第5章 王権 n.8 - ルネッサンス期の君主制ルネッサンス期の君主制には,カトリック教会と争っていた初期の王と比較して,一つの大きな長所があった。即ち,教育はもはや教会の独占物ではなかった。俗人の法律家の助力は,新しい君主制の確立において非常に貴重なものであった。(注:つまり,ルネッサンス期には,教会内だけではなく,俗界にも法律家などの専門家が育ってきていたということ。みすず書房の東宮訳は「ルネッサンスの君主政体には一つの大きな長所があった。とはいえ,それは教会と争っていた昔のころの王と比べた上での話である。ともかく★政治★はもはや教会の一手販売ではなくなった。・・・」となっている。「政治」というのは「教育」の書き間違いであろう。英文は上から順番に訳したほうがよいことはわかるが,東宮訳は原文のニュアンスとは離れていると思われるが,いかがであろうか?)イングランドとフランスとスペインの新しい君主制は,教会の上に位するものであり(教会に優越するものであり),また,貴族階級の上にも位するものであった。この新君主政体の権力は,二つの新興勢力,即ち,ナショナリズムと商業(から)の支持に依存していた。つまり,新しい君主政体は,この二つの勢力にとって有益と感ぜられる限り,それは強力になることができたが,この点で失敗すると,革命が起こった。チューダー(王)朝はこの二つの点で申し分なかった。しかし,スチュアート(王)朝は,廷臣たちに独占を認めて貿易を妨たげ、そうしてイングランドが,まずスペインの,次いでフランスの四輪競馬車の車輪に引きずられることを許した(可能とした)。フランスの君主制は,商業の肩をもち,(十七世紀の)コルベール(Jean-Baptiste Colbert 1619~1683 :フランス・ブルボン王朝全盛期のルイ14世の絶対王政を支えた財務長官で,いわゆる重商主義政策を推進)の体制の終わりまで国力を増強した。それ以後,「ナントの勅令」(注:初期近代のヨーロッパで初めて個人の信仰の自由を認めた勅令)の廃止,度重なる残酷さを増す戦争,重い課税,聖職者と貴族の財政的な負担の免除(といった政策)は,商業とナショナリズムの両者を王に敵対させ,終にはフランス市民革命をもたらした(のである)。スペインは新世界の征服によって方向を偏らせていった。しかし,スペイン統治の新世界(注:南アメリカなど)が叛乱を起こしたのは,スペイン統治の新世界自体が,主に,イングランドや米国と貿易ができるようになるためにそうしたのである。 |
Chapter V: Kingly Power, n.8
The new monarchies, in England, France, and spain, were above the Church and above the aristocracy. Their power depended upon the support of two growing forces, nationalism and commerce : so long as they were felt to be useful to these two, they were strong, but when they failed in these respects there was revolution. The Tudors were faultless in both respects, but the Stuarts hampered trade by monopolies granted to courtiers, and allowed England to be dragged at the chariot wheels of Spain first, and then France. The French monarchy favoured commerce and enhanced national power until the end of Colbert's regime. After that time, the Revocation of the Edict of Nantes, a series of increasingly disastrous wars, crushing taxation, and the exemption of clergy and nobles from financial burdens, turned both commerce and nationalism against the king, and in the end brought about the Revolution. Spain was deflected by the conquest of the New World; but the Spanish New World itself, when it rebelled, did so chiefly in order to be able to trade with England and the United States. |