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ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]
バートランド・ラッセル『私の哲学の発展』(松下彰良・対訳)
* 原著:My Philosophical Development, by Bertrand Russelll (London; George Allen & Unwin, 1959)
総目次
第3章 最初の努力 イントロ累積版
西洋哲学史【新装合本】 [ バートランド・ラッセル ]
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私は15歳の時に哲学的問題について考え始めた。
今日は私が神の存在を信ずる理由(根拠))を書き下ろすつもりである(mean to)。
この前の課題検討(exercise 課題.練習問題)では、私は、神の存在を自然の斉一説(さいいつせい)及び,自然の全ての面においてある一定の法則が貫徹していることによって、証明した。
今や私は、我々哀れな人間にとって,多分,他の何よりも強い個人的関心事である問題に至っている(やってきている)。
私は(人間の)生命が永遠であったらと(強く)願う。
けれども,人間は不死も自由意志も魂も持っていないという説、要するに(in short)人間は巧みに作られた一種の機械が意識を与えられたものであるという説に関しては(in the way of ~の点については)、大きな困難がいろいろ存在している。
それでは(then その場合)、人間は死すべきものであり自由意志をもたないという理論(説) - もちろんこういう種類のものは単なる思弁であるので,単なる理論(説)にすぎない- を受けいれる時、我々人間は正(正しい)と不正(間違っている)とについて,いかなる観念を形作ることができるだろうか?
こうして,私は原始的な道徳は常に種の保存の観念に由来すると考える(originate in)。
私は,あらゆることにおいて - 一部は自分の祖先から(遺伝で)受け継ぎ,また自然陶汰によって徐々に獲得した本能ではなく,部分的に教育のおかげであるところの- 理性に従うという決意を(これまで)立ててきた。
私がその代わりとして述べなかったもうひとつのきわめて有力な議論(論拠),がある。
私が確信できるようになった原理や信条がいかにわずかであるかは驚くべきことである。
この時代における私の精神は、3つの異なる世紀(注:17,18,19世紀)に属する物の見方と感じ方とを一つに結合しようとする試みから生じる混乱状態(の中)にあった。
私が疑いを持ったのは、神学に関してだけではなく,数学に関してもだった。
第4章