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[バートランド・ラッセル著書解題15:「人類に未来はあるか?」(牧野力)

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第16号(1970年8月)pp.5-6.

* 筆者は当時,早稲田大学教授,ラッセル協会常任理事
日高一輝訳『人類に未来はあるか?』について

『人類に未来はあるか』の原著の画像  一九七〇年の今日この本(Has Man a Future?,1961)を読み返すと,時局的な面と恒常的な面とが交錯し,ラ卿の世界平和と人類存続への願いの切なるものを感ずる。「日本の私の読者へ」という原序は次の言葉で始っている。
 広島と長崎の市民を大量虐殺したことは無法きわまる罪悪行為であった。西洋人一人一人に責任があり,それと関係がある。なぜならば,それがわれわれの共通の名において行なわれたからである。どんな敬虔なまつりをしたとて,また,どんな抗議をしたところで,この殺戮の残虐行為をつぐなうことはできない。
 あの原爆は戦争を終らせるために投下されたものではなかった。日本政府はそのまえに既に講和を申し出ていた。西洋諸国の政府はこのことを知っていた。原爆は無人地域で爆発させるようにという科学者たちの懇望が無視された。「力の政治のこの残忍な行為は今日核兵器をもつ政府の遂行する政策がいかに気ちがいじみて野蛮なものであるかを象徴している。(…中略…)
 英国においてわれわれは大衆動員による組織的抵抗をしてきている。そして,この運動が国際的になり,圧倒的になってゆくことがわれわれの希望である。云々
 これらの言葉から,是々非々主義のラ卿の反省と良心とがうかがわれる。これが唯の書斉的発言でないことは読者も既に承知されている通りである。また,最終の章「安定した世界」の書き出しにも,切迫した国際状勢に対する鋭敏な心や即応の姿勢への気構えを感ずる。
 わたしは暗黒の現在(一九六一年七月)これを書いている。そして,この書が出版されるまで,或いは,出版されるとすれば,それが読まれるまで,果して人類が存続するかどうかを知ることは不可能である。しかし,まだ希望は可能である。そして,希望が可能である間は,失望することは臆病者のやることである。
『人類に未来はあるか』の邦訳書の画像  これは唯の理性の言葉ではない。現実認識の深さと人間尊重の精神から湧き出た言葉である。ここに本書の体質的なところがある。ある人は,本書を,ラ卿の人類への遺言状と解する。
 『人類に未来はあるか』,この問いかけから,然りも否も出て来る。人類が,現実を知り,世界政府の実現と核兵器完全破棄との道を歩めば,然りとなる。この二つの基本条件を真にわきまえず,関心を抱かず,応分の努力を怠れば,その報いは,否に通ずる。その論理と事情とを説いたのが十一章にわたる本書の内容である。

 動物としては必ずしも有能でない原始人も,頭脳の働きによって,言語を生み記録法を案出し,経験と知識とを積み重ね,科学を知るに至る。そして,道徳を意識する。科学と道徳との相剋は,今日,核問題に象徴的にあらわされている。野獣に向けた敵意と猜疑心とは,人間の仲間に向けられた。自然を克服した新しい力(科学)に酔って反省していない。しかし,人間は創造力と可能性を内蔵している故反省すべきであるまいか。(第一章)
 しかし,一九四五年八月六日原爆が日本に投下され,核時代が始った。原子科学者たちの仕事の政治的背景はナチス打倒の決意であった。これは,科学を力の政治に利用させる第一歩でもあった。憎悪と愛国心とを同一視する。核戦備を平和保障と誤認している。世界は一路悪化した。(第二章)
 原爆は更に一千倍強力な水爆に前進した。米ソは互に,「相手に勝つ」幻想にふけっている。しかし,風向き次第で,死の灰は敵だけに降るとは限らぬ。結局,共倒れとなる。核実験から生れる放射能塵は上層大気圏から降下し,地球を包み,人類は病気と不具とから自ら崩れてゆく。ここに,核実験禁止の人類的意味がある。水爆を抱く人間搭乗の人工衛星は地球を廻り,月や火星,金星へと飛びその軍事的野望にとりかかる。(第三章)
 米軍基地についての興味深い曝露がある。英国内の米軍基地には,特殊空軍部隊があって,同基地内の他のすべての部隊と完全に絶縁している。生活一切が本国から直接空輸されて交代する。この極秘主義は,英国民に知らせないためでもある。一切の指令は,ワシントンから直接受ける。彼らは,一,二分以内に上空に舞上りうる特殊訓練を受けた精鋭である。
 だから,ある非常事態に際して,英国政府がワシントンのボタン指令に何らかのコントロールを行ないうると想像するのは単なる幻想にすぎない。’
 (これは日米安保条約の「事前協議」についてどういう示唆をするのであろうか。危急存亡の場合,その緊要作戦行動を事前協議できると考えるのも単なる幻想でなければよいが…)
 国家間の敵意の背後に,誇り・猜疑心・恐怖・権力愛などの人間感情がある。恐怖状熊に陥ち入ると,人間は動物的に本能に気をゆだねる。今日の大国間の態度は,まさにこれで,問題は人間の心の中にひそみ,その治療と啓発とが必要である。(第四章)

 核実験停止協定締結の提唱がポーリング博士により行なわれ,東西の科学者の会談が開かれ,全員一致の決議は西側の政府によって邪魔された。
 西側の予期に反し,軍縮提案がソ連の容認することになった時,西側はその提案を撤回してしまった。ソ連も次に同じことをやった。ラッセル=アインシュタイン宣言とパグウオッシュ運動が始められた。核融合反応から引き出す所謂「きれいな爆弾」よりも,分裂反応から引き出す所謂「きたない爆弾」を大国は大量に蓄積している。この核実験で長期にわたり,多大な放射性害毒に生物と人類は汚染される。(第五章)
 コバルト爆弾は全人類を二,三年間に腐って死なせる運命に追い込む世界最終機械(Doomsday Machine)である。
 NATO国家群とワルソー(ワルシャワ)国家群との対立は,敵味方の別なく死の灰をまき散らす。
 ラ卿は細々と具体策を説く。彼の世界政府案には新しい着眼もふくまれる。(第六章)
The Good Citizen's Alphabet イラスト画像  世界政府に反対するのは,国家主義的感情,現状固定化反対論,世界政府総指揮官の世界皇帝化論などがあり,他方,心理的障害もある。この障害は教育による解決しかない。(イラスト出典:The Good Citizen's Alphabet, 1953)
 しかし,世界政府出現を支持する条件も,技術面から生まれている。
 昔は道路と火薬とに優れた民族が世界を統一した。今日,核兵器が火薬に代り,電信・無線・航空力などが道路に代った。そして,伝達と輸送の迅速性や広域性と共に,核兵器のもつ絶大な破壊性,迅速性,広域性,徹底性などは,戦争の体質を変え,人類の自滅への力となる面をもつ。ここに一つの意味があり,善用されれば,説得力をもつ。(第七章)
 これらの条件を背景に対立勢力への「平和の第一歩」も生れうる。しかし,核実験禁止会議の記録は悲観的な実例である。大国は会議を成立させるよりは,自己宣伝の場に利用し,相手の譲歩だけをねらう。従って,(i)勢力の均衝を破らずに,危機を少しでも軽減阻止するため,(ii)相手をだし抜かず,(iii)誰かが独り得する策を考えず,(iv)共通の害を皆で阻止する実際的取り極めを先ず考えて,地固めしなければならない。
 真の敵は,仮想敵国ではなく,双方の保有する大量の破壊兵器である。これらが,敵味方の別なく,共倒れを実現するからである。この納得から出発し,世界宣言,中立国群の積極的参加,中立国の指導権強化が必要である。そのためには,二年間の猶予期間を置き,次の諸項目を実践目標とする。


ラッセル協会会報_第16号
 (i)対立国双方で敵対的悪宣伝廃止
 (ii)文化交流,相互の知識拡充
 (iii)進水的核基地例えば(潜水艦)の廃止
 (iv)核兵器の被害を徹底的に衆知させること
 (v)和解委員会設置
 (vi)国連改組
 (vii)中立国群の結集と強化>

 過去の武器と核兵器のちがい,核実験禁止の意味を徹底させること。(第八章)
 軍縮問題には,核実験停止,査察,外国軍隊駐留禁止,軍事的人工衛星による大気汚染阻止などをふくむ。しかし,軍縮会議は,結局,人間の愚さの産物で,人間の心から湧き出る邪悪である。地獄を天国に変える道は,憎む心と恐れる心とを,共同協力の幸福に気づかせることである。(第九章)
 対立する国々は,戦争勃発一歩前のギリギリの線まで自我を通そうと,瀬戸際作戦をねらう。従って,中立国の出る幕があく(ある)。領土問題,特に南北問題に苦しむ国民にとって中立国群の結集強化が対立大国への歯止めとなれる。
 もし世界がフルシチョフの全面軍縮撤廃提案を受諾さえすれば,それを土台に,領土間題解決に測り知れない利点を得たかわからない。(第十章)

ラッセル著書解題
 冷戦関係国,武装平和論の国々は,年額(邦貨換算で)三十兆円,一分間五千七百万円消費している。世界人口の半数は栄養不良である。第二次大戦直後の経験を生かせば,戦備経済を平和経済に,福祉国家への道に切り換えることも出来る。経済的平等の原則に立ち,後進国の生活水準の向上,核エネルギーの工業化転換と共に,世界政府が発足すれば,人類に未来はある。人類の相反する衝動,協力と競争とを,教育と冒険とにより,人間性に矛盾しない転換に向ける。特に冒険は規律,協力,責任,服従,創意を必要とする面があるので意義がある。今日,科学を消化し切れないでいる,過去の悪習にしばられた人間精神を解放しなければならない。人類が将来成就するところのものに何らの限界もない。人間に輝かしい未来があるとすれぱ,核禁と世界政府への道を歩む中にある。(第十一章)
 この本が出て約十年たった。この間,核戦争は起きなかったが,局地戦は少くなかった。現に続行され,新兵器の実験が各地で人間を標的に,生物を対象に行なわれた。核戦争への導火線の役割を捨てたわけではない。七億の中国も核保有国となり,米ソ以外の国々も,核実験をやって,放射能塵を地球に撤き散らしている。地上の年間気象は異常化していく。
 本書に説かれた心情と分析と論理とは依然として啓蒙的意義すら失っていない。ラッセル卿なきあと,われわれ一人一人がその心情と論理とを応分の実践の中に生かすほかないと思われる。