(内外雑報)「ラッセル氏来朝」
* 出典:『婦女新聞』1921年(大正10年)7月第4日曜号掲載* 賀川豊彦(1888~1960):社会運動家でクリスチャン、日本生協連初代会長、ノーベル平和賞の候補にもなる。/ 賀川記念・松澤資料館 鳴門市賀川豊彦記念館
* 上記関連記事:『婦女新聞』1921年第三日曜日号掲載)
京阪神地方に続発せる労働争議は、其後愈々形勢悪化の兆候あり。去る十日には参謀・賀川豊彦氏指揮の下に、無慮五萬(50,000人)の労働者神戸に集まり、全国空前の大示威運動を挙行せり。次いで、十一日、三菱川崎両造船所に於いて、職工の暴行より官憲の干渉を誘発して、流血の惨事を惹起し、各工場はそれぞれに怠業(サボタージュ)・休業状態に入り、なお続々として、社会主義者の潜入するあり。赤化の色彩漸く濃厚ならんとするより、警察、憲兵合同にて警戒に務めつつあり。