幸福について
- ・・・部分に価値があるのでなければ、全体に(も)価値はありえない。
- 成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を・・・
- '退屈'は、本質的には、事件を望む気持ちのくじかれた状態をいい、・・・
- 過度の興奮に慣れた人は、胡椒(コショウ)を病的にほしがる人に似ており、・・・
- 退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠・・・
- 過労が原因だとされている害は、ほとんど過労によるものではなく、・・・
- 恐怖はどのようなものであれ、直視しないことによってよりひどいものになっていく。
- ねたみ'深い人は自分が持っているものから喜びを引き出すかわりに、他人が持っているものから苦しみを引き出す。
- 他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。
- 自分を理性的にすることで生活がつまらなくなる、などと恐れる必要はない。
- 自分を過小評価する人は、成功するといつも驚くが、これに対し、自已を過大評価する人は、失敗するといつも驚く。
- (一時的な)流行追求や趣味は、多くの場合、多分大部分、根本的な幸福の源泉ではなく、現実からの逃避のための手段になっている。
- 多くの人びとを無意識かつ努力しないで好きになれることは、おそらく個人の幸福のあらゆる源泉のなかで最大のものであるだろう。
- 幸福の秘訣は、こうである。
- 読書を楽しむ人は、そうでない人よりも、なおいっそう優れている。なぜなら、・・・。
- 人は、関心を寄せるものが多ければ多いほど、よりいっそう幸福になる機会が多くなり、また、・・・。
- 非常に'特殊化された興味'は、人生に対する一般的な熱意ほどには幸福の満足すべき源泉にならない。
- '大食漢'(暴飲暴食をする人)は、食べる楽しみのためにその他の楽しみをすべて犠牲にし、・・・。
- 他人に対する心配(気遣い)は、非常にしばしば、'所有欲のカムフラージュ'になっている。
- 二人の人間が相手に対して本物の'相互的(双方向の)関心'を持っているという意昧での愛情・・・。
- あまりにも強烈な自我は一つの牢獄であり、・・・。
- 良心的な母親'は、子供にほんのわずかしか求めず、'良心的でない母親'は、あまりにも多くのことを子供に求める。
- この世で幸福になるためには、特に青年期が過ぎてからは、自分のことを'まもなく一生を終える孤立した個人'として感じるだけでなく、・・・
- 両親が最も頼りになるのは--まともな親であれば、(子供が)病気の時や、世間から非難されている時でさえも含め--)不幸のときである。
- 親であることの喜びの原始的な源は、二重である。
- '自己犠牲的'と従来言われている母親は、大多数の場合、子供に対して異常に'利己的'である。
- 余暇(時間)を'知的に'使う(満たす)ことができるということは、文明の最後の成果(産物)であり、・・・
- '目的の持続性'ということは、長い目で見れば、'幸福の最も本質的な成分'の1つであるが、・・・
- 人間は、少なからず、その後に続くべき建設を何ら顧慮しないで、'破壊を目的とする活動'に従事することがある。
- '最も満足できる目的'とは、1つの成功から次の成功へと無限に導く、決して'終わりのない目的'である。
- 完全に飢えることなしに、人間の建設的な衝動を満足させる仕事をすることが可能な場合には、・・・。
- 仕事が終われば仕事のことは忘れ、翌日再開するまで思い出さない人は、・・・
- 不幸に遭遇したときによく耐えるためには、・・・
- '賢い人間'は--防げる不幸を座視することはしないが--'避けられない不幸'に・・・。
- 実際的な'仕事における能率'は、私たちがその仕事に注ぎこむ感情(の多少)に比例しない。・・・。
- '幸福な人'とは、客観的に生き、自由な愛情と幅広い興味を持ち、・・・。
- 私たちは、愛する人びとの幸福を願うべきであるが、私たち自身の幸福と'引き換え'であってはならない。
- 気分については議論しても仕方がない。気分は何か幸運な出来事が起これば変わるし,体調の変化によっても変わるが,議論によって変えることはできない。
- 私自身も,一切が空しいと感じるような気分をしばしば経験した。
- 特別に強い欲求を感じていない(ごく普通の欲求のみを感じる)ものを容易に入手できる人は,欲求を充足しても幸福はもたらされない,と結論する。
- 人生は,ヒーローとヒロインが,信じられないような不運(逆境)を乗り越え,最後にはハッピーエンドで報われる,といったメロドラマの類推で思い描かれるべきではない
- 私が金から得たいと思うものは,安心して楽しめる余暇である。
- アメリカの社会的階級(階層)は,段階が不明確で,絶えず変動している。
- この災いの根元は,幸福の主な源泉として'競争にうち勝つこと'を強調しすぎることにある。
- 私が主張したいのは,成功は幸福になるための一つの要素にしかなりえず,成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば,あまりにも高い代価を支払って手に入れたことになる,ということである。
- 競争の哲学'によって毒されているのは,仕事だけではない。
- 過剰に興奮に満ちた生活は,心身を消耗させる生活であり,そこでは,快楽の必須の部分と考えられるようになったスリルを得る(自分に与える)ために,絶えずより強い刺激が必要となる。
- 多少とも単調な生活に耐える能力は,幼少期に獲得されるべきものである。
- 幼少期の喜びは,主として,子供自身が,多少の努力と創意工夫によって,自分の環境から引き出すようなものでなければならない。
- 興奮はさせるが,体をまったく動かさないような快楽,たとえば観劇などは,たまにしか与えるべきでない。
- きちんとした精神を養うことで、どれほど幸福と効率が増すかは、驚くほどである。
- 私たちのすることは,自分たちが当然だと考えているほど重要なものではない。我々が成功しようが,失敗しようが,結局,あまりたいしたことではない。
- しかし,さらにこうした自己中心的な考えに加うるに,(各個人の)自我など全然世界の大きな部分ではないという事実がある。
- 過労が原因だとされている害は,ほとんど過労によるものではなく,何らかの悩みや心配によるものである。
- 仕事によって生じたように思われる神経衰弱は,私が個人的に知っているいかなる場合についても,実は,何らかの情緒的な心配事によって生じたものであり,患者は,仕事をすることでそれらの心配事から逃れようとしていたのである。
- 恐怖(心)はどのようなものであれ、直視しないことによってよりひどいものになっていく。
- 疲労の原因は,非常に多くの場合,'興奮を好むこと'にある。
- 通常の人間性の特徴の中で,'ねたみ'が最も不幸なものである。
- 他人と比較してものを考える習慣は,致命的な習慣である。
- ねたみ'は,実際のところ,一部は道徳的,一部は知的な悪徳の一形態であって,その本質は,決して'もの'を'それそのもの'として見ず,他との関係において見ることにある。
- 人格の分裂ほど,幸福のみならず能率を減らすものはない。
- 私は,たとえば,人は一日一時間,自省のために時間を確保しておくべきだと,提案しているのではない。
- 情熱的な恋愛,親としての愛情,友情,慈悲心,科学や芸術に対する献身などの中には,理性が減じたいと思うものは何ひとつない。
- 自分を理性的にすることで生活がつまらなくなる,などと恐れる必要はない。
- 自己分裂している人間は,'興奮'と'気晴らし'を追い求める。・・・。
- いかなる種類のものであれ,陶酔を必要とするような幸福は,見せかけのものであり,不満足なものである。・・・。
- (処世訓1)あなたの動機は,必ずしも自分自身で思っているほど'利他的'ではないことを忘れてはいけない。
- (処世訓3)あなたが自分自身に持つほどの大きな関心を他人もあなたに持つと期待してはならない。
- (処世訓4)大部分の人が,あなたを迫害したいといった特別な欲求を抱いているというほど,あなたのことを考えている,などと想像してはいけない。。
- 若い人たちは,彼らの知っている環境があたかも世の中全体を代表しているかのように思いやすい。
- もしも,ある人が,いったん適切な職業に適切な環境のもとにつけば,たいていの場合,社会的迫害をまぬがれることができるが,しかし・・・
- 天才はつねに自分の道を切り開く'という,耳に心地よい説があるが,この説に力を得て,若い才能を迫害してもそれほど害にならないと,多くの人が考えている。
- 同様に,私たちが見聞している天才は,すべて逆境にうち勝っているが,若くして挫折した天才は,(過去)非常に多数は存在しなかった,と想定すべき理由はまったくない。
- 年寄りも,若者も,思慮分別のつく年齢に達すれば,自分で選択する権利があり,また必要ならば,自分で間違いを犯す権利だってある。
- 自分を過小評価する人は,成功するといつも驚くが,これに対し,自分を過大評価する人は,失敗するといつも驚く。
- 人に対する友好的な関心は,深い愛情のひとつの形であるが,欲深で所有欲が強く常に強い反応を求める形はそうではない。
- 義務感は,仕事においては有用であるが,人間関係においてはいやなものである。
- 人は,関心を寄せるものが多ければ多いほど,よりいっそう幸福になる機会が多くなり,また,ますます運命に左右されることが少なくなる。
- 私たちはみな,'内向性'という病気にかかりやすい。
- 中庸'(ちゅうよう)(中庸の徳)は,面白くない教義(信条)であり,私は,若い時には'中庸'を軽蔑と憤りをもって退けたことを覚えている。
- 高度な教育を受けた社会構成員のなかで、今日最も幸福なのは、科学者である。
- 芸術家や文学者は、結婚生活が不幸であることが職業柄必要(礼儀上必要)だと考えているが、科学者はしばしば、いまだに'古風な家庭生活の幸福'が可能である。
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