* アイルランド自治問題 アイルランドにようこそ(YouTube music) / アイルランド大使館 / 日本-アイルランド協会 私は,大人になったら数学で何か重要なことをなそうという決意によって,精神的に支えられた。しかし,私は,(心から)親しくなれる相手,即ち,いかなる思想であれ,自由に私の考えを述べることができる相手,にめぐり会えるなどとは思わなかった。また,私の人生の一期間でも,大きな不幸からまぬがれることができるだろうとは期待してもいなかった。 私は,サウスゲート時代(クラマー在籍時代)を通して,政治学と経済学に非常に深い関心をもった。 私は,ミル(John Stuart Mill,1806年~1873年5月:イギリスの経済学者にして哲学者/ラッセルの名付け親でもある。)の『経済学』を読み,それを全面的に受けいれたい気になった。また,ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer, 1820年4月~1903年12月:イギリスの哲学者,社会学者,倫理学者/右上写真)も読んだが,彼の『国家対人間』(1884年刊)についてはあまりにも非現実的な空論であると思われた。ただし,私は彼の傾向(性向)についてはかなり同意していた。 ![]() 祖母とアガサおばさんは,グラッドストーン(William Ewart Gladstone, 1809-1898,4度英国首相を務める。/右下肖像写真)の'アイルランド自治政策'の熱心な支持者であり,アイルランドの国会議員多数がペンブローク・ロッジ(Pembroke Lodge)をよく訪ねて来た(M. P.= Member of Parliament)。それは,「ザ・タイムズ」紙が,パーネル(Charles Stewart Parnell, 1846-1891: アイルランドの民族運動指導者)が殺人の共犯者であることがわかる証拠資料をもっていると主張していた頃であった。1886年にいたるまでグラッドストーンを支持していた大多数の人々を含む,上流階級のほとんど全ての者がこうした見解を受け入れていたが,1889年にいたって,'ねつ造者'ピゴット(Richard Pigott, 1828?-1889:アイルランドのジャーナリスト)が'hesitancy'(躊躇)を(正確に)書けない(綴れない)ことによって,それは誤りであることが劇的に立証された。(松下注:『岩波西洋人名辞典』には次のように書かれている。「ジャーナリストのピゴットは,「タイムズ」紙に偽造文書を渡した。「タイムズ」は,これを信用し,1887年に「パーネル主義と犯罪」という論説の基礎として使用。パーネル委員会による調査の結果,偽造が暴露され,ピゴットはマドリードへ逃亡後,自殺した。」)祖母とおばは常に,パーネル追従者はテロリストたちと結託しているという見解を執拗に拒否していた。祖母とおばはパーネルを賛美しており,私は一度彼と握手したことがある。しかし,彼がスキャンダルにまきこまれた時,祖母とおばは,グラッドストーンに同意し,彼と絶縁した。 |
I was upheld by the determination to do something of importance in mathematics when I grew up, but I did not suppose that I should ever meet anybody with whom I could make friends, or to whom I could express any of my thoughts freely, nor dld I expect that any part of my life would be free from great unhappiness. ![]() My Aunt Agatha introduced me to the books of Henry George which she greatly admired. I became convinced that land nationalisation would secure all the benefits that Socialists hoped to obtain from Socialism, and continued to hold this view until the war of 1914-18. ![]() |