杉浦光夫「学者の伝記と回想(バートランド・ラッセル)」
* 出典:『UP』(東大出版会)1986年12月号所収)* 「ノートの余白」シリーズ n.12
* 杉浦光夫(すぎうら・みつお,(1928~ )は、当時東大教授(数学専攻)
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これと対蹠的なのが、板倉聖宣・木村東作・八木江里『長岡半太郎伝」(朝日新聞社)である。これは専門の科学史家の手になるだけあって、土星型原子模型など、長岡の研究の内容及び他の研究との関係について詳細な記述がある。その生涯の仕事の詳しい記述から、自ずから長岡の人間像が浮び上って来るが、重点は明らかにその業績に置かれている。学者の伝記として、自伝や回想の類も重要である。歴史学では、自伝や回想は主観的で信頼度が低いので、他の史料と照合することが鉄則となっている。しかし学者や作家の回想には、本人しか証言できない創造の機微に触れた発言が見られる点で、忘れ難い感銘を受けるものが存在する。筆者が感銘を受けた2つの実例を紹介して、この文章を終ることにしたい。
岡潔博士は、多変数解析函数論では、3つの問題が中心であると見定め、1935年3月から、これに取組み始めた。『春宵十話』(毎日新聞社)には、次のように記されている。「しかし、さすがに未解決として残っているだけあって随分むずかしく、最初の登り口がどうしてもみつからなかった。毎朝方法を変えて手がかりの有無を調べたが、その日の終りになっても、その方法で手がかりが得られるかどうかもわからないありさまだった。答がイエスと出るかノーと出るかの見当さえつかず、またきょうも何もわからなかったと気落ちしてやめてしまう。これが3ヵ月続くと、もうどんなむちゃな、どんな荒唐無稽な試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっていると、はじめ10分間ほどは気分がひきしまっているが、あとは眠くなってしまうという状態だった」。「ところが9月になって(中略)中谷さんの家で朝食をよばれたあと、隣の応接室に坐って考えるともなく考えているうちに、だんだん考えが1つの方向に向いて内容がはっきりして来た。2時間半ほどこうして坐っているうちに、どこをどうすればよいかがすっかりわかった」。「私はこの翌年から「多変数解析函数論」という標題で2年に1つぐらいの割合で論文を発表することになるが、第5番目の論文まではこのとき見えたものを元にして書いたものである」。(すぎうら・みつお 東京大学教授 数学)