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柴谷久雄「バートランド・ラッセルの教育思想」

* 出典:『教育新時代』n.29(1970年4月号)pp.1-6.
* 柴谷久雄 氏(1910~1996。7.29)は広島文理大(現、広島大学)卒。大阪市立教育研究所長、広大教授、四天王寺女子大教授を歴任。日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人。『ラッセルにおける平和と教育』(お茶の水書房刊)の著者。(執筆当時は、広島大学教授)
* 『教育新時代』は、世界教育日本協会(=世界新教育学会)発行
No.29=「バートランド・ラッセル追悼号」


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 ラッセルは早くから「現代のアリストテレス」とか「20世紀のヴォルテール」とかと呼ばれてきた。それは彼の比類のない博学から出た呼称である。試みに第二次世界大戦中に書きあげた「西洋哲学史」(A History of Western Philosophy, 1945)だけを繙いてみても、そのことはすぐに納得されよう。しかし、彼の本質は単なる博識にあるのではない。むしろ、ある意味で彼の論敵であったS.フックの評したように、「人類に対するカウンセラー」という点にこそ、ラッセルの真面目があるとみるべきであろう。彼の教育に対する態度も、この路線上にのせて理解されねばならない。

 では、「人類に対するカウンセラー」として、ラッセルの教育的発言はどのような特色をもっているのか。ここでは、便宜上彼の3つのことばを挙げておく。まず、「政治的武器としての教育」(education as a political weapon)と、つぎには「新世界をひらく鍵としての教育」(education as the key to the new world)と、そして最後に、「人間を正気にする教育」(education which makes men sane)と。
 第1のものは、ラッセルが当時の教育に与えた診断であり、第2のものは人類最大の病ともいうべき戦争を治療すべき教育の相であり、第3のものは基本的な治療手段を意味する。以下、これらの発言を肉づけしながら、ラッセルの教育思想の概説を試みたい。

 1.政治の武器としての教育

 周知のように、ラッセルはいわゆる教育学者ではない。学者としては、数学・論理学の領域において超一流の業績をもっている。その彼が教育のことに関心をもつようになった動機としては、2つのことが考えられる。第1は第一次世界大戦の勃発であり、第2には彼の親心である。ラッセルにとって、第一次世界大戦はいかなる意味をももってはいなかった。それは「街頭での犬のけんか」としか彼の目には映じなかった。にもかかわらず、イギリスの民衆は1914年8月4日の政府の宣戦布告を狂乱舞して歓迎したのである。それ自体、何の意味をももっていない戦争、しかも自らの生命・財産を喪失する恐れのある戦争-そうした戦争を、何故に民衆は心から支持するのであろうか。それまでのラッセルは、「戦争は専制的で権謀術数にたけた政府によって、これを嫌悪している民衆に強制されるもの」とのみ理解していた。だから、宜戦布告を謳歌する民衆の心理は、ラッセルにとってまったく不可解なものだったわけである。しかし、それは否定しがたい事実なのだ。何故か。当然ラッセルの探求心は動きはじめる。
 彼がその頃のことを回想した文章の中に、「戦争勃発当初の数ケ月間における民衆の感情は、私にとってはきわめて不愉快だったが、学問的には興味があった」という記述が見いだされる。さらに、「私の目的はこの広汎な戦争享楽の心理を分析して、これを理解することにある」とも述べている。第一次大戦を契機として、ラッセルは大きく変貌しようとするのである。「論理学から政治学へ」(from logic to politics)とは、彼自身が自らの転身ないしは変貌に与えたスローガンであった。
 「何故に人々は戦うのか」(Why Men Fight)- 後に1冊の著書となったこのテーマに、ラッセルはしばらく没頭する。そして、精神分析学関係の書物まで読みふける。こうした努力の結果、戦争の原因として彼は次の2つのものを発見する。第1に、戦争を意図的・意識的にひきおこそうとする政治的原因であり、第2には、人間性の内に巣食う戦争愛好の衝動である
 ラッセルによれば、人間性なるものは、ルソーの云うように単に善なるものではない。人間性はしか(ママ)単純なものとは考えられない。むしろ、「人間は生まれながらにして競闘的・利欲的であり、また、多かれ少なかれ闘争的である」とみる方が、真実に近い。かかる見方を採るラッセルは、だから戦争の究極的原因は人間の衝動にあるとする。
 このように、戦いへの衝動は人間性の根底にひそむ強力な生命衝動ではあるが、しかし、それが「戦争にまで導かれてよいいわれはない」ここに、問題を解く鍵があるのではないか。いったい、人間の闘争本能を巧みに戦争と結びつけるものは何か。こう考えていったラッセルは、自然と当時の国民教育の在り方を問題にせざるを得なくなってゆく。
 仮りに政府当局がいかに戦争を望んでも、それをあらわに打ち出すことは不可能である。時代はすでに20世紀にはいっているのだ。政府の意図を表面に出すことを避け、ごく自然な形で民衆に戦争支持の心性を植えつける効果的な手段は、はたして存在するのか。ここに登場するのが、ナショナリズムの教育である。烱眼(けいがん)なラッセルがこのからくりを見落すはずはなかった。イギリスの民衆にかぎらず、第一次大戦に際しては交戦国いずれの国民も、それぞれ熾烈な祖国愛に燃えていた。巧妙で徹底したナショナリズムの教育をうけていたからである。
 といっても、ラッセルはナショナリズムのすべてを排斥するわけではない。民族の伝統や個性をふまえた文化的ナショナリズムの意義は正しく評価している。将来、彼が理想とした世界連邦が成立し、文字通り「世界は一つ」の時代が到来したとしても、もしそのことによって、各民族に固有の文化が衰微し、世界文化が単一なものになるようなことがあるなら、それは人類にとってたいへんな不幸であると、ラッセルは考えているのだ。
 彼が嫌悪し排撃しようとするナショナリズムは、「もっとも堕落した形の愛国心」としてのそれであった。言葉を加えていえば、民衆が戦勝の故に祖国に誇りを感じるようなナショナリズムであり、祖国が野蛮かつ倣慢であるときに民衆が意気揚々の思いをするようなそれである。逆にいえば、祖国が理性的な態度を持しているときに、民衆がみじめな思いをし、視国が人類の福祉に貢献しているときに、これを栄誉として受けとれないような心性をもたせるナショナリズム-これこそ世界平和と人類の敵なのだと、ラッセルは指摘する。
 ラッセルはさらに、当時の列強の愛国心の分析に、その好奇心を向ける。彼によれば、それは「原始的な本能と高度に知的な信念とからなる、きわめて複雑な感情である」それは「一群の本能的な感情および衝動」と「自己の集団の功業に対する誇りの意識」とによって混成された、きわめて複雑な感情である。彼はまずその「原始的な本能」を分析して、これには次の2要因が認められるという。即ち、地理学的要因と生物学的要因、約言すれば、土と血である。人間はその生をうけた土と血に対して、本能的な愛着を覚える。最も素朴な愛国心の型といってよい。この型の愛国心は防衛はしても侵攻はしない
 ところが、第一次世界大戦を通じてみたナショナリズムは、むしろ他国侵略型の性格が強い。もともと防衛的で自然発生的な素朴な愛国心が、何故にこうも変質するのであろうか。そこに、前にふれた自己の所属集団の功業に対して強い誇りを感じとる知的信念という、あの第2要因が登場してくる。そして、これこそ列強が国民教育を通して意図的・継続的に育成したものであったと、ラッセルは観るのである。
 ラッセルによれば、この近代的ナショナリズムの第2要因は、心理的には次のような形をとって教材の中にはめこまれている。即ち、「興奮への欲望」「戦勝への欲望」「名声への欲望」「権力への欲望」の4者がそれである。興奮といい、戦勝といい、名声といい、権力といい、これら4者は教育の本質からみて、元来無縁のもの、あるいは有害なものと考えられる。にもかかわらず、列強の国民教育においては、こうしたものを包みこんだ愛国教育が盛んにすすめられてきた。帝国主義的な政策を強行するには、それが必要だったからにほかならない。
 従って、かかる教育は人間のための教育の名に値しない。それは政治の奴隷と化した教育というほかはない。だからラッセルは、かかる教育を「政治の武器としての教育」と呼んで、これを徹底的に批判したわけである。

 2.新世界をひらく鍵としての教育

 ここにいう「新世界」とは、「平和な世界」と同義である。第一次大戦によって教育の問題に開眼したラッセル(彼の教育への開眼には、前にもふれたように、彼の「親心」ということもあるが、紙幅の関係で、今回はこれを省略する)は、戦争と国民教育との密着性を、いやというほど知らされた。これが一つの契機となって、以後、彼は世界平和運動の旗手のひとりとなるわけである。
 平和の問題は、直接には「政治的」問題である。しかし、同じく戦争という政治問題に、教育が深くかかわっていることは、すでに見た通りである。では、世界平和の実現のために、教育はどれだけのことができるだろうか。また、どれだけのことをなすべきであろうか。これが、「新世界をひらく鍵としての教育」ということばの中にこめられた、ラッセルの問題意識である。まず、順序として、ラッセルの構想した平和の条件から述べてみよう。
 第一次世界大戦がなお熾烈に戦われているさなか、ラッセルはすでにこう記している。「平和主義者にとっての根本問題は、ときどき、社会全体をとらえる戦争への衝動を防止することである。そして、このことは、教育と社会の経済的機構と、民衆生活を支配している世論の基礎にある道徳律とにおける遠大な変化によってのみ達成される」と。これからも窺えるように、教育改造の思いがすでにラッセルの脳中にあったことは事実だ。しかし、これだけでは余りにも原則的・抽象的であって、彼の真意は判明しない。彼自身もまだ具体案を用意してはいなかったと想像される。
 晩年の著「事実と虚構」(Fact and Fiction, 1961)の中で、ラッセルの提示した「平和の条件」は次の3つである。
 (1)軍事力を独占した世界政府の樹立
 (2)世界各地における生活水準の均衡
 (3)人口の安定


 軍事と経済と人口の問題が表に出ているが、教育のことは表面に浮かび上っていない。ラッセルは、世界平和に対する教育の役割り-彼があれだけ強調してやまなかったことを、半世紀の間に忘却してしまったのであろうか。そうではない。晩年のラッセルは平和運動に多忙をきわめた。平和と教育との関係は依然として彼の重大関心事のひとつであったことは疑いをさしはさむ余地はない。この頃、ある人から戦争の主原因について質問されたラッセルは、こう答えている。それは「経済と支配者の狂気および大衆の情熱の爆発」の3者であると。(W. Wyatt (ed.) B. Russell Speaks His Mind, 1960) 一見してわかるように、このことばの中にも、教育という表現はない。しかし、わたしたちは大衆の情熱の爆発ということばを、安易に読みすごしてはならないと思う。すでにみたように、ラッセルは戦争の主原因を大衆の狂気に見いだしているのだ。であればこそ「人間を正気にする教育」を、彼は真剣に考えたのでもある。
  この問題はいずれ後にふれるとして、ラッセルの平和のための教育計画を考察することにしよう。それは2段階に大別される。その第1は、彼の平和思想のゴールともいうべき世界政府の樹立を実現するための教育であり、その第2は、この政府が樹立された後、これを永久に維持するために、単位国家それぞれが実施すべき教育に関する問題である。
 第1段階の平和教育において、ラッセルが特に重視したのは、歴史教育と文学教育とであった。まず、平和のための歴史教育から述べてみよう。
 ラッセルによれば、平和のための歴史教育であるからといって、戦争を教材から除外するような態度はよくない。いわゆる平和論者の中には、子どもたちをこの世の残酷さから守ることをもって平和なりと錯覚し、戦争を教材の中にとり入れない立場をとる人もいるが、ラッセルはむしろ反対の態度をえらぶ。右のような平和論者に対して、ラッセルは自らの立場を次のように宣言している。「いやしくも歴史が教育されるのであれば、それは真実を教えるものでなければならない。もし真の歴史が、われわれの教えたいと考えている何らかの道徳と矛盾する場合には、われわれのその道徳が誤っているのであって、そういう道徳は放棄してしまう方がよいのだ」と。教育全般を通じて、いつ頃またいかなる方法で、子どもたちにこの世の悪に気づかせるのがよいかという問題は、きわめて難問である。けれども、殺人・貧困・戦争などの社会悪は、人類の歴史に現に存在している。これに対して無知のまま成長を許すということは、けっして正しい教育とはいえない。人間に必須の頑健な道徳は、むしろ、社会悪の洗礼を受けてのみ体得されるものだ。従って、現に社会で発生している事実なら、たとい悪といえども、これをす通りするような教育は無力というべきである。この論理からすれば、平和のための歴史教育にあっては、戦争という悪も避けて通るわけにはいかない。歴史教育を通して若い世代の平和への意欲をかき立てようと望むなら、むしろ、戦争の残虐性をはっきりと認識させ、戦争に対する嫌悪感を強化する必要がある。こうラッセルは主張するのである。
 次に、戦争以外の教材の取り扱いについてラッセルの提案するところを検討してみよう。この際重要なことは、人類を今日の輝かしい地位につけた諸々の偉大な業績に関する漸次的発達の感覚を育成することである。そしてこれを通して、人間の「内外の暗愚」(the darkness within and without)を払拭する智慧(知恵)を学習することが、歴史教育の重要目標となる。世界平和を支える究極の力は、この種の智慧以外にはないのだから、とラッセルはいう。
 歴史教育についてはこれくらいにして、では、平和のための文学教育はどうあるべきか。ラッセルによれば、文学教育の真の意義を賢明に把握していたのは、アテネの人びとであった。彼らは心ゆくまでホーマーを味読し、これを心の糧として生活した。文学教育で重要なことは、大文学に内包されている血のかよった人間理解と人生の智慧を、子どもたちに理解させる点だ。そのためには、教材を精選してこれに親近させ、その内容が子どもたちの日常生活におけるものの考え方にまで影響するほどに徹底きせねばならない。アテネの市民はこれ実行した。徹底の方法として、ラッセルは暗記(暗誦)を推奨する。現代の教師は暗記(暗誦)の教育的価値を誤解しているようだが、人間がある文学作品から最大の収穫を得たいと願うなら、暗記こそ最善の方法だと、ラッセルは強調する。
 以上のようなラッセルの文学教育論が、世界平和に果たす役割りは何か。それは、約言すれば、特殊の中に普遍をみる力の陶冶ということになる。こうした力こそ、国民性やイデオロギーの相違を超越して、諸国民相互間の理解を促進させる強力な心理的栄養剤だからである。
 最後に、世界政府が樹立された後の教育計画についてふれておこう。世界政府が成立した後も、各単位国家はもちろん、その主権を認められる。政治・経済および宗教については、それぞれの単位国家はその主権に基いて、その好む体制や形態をとることが許される。しかし、こと教育に関する限り、各単位国家はある種の制約を受けなければならない。少なくとも、ナショナリズムの教育だけは、いかなることがあっても、絶対に行なってはならないのである。各単位国家にあっては、子どもたちは「彼ら自身の祖国の価値を過大評価するような教育」を、絶対にうけてはならないことになる。「どの国家においても、その国の歴史は外国人の手になる書物によって学習されるべきである」ことを、ラッセルはくり返し述べているが、これは彼独自の皮肉としてすませておく問題ではあるまい。

 3.人間を正気にする教育

 くり返しふれたように、ラッセルの教育思想は、第一次世界大戦を契機として成長していった。戦争は一様の狂気である。少なくともラッセルにおいてはそうであった。狂気というのが云いすぎなら、人間の「所有的衝動」(possesive impulse)のなす業である。ところで、ラッセルによれば、人間には「創造的衝動」(creative impulse)もある。だから、もし後者を充分に育成するような教育がなされていたなら、第一次大戦もあるいは起らなかったかも知れないし、今後も戦争を起さないですむかも知れない。彼がこのような仮説を立ててもけっして不思議ではない。ラッセルにおける「正気」とは、創造的衝動が所有的衝動に優位することであった。少なくともこれが正気の基本的条件であった。
 このような事情とわが子の教育に関する親としての思いやりとが、はしなくもラッセルをして、性格教育としての幼児教育の研究に従事させることになる。その成果が「教育について-特に幼児期における-」(On Education, especially in early childfood, 1926)である。
 ラッセルによれば、人間の理想的性格を形成する4つの要因は、「生命力」(vitality)「勇気」(courage)「感受性」(sensitiveness)および「知性」(intelligence)であるもし人間にこれら4つの特質を具備させることができるなら、人間は人類を不幸と悲惨の道へは方向づけないであろう。ラッセルはこう信じる。かかる人間こそ、まさに正気の人間だからである。
 「生命力」は、人間にどのようなでき事にも興味をもたせ、またそれによって、精神の正常さ(sanity)にとって本質的な客観性を増進させる。そして、これは就学前の幼児にも充実した形で与えられている。「勇気」はこの場合、もちろん、戦場におけるそれではない。ラッセルのいう「勇気」とは、仮りに現実社会に諸悪がうごめいていようとも、それをあるがままにみることのできる精神力であり、理性の明示するところのものを要求する力である。「感受性」ということばは、ラッセルにあっては、「共感」(sympathy)とほとんど同義である。この場合、共感とはまず第1に、現に苦しんでいる人が、自らの愛情の対象でなくとも、これに同情できることであり、さらにその苦しみが現に感じられなくても、それが今起こりつつあると知ることによってこれを感得できる心情のことである。最後に「知性」とは、ラッセルの場合、現実の知識と知識に対する受容性との2面を意味している。
 彼は以上のように4者の意味づけを行なったのち、「教育の生産しうる最高の限度において、生命力・勇気・感受性・知性を身につけた男性と女性とから成る社会は、かつて存在したいかなる社会よりも、きわめて異なったものであるだろう」と、正気の教育に大きな期待をよせている。以上が「人類に対するカウンセラー」であったラッセルの教育思想の要約である。彼亡き今、彼の助言を如何に活用するか。それはかかってわれわれの責任と努力にある。