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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

バートランド・ラッセル「基本命題」

* 原著:An Inquiry into Meaning and Truth, 1940, chap. 10: Basic propositions
* 牧野力(編)『ラッセル思想辞典


 下記は遠藤弘氏(執筆当時、早稲田大学文学部教授)のまとめ(書き下ろし)ですので、ピッタリ該当するラッセルの英文はありません。そこで、関連するラッセルの記述を少しだけ添えておきます。


 論理実証主義が主張する「観察命題」に代えて、ラッセルは「基本命題」なるものを提唱している。ラッセルによれば、論理実証主義経験的な命題言語外の事実との繋がりを次第に稀薄なものにし、「はじめに意味ありき」ではなく、「はじめに言葉ありき」を唱えて、まさしく新新(ネオネオ)プラトン的神秘主義に陥っている。それはも はや経験主義の本質を見失っている、とラッセルは厳しく論理実証主義を批判するのである。ラッセルが提唱する基本命題なるものは、 認識論的に言うならば、 知覚に際して生ずる命題であり、その知覚を自らの証拠としてもち、しかも異なった知覚像から導かれる同じ形式のすべての命題と両立可能であるような命題である。 またそれが論理的に証明可能か否かといえば、基本命題とは経験的知識全体の中のある論理的に証明不可能な部分で、それ自体経験的であるもの、すなわちある時間的生起を主張するものである。

 さて、ラッセルは知識論の事実的前提として、次のような基本命題を挙げている。
 (1)知覚命題 -- 知覚においてはかずかずの知覚判断が可能になる多くの事柄が一挙に与えられる。つまり、ひとつの知覚から多くの知覚命題が成立するのであり、 それぞれの命題にひとつひとつの知覚が対応しているわけではない命題は知覚の所与から抽象である。しかも一つの知覚には本来言語で表しえないものは含まれていない、と言うのがラッセルの知覚論の特徴である。
 (2)記憶命題 -- 記憶は絶対確かであるとは言えないが、記憶を前提にしない知識と言うものはありえない。事実的前提にとって必要なものは絶対的確実性ではなく、ある程度の信頼性に過ぎない。そして一つの事実的な前提が別の事実的諸前提と調和することがわかれば、それはその都度補強されるのである。その意味では基本命題はそれぞれ独立でありながら、整合でなければならない
 (3)否定の基本命題 -- われわれは 知覚像や記憶像から背定の基本命題だけでなく、否定の基本命題作ることができる。後者は否定されるべき命題が、知覚に基づき、否定的な命題態度によって、否定されることから生ずる。
 (4)現在の命題態度に関する事実的前提の命題 - 知識には、従属的な命題を含む基本命題から出発するものがある。何ものかが信じられ、疑われ、求められている等々のことを主張する通常の心理的命題がそのような基本命題である。ラッセルによればこれらの命題も物理学で必要な基本命題と本質的に異なるものではない。

 ところで(1)の知覚命題を仮に Fa ( aF である) で表すことにし、また a と同時的な a' について Ga' ( a'G である)と言う知覚命題がつくられたとする。同様にして Fb・Gb'bf でありかつ b'G である)、Fc・Gc',・・・がえられたとする。ところが新しい事実 Fd はみとめられるが、Gd' は未だみとめられていないとき、(∃y)(Gy)(G であるようなものが同時に存在する)と推論されることがしばしばある。 ラッセルによれば、 この存在命題も初めの知覚命題と同様に一つの経験的事実を表現すると言う。このような推論は動物によって習慣的になされており、動物は上の存在命題を基本命題として認める態度をとる。われわれ人間も 「何かがぶつかった」と言う。この判断が、知覚判断と同様に直接的であることは否定できない。むしろ 。Fa が常に (∃x)Fx論理的に含意することから考えると、Fa を信じる人はだれでもかかる(このような)存在命題をすでに信じているのである。つまり、当の存在命題の信念Fa の信念の一部であるとも言いうるのである(遠藤)

('Basic Propositions', as I wish to use the term, are a sub class of epistemological premisses, namely those which are caused as immediately as possible, by perceptive experiences. This excludes the premisses required for inference, whether demonstrative or probable. It excludes also any extra-logical premisses used for inference, if there be such ? e.g., "what is red is not blue", "if A is earlier than B, B is not earlier than A". Such propositions demand careful discussion, but whether premisses or not, they are in any case not "basic" in the above sense.
I have borrowed the term "basic proposition" from Mr. A. J. Ayer, who uses it as the equivalent of die German ProtokoUsati employed by the logical positivists. I shall use it, perhaps, not in exactly the same sense in which it is used by Mr. Ayer, but shall use it in connection with the same problems as those which have led him and the logical positivists to require such a term. )