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バートランド・ラッセル自伝 - アガサおばさん(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.1

前ページ 次ページ  第1巻 第2章(青年期)累積版 総目次
* アイルランド自治問題 アイルランドにようこそ(YouTube music) / アイルランド大使館 / 日本-アイルランド協会

 私は,大人になったら数学で何か重要なことをなそうという決意によって,精神的に支えられた。しかし,私は,(心から)親しくなれる相手,即ち,いかなる思想であれ,自由に私の考えを述べることができる相手,にめぐり会えるなどとは思わなかった。また,私の人生の一期間でも,大きな不幸からまぬがれることができるだろうとは期待してもいなかった
 私は,サウスゲート時代(クラマー在籍時代)を通して,政治学と経済学に非常に深い関心をもった。 私は,ミル(John Stuart Mill,1806年~1873年5月:イギリスの経済学者にして哲学者/ラッセルの名付け親でもある。)の『経済学』を読み,それを全面的に受けいれたい気になった。また,ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer, 1820年4月~1903年12月:イギリスの哲学者,社会学者,倫理学者/右上写真)も読んだが,彼の『国家対人間』(1884年刊)についてはあまりにも非現実的な空論であると思われた。ただし,私は彼の傾向(性向)についてはかなり同意していた。
 アガサおばさんは,彼女が大変称賛していたヘンリー・ジョージ(Henry George,1839-1897:アメリカの社会思想家。土地私有による地主階級の不労所得に貧困の原因があるとし,社会改良の手段として,土地に高率の税金を課すべきと主張,何度か渡英/左写真)の本を何冊か私に紹介した。私は,土地国有化は社会主義者たちが社会主義から得たいと望んだあらゆる利益を手に入れることを保証するだろうと確信するようになった。この見方は,1914年から1918年にいたる第一次世界大戦の時まで保持し続けた。
 祖母とアガサおばさんは,グラッドストーン(William Ewart Gladstone, 1809-1898,4度英国首相を務める。/右下肖像写真)の'アイルランド自治政策'の熱心な支持者であり,アイルランドの国会議員多数がペンブローク・ロッジ(Pembroke Lodge)をよく訪ねて来た(M. P.= Member of Parliament)。それは,「ザ・タイムズ」紙が,パーネル(Charles Stewart Parnell, 1846-1891: アイルランドの民族運動指導者)が殺人の共犯者であることがわかる証拠資料をもっていると主張していた頃であった。1886年にいたるまでグラッドストーンを支持していた大多数の人々を含む,上流階級のほとんど全ての者がこうした見解を受け入れていたが,1889年にいたって,'ねつ造者'ピゴット(Richard Pigott, 1828?-1889:アイルランドのジャーナリスト)が'hesitancy'(躊躇)を(正確に)書けない(綴れない)ことによって,それは誤りであることが劇的に立証された。(松下注:『岩波西洋人名辞典』には次のように書かれている。「ジャーナリストのピゴットは,「タイムズ」紙に偽造文書を渡した。「タイムズ」は,これを信用し,1887年に「パーネル主義と犯罪」という論説の基礎として使用。パーネル委員会による調査の結果,偽造が暴露され,ピゴットはマドリードへ逃亡後,自殺した。」)祖母とおばは常に,パーネル追従者はテロリストたちと結託しているという見解を執拗に拒否していた。祖母とおばはパーネルを賛美しており,私は一度彼と握手したことがある。しかし,彼がスキャンダルにまきこまれた時,祖母とおばは,グラッドストーンに同意し,彼と絶縁した。
I was upheld by the determination to do something of importance in mathematics when I grew up, but I did not suppose that I should ever meet anybody with whom I could make friends, or to whom I could express any of my thoughts freely, nor dld I expect that any part of my life would be free from great unhappiness.
Throughout my time at Southgate I was very much concerned with politics and economics. I read Mill's Political Economy, which I was inclined to accept completely; also Herbert Spencer, who seemed to me too doctrinaire in The Man Versus The State, although I was in broad agreement with his bias.
My Aunt Agatha introduced me to the books of Henry George which she greatly admired. I became convinced that land nationalisation would secure all the benefits that Socialists hoped to obtain from Socialism, and continued to hold this view until the war of 1914-18.
My grandmother Russell and my Aunt Agatha were passionate supporters of Gladstone's Home Rule policy, and many lrish M.P.s used to visit Pembroke Lodge. This was at a time when The Times professed to have documentary proof that Parnell was an accomplice in murder. Almost the whole upper class, including the great majority of those who had supported Gladstone till 1886, accepted this view, until, in 1889, it was dramatically disproved by the forger Piggot's inability to spell 'hesitancy'. My grarndmother and aunt always vehemently rejected the view that Parnell's followers were in alliance with terrorists. They admired Parnell, with whom I once shook hands. But when he became involved in scandal, they agreed with Gladstone in repudiating him.