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ラッセルの著書・研究書の書評

[書評] バートランド・ラッセル『中国の問題』-「可能性への鋭い洞察」(『朝日新聞』1971年2月8日付掲載)

* 出典:ラッセル(著),牧野力(訳)『中国の問題』(理想社,1971年)の書評
* 原著:The Problem of China, 1922.


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 これは原著が、まさに半世紀も前に出た中国論である。今頃初訳が刊行されることに何の意味があるのか、とふつうなら疑問視されることだろう。ところがラッセルのこの本は、ある観点からみれば、まさに半世紀も後に訳されるからこそ、その真価がよくわかるのだ、といえるだろう。
 いうまでもなくラッセルは、昨年(1970年)逝去(せいきょ)したイギリスの哲学者・社会運動家 ――とくに核兵器廃棄運動の国際的なリーダー ――であった。哲学者としては、東洋学などに何の関係もない人だったのだが、人類全体の運命に対する深い関心から、1920年に北京大学の招きを受諾して、翌年にかけてほぼ一年、同大学で理論的な認識論の講義をしたのである。その中国滞在の間(と少し後まで)、彼は西欧人として異質の中国文化なるものの歴史と現実とを、犀利(さいり)に研究した。その結果をまとめたものが本書なのだ。
 この本に展開されている根本的な主張は、ざっと次のように要約できるだろう。近代西洋の文化は、科学的方法を生んだ点で明らかに長所を持つのだが、その方法から工業技術体制をつくりあげた結果、力における優越意識をもつにいたり、自己と異なる文化形態への不寛容・自己中心癖をも示すにいたった。しかしながら中国の文化は、狂信性と不寛容に対置しうるような美徳を国民的につちかってきた。近代日本は、西洋の諸欠点を採用し、彼ら自身の欠点をも保存し続けたけれども、中国人は逆に選択をして、かれら自身の長所・美徳を保存しながら、西洋の長所をも採用するだろうと予測することができる。
 中国文化の明確な長所とは、人生の諸目的にかんして正しい観念をもつことである。この美徳と西洋の科学的方法という長所とが、中国においてはじめて徐々に現実に統含されるだろう、という希望をもつことができる、とラッセルはいうのである。
 論旨だけを要約してしまえば、そこに込められた洞察(どうさつ)の重みは感じられなくなるものだが、重ねて2つのことを指摘しておこう。中国を訪れる前にラッセルは、革命後のロシアにも滞在していて、「プロレタリア革命」後のソビエトに、実に、ロシアの西洋化ないしアメリカ化化への試みに過ぎないと考え得る強い兆候を見て取って、内心暗然としていたのである。しかもそれとは反対に、辛亥革命後の混乱期の中国を訪れて、ラッセルが中国には多大の希望を見出した、という点なのだ。
 中国の老荘・儒教の古典にみられる美徳が、人力車夫や苦力(クーリ)のような階層の行動にまで見出すことができる、といった点は読みすぎというよりはラッセルの洞察力をシンボライズしているといえよう。細事については、べたぼめや誤認はあるが、中国文化の大筋の可能性を、実によくつかんでいたのである。この日本版巻末につけられた新島淳良氏の詳しい解説は、中国人のラッセルヘの反応をもみごとに証明している。(牧野力訳・理想社・980円)
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