大家重信「バートランド・ラッセルの常識論」 - バートランド・ラッセル協会の在り方・提言3
* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第23号(1975年5月)pp.9-10
* 大家重信は、当時中国短期大学教授
第4次中東戦争も終わり、シナイ半島にも一応平和は甦り、1967年以来閉鎖されていたスエズ運河は6年振りに再開され、アラブ諸国がその戦略に使用している石油危機も一応は去ったように見える。然しあれから1年、期待された和平の道は遅々として進まず、孤立するイスラエルが依然としてシリアとの国境地帯で攻勢をとり、第5次中東戦争の勃発さえ懸念されている。一方、核拡散防止条約等も締結され、核保有制限の兆候も国連の場で芽を出しつつあるのは事実であるが、そうした東西の動きにもかかわらず、中国、印度等の諸国において、原爆の実験が行われていることも世界周知の通りである。こうした人類の滅亡にもつながる原水爆戦争の潜在的危機を思うとき、私達は20世紀の産んだ偉大な哲人バートランド・ラッセルの著書『常識と核戦争-原水爆戦争はいかにして防ぐか-』(Common Sense and Nuclear Warfare, 1959)を今更ながら思い出すわけである。あのラッセルの名著は、世界の隅々まで普及して、世界の人民1人1人に至るまで繙いて味わうべき名著であると思う。彼はその中で核戦争に反対するということは、伝染病に対する保健上の処置に類するものとして考えてしかるべきものであるといっている。核戦争にふくまれている危険は、全人類がこうむる危険であり、大規模な水爆戦争の結果として生じる大惨事を阻止しようと願っている人達には、特定の国民、特定の階級、特定の大陸の利益を擁護することなど思いもよらぬことであり、また共産主義や民主主義の功罪がどうであろうと、そんなこととは無関係であるとも云っている。また核兵器反対運動を展開するのは、東の体制にも西の体制にも、またそのどちらにもくみしない諸国民にも、共通の利益をもたらそうとする議論であり、ひとえに人類全般の福祉を願うものであって、特定集団のなにか特別の利益を願うものではないと力説している。ちなみにラッセルのこの著書の中のもう1か所だけを引用させてもらえば、彼は第8章の「領土の調整」という提案の中で「中東」の部で、次の提案を行っている。彼は中東に関しての石油問題とイスラエルの領土の問題を指摘しながら、石油問題については西の体制にとっては不愉快であろうが、事は必ずしも破滅的ではないから、アラブ民族主義と折りあいをつけ、アラブ諸国民を喜んで西欧に石油を売るようにさせるような経済的譲歩をしなければならないし、ロシアと西欧との和解が本心からのものであるとすれば、中東諸国に対して採用さるべき協定の方策がなければならないと主張している。またイスラエルの問題については、アラブ諸国におけるイスラエルヘの憎悪は遺憾なことではあるが理解出来るとし、思い出されるのはユダヤ人がもとをただせばアジアの出身だということを忘れて、幾世紀もの時代を通じてユダヤ人の大多数が完全に西欧化されてしまっているということであるという点を指摘し、それでもなお西の体制としては熟慮の末に建国してその防衛を保証している以上、イスラエルという国家を棄てることは出来ないし、そこで、為され得る唯一のことは、イスラエルの地理的国境を変更の許されないものとして確定し、ロシアと西欧とが連帯してイスラエル国による、あるいはイスラエル国に対するいかなる攻撃をも阻止するということを保証することだと思うと提案している。現今の世界状勢は、ラッセルがこの常識的な提案を行ってから十数年が経過している。にもかかわらず、世界の不安定な小康状態をより安定的にする為にも、ラッセルのイデオロギーや体制を越えた「常識に訴える」世界平和のより安定した発展を期すためにも、B.ラッセルの遺志を継ぎ、ラッセルの常識を日本の隅々まで理解されるように、この協会を発展させて行く必要がある。そのためには各ブロック(たとえば中国ブロック)単位に当協会の支部を設け、会員を拡大し、もっと内容の充実した定期刊行物を発行し、協会費も含めて定期刊行物の固定購読ができるように配慮してはいかがであろう。(文中ラッセルの著書よりの引用は『常識と核戦争』飯島氏の訳本による)