バートランド・ラッセル「第一次世界大戦」
* 原著:The Autobiography of B. Russell, v.2(1968), chap. 8* 原著:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収
1910年から1914年にいたるまでの時代は、過渡期だった。
私の人生は、1910年の前と1914年の後とでは、メフィストフェレスに会う前のファウストの人生と会った後のファウストの人生のように、隔絶したものとなった。私は、まずオットリン・モレル夫人によって、次に第一次世界大戦によって若返った。戦争が人を若返らせるなどとは奇矯に聞こえるかもしれないが、事実、第一次世界大戦は、私の偏見を振り払い、根本的な多くの問題についてあらためて考え直すきっかけを与えてくれた。そればかりか、新しい活動を始めさせてくれた。この新しい活動に対しては、数学論理の世界に立ち帰ろうとする時にいつも私を悩ましていたあの味気なさを少しも感じることがなかった。・・・。
私は、英国は中立を保つべきである、と強く思った。そこでその趣旨にそった声明書に(ケンブリッジ大学の)数多くの教授やフェロー達から署名を集め、それをマンチェスター・ガーディアン紙に掲載した。ところが宣戦布告の日、彼らのほとんどが心変わりをした。・・・。
(1914年)8月3日の日没後(evening)、私は、ロンドンの街頭、特にトラファルガー広場の辺りを歩き回った。そして(宣戦布告に)歓呼しつつある群衆を発見し、感動している通りすがりの人々に対して、心が痛むのを覚えた。・・・。これにはいささか驚かされた。私は浅はかにも、ほとんどの平和主義者が主張していたように、それまでは、戦争は常に専横な、そして権謀術数に長けた政府によって、嫌がる民衆に押しつけられるものだと想像していたのである。・・・。
第一次世界大戦の初期を通して、オットリン(Ottoline Morrell)は、私にとってきわめて大きな助けであり、力であった。彼女がいなかったならば、私は完全に孤独に陥っていたであろう。彼女は、戦争を憎悪することに少しもゆるぎがなかったし、世界に充ちあふれている神話や偽りごとを拒否することに少しもぐらつきを見せなかった。
I spent the evening walking round the streets, especially in the neighbourhood of Trafalgar Square, noticing cheering crowds, and making myself sensitive to the emotions of passers-by. During this and the following days I discovered to my amazement that average men and women were delighted at the prospect of war. I had fondly imanigned, what most pacifists conteded, that wars were forced upon a reluctant population by despotic and Machiavellian governments. ...