp/?p=4559

5)n.1316: R『権力-その歴史と心理』第4章 聖職者(僧侶)の権力 n.17


★「ラッセルの言葉_画像版」

 日本語 version : n.0902j-0907j を投稿
 英 語 version : n.0902e-0907e を投稿

  一つだけ再録します。n.0906j (Apr. 25, 2019)
      https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j0899.html

 「男性のための道徳と女性のための道徳」

 男性のための道徳(男性用の道徳)と女性のための道徳(女性用の道徳)と
の違い(差異)の基礎となっているものは,男性の(女性に対する)腕力の優
越性であることは明らかである。もともとは,その(男性の)優越性は肉体的
な優越性だけであったが,そこから次第に,経済や政治や宗教における優越性
へと拡大していった(のである)。

The basis of the difference between morality for men and morality for
 women was obviously the superior power of men. Originally the 
superiority was only physical, but from this basis it gradually 
extended to economics, politics, and religion. 
 情報源: Power, 1938.
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER15_050.HTM

 <寸言>
 長い間、歴史によって培われてきた文化や慣習にどっぷりつかると、それは
当たり前となって、なぜそのような生活様式を営んでいるかわからなくなって
いく。
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(2) ラッセルに関する記述や発言等
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★インターネット情報源
1)大嶋仁「中国現地ルポ-広州・杭州・長春・北京-(10)」
 情報源:NET IB News, 2019年4月22日付 (R落ち穂拾い-初級篇)
* 大嶋仁福岡大学名誉教授(1948年~):比較文学専攻
 https://russell-j.com/beginner/ochibo-2019.htm#2019-04

「令和という元号が万葉集に由来するのなら、万葉集とは大和(朝廷)が朝鮮
半島との縁を断ち切ってでも急速に唐の文化を摂取した時代を代表するもので
あるだけに、この元号には中国との関係が暗示されているということである。
・・・。
 イギリスの哲学者ラッセルが言ったように、(米国は)"多民族国家であり
ながら驚くほど画一的"なのだ。その画一性はマルクーゼが指摘したように、
高度な技術文明のせいで最も効率的なものだけが生き残れるシステムを確立
したことによる。この威力と影響力は現在の世界を席巻しているのだが、それ
と真っ向から対立するのが多様性に満ちた中国、そしてインドなのである。」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 編集後記 10連休期間中はメルマガを休刊します。
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 4月27日~5月6日の10連休中はメルマガの読者が激減すると思われます
ので、日刊のメルマガ(「ラッセルの言葉366」及び「ラッセルの英語」他)
は休刊します。 それに伴い、この週刊版も次回(5月4日)は休刊します。

 なお、「ラッセルの言葉366-画像付」については、連休中も休まず、
次のURL上に掲載します。 (松下彰良)
 日本語版 https://russell-j.com/smart_r366/r366g_j-today.html
 英語版  https://russell-j.com/smart_r366/r366g_e-today.html

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 ★松下彰良(訳・編)『ラッセルの言葉366』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集・発行:(松下彰良/まつした・あきよし)
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