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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

バートランド・ラッセル「カルナップ(Rudolf Carnap, 1891-1970.9.14)」

* 出典:牧野力(編/著)『ラッセル思想辞典


 以下は、藤川吉美 氏(故人/当時・成蹊大学講師。東工大助教授を経て、九州女子大学学長)によるオリジナルな日本語の記述ですので、英文はありません。
ラッセルは1940年に出版した An Inquiry into Meaning and Truth , 1940 の序文でカルナップに触れていますので、その原文と訳文を後ろに付加しておきます。


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 ドイツに生まれ、学生時代には物理学、数学、 哲学を学ぶ。後に、フレーゲ、ラッセルから多くの影響を受け、 ウィーン学団、論理実証主義運動の一指導者となる。1926年にウィーン大学の私講師、1931年にプラハのドイツ大学に移り、1935年にナチの迫害を逃れ てアメリカに渡り、1936年にシカゴ大学の哲学教授、1954年にはカリフォルニア大学哲学教授となる。ウィーン時代の代表作「世界の論理的的構築」(Der Logische Aufbau der Welt, 1928) は、ラッセルの外界構築プログラムを実践し、「類似性の想記」から経験的諸概念を定義によって導く試みを示したものである。この仕事は感覚的実証主義の立場に立脚するもので、まだ、物理主義の前提は採用されていない。プラハ時代の代表作『言語の論理的構文論』 (Logische Syntax der Sprache, 1934)は、哲学を科学言語の論理的な構文論とみなす立場からの仕事である。シカゴ時代の代表作『テスト可能性と意味』 (Testability and Meaning, 1936~1937)は、感覚的実証主義の立場から物理主義への移行を示してい る。カリフォルニア時代の代表作「物理学の哲学的基礎」 (Philosophicul Foundation of Physics, 1966) は、カルナップの後期哲学を集大成したものである。カルナップはウィーン学団の中心的指導者として活躍し、論理実証主義後の分析哲学 (analytic philosophy)の形成および発展の過程で大きな影響力を及ぼした重鎮であった。カルナップの仕事は実に多岐にわたっているが、彼の哲学的目標は一貫して人工言語による概念の論理的再構成ないし論理的分析に向けられていた。カルナップを中心とする論理実証主義の運動は世界各国に浸透したが、ホワイトヘッドはこの運動に対して共感的ではなかった。これに対し、ラッセルはこの運動にはすこぶる好意的であった。(藤川)
 <主著>
Der Logische Aufbau der Welt, 1928
Testability and Meaning, 1936-1937
Foundation of Logic and Meaning, 1939
Introduction to Semantics, 1942
Formalization of Logic, 1943
Meaning and Necessity, 1947
Philosophical Foundation of Physics, 1966.


(This book has developed gradually over a period of years, culminating in a series of academic appointments. In 1938 I treated part of the subject in a course of lectures on 'Language and Fact' at the University of Oxford. These lectures formed the basis for seminar courses at the University of Chicago in 1938-1939 and the University of California at Los Angeles in 193--1940. ... More especially at Chicago, where the seminar was often attended by Professors Carnap and Morris, and where some of the graduate showed great philosophic ability, the discussions were models of fruitful argumentative cooperation.
 本書の内容は数年間にわたって発展,形成され,いくつかの大学における講義の形にまとめられたものである。まず,1938年,オックスフォード大学での「言語と事実」という連続講義においてその一部を扱ったのであるが,それを基として,1938~1939年にシカゴ大学で,また,1939~1940年にカリフォーニア大学(ロサンジェルス校)で講義演習を行なった。・・・とくにシカゴでは,カルナップ,モリス両教授がしばしば演習に参加され,また大学院生のあるものは哲学的思考にすぐれていたので,その演習は,まさに,討論による協力がいかに実り多いものになり得るか,ということの恰好のモデル・ケースであったと言えよう。・・・)