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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

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牧野力「バートランド・ラッセルの不可知論」

* 出典:『(早稲田大学政治経済学部)教養諸学研究』n.58/59/61合併号(1979年3月)pp.21-38.
* 牧野力氏:当時早稲田大学政経学部教授、ラッセル協会理事

 まえがき

 バートランド・ラッセルの宗教論の性格や体質について,本誌54号で,「バートランド・ラッセルの宗教論」として触れた。
 今回は,彼の宗教観の原点の一部になっている「不可知論」について,伝統的な既成宗教との対比において,改めて考えてみたい。

 1.ラッセルの「不可知論」

 彼は,『自叙伝』にこう書いている。
 第一次大戦における反戦運動の故に,彼はブリックストンの刑務所に入れられた時,監守から,'お前の宗教は?'と訊ねられた。'不可知論者(agnostic)'と答えた。ところが,その監守には意味が通じなかったらしく,'何?'と訊ね直されて,突さに,'無神論者'と答えたそうだ。以来,彼は,哲学的教養のある人には,'agnostic'と,また,そうでないらしい人には,'無神論者'と答えることにしている,と彼は書いている。*1 (ここに,ラッセルを,'理屈が達者で神の存在を否定する冷血漢'と批評する背景のひとつがあるのかも知れない。)(本論文最後に参照文献1として『ラッセルは語る』があげられているが、これは『自叙伝』の書き間違えと思われる。また、監守に'agnostic と返事したところ、監守は「まあなんというか、宗教はたくさんありますけど、全ての宗教が同一の神を拝んでいると、私は思いますね」と応えたので約一週間愉快だったとラッセルは書いているが、「尋ね直されて'無神論者'と答えたとは、『自叙伝』には書かれていない。不可知論者と無神論者との使い分けは別のところで述べているものであり、牧野氏の記憶違いと思われる。)
 ここで,ラッセルの伝記的な点にふれることはなるべく避けたい。〔紙数の面からだけでなく,彼の『自叙伝』は,*2'他の著者に見られない正直な赤裸々な記述'という点でも有名であるので,読者自ら彼の筆致に触れることをおすすめしたいからである。〕
ラッセルが4歳から18歳まで過ごした Pembroke Lodge の画像
 ラッセルは2才で母に,4才で父と死別した。厳格で信仰の深い祖母とビクトリア女王の治世に2回首相を勤め,女王の信任の厚かった進歩的政治家である祖父ジョン・ラッセルの許に兄と(一緒に)引きとられて,育てられた(右写真(祖父の屋敷 Pembroke Lodge)出典:R. Clark's Bertrand russell and His World, 1981)。家族や雇い人たちは皆,彼を親切に扱ってくれたが,所詮,大人ばかりの世界である。成育するにつれ,健康で活発で敏感な彼は広い邸宅の中で,この世にいない両親をあれこれと想像しながら,孤独な思いと戦っていた。何かたよりになるものが常に欲しかったのではあるまいか。祖母と祖父とは勿論,叔父・叔母たちの彼に注ぐ愛情に不足を感じていたわけではなかったが,'確実なるもの'への瞳れは強かった。思考力に恵まれた彼は,それを幼い頃,兄に幾何学の手ほどきを学ぶ時に(受けた時に),自覚した。彼の思索は続いた。思春期の頃,その記録が,『ギリシア語練習帳』の行間にとどめられて,今日まで残っている。語学自習の帳面の行間に記入された理由は,祖母や大人の眼から逃れ,思索を続けたかったからであるらしい。ケンブリッジ大学では,数学と哲学とを専攻した。そして,数理哲学,認識論,論理学に学問的成果を残し,分析哲学の雄となった。しかし,別な面もあった。
 人間にとって,教育とは何か,という彼の教育論を生み出す背景として,「躾け」についての体験を重ねていた。そして,ビーコン・ヒル・スクールという私立の学校を経営した頃,3才の女児のお臀(排便)の癖をつける上で,自ら面倒をみて,母親と連絡を欠さなかった面もあった。97才の波欄に富んだ生涯を,一筋に貫くある心情にふれる意味で,彼が『自叙伝』の〔まえがき〕に書いた部分を引用しておく。
まえがき 私は何のために生きてきたか。

 私の人生を支配してきたのは,単純ではあるが,圧倒的に強い三つの情熱である。愛への熱望,知識への探求,それから人類の苦悩を見るにしのびず,そのために注ぐ無限の同情である。〔中略〕
 愛と知識は,その可能なる限りでは,高く天国に達した。しかし,いつも憐憫の情が私を地上に引き戻した。苦悶の叫びが反響して,私の胸に響くのである。〔中略〕〔注,下線は筆者〕
 私はこの社会悪を滅したいと切望する。しかし,私には出来ない。そして,私もまた苦悶する。
 これが私の人生である。私はこの人生を生きるに値いする人生だと思っている。そして,もしもチャンスを与えられるならば,もう一度喜んでこの人生を生きようと思う。」

 最後の「この人生を生きるに値いする人生だと思っている。もう一度喜んでこの人生を生きようと思う。」というくだりに,ラッセルの肯定的人生観,苦悶の叫びに逃避しない勇気,人間であることを貫く決意を,筆者は深く感ずる。これが彼の人間主義(Humanism)の根底にあって,『自由人の信仰』*3の母胎ともなっている。また彼を,明知(Open Minds)と共感(0pen Hearts)と勇気(Courage)のある人生を人間相互に望む求道者たらしめた背景であるまいか,と思う。
 読者諸賢も,ラッセルが'神の存在'について知的論証を試み,神は人間に不可知であると説いても,彼を唯の理屈屋とは解しないと思う。
 サテ,彼は,どのようにして,人間には神の存在が証明できないから不可知だ,というのであろうか。
 彼は神は存在しないとも,存在するとも言わない。今迄行われた存在するという証明法はどれも,証明になっていないと言うのである。(人間に今後も証明できそうもないのなら,また,承知の上で盲信するなら別だが)人間は人間らしく,本性を自覚し,伸長し,有限な存在として,よく考え,理解し合い,勇気をふるって,協力する社会に生きようと,言うのである。
 これが若い頃書き,晩年も肯定していた『自由人の信仰』の本旨である。

 ラッセルの不可知論を代表する(神の存在の)5つの証明法の要旨を次に引用したい。*4
 先づ,「カトリック教会が,神の存在は理性の力だけで証明できると教義の中で規定している。」ことに一般の注意を喚起する。
 神の存在は(啓示の)助けを得ない理性によって証明できると言ういくつかの証明の中から,5つをとって,(それらなみな)証明にならない,と説く。

 ① 第一原因という証明法(The First Cause Argument)
 われわれがこの世の中で見るあらゆるものに原因があり,その原因の連鎖をどんどんさかのぼっていけば,第一の原因にたどりつかねばならなくなり,その「第一原因」に'神'の名を与えるという最も単純で最もわかり易い証明法がある。しかし,もしあらゆるものが原因を持たねばならないとするならば,神にも原因がなければならなくなる。もし原因なしに,何かが存在することができるとなるならば,神と同じように,世界であってもよいことになる。そもそも世界に始まりがなければならない,という考えは,本当はわれわれの貧弱な想像力から出てくるのである。第一原因が必要でそれに神の名をつけることの証明にこれ以上時問を使う必要はない。

 ② 自然法則にかこつけた証明法(The Natural Law Argument)
 これは,万有引力で有名なニュートンの宇宙発生論に影響された,よく聞く議論である。ところが,アインシュタインによる重力法則の解釈で,自然が一様な方法で運動しているというニュートン式な自然法則は,もはや現在通用しない。今では,今まで自然法則だと考えていた多くの事柄が実は人間の作ったしきたり(Convention)にすぎないことが判った。3フィートが1ヤードに当ることは地球上でも他の星の上でも同じである。これを自然法則と言う人はいない。また,原子が法則に従っていると思う法則は,偶然から生れる統計的平均値なのである。更に,サイコロをふって,6の目が2度出るのは36回のうち,1回という法則がある。これは'神様のおぼしめし'によるのだと考える人はいない。逆に,ふる度に6が出たら,おかしいぞ,何かあるぞ,と考えるだろう。自然法則に人間界を支配する立法者のような意味を暗にふくめる発想法全体には自然界を支配する法則と人間を支配する法とを混同することから生れている。自然法則は神の命令の外にあり,神は役に立たないし,伸介者の役にもならない。'神の出る幕'ではないのである。

 ③ 神様の御意向が働いているという証明法(The Argument from Design)
 世の中のすべてがこうなっているから,私たちはこうやって生きているのだ。少しでもちがっていたら,こうやって生きていけない。これは神様の'おぼしめし',御計画,御意図によるものである,という考え方と議論がある。これは,ダーウィン以前に横行した。今日では,環境が(あるいは,誰かが)生物に適するように作られたのではなくて,逆に,生物が環境に適合するように成長してきたのである。これは生物適応の基本事項で,そこには何の意図も計画もない。太陽系は衰退の段階にあり,地上の全生命の破滅もありうる。神がどうしてこういう破滅の意図をわざわざ作るのだろうか。'神の愛'にしてはおかしい。

 ④ 道徳論から神を説く証明法(The Mora1 Argument for Deity)
 カントは『純粋理性批判』の中で,神の存在を証明する昔から3種の証明法を論破した。ところが,同時に,彼は道徳的議論による証明法を創案した。カントもまた人の子として例外でなかった。知性の問題では懐疑的思索を行ってきた彼が,道徳の問題では,母の膝に抱かれて吸収した格言を絶対的に信奉していた。後年の連想より幼時の連想の方が強く働いた。19世紀にこのカントの証明法がいろいろのかたちをとって,人々に好んで用いられた。
 もし正邪の区別が神の命令によるものだとするならば,その時,神自身には正邪の区別はないことになり,神は善なりという主張は無意味となる。もし神学者の言うように,神は善とするならば,神の命令は,神が命じたという事実とは独立に善で,悪ではないから,正邪は神の命令とは独立して,何らかの意味をもつことになる。そして,正邪は本質上,論理的に神に先行して存在することになる。

 ⑤ 不正を正すために神が在るとの証明法(The Argument for the Remedying of Injustice)
 これも道徳的な証明法の一種である。善人が苦しみ,悪人が栄えるこの世に、正義をもたらすには神の存在が必要だと考える。地上での生活を決裁清算するには,来世が必要で,長期的に正義が行われるには,天国と地獄も必要だという考え方が出る。
 大部分の人々が神を信じるのは,主として幼児期から,そう信じるように教えられて来たからである。

 以上の証明法は,キリスト教の神の存在の証明が成り立たないことを示そうとしたものであっても,人間が救われたいと願望する場合の考え方について,またいろいろの宗教や宗派の考え方にもあてはまる所がある。キリスト教だけでなく,絶対者を想定信仰する人々の場合にもある程度共通してくる。

sono2
 2.既成宗教の教義と修行

 人間が苦悩あるいは有限,または恐怖感から,心の慰めや安定を,時に,生き甲斐を求めて,生の根源におもいを致す時,人間は宗教的心情に立つとすれば,それは,自と他との自覚ともなり,自己の安心から他者との調和的関係にも及ぶ。更に,社会全般や一般大衆との制度的安定すら,その考えの範囲内に入る。現実の世俗的生活における人間自身と自己を支配する者との関係において,絶対者を想定し人格化する時もあろう。安定と調和とを,絶対者を想定して,自己内部にあるものに対する反省やある理想的状態への到達という発想の中で,自已変革や心理転換を通じて,絶対者への帰依とかまたは,絶対状況における自・他の融合とか,を考えることもあろう。有限で,極地化する自己とその枠から解放されたという心身状況を念願かつ実践する生き方は,その発想経過の個人的,民族的,環境的,文化的,経過的な差異により,多様化している。
 従って,甚だ粗描であるが,救いへの道,自已解放への道,自・他の調和への道という点で,既成宗教〔ユダヤ教;キリスト教及び回教;神道;仏教三派〕についての特徴を専門的宗教書から、以下要約引用する。*5

 (1)ユダヤ教
 偶像禁止,唱名制限,を行う。
 人間は神の精神が宿っている存在;神の意志を知り,世界の存在意義を認め,神の創造行為に参加,創造活動可能な存在である。
 唯神の教えである「教えの書」(Torah)の下に結合する。人間的に,真に人格関係を実現する行為がそのまま神への全的な行為の成就となる。キリスト教の原罪感はない。神と人との正Lい関係で罪はあがなえると信ずる

 (2)回教
 アラーが絶対的創造者;第一なるもの,かつ,最後なるものと信仰,商人マホメットが,伝統の多神教を排し,不屈の信念と大勇猛心を以て宗教改革を試みた戦闘的宗教
 キリスト教の成立の背景と異り,回教の聖典は,神の語が「書」となったもの。
 (キリスト教ではキリストにおいて神の語が「肉」となったと考える。)また,マホメットは神の啓示を接受した予言者で,「コーラン」の作者ではなく,キリストとマホメットとは位づけが異る。)

 (3)キリスト教
 イエスの宗教は,イスラエルの宗教が根本を契約と律法とに置き,律法は整備されて,イスラエルの全生活の規範となり,この律法・規範から見た罪人たちを弟子とした宗教である。罪人に新しい生命の転回を与える働きをもたらした愛の宗教である。従って,イエスの宗教は人間と人間との触れ合いを抜きにしては理解されない。彼らは神の国への福音を聞かされ,希望の灯をともした。しかし,これによって,ユダヤ教の伝統的立場からの強い反発により,イエスは十字架にかけられた。
 弟子たちはイエスを見捨てて逃げた。生前のイエスの活動は失敗に終った。イエスは死に,キリストが復活した。
 復活のキリストこそがキリスト教をおこした。歴史的な一宗教として発足する基盤はこの「復活の信仰」にある。見捨てた弟子たちに,イエスの与えた愛の生命が肉体の死にも滅びず,新しい信仰として復活した。十字架に新しい意義を発見し,恥辱の刑罰でなく,愛の象徴・救いの契機の意味が加えられた。そして,生命の救い主としての人類的意義を明確にしてゆく。
 イスラエル宗教の従来の契約から,神と人との'新しい契約'が成就する。新約聖書は,教説の書でなく,むしろ死と敗北のイエスの十字架が人間の生命の救いの契機としての意味を荷った内容であり,キリストの内容を説く救いの書物である。救いを求める人間の意味がキリスト信仰に立つ教会によってクリスチャンの心がけとして説かれている。
 キリスト教では,人間は「神の似姿」として神の手により創造され,無限の真理を追求する理性と意志をもち,同時に,被造物即ち「形」あるものとしての「形」に条件づけられている。この「個体」としての「形」の条件づけは「原罪」を生み,人間の縛りつけられている絶対的状況として,他と対立する相対的存在として,人間を把握する。この対立から,闘いと苦悩が生れる。自らの有限性のうちに他人の存在がみえてくる。有限者に無限者は判らない。神は奇蹟として,自ら肉をきて,世に現れる必要もあった。イエスの完全無欠力=姿と行為とによって,神は自らを人の目に示した。イエスを神として信仰する者には,そのつつましさの故に,己を愛するように他をも眺めるようになる。そこに,すべての人が神の似姿として,相互を認め合う'神の国'建設の希望が湧いてくる。

 (4)カトリック教会
 カトリック教会は、教会なくして,キリスト教信仰が成立しないと主張する。教会への服従のみが神の国の実現への道であると言う。教会の指導即ち僧職の指導を真理とし,組織上では僧職中心主義である。世俗国家の法律にも干渉し指導を行う。

 (5)プロテスタント
 プロテスタント(宗教改革派)には、教会に信仰の尺度を合せる僧職中心主義の教会の体質的歪みが目立ち始め,個人の信仰の軽視に抗議した。教会とは,「同信の者の自発的集り」に変移する。'個人の信仰'を守るため,世俗的権威と結合する教会を批判し,政教分離を英国では打ち出した。やがて,絶対なる尺度としての神に対して,各人が平等に服従の誓いを立て,この誓いの基礎の上に,各人の謙譲さと正義への志向を法律(C㎝tract)に結実させる考え方が生れ,アメリカ市民国家の理想となる。
 キリスト教内に,合理主義と非合理主義とが交代する歴史があり,前者は'知解'を求める信仰」,後者は「不合理なるが故にわれ信ず」となる。カトリシズムとプロテスタンティズムにそれぞれあてはめることができる。
 宗教も組織化されると政治である。アッシジの聖フランシスコは一切の教会建設を避け,晩年には弟子たちの争いや教団の秩序維持に苦悩した。彼の死後,翌年壮麗なる教会が計画され約十年で完成した。宗教と政治,政治は被害者を生む故,宗教の致命傷ともなりかねない。

 (6)ギリシア正教
 ローマン・カトリックの西方神学に対し,東方神学は,前者の意志的・倫理的・実践的であるのに対し,知性的・形而上学的,思弁的である。原罪観念は遂に東方教会では成立せず、また聖像(イコン)礼拝が特徴であり,天とこの世界を結ぶ小窓であると見る。東方教会の中心の考え方は,神の正義でなく,神の愛である

 (7)神道
 神道は人心教化力を欠いている点で宗教性に乏しい。人心教化力の源泉としての教義に欠けている。教義に一定の原理をもつ規範的思考に発した規範信仰の思想的表明がない。時代時代の有力な宗教と習合し,教義内容の欠陥を埋めて来た。無限抱擁性と思想的雑居性を特徴とする。
 神道の人間観は「人を教える必要なしとした思想」の観がある。
 実質的に宗教に非ずという立て前から,単に神社というのみで充分事足りたが、戦後,国家との特別な結びつきのあった神社は,逆に神社が神道であることを押し出さざるを得なかった。ここで神社神道の語が一般化する。
 神道は,宮廷神道,神社神道,教派神道,民間神道,学派神道に分れ、更に細分類されている。神社神道の基本的な性格は宗教的運命共同体を形成するところにあった。仏教と対置されるものである。「国神」を対象とし,これと価値的に結びつく人間の営みが神道である。
 天照大御神の「言依さし(コトエサシ)」(言葉を寄せ,実行を委任すること)は天皇に,時に神職に更に氏子に「言依さし」すれば,天皇も,神職も,氏子も,神と同一資格をもつ。端的な表現をすれば,神そのものとなる。人であり,神である。この時,神人融合帰一している。
 神社神道は,日本語でいう「神」と人との融一を中核とする生活活動である。
 「神」の御業に随順するを本旨とする。
 ユダヤ教,キリスト教,回教は神人隔絶であり,仏教中'禅宗'など自力悟認・仏人即融であるのに対し,神道は両者の中間にあって,相互の性格を帯びている。しかし,明治維新政府の国策により,祭政一致を特色とした。神道国教化政策である。

 (8)仏教
 仏教は,キリスト教や回教が「神本位」であるのに対し「人間本位」の宗教と言える。人(衆生)の迷いや苦悩の原因は,人間の自己本来の面目を知らず,明らかにぜず,妄想不分別(人間の煩脳)によるからで,これは根本煩悩としての無知無明である。己の私心のはからいで利己主義に走り,自他の差別にひたるからである。しかし,根本無明によって,人間のいろいろの営み(諸行)が縁生する。分別思惟了別の識も起こる。了別識から主客両観の作用が生れ,これにより,真理の認識が生ずると見ることを,根本無明に縁るとしているのは,ギリシア文化以来の西欧の人間理性作用の理解と異る。
 欧米思想には,対立概念が根底に在り,二者択一的となり,宗教的には,神と人,造物者と被造物者の対立思想が厳存する。
 仏教の立場から見れば,この対立的発想は無明に条件づけられたものであるから,この対立を超えた所,あるいは,時間と空間との一切の制約をも超えた所に,般若行智になる無上正等覚の「悟り」の境地境涯が開明,露現すると考える。
 仏教は人間理性を徹底的に追求し,そこから起る識作用の相対性を明らかにして,相対知を絶対視する誤りを指摘する。

 (9)日蓮宗
 日蓮聖人が,口に唱えることを創始せられた南無妙法蓮華経を,身にも意にも受持して,人間に内在する仏の種子を育てあげ,仏教が理想としている成仏を目的とする宗旨である。しかし,自分だけの成仏でなく,現実の世界に,仏の国土を建設しようとするのがこの宗の理想である。
 法華経の行者日蓮という言葉は,法華経の人生観と世界観とを自分の行動において生かすという意味であるから,聖人の面目をよく現している。鎌倉仏教という言葉がある。鎌倉時代は激動期で,地方武士や庶民が胎頭し,貴族仏教から庶民参加の仏教に移った。また坐禅と念仏とが流行する時代的背景もあった。若き日の目蓮,つまり蓮長法師は二つの疑問に凝念研鑽した。
 ◎各宗のいづれが教主釈尊の本意を,あやまりなく伝えているだろうか。
 ◎いづれの宗が人々に真の安穏な生活を約束してくれるか。
 聖人の帰依した法華経の教義的特徴の一つは,人間は悪にも,善にも無限の可能性をもつ。悪に向えば,「地獄」や「餓鬼」や「畜生」という心の境地に,生物として最悪の状態を示す。このような人間を離れて,別に,仏という最善の状態は,あり得ないという。仏とは最高の状態に到達した人間のことであるというのが,法華経の建てまえである。
 本宗の立場は実践的に,仏の悟りの世界に内在する自分を把握することである。

 (10)浄土宗
 法然房源空が,諸人の浄土に往生し得る、道として、浄土信仰の奥義を見究めて開いた宗旨である。法然は,「智慧もいらぬ。持戒もいらぬ。善人は善人ながら念仏し,悪人は悪人ながら念仏し,ただ生れつきのまま念仏すれば,それが阿弥陀仏の本願にかない,両方極楽に往生できるという教え,口称本願念仏の教えは,乱世を背景に,あらゆる階層の人々がその門に集った。日蓮をして,「日本国みな一同に法然房の弟子と見えけり。」と言わしめたほどである。教団設立の当初から迫害があり,当時の既成教団・聖道門教団に圧迫された。
 法然の専修念仏の教えによれば,在家者は念仏を通して,仏に直参できるとして,出家者の特権的地位を否定した人間中心の救済仏教である。ルーテルに先立つこと四百年である。
 仏教は人間存在に積極的意義を認めて,「一切衆生悉く仏性あり」とし,仏の本願力にたよるということは自己を否定し,そこにいささかの自力があってならず,仏の力を絶対に信ずることを真髄とした。一向専修,専称名号が叫ばれた。
 「思いわずらう事ぞなきと思いぬれば,死生ともにわずらいなし」の言葉には信仰に心身をまかせ切った捨身の強さが感じられる。

 (11)浄土真宗
 開祖を親鸞とし,「親鸞は弟予一人もたず」と宣言した親鸞の末流が日本きっての大教団となった。南都北嶺の僧たちの権勢への迎合とその堕落を想起させる。
 「法然上人と一緒なら,たとえ地獄に堕ちても悔はない」というほどの傾倒ぶりを親鸞は示した。
 特色の第一は,浄土宗が念仏を多くをとなえよと多念を必要とするのに対し,往生がきまるのは臨終ではなく,平生にきまり,一念の初めにすでに往生はきまっているという発想である。念仏申さんと思いたつ心,信心こそが往生の決定因で,後の念仏は仏への感謝の念仏とみる
 第二は肉食妻帯である。この人間的生活を営みながら,法然の道を親鸞は歩いたこと,一般の人間に修しやすい道と考えたこと,人間性の現実に立脚したことに普及の背景があった。
 人間は自分の力,自分の意志で生れてきたのではない。人間をとりまく諸々の力によって支えられている。已の実存はその究極の根本においてはわたくしの自由にすることのできない絶対的なもの,仏の力に支えられている。これは疑えない真実である。この認識は己の力によって認識しうるものでなく,全く弥陀の力によってみさしめられたのである。
 親鸞の説いた,仏の前ではすべての者が平等である,みなが平等に極楽往生ができる,という御同朋,御同行の思想は,一方では一向一揆という解放運動に発展する背景である。

 (12)臨済宗
 臨済禅の特徴は,現実の人間を離れて何処にも仏の存しないこと,仏が外的に存在するものとして考えられる限り,それは仏であろうが何であろうが殺すという強い否定もする。人仏不二の仏を現実の人間身のうちに看取せしめようとしている。では,真仏とは何か。「真仏無形,真道無体,真法無相」というように形・体・相をもたない。
 要するに,臨済は,真仏の所在を,現実の人間の平常底に即して見,人即仏を徹見した。

 (13)曹洞宗
 三才で父と、八才で母と死別した道元は,この無常感から出家した。親族は朝廷に勢力をもち,彼の将来に期待をかけていたのに,十三才の時,期待にそむいたわけである。
 当時の叡山は大方名利の場であったので,法然や親鷲のように下山した。栄西禅師から,分別知にこだわっていた自分の知の葛藤を行によって解決することを示竣され,坐禅修業に精進するに至った。
 坐禅によって,身心脱落ができ,修即証といえる。道元は修証夢一とも言う。自己の底が桶の底が抜けたようにぬけること,自己なきこと,我にして我にあらず,天地一体といってもよく,自他一如,悟り,仏祖の世界である。あらゆる境の中に自由に働ける。二者は二つでしかも一である。永遠と瞬間とを不二と納得することは理性人には死であっても,人間的自己を捨てた処である。これが宗教的信の場所である。*7


 3.宗教・宗派に共通するものと交錯するもの

 人間誰も,失敗・不幸・苦悩・死などに際して,ある感慨を抱くのは当然で,宗教的感情との接触を通じ、心情の展開,結実が生れる。幼時からの環境における習慣形成的経過をたどる事例もあるが,(ここでは,これらを除外する。)これらのいづれかの契機により,次の経過をたどるのは,共通に見られる。
 ちがった宗教,宗派の間で類似と差異とが交錯している点は甚だ興味深い。結局,人間としての共通性が民族,宗祖,環境,文化の差によって影響される結果こういう現れが生れると解釈しうる。
 救いの信仰と修行との関係でも聖典読解・唱名・礼拝・祈祷・坐禅などのちがい,また知・信・行の相関性・相補性について比重のかけ方,選択の仕方の多様性がみられる。
 特に注目したいのは,禁止あるいは戒めとする事項についてである。
 弟子をもたず,〔親鷲〕
 弟子の派閥的争い・不和に心痛,〔アッシジの聖フランシスコ〕
 教会建立を一切許さず,〔聖フランシスコ〕,〔無教会派〕
 偶像をもたず〔ユダヤ教・回教・仏教の一部〕
 僧侶の階層をもたず〔プロテスタント,仏教の一部〕
 僧・俗;在家の別なし〔プロテスタント;親鷲〕

 絶対帰依型宗教として,キリスト教と浄土宗との類似点をよく聞くが,次の例もその一つかも知れない。

 「だから,明日のことを思いわずらうな。」(新約マタイ伝福音書)
 「とてもかくても此身には,思いわずらう事ぞなきと思いぬれば,死生ともにわずらいなし」(浄土宗,『念仏為本』)

 人間が個体性と社会性との二重写しである以上,唱名念仏であれ,坐禅開悟であれ,宗教本来の自覚自悟が個人的次元から,衆生済度であれ,立正安国であれ、社会的次元へと宗教行為叉は活動が展開してゆくのも自然と思う。そして,組織化や集団活動が政治的領域に移行してゆく。宗教に教義(ドグマ)が不可避的に付随する以上,その教義体系が独断論に変質する契機がある。ここで,「弟子をもたず」,「教会は一切無用」,「半僧半俗」,「同信相集」とかいう発言や発想の生れることが関連してくる。また,自己救済の次元においても,社会的変動期であり,生活不安の鎌倉時代に,念仏と坐禅との対照的修業の行われたことに,知識人と庶民大衆との「機根」の差があるのも見逃せない。この「機根」は個性と社会的要素とが織りなすものである以上,時代と場所とにかかわりなく,宗教・宗派にこの対照が理念的面にも修行面にも見られる。「知解派」対「信仰派」や「合理主義」対「非合理主義」との対照もその一例であろう。(以上の共通点と差異点との交錯に現われる事実を見ると,多様・複雑である宗教・宗派も,案外,人間が何世紀かの将来,機根や社会制度の整合と世界政府の慣行とによって人間中心の発想帰結が自然陶汰的に合理化されていくのではないかとも思われる。)

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 4.ラッセルの宗教論

 ラッセルはキリスト教の神の存在についての「不可知論」によって,不可知を理由に,宗教的心情の根源である人間自身の実存に即して行くことに,目を転じた。太陽系と運命を共にする「チリ」のような極徴な有限体の悲劇的存在を自覚し,人間の本性を自覚し,考える力を充分に発揮し,自・他の差別の超克への勇気を強調し,個性の創造性発揮と社会人たる社会的協力化との融合を目指した。「無明」に陥いらない「明知」(Open Minds)と「慈悲」につながる「共感」(0pen Hearts)と「実践的活動」の基礎となる「勇気」(Courage)とを,人間が生きる基礎に据え,教育と連接する。「不可知」なものに帰依せず,「明知」,「共感」,「勇気」による同胞意識の高揚が一切に優先した。彼の政治論,社会主義論,教育論,結婚論,幸福論,人生論,宗教論を貫く一本の太い綱は同胞意識に根ざす人間主義(ヒューマニズム)で,能力の不平等を制度的に調和させようとする
 従って、宗教論の領域だけに限定してみれば,人間主義,人間の全機能への洞察から,社会変革における階級闘争観の盲点を指摘する如く,宗教と科学,宗教と政治,宗教と教育などについても,明確な基本線を出している。
 宗教に「明知」を欠くと,教義が独断論に,あるいは不毛の神秘論への逃避になることを警告する。宗教は伝統的宗教だけでなく,新興宗教や政治変革集団にもこの危険性のあることを指摘する。個人が救われると,あるいは救われようとすると,集団化し,組織体となることについて警告している。*8 宗教は個人の自覚と救いの努力の領域から社会的な次元の活動に移ると,階層化や職業化が生れ,人間が例外なくもつ生得の権力衝動が権力悪の母胎となり,宗教固有の領域から,政治の領域に越境しやすい。「弟子をもたず」,「教会をつくらず」などの聖人たちの発言の蔭に人間的因果関係を観る。彼は仏教を哲学的事象とみなす。「人仏不二」,「即人即仏」という宗教的指標の現実的可能性あるいは思弁的発想内容については,肯定的である。
 また,知・信・行という宗教上の人間機能の発現の関係についても,相補性・相関性・不可分性の故に,いづれかに偏向する愚を説く。それは分析・総合・超克の三者相互の内面構造の中から,一の要素だけの抽出強調する誤りを指摘する。*9
 宗教的開眼の個性差としての「機根のちがい」についても,教育の領域に期待する。教育論,権力論,科学論などから,人間の普遍的宗教感情の育成に希望をかける。また,不可侵領域から越境する危険も指摘する。哲学と倫理学とに関連させてゆく。
 宗教は越境して政治の領域に踏み込む時,(彼の権力論は説く),宗教本来のメリットが反社会的な要素に変質し,堕落する。荘大な教堂は,僧侶の階級制度を助けて,現世御利益を餌に,献金・寄進の強要ともなる。その実例は比叡山が宗学の中心地から名利争奪の地に変じた先例,カトリック教会の腐敗と宗教改革に見られ,今日でも環境保護条例の禁止区域内に違反建築を政党と結託して行っている例も報道されている。
 宗教は個人の救いの教えにとめ,社会悪に対する制度的保証は政治に委ねるべきである。それぞれの分限を守るべきである。衆生済度の願いは望ましいが,個の確立が保証されれば,政治による制度的保証と相まって,成果があがると考えるべきで,僧侶教団が非民主的権力機構になり易い体質論理を内包しているからこそ,政教分離の必要が厳然と認められるのであろう。(宗教法人の免税をもっと厳正に規制すべき事情がある。)

 むすび

 ラッセルの不可知論はキリストの神についての見解であるが,絶対者への発想をもつ他の宗教宗派にも適用できる。既成宗教宗派の教義と現実とについて,特徴の対照を行う時,人間の発想や知力に由来する多様性と交錯性が認められる。同一事項について,西欧と東洋とに類似が見られる。同一系統内に,差異例もある。これは人間としての共通面の反映である。
 ラッセルは不可知論から,人間自身の自覚と相互対話に入った。この点,一部の仏教的教義に近接してくる。「明知」,「共感」,「勇気」は東・西両洋の宗教の多様性を貫く共通項のまとめの役を果している。ヒューマニスト・ラッセルは無神論者と言われても,尚,'人間宗'の求道者的な姿を彼の97才の多彩な生涯の実践の軌跡に見る思いがする。それは,人間が人間であり,人間として協力し合う社会の実現を目指す現実的論理の体系をたぐり,そしてそれを象徴的にまとめた言葉として,“0pen Minds, 0pen Hearts and Courage' を理解したい。
 サテ,以上が筆者の観たラッセルの宗教論であるが,ラッセルによって学んだ点と気づい点を記したい。人間と宗教との根深い関係を指摘した人にマルクスがいる。キリスト教に焦点をあてた人にフォイエルバッハもいる。人間の権力衝動を大写しにして,宗教と政治・経済と教育のそれぞれの役割と相互不可侵の領域の関係をラッセルは指摘している。政教分離はその一例である。宗教が公害源となる因果関係も示された。宗教感情と行動との根源は個人の素質機根にあるから,宗教感情と行動への制度的保証が社会として必須であり,これはヒューマニズムと民主主義とを教育を通じて充実させる外ない,と筆者は思う。その根底に,明知,共感,勇気,修練がなければならないと思う。
 今日地上の人々が均しく求めるのは世界平和である。後進国に見られる国内や国際的な対立・抗争には,既成・新興の宗教・宗派がからんでいる。僧職者たちは,伝統に名をかりて,あぐらをかき,独善性と無反省が横行している。客観的に条件の出揃いつつある今日こそ,各宗開祖たちの叡智の原点に戻り,改めて,全世界的視野に立つ再検討と協力が絶対必要となる。世界的な宗派全部の協力体制が,「宗教は阿片なり」の定義づけを葬る前提となろう。何故ならば,古今東西の各宗の開祖は均しく,自・他の融和と社会的協力の実践への開眼を説くからである。これこそ,世界平和への起点だからである。
 ラッセルの人間宗の目指す到達点もまた、ここにあると言えまいか。(終)


[注]
(1)『ラッセルは語る』(東宮隆・訳、みすず書房刊)
(2)『バートランド・ラッセル自叙伝』全3巻(日高一輝・訳、理想社刊)
(3)『自由人の信仰』(市井三郎・訳、世界の大思想第26巻,河出書房刊)
(4)『なぜ私はキリスト教徒でないか』(市井三郎・訳,世界の犬思想第26巻,河出書房刊)
(5)『現代宗教思想のエッセンス』(仁戸田六三郎監修,ぺりかん社刊)
(6)現代宗教講座I(創文社杜版pp.270~280
(7)現代宗教講座I(創文社版pp.281-287
(8)『権力』(東宮隆・訳、みすず書房刊)
(9)「知識と知恵」「現代の哲学」「宗教と科学」〔中村秀吉・訳『白伝的回想』、みすず書房刊〕