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笠信太郎「常識の登頂(バートランド・ラッセル)」

『日本バートランド・ラッセル協会会報』第1号(1965年5月)p.5-8.

* 笠信太郎「ものの見方について(抄)」(電子テキスト)

 私がラッセルの名を最初に聞きましたのは,第一次世界大戦の直後,中学校をでて東京に出てきまして間もなくであったと記億しますが,当時中国に来ていたラッセル卿が日本に立寄ったことがあります。そのとき同時に Principles of Social Reconstruction が,たしか「社会改造の原理」という名で,出版されました。それを読んで私は,よくは分らぬながら,大変に興奮したことを記億いたしております。その後ラッセルの名は,私の頭から消えることはなかったが,再び強く引かれるようになったのは,こんどの戦争(第二次世界大戦)中から直後にかけてでありまして,まだスイスにおります頃,戦争直後に出たその「西洋哲学史」などを読んで,あらためて興味をさそわれました。(写真は,ラッセル協会創立総会席上での笠会長
 私のラッセルに対する関心は,どうやら戦争という時期にまつわっておるようでありますが,根本的に私がラッセルに興味をおぼえますのはその考え方,その(考え方の)一つの「型」といったものであります。私の解釈はきわめてざっとしたもので,かつ自分流儀でありますので,ラッセルの解釈と取っていただくと間違いになりますが,莫然とした感想としてお許し願いたいのです。そういったものとして,私は次のような考えをもっております。
 私は,平生,常識といったものには,非常に低いものからきわめて高いものまで,いわばピンからキリまであるというふうに考えております。上の方にはなかなか手がとどきかねるが,下の方はわかりよいのです。

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 私に知り合いの心やすいサカナ屋がいるので,ここではそれを槍玉にあげることにします。このサカナ屋のおやじは,大学でケインズか何かのやかましい理論をやっている学生よりは「常識」がある,と見ても,私は必ずしも間違いとは言えないと思うのです。しかし,その「サカナ屋のおやじの常識」といえば,大体,タカの知れたもので,常識としてはまず一番低いところと言えるかも知れません。
 しかし,こういうふうに常識が高いとか低いとか,そういうことが考えられるのは,常識としての「知識の型」は一つだということを前提とすることになります。そしてそれは一体どういう型かというと,まず経験的であるということ,次いで多元的であるということ,その二つは時に同じことを意味するかも知れません。きわめて大ざっぱに申すと,根本はこういう「型」であろうと思います。
 ところで,サカナ屋の常識は,例えば娘の嫁入りを考える場合も,ムコになる相手の男について,自分の家と先方との釣合い,娘自身の考えもある程度は考えに入れはするけれども,年ごろの女の子の盲目的な判断はそのままは聞いてやらないといった程度で,その縁談をよしとするか,ダメだと見るかを判断する。と,これも私から見ての判断ですが,とにかくこういう程度なら,まあまあ世の中は渡れましょう。少なくとも,この問題に関するかぎり,当の娘の見解よりは,おやじの方がはるかに実際に処しゆくことができると見ることができそうです。
 これはサカナ屋の経験論的立場であり,またその見解は娘のそれよりは多元的に出来ているということができましょう。
 しかし,問題が自分の娘の縁談ぐらいなら,この程度の常識による判断でよろしいが,もう少しやかましい問題,やれ労働問題とか,教育とか,さらには戦争というような問題になってくると,その常識は,もうぐっと高いものでないと,常識というに価しません。それは説明致すまでもない。
 高い常識は,それでは何であるかと申しますと,私は,現代の諸科学を適用する立場というほかはないと思う。ただしその「適用」ということが問題であります。それは,例えば一つの科学の結論だけを一貫作業的に適用するというような適用の仕方ではなくて,それぞれの科学の立場からくるその真実性の限界を十分にみとめ,したがって一つの制約のある知識としての科学をできるかぎり多くかつ深く適用してみるということになります。
 ところで釈迦に説法で甚だ恐縮ですが,科学というものは,いわば一つの平面に投影された物体の影にたとえられるようなものでありますから,科学は「この平面に投影された限りでは」という限定つき,制約つきの真理であります。
 むろん科学にも,いろいろの段階があって,それが高いほどアブストラクトになり,学問らしいことになりますが,それだけ右に申します制約も強くなりましょう。例えば動物学などは,具象的な要素がたいへん強い。それ自体,常識的に見えます。しかし,経済学の如きは,さっき申しました面のとり方で,実はいろいろの影絵ができるのです。すぐれた近代経済学と見られているケインズの理論は,どうやら経済のなかで通貨的な一面だけが強く打出されております。こうなると,経済学そのものを,二つにも,三つにも分けて,ちがった平面にうつった投影図を作る必要が感じられます。こういった経済学と,従来のいろいろの経済学とは,名は同じように経済学といっても,中味とくるとまるで別物だというようなことになりましょう。
 それが,科学のむつかしさであり,科学がなかなか自己完結をしないゆえんだと考えられます。
 しかし,少なくとも知識の現状においては,科学的方法によるほかに,対象のつかみ方はないわけで,しかもその科学はすこぶる一面的であるというわけですから,私どもが現在持っている知識をもって具体的な事象や問題を判断するというときには,これらのたくさんの科学をその対象に適用してみるほかはない。しかし,もう一つ見落してならないのは,これらの現代の多数の科学は,それぞれが勝手な立場から構成されたもので,Aという科学とBという科学との間には,その立場に共通性がないというのがおよそ原則であります。いわば科学は,バラバラであります。心理学を作ろうとする場合に,それが物理学や経済学と,その科学としての立場について,あらかじめ話し合いをして出発したわけではありません。ある科学と他の科学との間には,橋もなければ,連絡する方法もありません。まったく別の世界のものであります。ラッセルが,自分からその「哲学」と「社会的な思想」との間には必然的な関連がないという意味のことをいったことがありますが,私はこれが当然であり,科学的立場であると思うのです。

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 そこで,そういったバラバラの立場に立ついろいろの科学を,一つの具体的な事象にむかって適用するとき,この適用の結果を統一し綜合するという仕事は,科学そのものにはないのであります。それは,この具体的事象の理解という仕事に身をのり出している人間,私なら私が,いろいろの科学的見地からみた別々の結論を,私という不可分の統一体に引っかけて統一してみるという「離れ業」をやるより方法がないのであります。
 そして私たちは,実際において,そこまでの高いところにはなかなか登れないが,それに幾らか近いところを,毎日毎日やってきていると申してよろしいのではないか。
 というのは,例えば私は,自分の恥を申すことになりますが,ほんの少しばかりの経済学,古い型の統計学,もっと少ない社会学,さらにわずかの法律学,ほんの型ばかりの心理学,それから断片的な歴史学の知識,国際関係についての不完全な知識,そしてあらずもがなの哲学,などを持ち合わせているに過ぎません。
 そこで,いまここに判断しなければならぬある問題にむかって適用できる私の科学と科学的知識は,致って貧弱であります。しかし,さっきの知り合いのサカナ屋よりは,少々余計に知っているのですが,ここで判断をやるときの型は,根本的にはちがったものではありません。
 こう考えますと,ラッセルが,自分の今の哲学は物理学と生理学と心理学と数学的論理学の綜合から生れたと自からいっているのは,私はこういうふうに解釈できるのではないかと考えるのです。それは非常に高い山頂でありますが,一つの型としては常識型といえるのではないかと思うのです。そしてこれは,哲学ばかりでなく,ラッセルの思想を,わたくし流儀に気安く考えると,現代の最も高い段階,ある山頂における常識型の知識ということがいえるのではないかと思います。
 これは,へーゲル哲学などとは,およそ縁が遠い。例の世界精神の発展などということは,およそ私どもの常識的な型をもってしては考えられない。ということは,その考えは,いまの科学のどれかを適用するとき,どうにもこうにも,そこを通過させることができないのです。
 それに,いまの科学の結果と科学の立場とについて,さっき申上げたようなことを承認しますと,一般に,世界構造を一元的に組立てているようなイデオロギー的世界は,あるいは histrische Notwendigkeit が飛び出すような世界は,私どもとして受取りにくいということになりますし,そして,二十世紀が科学の発展と,それ(=科学)を信ずる時代だといたしますと,いまの世界は,科学を土台とする常識的な世界の時代というようなことになろうかと思います。そうすると,ラッセルの世界は,何といっても現代二十世紀の頂点に立っていると考えてよろしいのではないか。それが私の素人考えであります。
 最後に,この立場について申添えておかねばなりませんことは,私どもは,へーゲルやマルクスの世界のように,造りあげられた金殿玉楼の世界に招じ入れられるのではありません。いわば,いかに貧弱であろうと,私ども自身が,私どもそれぞれの世界を作らねばならないのです。それには,道具は科学以外にはありませんから,しかもその科学について私ども知るところすこぶる貧しいのですから,私どもは,まったく不断の,休むことなき,勉強の世界を要求されるわけであります。
 私は,そのことを,まったく及ばずながらではありますが,ラッセルに学ぶのであります。

ラッセル協会会報_創刊号
 私はここにバートランド・ラッセル卿の,ほんの一面にも触れ得たとは思いませんが,ただ私としては,この辺に,現代の哲学者であり思想家としてのラッセルを高く高く評価せざるを得ない理由をもつのであります。
 そのラッセルの現代の危機に対する具体的結論,即ち平和と戦争の問題,これに対する結論としての「世界国家」という考えが,同じような文字をもって発言している'思い付き'とは根底においてちがうと申さねばなりませんし,しかもそれが実際に適用可能の考えであることを,高く評価せざるを得ません。
 申すまでもなく,この巨人について10分や20分で片鱗を語りうるのではありますまい。一つ,お互いにラッセルを学びながら,私ども自身の世界を作ってゆくことにはげみたいものであります。そうしてもし,私ども,ここに集られた方々が,それぞれ少しずつちがった「自分の世界」をお互いに語り合うことによって,いくらか一つの世界に近づくことになりますならば,それは,ラッセル的方法にかなうものでもあろうし,それがまたデモクラシー的態度でもあろうかと考える次第であります。一言,感想を申述べまして,ラッセル協会の発展を祝福いたしたい所存であります。(1965年,1月21日,発会式当日の「会長挨拶」)