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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

「第1回パグウォッシュ会議声明」

* 出典:湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一(編著)『平和時代を創造するために-科学者は訴える』(岩波新書,n.476)
* ラッセル=アインシュタイン宣言の着想

 第一回パグウォッシュ会議声明(1957.07.07~07.10, Pugwash にて)

 ラッセル卿の招きに応じ、一〇ケ国から、いろいろの政治的、経済的、およびその他の意見を広く代表する科学者たちが、ノヴァ・スコシアのパグウォッシュに集まって、会議を開いた。この会議は一九五七年七月七日から一〇日にかけて開かれたが、終始サイラス・イートン氏の歓待をうけ、また下中弥三郎氏その他の人々からも貴重な援助をうけた。
 もともとこの集まりは、ラッセル・アインシュタイン宣言に含まれている示唆 -すなわち、科学者は大量破壊兵器の発達の結果としておこった人類の危機を評価するために集まるべきであるという示唆- が発端になったものである。宣言が出されてから二年を経過したが危険は依然として残っている。事実、核兵器の蓄積は増大し、新しい国々が核兵器生産国に仲間入りをし、あるいはこれから核兵器をつくろうとする国々の系列に加わるようになってきた。そして一方では、このような兵器の実験を継続することが住民に危害をもたらさないかどうかについて、深刻な不安が表明されてきた。全面的な核戦争は人類の上に世界的な惨害をもたらすであろうという一般的な信念と、二大対立勢力国はたがいに思いのままの破壊度まで敵を攻撃することが技術的に可能であるという認識とが、政治的な発展とともに、私たちが一堂に会し、冷静に、多くの重要かつ高度に論争点を含む諸問題を討論することを可能にするような一つの雰囲気をつくり出したのである。
 原子力の開発の結果生じた国際的な問題には、技術的なものと政治的なものとの二種類がある。科学者の集まりは、原子力の科学的および技術的な含意だけを特別な資格をもって討論することができる。しかしながら、このような討論は、国際的交渉の背景になっている政治的諸問題を考慮に入れて、はじめて実を結ぶことができる。ラッセル・アインシュタイン宣言の署名者たちは、世界を二つにわけている二つの大きな国家群のどれか一方に他方より好意的であるようなことは何もいわないという意向をその宣言の中で確言している。私たちもまた、私たちの討論からえられる結論を定式化するにあたって、たとえば、二大勢力のいずれかに歓迎されない技術的考察を強調することによって生ずる、国々の相違をいっそうひどくするようなことはいかなることでもこれを避けるように努めた。
 科学者はいまや、彼らの労働の成果が、人類の将来にとって、最高の重要性をもっていることをよく知っている。そして彼らの仕事の政治的な意味を考えざるをえなくなってきている。政治についての科学者のいろいろな意見は、科学者でない他の人々の意見と同じように、さまざまに異なっている。これらの事実のために、このような会議で、論争事項について一致した声明を出すことは困難である。しかし、このような争点について私たちが議論した結果、相違点や一致点が定義され、相手の意見をおたがいに理解する場合の目やすがえられた。
 この集まりの主な仕事は、つぎの三つの主題を中心に集中した。(1)原子エネルギーの利用(平和、戦争両目的を含めて)の結果起る障害の危険、(2)核兵器の管理、(3)科学者の社会的責任。これら三つの主題をくわしく検討するため、三つの委員会がもうけられた。本会議に提出されたこれらの委員会の報告は、この声明書の付録として発表されているが、原子力の危害についての主要な結論は、本声明の中にもつぎのように短く要約することが できる。
 核危害に関する第一委員会は、これまで行なわれた核兵器実験の影響を、独立に見積ってみた。付録にくわしくのべられているように、この危害は、人類が天然の原因によりこうむっている危害にくらべて、小さいということは認められるかもしれない。しかしそうはいっても、核分裂生成物は、世界的な広さでばらまかれるということ、および地球上のある地城では平均値よりずっと大きい影響をこうむることがあるという事実を考えると、その危害に対しては深甚な注意を払っていなくてはならない。とくに、もし多量の放射性降下物を生ずる爆弾の実験が継続して行なわれるならなおさらである。
 第一委員会はまた、工業的原子動力の平和時の利用、あるいは医学および工業における放射線の応用から生ずる危害についても考察した。これらの危険性は、応用面から生ずる大きな利益に照して考慮されねばならないけれども、それに付随する危害を大幅に減少させる方法は可能であり、また広く採用されなくてはならない。
 核爆発実験から生ずる危害を上にのべたように見積ることによって、無制限の核戦争からどのような結果がおこるか、いっそうくわしく吟味することができた。この吟味によって、核兵器を用いる全面戦争は、未曾有の大規模な惨害をもたらすことが、疑う余地のない結論として導かれた。そのばあいの放射線による危害は、核爆発実験の降下物による影響の数千倍をこすであろう。また交戦国においては、いわゆる「きれいな」あるいは「汚ない」爆弾のいずれが用いられるにせよ、爆発の瞬間に生ずる爆風、熱、それに電離性放射線によって、数億の人間が即座に殺されるであろう。もし「汚ない」爆弾が使われたなら、広大な地域が長期間にわたって居住不能になり、さらに数億の人間が局地的降下物の放射線の遅発性効果によって死亡するであろう。すなわち放射線に曝射された集団のうちあるものは直接的放射線の傷害により、またあるものは遺伝的影響の結果、次々の世代で死亡するであろう。しかし、原水爆で直接攻撃されなかった国々でも、世界的規模の放射性降下物の危害をこうむり、これはある条件のもとでは、大規模な遺伝的およびその他の障害をひきおこすほどの強さをもっているかもしれない。
 核兵器の管理を検討する第二委員会の結論は、核兵器を用いる全面戦争が人類に及ぼすこのような恐るべき結果を背景に考慮されねばならない。あらゆる国々の主要な目的は、戦争と、人類におおいかぶさっている戦争の脅威を絶滅することでなければならない。戦争は究極的には廃絶させられねばならない。それは用いられる兵器を制限することによって単に規制することであってはならない。この目的のためには、国家間の緊張を緩和させ、人民の間の相互理解を促進し、軍拡競争の終止にむかって努力し、実質的な防護のできるよう適切な管理機構を作り、そして相互の信頼を増進させるようにすることが必要である。
 近年における国際問題における最大の困難の一つは、徴妙な戦略的均衡がなりたっている時期には、たとい二次的な問題でも戦略的重要性をもつという事実から生じている。このような情勢では、どんな特定の解決法も、どちらかに戦略的に有利であるように見えるという理由から、一致した解決法がえられることは稀である。私たちは、相互の信頼が急に増大することを期待するのは非現実的であり、はじめはささやかなものから育ててゆくのがずっと可能性があると信ずる。このような情勢のもとでは、限られた分野についてのささやかな一致点ですら重要な意義をもちうるであろう。現在の状況においては、二つの小国間に戦争がおこり、ロシアとアメリカがおたがいに反対の側について軍事的に介入し、このような戦争が、戦闘において原子爆弾を用いて戦われるであろうという可能性があるため、きわめて重大な危機が迫ってきていると、私たちは信ずる。この種の局地戦を制限することは、とくにそれがもし戦術的地域で原子兵器を用いて戦われるならば、非常に困難であり、そしてまた局地戦としておこったものも結局、全面原子戦争による破滅に終るであろうと信ずる。この危険を回避するためには、小国間に局地戦が勃発する危機をとり除くことを、とくに目的とした政治的解決が必要である。
 科学者の責任についての第三委員会の結論は、私たちは戦争を防止し、恒久的かつ普遍的平和を確立することに助力するため、私たちとしてなしうるすべてをなすべきであるという、私たち共通の信念をのべたものである。この信念を実行するために私たちにできることは、現代の大きなジレンマについて一般の人々を啓発する運動に寄与すること、そして私たちにあたえられた機会を最大限に活用して、国家の政策形成に役立つことである。この委員会は現代世界に生きる科学者にふさわしい信念と熱望をその声明にのべている。
 最後に、私たちは、この会議に集まったすべての人々の間に、基本的な目的に関して、高度の一致点がみいだされたということを表明しておきたい。私たちはすべて、人類は戦争を廃絶するか、さもなくば破滅に導かれるにちがいないということを確信する。それゆえ、対立する強国群の間のジレンマと軍拡競争は破棄されねばならない。恒久平和を確立することによって、人類全体にとって新しい、そして輝かしい時代の開幕がはじまるであろう。私たちは、この会議が、これらの偉大な目的に、ささやかなりとも貢献することを、心から希うものである。