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谷川徹三「核時代のモラル」

* 出典:谷川徹三著『自由人の立場』(平凡社、1975年9月刊)pp.302-312.
* 谷川徹三氏(1895~1989:哲学者、評論家)は、ラッセル協会第2代会長。法政大学総長を歴任
* この文章は、東京で開催された第11回WAWF(世界連邦世界協会)世界大会(1963年開催)における(谷川氏の)基調講演


 道徳の原則にはまず人間的・普遍的なものが考えられるべきで、時代の変化にこれを結びつけるのは軽薄なことである。そういう意見をもつ人も少なくないでしょう。しかし人間は常に社会の変化の中に生き、人間の行為は常に社会的に制約せられるものでありますから、その行為を規制するものとして、人間的普遍的格率と共に、社会の変化に応じた適合性をもった原則が、実際にも探究されてきているので、核時代という全く新しい時代の到来に対応する道徳の原則を求めることは決して軽薄なことではないのであります。
 核時代においては、戦争と平和の問題が、それ以前とは全く異った相貌をもって、われわれの前に立ちはだかっています。というのは、もし核戦争が起これば、人類と人類の築き上げた一切のものが破壊しつくされるかも知れないし、一挙に破壊しつくされないまでも大量の放射能のおよぼす作用によって、われわれの子孫の退化や漸次的消滅も考えられないではないのであります。
 アインシュタインがある機会に語った言葉全体の破壊を避けるという目標は、他のいかなる目標にも優位しなければならぬ」という言葉を、私が「アインシュタインの原則」と呼んで、これをこんにちの戦争と平和の問題を考える上での一原則としているのはその故であります。私はいま一原則と申しましたけれど、実際にはこれを最高の原則とすることを願い、またこれを最高の原則とすることができるのではないかとひそかに思っているのであります。
 そこでまずこの言葉の由来を明らかにすることから私は始めたい。

 アインシュタインは、一九四七年の第二回国連総会に公開状を送って、「国連が究極の目標に向かう過渡的な組織に過ぎないこと」「その究極の目標とは、平和を維持するための十分な立法、行政的権限を賦与された超国家的な権威を確立する」にあること、そのような究極の目標を目指して「国家の主権に関する伝統的な概念が修正されない限り、原子力の国際管理や全面的軍備撤廃について完全な意見の一致はありえない」ことを説き、そこから三つの具体的提案をしました。

 第一に、総会の権限を拡大して安保理事会をも含めて国連の諸機関が総会に従属するようにすること。
 第二に、国連に対する代表選出方法を修正して、政府任命という方式を、直接国民によって選出する方法に替えること
 第三に、総会を常時開いているようにすること


 この三つの改革によって、特定の国家の利己主義を越えて、世界と人類との立場に立って、国際問題を処理することを一層可能にし、ひいては国連の道徳的権威を高めることができる。進んでは現在の国家を超えた普遍的秩序をうち立てる方向に一歩を進めることができる。そうアインシュタインは考えたのであります。
 これに対して、ソ連の代表的科学者四入が連名でアインシュタインに抗議の公開状を送りました。「永続的平和の擁護者であり」「アメリカ帝国主義とは縁遠い人物である」アインシュタインともあろうものが、その「アメリカ帝国主義の公然たる擁護者たちの提案と本質的にはほとんど異ならない」ような提案をしたことに対して抗議したわけであります。その抗議に更にアインシュタインの答えたものの中に、さきの言葉が出てくるのであります。
 アインシュタインはこう言っている。現存するさまざまな社会的ならびに政治的害悪のゆえに資本主義を非難し、社会主義を樹立しさえすれば、人類のあらゆる社会的ならびに政治的害悪を癒し得るものとするような誤謬をわれわれは犯してはならない。このような信念の危険は、第一に、一つの可能な社会的方法に過ぎぬものを一種の宗教的教義に仕立てあげ、それを信奉せぬものに、裏切り者とか腹黒い悪者とかいう刻印を押すことによって、その忠実な信奉者の側に狂信的な異端排撃の精神を助長させるという事実にある。
 こうなると、忠実な信奉者でない者たちの信念や行動を理解する能力は完全に失われる。この種のかたくなな信念が人類に対していかに多くの不必要な苦しみを与えてきたかを、あなた方は歴史から十分学んでおられる筈である。そして、それに続いて次のように言っています。「私が世界政府を支持するのは、今まで人間が遭遇した最も恐るべき危険を除く方法がほかにあり得ないと確信しているからである。全体の破壊を避けるという目標は他のいかな目標にも優位しなければならぬ。
 アインシュタインはもともと社会主義の同情者であり、一九四九年には「なぜ私は社会主義を支持するか」という論文さえ書いているほどであります。しかしそれにもかかわらずソ連の科学者たちの抗議に対しては、上に述べたように彼は答えているので、私はそこにアインシュタインの、全人類的立場に立った公正な見解を見る者であります。・・・(以下略)