14歳以前のカリキュラム - 良い暗記と良くない暗記
文学を教えることは,誤りを犯しやすい問題である。若者にとっても年配者にとっても,詩人の生没年月日や作品名を覚えることなどを知ることで,文学に関する情報を多く持っていても,まったく役に立たない。ハンドブックの中に収められるような知識は,みな価値がない。大事なことは,一定の量の優れた文学作品に大いに親しむことであり,それは,(自分の)文章のスタイル(文体)だけでなく,思想のスタイルまで影響されるような親しみ方でなくてはならない。かつては,聖書がイギリスの子供たちにそうした影響を与え,確かに散文のスタイル良い影響(効果)をもたらした。だが,現代の子供で聖書をよく知っているものはごくわずかである。文学のよい影響は,作品を暗記することなしには十分には得られない,と私は思っている。(注:昔の日本で言えば、「素読」ですね。)作品を暗記することは,かつては記憶力を訓練するものとして推奨されていたが,心理学者たちは -たとえなんらかの効果があるとしても- 暗記には記憶力の増進効果はほとんどないことを証明した。(注:安藤氏は 'if any effect in this way' の部分を訳していないが、記憶力増進以外にも効用がないとは言っていない,というニュアンスがある。)現代の教育者たちは,暗記をますます重視しなくなってきている。しかし,彼らは間違っていると思う。その理由は,暗記が記憶力を増進してくれる可能性があるからではなく,話したり書いたりするときの言葉の美しさに影響を与えるからである。言葉の美しさは,思想(考えたこと,思っていること)の自発的な表現として,努力なしに出てくるのでなければならない。しかし,原始的な美的衝動を失ってしまっている社会にあってそうするためには,優れた文学に親しむことによってのみ生み出すことができると-私が信じている-思考習慣を身につける(生み出す)必要がある。(安藤訳では,「・・・。そうするためには,思想を表現する習慣を身につけることが必要になる。この習慣は,優れた文学に親しむことによってのみ生み出すことができる。」となっている。「思想を表現する習慣」という訳は不適切ではないか? ここでは「考えたことを口にださないのではなく,できるだけ表現するようにしよう」と言っているのではなく、暗記した文学表現などが,適時思い浮かび、効果的に使用できる,というような思考習慣を身につけるのが良い,というニュアンスと思われるが,いかがであろうか?)私にとって,暗記が重要と思われる理由は,ここにある。
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Pt. 3: Intellectual education - Chap.15 The school curriculum before fourteen
The teaching of literature is a matter as to which it is easy to make mistakes. There is not the slightest use, either for young or old, in being well-informed about literature, knowing the dates of the poets, the names of their works, and so on. Everything that can be put into a handbook is worthless. What is valuable is great familiarity with certain examples of good literature--such familiarity as will influence the style, not only of writing, but of thought. In old days the Bible supplied this to English children, certainly with a beneficial effect upon prose style ; but few modern children know the Bible intimately. I think the good effect of literature cannot be fully obtained without learning by heart. This practice used to be advocated as a training for the memory, but psychologists have shown that it has little, if any effect in this way. Modern educationists give it less and less place. But I think they are mistaken, not because of any possible improvement of memory, but on account of the effect upon beauty of language in speech and writing. This should come without effort, as a spontaneous expression of thought ; but in order to do so, in a community which has lost the primitive aesthetic impulses, it is necessary to produce a habit of thought which I believe is only to be generated by intimate knowledge of good literature. That is why learning by heart seems to me important.
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