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(アドホック・エッセイ)目次

アドホック・エッセイ&備忘録 (2006年05月07日)

『獣人ネオコン徹底批判』のラルーシュによる日本語版序文について



 文献検索をしていたら,リンドン・ラルーシュ(編著)『獣人ネオコン徹底批判』(成甲書房,2004年/原著:The Beast-Men, The Ignoble Liars Behind Bush's No-Exit War, ed. by Lyndon H. Larouche, jr.)のなかに,ジェフリー・スタインバーグという人が書いた「バートランド・ラッセルの亡霊がペンタゴンを徘徊する」という論文があるのを発見した。気になるので(ただし購入したいとは思わないので)図書館で借りて読んでみた。
 私が読んだのは,スタインバーグの該当の論文と,ラルーシュによる「日本語版序文」および,「訳者(大田龍)解説」だけであるので,この本全体の書評をすることはできないし,したいとも思わない。本書は,ブッシュの政敵であるラルーシュ(当時の民主党大統領候補)の編著になるものであり,Executive Intelligence Review 誌に2003年夏までに掲載された論文を収録したものとのことである。客観性を重視する学術論文ではなく,政治的プロバガンダという性格もなきにしもあらずであるので,注意して読む必要があるが,気になったところを以下紹介したい。(なお,J.スタインバーグの論文のなかで,ラッセルについて言及しているのは1箇所だけであり,その他は注目すべき記述はないので,その1箇所以外は,全てラルーシュの日本語版序文の紹介およびそれに対する感想である。)

 現在の米国政府はネオコン(米国の新保守主義者たち/キリスト教原理主義者とも呼ばれている人たち)によって牛耳られており,イラク戦争もネオコンによって企画・演出されたものだという理解が世界に広がりつつあるようであるが,同時に世界の平和は米国の断固たる姿勢によって保たれていると考えている人々も少なくない。ネオコンの基本的な考え方の1つに,(彼らはあまり公言はしないかも知れないが)「予防的核戦争」という考え方があるが,ラルーシュやスタインバーグは,ネオコンたちは(世界政府の実現を考えるような)「ユートピアン」であるバートランド・ラッセルやH.G.ウィルズやカール・シュミットを信奉している,と主張している。確かに,ラッセルの頭に,戦後の一時期(スターリンが1953年3月に死亡する頃まで),そのような考え方がよぎったことは事実であるが,そのことはあくまでもプライベートな手紙(注:カナダのマクマスター大学の Russell Archives 所蔵)の中にほのめかされたものや(ラッセルの発言そのままではない)インタビューに基づく新聞記事であり,それをもって,ラッセルは「予防的核戦争論者」であるとするのは,あまりにも短絡的といわなければならない。
 以下,A.ほぼ賛成する(あるいは参考になる)記述,B.条件付で同意できる(あるいは,賛成でも反対でもない)記述,C.反対する(間違っていると思う)記述,に分類して抜書きしてみた。


 X.参考(客観的事実をのべただけのもの)
 (ラルーシュの日本語版序文より)
・2004年,アメリカ大統領選の民主党有力候補として,私は米国でただ一人,ディック・チェイニー副大統領率いる新保守主義派(ネオコン)の過激論者たちとの真剣な戦いに挑んでいる。・・・。そのためには,ネオコンの真の歴史と,「予防的核戦争」という彼らの過激なドクトリンを明らかにしなければならない。
・2003年8月,「ターミナーター」のアーノルド・シュワルツネッガーがカリフォルニア州知事となる見込みが出てきたことを考えて,私が「獣人」のイメージを作り上げたことは,緊張をほぐすコミカルな効果があったかも知れない。しかし,それほど楽しんではいられないのは,誰かがこの獣人を米国大統領候補にするかも知れないことだ。誰もがよく知っている獣の顔をした男がいて,娯楽のために,映画館のスクリーン上で何千もの人々を残忍な方法で殺している。これはいった何なのか。何がアドルフ・ヒットラーを可能にしたのか?
・1944年6月,米空軍統合焼夷弾攻撃委員会は,日本の六大都市をどのように焼き払うかについて研究を行い,その作戦は前線の戦力にはほとんど影響を与えないだろうが,56万人以上の民間人を殺し,700万の労働者の家屋を奪うだろうと見積もった。「戦争とは何かを教えよう」と空軍少々カーティス・ルメイが述べている。「人間を殺さなければならない。十分殺したとき,相手は戦いをやめる。」 



 A.ほぼ賛成する(あるいは参考になる)記述
 (ラルーシュの日本語版序文より)
・彼(マゼラン枢機卿)は,このような形で兄弟同士の殺人を続ければ人類はまもなく絶滅するだろうと言ったが,その言葉は正しかった。(注:「人類は・・・絶滅」というのは,あくまでも「可能性」である。人類の2/3以上が死んでも人類は生き残るだろうと批判?をする人がいるが,的外れであると思われる。)彼は,国家が互いを敵や競争者とみなし,他を犠牲にして「自らの利益」(注:最近では,「国益」ということが盛んに言われている)を追求する,犬が犬をかみ殺すような戦いをやめるように訴えた。核兵器が開発された現在では,この中世のドクトリンを放棄しなければ,文明は間違いなく破壊される。
・私は50年間,日本への原爆投下はまったく不必要かつ不道徳で,アメリカ精神に反するものだったと主張してきた。
ヒロシマとナガサキの原爆は,この不法な心理戦争がエスカレートしたものだ。日本に原子爆弾を落とす軍事的な目的などないことは,当時のマッカーサーも承知していた。日本はすでに完全な軍事的敗北を喫し,燃料も食料もなく,すべての供給が止められていた。間違いなく数週間のうちには降伏していたはずだった。
・1945年を通じて,日本は降伏の交渉を急いでいた。天皇ヒロヒトが何度もバチカンのモンティーニ大司教(後の教皇パウロ六世)を通じて降伏を申し出たが,トルーマンは拒否した。後の作り話によれば,原爆は侵攻作戦に必要な100万のアメリカ兵を救ったことになっている。戦略爆撃調査団自体は,「たとえ原爆が落とされなくても,たとえロシアが参戦しなくても,たとえ侵攻作戦が計画されなかったとしても,日本は1945年12月31日以前,おそらく11月1日以前に降伏していたはずだ。」と結論している。

 B.条件付で同意できる(あるいは,賛成でも反対でもない)記述
 (ラルーシュの日本語版序文より)
・一人ひとりが他の国家の主権を,自国の利益にとっても不可欠なものとして守らなければならない。一人ひとりの市民,それぞれの国家の尊厳を守ることによって,繁栄が約束された最善の世界を創設することができる。(注:ラルーシュは,「完全な」国家主権を強調するが,ラッセルが言うように,国家の交戦権を認めるようであれば,また世界に貧富の大きな格差が存在し続ける限り,安定した平和はこないであろう。)
・さらには,主権国家の代表を集めた新ブレトンウッズ国際通貨会議を開催し,公正で安定した無理のない固定相場制に基づく新しい世界の通貨システムを作ることができるであろう。・・・。こうした政策で人類の必要に応える政府を求めるか,そうでなければ,代わりに野獣のための政策,つまり彼らの集団を誘導し,乳を搾り,選別するための政策を作る政府を持つことになるだろう。

 (J.スタインバーグの論文より)
・ロシア科学アカデミーの会員で元ロシア国防省高官のレオニード・イワショフ将軍は,2002年初頭にこの新しいユートピア主義的「ミニ核(兵器)」計画をマルサス主義の戦争の一形態として非難したが,それは正しかった。そのような狂気は,バートランド・ラッセルが第二次世界大戦の終わりに,米国が核兵器の独占を利用してソ連に先制攻撃を行い,アングロ・アメリカが支配する世界政府を樹立することを提唱して以来のことである。(注:原文をみないとわからないが,訳文どおりであるとすると,不正確である。ラッセルがそのような考えを「抱いた」のは,ソ連が原爆を開発中の1948年頃からスターリンが死亡する1953年頃までであり,前述のように,それもプライベートな手紙の中や不正確なインタビューによる新聞記事であり,また,アングロ・アメリカンが支配する世界政府の樹立をめざしたわけではないので,誤解を与える記述である。)
 
 C.反対する(間違っていると思う)記述
 (ラルーシュの日本語版序文より)
・平和主義を装いつつも,「ユートピアン」たち(B.ラッセル,H.G.ウェルズ,カール・シュミットなど)の真の目的は,マゼランの主権国家の原則と,リンカーンの「人民の,人民による,人民のための」社会福祉を求める政府を破壊することであった。巨大な恐怖の兵器が迅速に製造されたことで,歴史上はじめて,人間が戦争に必要ない存在になったと彼らは書いている。兵士として戦争に行き,国家や原則のために戦う意志を持つ多数の人々の合意は,もはや必要なくなる。・・・。(注:K.シュミットは別としても,少なくともラッセルはそのようなことは言っていない。)
・われわれは,チェイニー,ポール・ウォルフォフィッツ,彼らの師であるレオ・シュトラウス,さらにその師カール・シュミットらの著作を研究した。彼ら自身の口から出た言葉と信条によって,今日のネオコンがバートランド・ラッセルやウィンストン・チャーチルら「予防先制核攻撃」論者たちの直接の後継者であることがわかった。最初に製造された2つの原子爆弾をヒロシマやナガサキに投下するように主張した者たちだ。(注:少なくともラッセルについては,まったくの曲解である。) (2006.05.07)