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バートランド・ラッセル 権力 第7章 (松下 訳)- Power, 1938, by Bertrand Russell

Back(前ページ) Next(次ページ) 第7章_イントロ索引 Contents(総目次)

第7章 革命的な権力 n.4 - 人に従うよりも神に従う

 我々は人に従うよりもむしろ神に従うべきであるという原則は,キリスト教徒によって二通りに解釈されてきた(解釈されてきている)。(即ち)神の命令は個人の良心に直接伝えられるか,あるいは,教会という媒体を通して間接的に伝えられるか,の二通りに解釈されてきたのである。ヘンリー八世とヘーゲルを除いて,今日まで,神の命令が国家を媒体として伝えられるという考えを抱く者はかつてまったく存在しなかった。こうして,キリスト教の教えは,個人の判断の正しさを支持するか(例:無教会派/神は個人と直接対話),教会を支持するか,どちらかの方法で,国家の弱体化を(必然的に)伴った(のである)。理論的には,前者(個人宗教/無教会派)は無政府主義を意味する。後者は教会と国家という二つの権威を意味するが(必然的に伴うが),両者の領域の限界(範囲)を定めるための明確な原則はまったく存在していない。どれがカエサルによって支配されるものであり,どれが神によって支配されるのであるか。キリスト教徒にとっては,全てのものは神のもの(思し召し)だというのが当然であろう。従って,教会の主張は,国家が堪えがたいと見なすだろうものになりがちである。教会と国家の争いは,これまで理論上決して解決されたためしがなく,今日でもやはり,教育のような事柄(問題)においては,依然として未解決のままである。

Chapter VII: Revolutionary Power, n.4

The principle that we ought to obey God rather than man has been interpreted by Christians in two different ways. God's commands may be conveyed to the individual conscience either directly, or indirectly through the medium of the Church. No one except Henry VIII and Hegel has ever held, until our own day, that they could be conveyed through the medium of the State. Christian teaching has thus involved a weakening of the State, either in favour of the right of private judgment, or in favour of the Church. The former, theoretically, involves anarchy ; the latter involves two authorities, Church and State, with no clear principle according to which their spheres are to be delimited. Which are the things that are Caesar's and which are the things that are God's? To a Christian it is surely natural to say that all things are God's. The claims of the Church, therefore, are likely to be such as the State will find intolerable. The conflict between the Church and the State has never been theoretically resolved, and continues down to the present day in such matters as education.
(掲載日:2017.08.09 /更新日: )