碧海純一『ラッセル』へのまえがき
* 出典:碧海純一『ラッセル』(勁草書房,1961年7月刊, ix+223+11 pp. 思想学説全書 n.9/箱入)* 碧海純一氏略歴
* 碧海純一氏は、執筆当時東大法学部助教授
まえがき
バートランド・ラッセルの思想を網羅的に解説・論評した書物は、日本はもとより、英米においてもまだ(1961年当時)世に出ていない。すぐれたラッセル伝の著者アラン・ウッドは「ラッセルの哲学――その発展の研究」と題する野心作の執筆に手をそめていたが、ごくはじめの部分を書いただけで、惜しくも故人となった。現代の思想界におけるラッセルのひときわぬきんでた地位にかんがみても、なぜこの種の書物がまだ現われていないのかということは、永いあいだ私にはわからなかったが、この「思想学説全書」の1巻として本書をみずから準備する立場に身をおいて、はじめてそのわけを体得しえた。そもそも、このような試みは、普通の人間にとっては、無謀に近いものなのである。ラッセルの思想の全面的・体系的な紹介・批判は――当のラッセル卿自身が89才の今日なお健在で、その思想がさらに発展を続けているということは一応別としても――それ自体非凡な分析力と総合力とをあわせて要求する仕事なのであり、かてて加えて、2000万語に及ぶといわれる彼の厖大な著作(これは普通の本の形に直すと数百冊に相当しよう)を読破する超人的な精力なくしては不可能なわざなのである。1944年には、「現代哲学者叢書」の1巻として、ノースウェスタン大学のシルプ教授の編集になる浩瀚(こうかん)な共同研究『バートランド・ラッセルの哲学』が出版され、アルバート・アインシュタイン、ハンス・ライヘンバッハなどをふくむ20数人の著名な学者がそれぞれ自分の専門領域でラッセルの業績をとりあげて、紹介・批判を試みている。巻末には、各寄稿論文に対するラッセル自身の回答が付せられているが、その中でかれは、再三、寄稿者の中に自分の見解を根本的に誤解している学者の多いことを嘆じている。事実、アインシュタインやライヘンバッハなどはともかくとして、少なからぬ数の寄稿者が最も基本的な諸論点についてラッセルの思想を無残に歪めていることは、多少とも彼の著作に親しんだ者の眼には一目瞭然である。当代の一流学者を動員したこの大がかりな企画ですら、ラッセルの思想の満足すべき概観を与えることに成功していないとすると、私のようにいわば徒手空拳の人間がひとりでラッセル哲学の解説を試みるなどということは、そもそも、甚だしい暴挙だといわざるをえない。そこで、私は本書の構成にはじめから一定の制約を加え、自分のかぎられた力に応じた形で、わが国の一般読者層にラッセルの人と思想を紹介する道をえらんだ。
本書では、まず第1部で、ラッセルの生い立ちから1960年にいたる彼の生涯とその思想の発展過程とを叙述し、あわせて、それぞれの時期を代表する作品を簡単に紹介することに努めた。ラッセルの生活史・精神史については、彼自身の筆になる『自伝的回想』(1956)、『私の哲学的発展』(1959)および『私の知的発展』(1944――前記シルプ編『バートランド・ラッセルの哲学』所収)、ならびに故アラン・ウッド著『バートランド・ラッセル――情熱の懐疑家』(1957)が最も有益であった。
第2部では、ラッセルの社会思想を概観し、特にその基底にある特徴的な発想法と価値観とに照明をあてるように努力した。
このような構成をもつ本書では、当然、ラッセル哲学のいくつかの重要な側面が応分のとりあつかいを受けないことになる。特に、大著『プリンキピア・マテマティカ』を中核とする、彼の論理学・数学基礎論の領域での最もオリジナルな貢献についての十分な紹介が欠けていることは本書の最大の盲点である。しかし、この領域では全く一介の素人にすぎない私が無理にその解説を試みることの危険にかんがみ、この方向でのラッセルの業績に興味をもつ読者には、前記シルプ編の共同研究の中のハンス・ライヘンバッハ、モリス・ヴァイツ、およびクルト・ゲーデルの論文、その他の専門文献を参照していただきたい。また、第2部の中でも、教育論の解説が、やはり同じ理由から、欠けているので、このテーマについては、『教育論』(魚津郁夫訳、みすず書房刊「バートランド・ラッセル著作集」第7巻)を読者におすすめしておく。この2つの大きな盲点は別としても、本書の叙述は非常に簡略な、例示的なもので、広汎かつ多面的なラッセルの思想の瞥見を与えるにすぎない。
ドイツ観念論の流れに属する哲学者たちのように曖昧模糊たる表現で読者を眩惑することなく、つねに簡潔・明快な文体で自分の主張を単刀直入に表現するラッセルは、それだけにまた、批判の対象となりやすい学者でもある。そして、かれ自身も、ムーア、サンタヤーナ、ヴィトゲンシュタイン、その他の学者の批判を受け容れつつ、自分の見解を重要な論点について何度か変えてきた。彼の思想のこのような開放的性格こそ、ラッセルをして偉大な思想家たらしめているひとつの因子だと私は信ずるが、解説者の立場から言うならば、ひとたび体系をつくりあげてしまうとどんな新しい発展があっても物に動じなくなる閉鎖型の哲学者のばあいとくらべて、かれの思想の全容を見とおすことは実に至難である。かれの主要著作を少しづつ読むことによって、その思想の形成を跡づける仕事は、私自身にとってはまことに有益な勉強であったが、でき上った本書はまだまだ意に充たぬものを多くふくんでいる。私としては、この小著が、多少なりとも、わが国の一般読者層にラッセルとその思想への関心を喚起し、その著作がひろく読まれ、理解され、かつ必要に応じて批判される機縁をつくることに役立つならば望外の幸いである。
本書がはじめて企画されたのは今から4年ほど前で、まだ私が神戸に住んでいるころのことであった(松下注:神戸に居たときは、碧海氏は神戸大学助教授)。以来、私が東京へ転居したり、公務が忙しくなったりして、執筆が思うようにはかどらず、出版予定が延引したことを読者におわびしたい。私が旧制高校生のころはじめてラッセルの作品にふれる機縁をつくってくださったのは、当時、文理科大学(東京教育大学、後の筑波大学のこと)から私の母校、武蔵高等学校へ講義に来ておられた下村寅太郎教授であったが、はからずも、この碩学の筆になる『レオナルド・ダ・ヴィンチ』と時を同じくし、同じ叢書の1巻として本書を世に問うことができるのは、私にとって大きな光栄である。また、7年ほど前、大阪のホテルのロビーで、今は亡き恩師、尾高朝雄教授とラッセルの『西洋哲学史』について語り合ったことも昨日のように憶い出される。ドイツ哲学・ドイツ社会学・ドイツ法学の正統アカデミズムを最高度に身につけながら、ラッセルを深く理解し、評価される教授の包容力は私にとって驚異であるとともに大きなはげましでもあった。故教授がこの未熟な小著をその霊前に捧げることを許されんことを。
本書の出版に当っては、編集に関係された諸先達はもとより、畏友・井上茂教授、勁草書房社長・井村寿二氏および同社の別所久一氏に終始いろいろとお世話になった。特に、別所氏は、私の遅筆にもめげず、何回となく私の私宅や研究室へ足を運んで原稿や校正の準備に協力してくださった。これらの方々に対し、改めて厚く感謝の意を表したい。
1961年6月 碧海純一
なお、本書第2部5の叙述は、私が雑誌『思想』第429号(昭和35年3月)に書いた論文「バートランド・ラッセルの戦争と平和の思想」に依るところが大きい。同論文の部分的な転載を承諾してくださった岩波書店にも謝意を表したい。