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バートランド・ラッセル「自由意志と決定論」

* 原著:Religion and Science, 19358, chap. 6
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収


 心理学と生理学とは、自由意志という問題を否定する傾向がある。内分泌の研究、脳の働きについての知識の増加、パブロフの条件反射の研究、抑圧された記憶や願望が人間に及ぼす影響についての精神分析的研究などのすべてが、精神現象を支配する因果率の発見に寄与した。それらはどれも、自由意志の可能性を否定するのに十分な論拠を挙げられなかったが、もし原因の無い欲望がありえたとしても、それが甚だ稀であることはまず間違いないと言えそうだ。
 「意志」という概念は極めて曖昧で、多分、科学的心理学からは消えていく概念だと言うべきである。
 自由意志と決定論とは、実際に、科学的に確証しうる範囲を超えた全く形而上学的な理論である。因果律を探求するのは科学の本質であるから、純粋に実際的な意味で、科学者は常に決定論を操作上の仮説とみなさねばならない。また実際に因果律を発見した場合以外、'決定論の存在' を主張する必要はないし、また、賢明でもない。もし因果律の適用されない領域まで知っていると積極的に主張するのならば、なおさら賢明でない。そういう主張は、理論上も実際上も愚かである。理論上、既得の知識でそれを裏付けするには不十分だし、実際上、ある一定の領域に因果律は存在しないとの信念を抱いて、科学的探求心をそぐのは法則発見の邪魔となるからである。このような二重の愚かさは、原子内の変化が必ずしも決定論的ではないと主張(松下注:不確定性原理)する側にも、自由意志を独断的に主張する側にも存在するように思う。相反する独断に当面した時、科学は純粋に経験的領域に止まり、実証されうる領域を超えて、主張も否定もすべきでない。
 決定論と自由意志との間の永遠の論争は、二つの、強いが論理的に調和しない感情から生れる。