大門一樹「権力と経済原理」 - バートランド・ラッセル著『権力』
* 出典:『経済セミナー』1982年10月号,p.65 (私の書架から)* みすず書房刊のバートランド・ラッセル著『権力』について
* 大門一樹(だいもん・いちじゅ:?~1997?)氏は当時,東海大学教授
* ワーズワースの庭で:大門一樹氏の妻が語る一樹氏の思い出
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大正デモクラシーの日本で,進歩的だった総合雑誌『改造』が,世界的な学者・思想家を招いたが,アインシュタインより早く,ラッセルは大正10年(1921年)に訪日した。
彼のような自由思想家を,極端な権力国家の日本政府が上陸を許すかどうか危ぶまれたが,訪日は実現した。三田の慶応義塾大学(大講堂)での講演には,聴衆は講堂から電車通りまで並んだ。
ラッセルと会った人のなかに,哲学者西田幾多郎や大杉栄などがいた。この訪日は,日本人に影響を与えた。
「日本バートランド・ラッセル協会」が生まれ,近く『ラッセル事典』(早稲田大学出版部刊)(松下注:正しくは,牧野力(編)『ラッセル思想辞典』)が発行される運びになっていることなどはその一つだ。数多い彼の著述は,戦前から日本で読まれたが,『自由への途』や『社会改造の理論』などとともに(私が)感銘を受けたのは『権力-その社会学的分析』(邦訳は『権力-その歴史と心理』東宮隆・訳)。
戦前,戦後にかけて,日本ではマルクスの影響力が強かったが,ラッセルは経済学的な自利追求をもって社会科学の根本原動力だとする一元論をあやまりとし,逆に,「権力」(Power)こそ社会科学の根本概念だとする。歴史と人間性の研究でこの問題に近づいた。豊富な事実と明断な論理で読者をひきつける。ドストエフスキーが大作家の巨手でカント哲学などを手玉にとったが,ラッセルもマルクスを手玉にとっている感じで権力の分析を進めた。
民主主義が稀薄な日本は,昭和に入って,中国大陸への侵略とともに,いっそう変態的な権力体制のなかに置かれた。
あの8月15日に,日本の国家権力は崩壊し,その瞬間に,欺瞞と暴力で国民をかり立ててきた権力の正体を大衆は知った。怒りと反抗が焼け跡の困窮と重なって,国家・法秩序の無視・軽視・蔑視,犯罪となった。権力に対する国民総アウトロー化で,逆に民衆が法や制度を裁いた。警察や刑務所は超満員,裁判所はインスタント判決でもさばけない。被告たちの姿勢は昂然としていた。反乱も暴動もおきなかったのは,占領軍の武力によるものだった。権力の崩壊過程が,当時の筆者のなかで,ラッセルの権力論とダブった。
この気流のなかで,気負った小さい出版社のすすめに乗って,『強盗論』という本を書いた。極度にモノ不足時代で,粗末な紙に印刷したものだが,当時はんらんした犯罪の形で噴出した大衆の権力への怒りを書いた。題字をたのみに井の頭公園近くの武者小路実篤氏を訪ねたが,「この本,強盗しろと書いてあるみたいだ」と言いながらも,コトコト硯の墨をすりながら,下手なのか上手なのか分からない字で,「強盗論」と書いてくださった。
戦後の早い時期,一橋大学の高垣寅次郎氏に会ったことがある。この優れてアカデミックな経済学者から「君の経済学は?」ときかれ,「ラッセルに学びたい」と答えたが,マルクスでもケインズでもなかったためか,ラッセルでは経済学にならない」と笑われた。権力論のなかでラッセルは,経済学者以上に経済原理をより明確に説明しうる権力の役割を見出している。筆者は,私有制度下では「交換」の概念は,どこまでも分析してゆけば,物理的力による「貢納」の上に成立しており,「売買」は「強奪」としなければならないことがわかるという結論を持ったが,これにはラッセルの影響もあるかもしれない。