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ラッセル関係書籍の検索 ラッセルと20世紀の名文に学ぶ-英文味読の真相39 [佐藤ヒロシ]

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碧海純一「バートランド・ラッセルの社会思想」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第2号(1965年9月)pp.4-5
* 以下は,1965年5月18日夕方,朝日新聞社講堂で開催された「ラッセル生誕93年記念講演会」の講演要旨。碧海氏は当時,東大法学部教授

ラッセル協会会報_第2号

1.ラッセルと社会思想

 ラッセルの社会思想は哲学者の「余技」にすぎぬ,という見解もあるが,私はそうは思わない。かれの最初の著書「ドイツ社会民主主義論」(1896年/ラッセル24歳の時の著作)以来,今日にいたるまで,ラッセルは,終始一貫,社会の問題,人間の問題を考えつづけて来た。

2.ラッセルの社会思想の基調

 ラッセル自身は,自分の哲学と社会思想とのあいだには「なんら関係がない」と言っているが,この発言は必ずしも額面どおりには受け入れられないように思われる。私は,ラッセル哲学の基本的特色として,(1)知的廉直,(2)経験主義,および,(3)合理主義の3つ,をあげたいと思うが,これはとりもなおさず,かれの社会思想の基調でもある。

3.政治思想

  ラッセルの政治思想は,非常に多くの著作の中で,詳細に展開されているが,ここでは一つの論点についてだけふれることにしたい。それは,ラッセルの哲学ならびに社会思想の共通の特徴の一つであるところの経験主義が,政治思想の面でいかに現れているか,という点である。この点に関して注目すべきことは,かれが,経験主義の認識論(特に,その中核としての,近代経験科学の認識論)によって民主政治および民主的政治形態を根拠づけていることである。ラッセルによれば,すべての独断・狂信は,科学的なものの考え方と相容れないだけでなく,民主政治にとっても最大の敵である。科学においては,すべての見解は,不可謬の教義としてではなく,あくまで仮説として試行的に主張される。このような慎重な懐疑と寛容の熊度こそ,民主政治を独裁政治から基本的に区別するところのものにほかならない。特に,民主政治において欠くことのできないものは,少数者による忌憚ない批判の自由である。人類の進歩は,そのきわめて大きな部分を,一見奇矯な少数者による多数説の批判に負うている。ゆえに,「奇人であることの自由」はきわめて大切である。

4.マルクシズムの評価

  ラッセルは,すでにかれの最初の著書『ドイツ社会民主主義論』(前出)において,マルクスの思想をきわめて同情的に,しかし同時に冷静な批判をも加えて,論評している。かれは,マルクスの社会的正義感に対しては基本的に共鳴し,更に,マルクスが社会改革の途を求めて,感傷に走らずに,資本主義経済の冷厳な分析を試みたことを賞讃する。しかし,他面,かれはマルクスにおけるへーゲルの遺産に対しては甚だしく懐疑的であり,さらに,ロシア革命後,権力イデオロギーとして教義化された「マルクス・レーニン主義」に対しては,終始徹底した批判を加えて来た。

5.平和思想

  いわゆる「戦争の哲学」や「平和の哲学」をラッセルに求めることはできない。かれにとって,戦争や平和は,哲学の問題ではなく,常識・道徳の問題であり,また,ある程度までは,科学の問題である。かれにとって,戦争はすべて悪であり,ごく例外的な場合(すなわち,より大きな悪を除くために戦争が不可欠の手段と考えられる場合)にのみ,正当化されうるものである(たとえば,第二次大戦における連合国軍側の武力行動)。しかし,原爆,つづいて水爆の出現によって,人類は全く新しい時代に突入した。今日では,あらゆる戦争が(人類の破滅の危険をはらむがゆえに)無条件に悪であり,戦争,特に核戦争の防止のために各国は可能なあらゆる措置を講ずべき義務を負う(最近数年間のラッセルの平和運動は日本でもよく知られているので,ここでは特にとりあげない)。

6.むすび

  ラッセルの哲学者としての本領はやはり認識論,論理学,数学基礎論などの分野にある。しかし,社会思想におけるかれの業績もそれにおとらぬほど重要である。日本の思想界が,明治中期以後今日にいたるまで,ドイツ観念論の強い影響のもとに発達して来た(マルクス主義もドイツ観念論の鬼子である)ことにかんがみ,ラッセルの思想がわが国で広く理解されることは,特に大きな意義をもつものと信ずる。