東京でも二十数名の学者,思想家と'帝国ホテル'及びその他で会見した。ただ,ホテルで逢ったとき,大杉君,堺君及び石川三四郎君等の思想家がおったので,少々もめたことを記憶している。もめたといっても,会見のとき,議論でもめたのではなくて,当局者があまりにたくさんの警官を派遣して,会場の内外を圧迫的に警戒したがため,思想家が憤激したのであった。当時のことを思えば,恍としてもう夢のようであるが,我が社は,その当時から,社会運動の域内にはすこしでもはいって行くこと厳禁していたので,その会合も,ただ普通の談話会であり,それにロシアの諸機構も観察した権威者というので,そうしたことについて,新しい話をきくだけの会合であったのである。