バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』8-4 - Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)
『ヒューマン・ソサエティ』第8章:倫理学上の論争 n.4 |
Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 8: Ethical Controversy , n.4 | |||
次に、争いの第二の理由に移ろう。即ち、一方の当事者がある種の行為をその結果とは無関係に本質的に邪悪なものと考えるが、他方の当事者はそう考えない場合である。奴隷制は、人間の権利の信奉者や、人間一人ひとりはそれ自体が目的であるべきだというカントの考えに同意する者にとっては、この理由で非難されるかもしれない。しかし、何らかの明確なタブーがある場合には、問題はより明確になる。ヒンズー教徒は、たとえ牛が非常に苦しんでいるときでも、牛を殺すことは邪悪だと考える。(これに対し)人道主義者の英国人は、そのような状況で牛を生かしておくことは残酷だと考える。アンティオコス4世は、全ての臣民をヘレニズム化(ギリシア化)し、土着の習慣を改めさせることが望ましいと考えたが、ユダヤ人、少なくともその中でもより英雄的な人達は、豚肉を食べたり割礼をやめたりするよりもむしろ死ぬことを望んだ。ペンシルベニア州のアーミッシュは、ボタンを道徳的に忌み嫌っており、子供達を州の学校に入れるくらいなら、すぐに迫害を受け入れるだろう*。 * ChatGPT は答えることはできませんでしたが、Google Gemini は次のような詳細な回答を提示しました。 「アーミッシュの人々は、簡素な生活を送ることを重視しており、装飾品を嫌悪します。ボタンは装飾品とみなされるため、アーミッシュの人々はボタンを道徳的に忌避しています。州立学校では、一般的にボタン付きの制服を着用することが義務付けられています。そのため、アーミッシュの人々は、子供たちを州立学校に通わせることを拒否し、迫害を受けることを覚悟するのです。」 |
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