野田又夫「現代の自由思想家 - バートランド・ラッセル」
* 出典:『毎日新聞』1950年11月19日付掲載* 再録:野田又夫(著)『哲学入門』(ミネルヴァ書房)
中国を訪れたとき、内外の軍閥に苦しめられている中国民の状態において、解きがたい問題を認めたが、同時に教訓をも受けたという。それは、歴史を長い眼で見て性急に絶望すべきでない、ということだった。第二次大戦が近くなったころから、ラッセルは歴史に興味をもつようになり(松下注:ラッセルが歴史に興味を持ったのは子供の頃からであり、自叙伝その他で、数学以外では「歴史」関係の書籍を一番好んで読み続けてきたと述べている。)、十九世紀自由主義の歴史を書き、戦後には社会史を背景にした大きな『西洋哲学史』を出している。
しかしラッセルの哲学者としてのえらさは、社会批評や歴史叙述によりも、もっと地味な、論理学のほうにある。ケンブリッジの先輩だったホワイトヘッド(この人も一流の哲学者となり去年亡くなった)と協力して、数学の論理的基礎を、精密な記号論理によって築き、『数学原理(Principia Mathematica)』三巻を公けにした。これは文字どおり記念碑的な業績である。そしてこのような論理の作業をもとにして、自然と精神の両方にわたる問題を分析した。『物質の分析』『精神の分析』その他多くの著書や論文がある。最近(一九四六←1948のまちがい)も『人間の知識、その視野と限界』という大冊を出した。
ラッセルの哲学は、宗教的な人生観とか美的な世界観とかをじかに与えてはくれない。『私の精神の発展』という数年前の文章の中で「哲学を心のなぐさめにすることは私にはできない」という。しかし言葉と論理を正確にして、異質の思想の間にも共通な論議と探究の場をひらき、真に学問的な哲学への第一歩をふみだしたこと、この点にラッセルは希望をもつことができ「私は幸福だった」という。まことに達人という感じがする。おくればせながらこの人を名簿に加えて、ノーベル賞も一段と権威を高めたことになる。