谷川徹三からバートランド・ラッセルへの手紙
* 出典:『世界』1960年1月号 所収*掲載時のタイトル:「世界政府の理想」
*再録:谷川徹三著『こころと形』(岩波書店,1975年刊)
*1960年には,日米安保条約(「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」:Treaty of mutual cooperation and security between Japan and the United States of America)が改訂された。1960(昭和35)年1月19日 ワシントンで署名;1960年6月19日 国会承認;1960年6月23日 批准書交換,効力発生。
★条約本文 / ★ラッセルからの返事★
かつてアイゼンハウアー大統領(右写真)とフルシチョフ首相への公開状で,この米ソ両国首脳が会見して共存の条件を率直に討議することを提案されたあなたに,こうして今,(フルシチョフがアメリカを訪問し,アイゼンハワーと三日間にわたって会談し,共同コミュニケを発表して間もない今,)公けに話しかける機会を与えられたことは私には嬉しいことです。あなたの提案に対してフルシチョフ首相はすぐ双手を挙げて賛成する旨の回答を寄せたにもかかわらず,アイゼンハワー大統領に代って答えた当時のダレス国務長官はにべもなくそれを拒んで,両者の会談は実現されませんでした。それが今実現されたのです。
共同コミュニケによりますと,会談では諸問題を交渉したわけでなく,ただ両者の見解を交換し,双方の意図と立場とを互いに一層よく理解することをめざしたものとされています。しかし「重要な国際問題はすべて力を用いず,交渉による平和手段で解決されるべきであるとの点で意見が一致した」とあるところによっても,あなたの望まれた共存の条件の討議への道は開かれたと考えていいようであります。来春アイゼンハワーがソ連を訪問することの取極めはその思いを一層強くさせますし,フルシチョフの一行に対するアメリカ人の態度の徐々たる変化,フルシチョフがアメリカを去った後,アイゼンハワーが記者会見で語った言葉,フルシチョフが北京でした演説も,そういう期待をますます理由あるものとする背景を与えてくれます。
私はまだお目にかかったことのないあなたにこうして手紙を書きながら,自分が何者であるかを申上げるのを忘れていたのに気がつきました。これは多分長い間あなたのものや,あなたについて書かれたものを読み,また写真で始終あなたに接して来たせいかも知れません。もう四十年近い昔,あなたが中国からの帰途,日本へ立寄られた時(注:大正10年),私は大学の哲学科の課程を終えようとしていたか,終えたばかりであったか,とにかくその頃私は『哲学の諸問題』(The Problems of Philosophy, 1912)を読んではおりましたけれど,私の関心がもっぱらドイツの哲学者達にあったため,あなたの講演も聴きには参りませんでした。(松下注:ラッセル来日時,京都の都ホテルにおいて,京大教授との懇談会が催された。また,東京の慶應大学大講堂で講演会が開催された。)それに私は数学に暗く,あなたの数理哲学に関する有名な著作をも本当に評価することができなかったのです。
そうして戦後に至りましたが,戦後たまたま『西洋哲学史』(A History of Western Philosophy, 1945)を拝見してそこから大きな刺激を受けました。多くの哲学者に対する評価について,私の学んで来たものとの間にあまりにも大きな相違がそこにあったからです。それらの中には私が自分で確かめることのできなかったものもあれば,自分で幾分確かめて,以前教えられたまのの評価に疑問を抱いたものもありますが,あなたの裁断は,私のそれに同意できない場合をも含めて,私には大きな刺激でありました。その後私はあなたの啓蒙的な評論集を幾冊か読んだり,短篇小説集『郊外町の悪魔』(Satan in the Suburbs, 1953)を読んだりして,私のそれまで知らなかったあなたの豊富な多面性にふれました。わけても最近読んだ『自伝的回想』は私に急激に,あなたへの親近感を与えてくれました。ホワイトヘッドやヴィトゲンシュタインを語っている文章は特に私には忘れることができません。それはもちろんホワイトヘッドやヴィトゲンシュタインの無類のいい人柄にもよるものでしょうが--実際あなたの描いているこの哲学者達は私にすぐ抱きつきたいほどの思いをいだかせます--しかしあなたの冷厳な合理主義者としての姿勢の奥に実に温い,好もしいユーモアに包まれた温い心のあることを私ははっきり知ったからであります。
勝手なことを申し上げて失礼にわたったかも知れません。それでしたらお許し下さい。しかし私は原子時代における戦争と平和の問題については,かねがねあなたを指導的同志として仰いでおり,あなたの,またあなたが先頭に立った抗議や提案や声明を,いつも大きな関心と同感とをもって迎えている者であります。それだけにそのあなたの今まで私の気づかないでいた人間の一面に触れえた喜びは大きく,その大きな喜びのあまり申し上げたのであります。私も,あなたほどではなくても,マルクス主義の哲学や歴史観にはこれまで強い批判的態度をとり,スタ一リンのロシアには常に不信の念を表明して来た者ですが,今日の時代に人類が生き残るためには平和共存以外に道はないと考え,その平和共存の条件をつくることが今日の政治や経済や文化の諸領域で活動する者の任務であると信じている者であります。しかし更に進んで国連を通じて国際的権威機関を打ちたて,それを世界政府的な組織にまで発展させることが必要で,そこまで行かなければ本当に平和な世界は打ち建てられないと考えている者であります。世界政府がそんなにすぐ手軽にできるなどとは思っても見ませんが,それが人類の理想であり,その理想をもつことが,今日の状勢に対処するわれわれの態度や心構えの上にもよい作用を及ぼす筈だと考え,それに世界の歴史は明らかにこの方向に動いていると見ています。あなたはこの世界政府への道についても,いくつかの具体的プランをすでに語っておいでですから私はこれ以上余計なことを言わないで,ただフルシチョフ演説を中心に私の伺いたいことだけを以下箇条書きにして申上げます。(世界連邦運動協会のページ)
一
まず第一に,フルシチョフの国連における全面的な完全軍縮の提案は,この世界政府の理想への第一歩とも考えられますが,あなたはそれについてどのようにお思いでしょう。これについては不可能を見越しての,アジア・アフリカの後進国目当ての政治的ジェスチュアに過ぎぬというのが,日本でも常識として通用しています。政治家達はなおいろいろ裏の裏をせんさくしていることでしょう。私にはそういう政治の術策のことは分りません。
しかし今日の時代は,従来の政治的現実主義が却って非現実的となり,かつて夢想とせられていたことが却って現実に適合するようになっている,そういう時代であると私はかねがね思っていますので,こんな夢のような提案を現実政治家がしたということの方に,一層大きな意味を見出します。もっともフルシチョフ提案はそれとしては世界政府を考えておりません。それどころか国連における拒否権を依然として不可欠のものとして主張しています。従ってまた世界政府が現実に機能する条件として,各単位国家の完全非武装と共にあなたが考えておいでになるような中央権力直属の軍隊の創設についても何ら言及していません。それはただ平和共存の条件をつくる具体策としてのみ述べられているのであります。しかし私はもしこういう大胆な第一歩が踏み出されたら,結果としてそれは世界政府を指向することになると考えるものです。いや,それ以上に,こういう一歩は世界政府への指向なしには踏み出されないと考えるものです。
二
あなたはかつて,あなたの提案に対するフルシチョフとダレスの回答を共に「完全にポイントをはずれている」ものとなさいました。フルシチョフはあなたの提案に賛成し,ダレスはそれを拒否したにもかかわらず,その回答の調子は著しく似ており,その骨子は次のようになるとあなたは言われる。
「世界には二大強国がありこれをA及びBとよぼう。Aはいつも全面的に道徳的で,Bはいつも全面的に邪悪である。Aは自由を求め,Bは奴隷制をおしつける。Aは平和の立場をとり,Bは帝国主義戦争の立場をとる。Aは弱者への公正に味方し,Bは強者の専制に味方する。」
この限りでは双方は一致している。ただちがっているのはどちらも互いに自分をAとして相手をBとする点である。しかし実際にはどんな国でもAのように道徳的だったことはないし,Bのように邪悪な国もめったになかった。二人の政治家がそれぞれ相手方の代表する体制の欠点についていっていることは大雑把にいえば大体その通りであるが,自分の方の体制の美点について言っていることは大体が自分で作り上げた幻想である。
これをそのまま性急に社会主義体制の優位とするには私はまだ躊躇を感じます。平和的競争としての平和的共存においては,それぞれの体制が,その体制の中に含まれている矛盾や弱点を克服する努力が必ず伴うことになる筈で,お互いのそういう努力の中で相互接近と融和が行われるか,一方が他方を圧倒するかは,歴史の実証にまつよりほかないでありましょう。しかし私は,躊躇を感じながら,そこに社会主義体制の歴史的優位を--古い体制の諸矛盾の克服を目ざして出発したところから来る優位を,認めざるを得ない思いに駆られることがしばしばあります。これは,僅かな期間ではありますが,最近のソ連や中国を自分の眼で見た際の思いでもありました。あなたは一九二〇年ロシアを訪れて,それまで同情をもっていた革命に大きな失望を感ぜられました。しかし今日のソ連は昔のソ連ではありません。あなたがその今日のソ連や中国を見てどう思われるか。あなたの今なお若々しい情熱があなたをもう一度ロシアに,そして中国に誘う日のあることを願ってやみません。
「たいていの時代のたいていの国において,後でもっともよいと考えられるようになったものはすべて,その当時,権力を振うものからは恐怖の眼で見られた。」とあなたは言っていられる。「文明の開始以来,たいていの国の支配者は人民の最もすぐれた人達を迫害して来た。われわれはみなソクラテスやキリストの処刑に驚いているが,大衆はかようなことがその後の異常にすぐれているといわれた多くの人達の運命だったことに気づかなかった。」とも。これはオーウェルの『一九八四年』にひっかけて,東をも西をも含めて国家権力殊に警察制度の悪を弾劾した一文の中の言葉で,そういう権力と絶えず戦って来たあなたの言葉の重さを感ぜしめるものです。しかしこの言葉が,ソ連や新中国を築いた人達にもあてはまると,あなたはお考えになりませんか。それどころか,現在の自由主義諸国の共産主義者の中にもやがてそういう人として認められる人があるだろうとお考えになりませんか。現に日本でも河上肇とか小林多喜二というような学者や作家に対して一部ではそういう眼をもって見ています。日本では共産主義といえば,何か気味の悪い,恐ろしいものと考えるのがまだ一般の空気です。そういういわれのない恐怖が平和共存の条件をつくる障害になっているのですが,そういう社会的政治的気象の中にあっても,一部に今申上げたような兆候があるのです。この事実をあなたはどのようにお考えでしょうか。平和共存が世界的な原則になればそういう恐怖もなくなるでしょう。しかしそういう恐怖のなくなることが,平和共存を初めて確かなものにするのです。
あなたは共産主義の強力な反対者です。しかし今は共産主義者もそれに反対する者も,互いの悪口や過去の罪状を言い合うことによっては問題は解決しないというところから「ある種の考えの再調整」をあなたは説いていられる。その点で一九五五年ヘルシンキの世界平和集会へのあなたのメッセージは,大きな意味をもったものと私には思われます。このあらゆる異った立場の人達の平和への協力の集会に,あなたがあのメッセージをおくられたことは,私はあの集会への出席者ではありませんでしたけれど,嬉しいことでありました。この線はさきにあげた,一九五七年のアイゼンハワー,フルシチョフの2人にあてた公開状につらなり,そしてそれは,世界のあらゆる国々の国民大衆の声をバックに,今や平和共存を東西共通の原則にしようとしているのであります。
しかしそれもあなたが強力な共産主義反対者であることにはいささかも変りありません。あなたの『なぜ私は共産主義者でないか』を読むと,それがあなたの「なぜ私はキリスト教徒でないか」に通うもののあることを見出します。マルクス主義が憎悪を推進力とする教えであるとするあなたの判断が,あなたの共産主義を悪とする理由の根幹にあります。これはあなたがキリスト教を弾劾する最も大きな理由の一つとして,その教義や信仰にダニのようにくっついている不寛容と残虐性をあげているのに通ずるものです。ここにも私は,合理の精神とヒューマーズムを貫くあなたの一貫した態度を見ることができます。しかし今日はもう宗教裁判や魔女狩りの時代ではありません。そしてニューヨーク・タイムズのハリソン・ソールスベリーが最近四ヵ月にわたってシベリアをも含めたソ連の各地を訪れた報告によりますと,現在では強制収容所の残っていそうな兆候は一つもなく,かつて強制収奪所にいた者が到るところで重要な責任のある地位についているということであります。あなたは,人間を自然の一部と見ることをその哲学の根幹に置いておいでですが,しかし進化と進歩との堅い信奉者です。あなたは一方において人間の邪悪や愚昧を容救のない言葉で剔抉(てっけつ)しながら(=えぐりだしながら),他方教育による人間の改造を信じ,それに大きな希望をかけておいでです。このあなたの基本的な物の考え方は,当然宗教や共産主義の内部にも適用せられる筈のものと私は考えます。そしてまたそれなればこそ,あなたは平和共存や世界政府の構想に夢を託しておいでになれるのです。
これは平和秩序の原則を世界中が認め,平和的競争の中で両体制が競い合う場合にも言えることであり,将来世界政府ができるものとして,その世界政府の性格決定の上にも大きな作用を及ぼすものになると思っていますが,あなたはどのようにお考えでしょうか。(一九六〇年)