学者的な楽しみ?(松下彰良 訳)当時の数年間,多くの演説や論説記事の執筆を行なったが,たいていは核問題に関するものであったので,まれにしか(それらの仕事を)楽しむことができなかった。しかし,時折,コペンハーゲンで経験したように,他の事柄で楽しい脱線をすることができた。しばらくしてから,私はタイムズ紙(ロンドン・タイムズ)への手紙(投書)の中で,大胆にもシェークスピアの注釈までも行った(注:Rougledge 版の原文は,'exigesis' となっており,exegesis の誤植)。(私がタイムズ紙に手紙を送るまでの)数週間,印刷本に収録されたソネット(十四行詩)は誰に捧げられたものかということに関する,思慮深い手紙や悪意に満ちた手紙が新聞社に殺到していた(注:日高氏は,'printed sonnet' を「新聞に掲載されたソネット」と誤訳されている。ラッセルがここで言っているのは,'手稿本'に収録されたソネットとの対比で「印刷本収録の」と言っている。)。イニシャルの'W.H.'について,あれやこれやと,大いに想像をたくましく,博識ぶりが発揮され,解釈された。私には,'W.H.氏'というのは,メルキセデク(Melchisedek)の例のように(松下注:「Melchizedek, Melchisedek, Malki Tzedek のように」という意味か?),実際は,そのソネットの'唯一の父親(誕生の原因)'である'W.S.氏'(シェークスピア)のささいな'誤記'であるように思われた(注:onlie = only)。私は,躊躇しながらも面白半分に,思い切ってこの私の考えを発表したのである。すると誰も私の手紙(投書)を取り上げる人はおらず,この問題に関するタイムズ紙への投書は,以後一つも掲載されなかった。私は,学者的な楽しみを駄目にしてしまったように思われる。ある晩,私は多くのアジア人学生たちと共に(BBCの)アジア向けの放送をした。私がその出来事(放送録画or生放送?)が行われたホテルの廊下の階段をおりていた時,小柄で軽快な女性が,壁沿いに間隔をおいて置かれている大きな赤い豪奢な玉座(?)の1つから飛び出てきて,私の前に立ち,朗読口調で,「そして私はシェリーは,率直な人間だということがわかりました」と言って,そこに坐り込んだ。私はよろめき,打ちのめされた。しかし私はうれしかった。(注:ラッセルはシェリーの愛読者) |
v.3,chap.3: Trafalgar Square
One evening I broadcast over the Asian service in company with a number of Asian students. As I walked down the corridor in the hotel where the occasion took place, a small, bird-like lady leapt from one of the huge red plush thrones placed at intervals along the wall, stood before me and declaimed, 'And I saw Shelley plain', and sat down. I tottered on, shattered, but delighted. |
(掲載日:2009.12.23/更新日:2012.5.24)