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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

絶対平和主義者(拝啓バートランド・ラッセル様より)

* R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集)
目 次



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 '...。あなたが書かれた『平和への道』(Which Way to Peace, 1936)を読み、(1936年)当時あなたは、絶対平和主義者(Absolute Pacifist)であったと私は理解します。また、あなたの考え方を変えさせたのはヒットラーによる非人道的な統治だと思います。(しかし)現在、たとえヒットラーのような人物が出現しても、核兵器の破壊力のゆえに、あなたはもとの『絶対平和主義』に戻るだろうと推測します。・・・。ここでわたしは次のように言いたいのですがどうでしょうか。即ち、たぶんあなたは情緒的な状況を経験されたことが一度もなかったのであり、もしそのような経験があったならば、1939年(松下注:第二次大戦勃発時)のときのあなたの理論を修正してくれたことだろう、と。当時のあなたの理論は、やむえなかったことですが、冷たいものでした。もしあなたがいつか、たとえば爆弾で手足などを切断された婦人や子供達に直接接触をもたれたら、きっと先生は絶対平和主義者のままでおられただろうと推測します。・・・。


ラッセルからの返事・1956年10月12日付)

拝復
 わたしはいまだかつて「絶対平和主義者」であったことも、また「絶対○○主義者」であったことも一度もありません。行動は、そのもたらす結果によって正しいとか誤っているとか判断されるべきだと私は考えています。正しい行動というのは、可能なるあらゆる行動のなかで、悪い結果と良い結果の間のバランス(差額)を最大限よい方に与える(=差し引き最もよい結果をもたらす)行動であると考えます。"物を盗むな" や "殺人はするな" というような一般的な規則は、たいていの場合正しいのですが、例外もありがちなのです。
 あなたは、わたしがいままで(1956年まで)に、戦争の被害で長い間苦しんでいる罪のない人々に直接接したことがあるかお尋ねですが、わたしはそういう経験はありません。こんどはこちらから逆にお尋ねしましょう。あなたはいままでアウシュヴィッツ(Auschwitz)にいて、途方もない人数の罪のないユダヤ人がガス室(第二次大戦中ナチスが設置)の中に群れをなして追い込まれた光景を目撃したことがおありですか。もしなかったら、それならあなた自身のフレーズをここに引用しましょう。
 「あなたの理論は、やむをえないことではあるが、冷たいものです。
 敬 具 バートランド・ラッセル

... I have never been an absolute pacifist or an abosolute anything else. I think that an act is to be judged right or wrong by its consequences: the right act being that which of all acts that are possible gives the greatest balance of good over bad consequence.
(From: Dear Bertrand Russell; a selection of his correspondence with the general public, 1950 - 1968. Allen & Unwin, 1969.)