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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

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谷川徹三「バートランド・ラッセルと宗教」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第17号(1971年2月)pp.1-2.
* 谷川徹三氏は,当時,第2代バートランド・ラッセル協会会長

 バートランド・ラッセルがその生涯を通じて宗教のきびしい批判者であったことはあまねく知られている。彼は宗教の拠って立つ原理が真実でないとするとともに,宗教の社会生活において演じた役割が概して有害であったとする。この彼の考え方をもっともはっきりさせているのは,その『私はなぜキリスト教徒でないか』であるが,ここに述べられているような考えは,彼のあらゆる著書に散見する。
 しかし私は,彼の書物を読み,彼の九十七年の生涯を思うにつけ,この問題が,ラッセル自身の考えているよりずっと複雑な問題を含んでいることを信ずるに至っている。
ラッセルの『拝啓バートランド・ラッセル様』の表紙画像  彼が正統のキリスト教徒でなかったことはたしかである。しかし彼が無神論者であったか不可知論者であったかは,彼自身も認めているように明らかでない。最近も私はバリー・フェインベルグとロナルド・カスリルズの編した,ラッセルの市民との往復書簡の邦訳(日高一輝訳『拝啓バートランド・ラッセル様』)を読んでいて,次のような一節を見出した。「この点については,わたし自身が迷っているのであって,自分自身,時には無神論者と呼び,時には不可知論者と呼んでいる」。それというのも哲学の見地から厳密に言えば不可知論者ということにもなるが,実際上の意味から言えば無神論者だというわけなのだ。ここでも彼は半ばふざけて,
「哲学の見地から厳密にいって,物質的な対象の実在を疑ったり,世界は五分間だけ実在するに過ぎなかろうと考えたりする段階からすれば,わたしは自分を不可知論者と呼ぶべきです。しかしあらゆる実際上の意味からいえば,わたしは無神論者なのです。わたしはオリンポスの神々やワルハラの神々が実在するなどとは,とてもありそうもないことと思っているのですが,それと同じようにキリスト教の神の実在などもありそうもないと思っています。いま一つ例をあげて申しますと,地球と火星の間に楕円形の軌道にのって回転している陶器の茶瓶がないとは誰も証明することができませんけれど,だからといって,こういうものがあるということが,実際に十分に計算に入れられるだろうなどとは,誰も考えるものはありません。わたしは,キリスト教の神も,丁度これと同じようにありそうもないことと思うのです。」

ラッセル協会会報_第17号
などとうそぶいているのだが,それは不可知論と言い無神論と言い,結局は同じことになるというわけであろう。
 しかしこういう彼の考え方の中には,彼のスケプティズムと相対主義とがあるので,彼が同じ世界宗教でも,キリスト教より仏教に好意をもつのも,社会主義者でありながらボルシェヴィズムを斥けるのも,ここから来ている。彼は政治的には常に専制や独裁を憎んだ。哲学や思想の系譜においても,専制や独裁を正当化するようなものを常に斥けている。制度としての宗教も同様である。一つの普遍的真理と信ずるものに固執して,それによってすべてを律しようとするからである。彼は科学に信頼を置く。しかしその科学をも絶対の真理としては受取っていない。科学といえども常に完全に正しいということはない。しかしそれは完全に誤っていることも滅多にない。それゆえ科学を仮説的に受け入れることは合理的なのである。しかしその科学でまだ分らないことがいろいろあるので,それについて思弁することは人間の本性にかなっている。知識のように見えるもので実際には知識でないものもある。それを知識でないと謙虚に気づかせてくれるところに哲学の効用はあるのだ。
 ラッセルは年少の頃,その祖母のきびしいキリスト教的信仰のカセの中で育てられ,それが却って彼をキリスト教の敵としたのだが,彼がその子どもたちに洗礼を受けさせなかったばかりでなく,宗教に対する自分の態度をも彼らに明らかにしていたにもかかわらず,その期待を裏切って,二人の子どもは熱心な英国国教徒になった。ここに人生のアイロニーがある,というだけではない。ここには言及しえない一層多くのことを背景に,飛躍して言えば,宗教そのもののパラドックスがあり,ひいては反宗教者としてのラッセルその人の存在のパラドックスがあるのである。

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 「西洋哲学史」の中でニーチェを論じた際,「キリスト教あるいは仏教がもっている倫理は,その感情的基礎が普遍的な同情にある」とし,「ニーチェは普遍的な愛を軽蔑する。わたしはその愛こそ世界についてわたしが願うあらゆることに対する起動力(positive power)であると感じている。」と言っている言葉の中にも,その一斑をうかがうことはできるが,彼のあらゆる言動は,その精神の深部において,これら世界宗教がその教えの大本としているものに直接または間接に通じているのである。
 だから前引の書簡集の中で一市民が次のようにラッセルに書き送ったものを見出しても,わたしは少しも不思議に思わない。
「……『私はなぜキリスト教徒でないか』という表題は,わたしの興味をそそります。なぜかと申しますと,テレビに臨む解答者としての先生の態度は,その柔和,寛容,ユーモア,公平不偏の知識に対する渇望,それから真実の表現において,全く完全に,そして心底からキリスト教徒的にわたしには思われたからです。」
 実際,古来多くの聖者たちのもったような人間に対する深い愛や同情なくして,あの死の床に横たわるまで続けられた,平和に対する不屈な努力は考えられないし,一九五二年以来でも,全世界のあらゆる階層あらゆる年令の人々からの手紙に,二万五千通に及ぶ返事を書いた,というようなことはできないであろう。(本協会会長 谷川徹三)