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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

市井三郎「プリンキピア・マティマティカ(1910)について」

* 出典:市井三郎(著)『バートランド・ラッセル』(講談社,1980年2月刊。 368+4pp. 講談社版・人類の知的遺産v.66)


 ラテン語の表題をもつ『プリンキピア・マテマティカ』(「数学原理」の意)は、ラッセルがケンブリッジ大学での師ホワイトヘッドとの共著として、第3巻まで公刊したものである。ここにごくわずか抄訳(とはいえ本邦初訳)したのは、その第1巻(Principia Mathematica, v.1, Cambridge University Press, 1910)の序論のはじめの部分である(松下注:第4巻は未刊に終わった。)。序論だけでも第3章まであり、ここでは序論前文と第1章のはじめだけを紹介した。底本としたのは、この第1巻改訂版第2刷(1935年刊)であるが、訳したのはあくまで初版本のままの序論である(改訂版に新たにつけられた序論は省いた)
 大型の書形で700ページ近いこの第1巻は2部から成り、やく半分の第1部は、数学的論理学(記号論理学ともいう)それ自体の体系化についやされている。この著作がもつ学問的意義をひと口でいえば、このように体系化した記号論理学を用いて数学を基礎づけうる、という数学基礎論での論理主義の立場をとにもかくにも確立した(だからその立場の聖書的古典となった)点にあるといっていい。
 いまからほぼ70年前のこの著作、またとくにここに訳出したはじめの部分は、いまでは記号論理学の入門書のようにも見えるだろう。「同等」という項目までに訳出をとどめたが、このあと「真理値」「主張記号」「推理」「点の使用」……というふうに、入門的解説がつづくのである。だから多くを訳さなかった、というのは部分的に本当だが、実はまさにこの点に、先駆者の栄光がひそんでいる。2000年以上にわたって西欧に君臨したアリストテレス論理学を、抜本的にのりこえる着想は19世紀半ばから出た。だが今世紀のこの本によって、はじめてその新しい論理学が体系化され、数学の基礎づけにまで応用され、今日ではその内容のいくばくかが常識化され始めているのだから。
 ついでながらこの本の表題は、17世紀末にニュートンが画期的な物理学理論を公表した著述の表題(『自然哲学の数学的原理』)の、後半の2語と同じである。ニュートンもホワイトヘッド、ラッセルも、ともにケンブリッジ大学トリニティ・コリッジを母校とする伝統を意識しているのだ。