「来日したラッセルの足跡を訪ねて(1)神戸_2002年9月16日(松下彰良記)
昨日(2002年9月15日)、ラッセルが来日した時(1921.07.17)1泊したというトア・ホテルの跡地(神戸外国人倶楽部)にいってみた。(ラッセル来日時の詳細のスケジュールは、ラッセルのホームページ(本館サイト)の年譜を参照)トア・ロード(坂道)を北上すると突き当たりに神戸外国人倶楽部がある。ここには以前トア・ホテル(明治41年、神戸北野町に新築開業した英国風のクラシックな装いの全室バス付きのホテルで部屋数は89室。昭和25年焼失)がたっていた。ラッセル関係の古い文献には、「東亜」ホテルなどといった表記もあったりして、これまで「トア」とは「東アジア」を意味するものと思っていた。しかし、googleの検索エンジン(検索語 「トアホテル 神戸」など)を使っていろいろ調べているうちに、そうでないらしいことがわかった。
インターネット上には諸説いろいろ書かれているが、一番納得できるのは以下の説明である。(注:下記のサイトはすでにリンク切れになっています。幸い、ウィキペディアに詳細な記述がされています。→「トアホテル(wikipedia)」
https://www.alpha-net.ne.jp/users2/daruigt/tor_hotel.htm
(ネーミングの由来) ・・・。陳舜臣「神戸ものがたり」(平凡社)でも、坂のつきあたりにあった「東亜ホテル」のトアからの説があり、このホテルのマークが鳥居で、敷地内に鳥居が祀られ「TORII」のスぺルから「TOR」になったとか、ドイツ語で門の意から(とか)、そのほかにも、ある一時期この通りが有科道路でその外国語表記から、などなど。
・・・中略・・・。トアロード名称由来について、主に上で挙げたような5つの説がありますが、この中で最もゆきわたっているのが、トアホテルから名を採ったとする説です。
トアホテルが建つ前、この「道」がなんと呼ばれていたか調べてみると、英字新聞・名鑑から、(明治41年)ホテル開業以後も十数年、Sannomiya RoadまたはSannomiya Sujiであったことが確認されました。・・・。このことから、トアロ―ドの名の由来はトアホテルである、という確証を得たのです。しかし、トアホテルの「トア」とは何を意味するのでしょうか。
トアホテル開業直前の紹介記事が残っており、そこには「…トアホテルは其音、東亜に通ずれどもトアは英語の古語にて小山或は山上の家を意味する、いと趣味ある古代的名称なり…」(神戸又新日報)とあったのです。これにより、ホテルの「トア」とは古い英語であることがわかりました。
「tor」は、ケルト由来の古英語、コーンウォールやデヴォン地方の地名に多く、高い岩や丘を意味しています。ではなぜホテル会社は、丘を意味する古英語をホテルの名称に選んだのでしょうか。
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長年神戸に住み、開港以来の故事に詳しかった、オーストラリア人、故ハロルド・S・ウイリアムズ氏の著書「The Kobe Club 1975」のなかに、その答えはありました。ひときわ目立つ北野町4丁目125番地(当時)に、英国人F・J・バーデンズなる人物が「神戸一等の邸宅」とうたわれた大邸宅を構え、「The Tor」と称していました。この跡地に建てられたホテルはこの名「The Tor」を採ったというのです。しかし「tor」は英語の発音では「トー」または「トール」なのですが、ホテルの重役で対外折衝担当者がドイツ人であったことから「トア」と発音され、「Tor Hotel」 は「トアホテル」と呼ばれるようになったのでしょう。こうしてトアロードの名前のルーツはこの大邸宅「The Tor」にまで遡ることがわかったのです。英国人バーデンズ氏が、なぜ「トア」を称したかは何の記録もありませんが、当時外国人の間でこのあたり一帯をThe Hill(丘)と呼んでいたことを考えると、毎タ、居留地のオフィスを出て家路をたどるとき、突き当たりの小高い石垣とわが家、その背にある山の岩肌を見るにつけ、故郷のtorがダブッたのではないでしょうか。・・・。