三浦俊彦の時空-電子掲示板(過去ログ2008年7~12月)

過去ログ索引

 無料掲示板は一定の件数を越えると削除されていきます。そこで、古い書き込みは、電子掲示板の「過去ログ」としてここに掲載します。(新しい記事から古い記事の順番となっています。)



Re: 初歩的な疑問です・・ Re:アフォリズムと予言 投稿者:報復絶倒 投稿日:2008年12月10日(水)23時04分10秒

  返信・引用
> No.2186[元記事へ]

> 報復絶倒さんへのお返事です。
>
> 全体論について一般的なことを補足しておきますと、
>
> 任意の文(自由変更を含まない、真理値を持つ文)Pについて、
> 空虚な量化を施し、
>
>  ∀xP
>  ∃xP
>
>  を作れます。
>  Pが真なら∀xPと∃xPは真、偽なら∀xPと∃xPは偽です。
>  ∀xPのxに任意のものを代入して、たとえば、
>
>  マリリン・モンローについて、P        という文が作れます。
>  たとえば、
>  マリリン・モンローについて、日本の首都は東京である。     は真です。
>
>  こうして、任意の命題が任意の個体について何事かを述べている(世界のすべては照応しあっている)、という全体論的解釈ができるわけです。

 φ様、補足ありがとうございます。なるほど確かにそういう方法なられっきとした論理式で全体論的な表現にも対応できますね。
 今回、市販の論理学の本でも解説されてないような(簡単すぎてか?)疑問の答えのみならず、色々と教えて頂きましてありがとうございました。


Re: 初歩的な疑問です・・・ Re:アフォリズムと予言 投稿者:φ 投稿日:2008年12月9日(火)02時42分11秒 

 返信・引用
> No.2185[元記事へ]

報復絶倒さんへのお返事です。

全体論について一般的なことを補足しておきますと、

任意の文(自由変更を含まない、真理値を持つ文)Pについて、
空虚な量化を施し、

 ∀xP
 ∃xP

 を作れます。
 Pが真なら∀xPと∃xPは真、偽なら∀xPと∃xPは偽です。
 ∀xPのxに任意のものを代入して、たとえば、

 マリリン・モンローについて、P        という文が作れます。
 たとえば、
 マリリン・モンローについて、日本の首都は東京である。     は真です。

 こうして、任意の命題が任意の個体について何事かを述べている(世界のすべては照応しあっている)、という全体論的解釈ができるわけです。


Re: 初歩的な疑問です・・ Re:アフォリズムと予言 投稿者:報復絶倒 投稿日:2008年12月 8日(月)22時08分48秒

  返信・引用
> No.2184[元記事へ]

>  どの式も、「本当は」世界全体について(無数の命題の真偽の可能性を)述べているにもかかわらずです。
>  aという文は(それ自体真理関数を含む分子分であってもよい)、
>  たとえば a∧(a∨x)という文(xにはあらゆる命題の連言または選言が代入される)を同時に発信していることになる、というわけです。
>  もちろんxは無視できます。
>
>  このように、隠れた変数を無数に設定できる全体論は、論理的同値が真理関数としての同一性を示すといったような「統一的解釈」のために重宝です。

φ様ありがとうございます。
自分は思考力が無いくせに細かいところが気になる性格でして、この疑問でもずっと悩んでいたのですけどそれがすっきりと解決しました。


Re: 初歩的な疑問です・・ Re:アフォリズムと予言 投稿者:φ 投稿日:2008年12月 8日(月)02時20分49秒

  返信・引用
> No.2183[元記事へ]

報復絶倒さんへのお返事です。

>
>  当該式の中にn(nは有限の値)種類の原始命題があったらそれらn個の命題の割り当てだけを考えればその全体の式の値も決まる。先のa∧(a∨b)とaの例ならaとbの2個の原始命題の割り当てを考えればどちらの式の値も決まるということですね。
>

 そうですね。
 どの式も、「本当は」世界全体について(無数の命題の真偽の可能性を)述べているにもかかわらずです。
 aという文は(それ自体真理関数を含む分子分であってもよい)、
 たとえば a∧(a∨x)という文(xにはあらゆる命題の連言または選言が代入される)を同時に発信していることになる、というわけです。
 もちろんxは無視できます。

 このように、隠れた変数を無数に設定できる全体論は、論理的同値が真理関数としての同一性を示すといったような「統一的解釈」のために重宝です。


Re: 初歩的な疑問です・・ Re:アフォリズムと予言 投稿者:報復絶倒 投稿日:2008年12月 7日(日)23時44分39秒

  返信・引用
> No.2182[元記事へ]

>  定義域は無限個でかまわないのではないですか。
>  しかし、命題論理の場合、表記に値する変数は有限個でしょうから(無限個ならば量化論理(述語論理)になりますね)

あっ、確かに無理に命題論理を使う必要はないですね。無限個の要素の定義域を扱いたければ述語論理で考えればいいだけの話だったのですね。命題論理に拘り過ぎて他の論理体系を使うという発想が思いつきませんでした。

> その有限個についてのみ定義域を表現すればよいだけでしょう。
当該論理式の全体の真偽に関係ある成分だけを定義域として抽出すればよいでしょう。
いかなる文も、どんなちっぽけな限定されたことを述べている文であっても、「本当は」無限の宇宙を
反映しているのだが、私たちはその文の真偽を左右する部分だけを主題化し簡略に理解せざるをえない、
というわけです。

 当該式の中にn(nは有限の値)種類の原始命題があったらそれらn個の命題の割り当てだけを考えればその全体の式の値も決まる。先のa∧(a∨b)とaの例ならaとbの2個の原始命題の割り当てを考えればどちらの式の値も決まるということですね。


Re: 初歩的な疑問です・・ Re:アフォリズムと予言 投稿者:φ 投稿日:2008年12月 7日(日)05時10分28秒

  返信・引用
> No.2180[元記事へ]

Re:学ぶものさん

 予言のつもりで書いたこともあったようななかったような。
 「――予言ほど回顧の対象として適したものはない――」

 Re:報復絶倒さん

>  しかしわからないことが出て来てしまいました。原始命題のというのは考えようと思えばいくらでも考えられますよね?となると全ての原始命題というのは無限にあることになり、当然その真理値の組も無限にある事になりますよね。命題論理で要素が無限にある定義域をどう扱うのか考えたらわからなくなってしまいました。
>  全ての原始命題というのが高々有限個なら問題ないはずなのですけど,「1は実数である」という原始命題の「1」の所だけを他の実数に置き換えた原始命題はそれこそ実数の数だけあるという例を考えただけでも有限個に収まらないことが言えてしまうし、どう考えればよいのかわかりません。
>

 定義域は無限個でかまわないのではないですか。
 しかし、命題論理の場合、表記に値する変数は有限個でしょうから(無限個ならば量化論理(述語論理)になりますね)、その有限個についてのみ定義域を表現すればよいだけでしょう。
 パルメニデスやヘーゲル、ウィリアム・ブレイク等々、「一粒の砂にも世界全体が反映されている」全体論的な見方は論理的に可能ですが、当該論理式の全体の真偽に関係ある成分だけを定義域として抽出すればよいでしょう。
 いかなる文も、どんなちっぽけな限定されたことを述べている文であっても、「本当は」無限の宇宙を反映しているのだが、私たちはその文の真偽を左右する部分だけを主題化し簡略に理解せざるをえない、というわけです。

>
> 外延についてのみ考える論理体系では互いに論理的同値であるということは互いに等しいとみなせ、同値な式同士を交換してもその前後で何も変わってないとみなせるのでそれらを好きに交換しても良いけど、内包について考える論理体系では互いに論理的同値であるからといって互いに等しいとは限らないので勝手に交換するのは許されない、と考えればよろしいでしょうか?
>

 それでよろしいのだと思います。
とくに表記そのものが問題になるような不透明な文脈では、論理的同値な式を置換できないのは当然でしょうし。

http://tmiurat.cool.ne.jp/hagaki.htm


アフォリズムと予言 投稿者:学ぶもの 投稿日:2008年12月 6日(土)21時30分39秒

  返信・引用
ちょっとまえに世間で怪我を”かいが”順風満帆を”じゅんぷうまんぽ”などと読む麻生語録が
話題になっていましたが
今思うと三浦さんのこのアフォリズムは順風満帆といかない麻生政権の現状を
予言していたのかもしれません。


>11/11 (日) 00:35 阿呆理詰日記88

>順風満帆といかないのはなぜ?
>  ①順風が吹いてくれないから。
>  ②帆の揚げ方を知らないから。
>  ③帆に穴があいているから。
>  ④どれが順風なのか見分けられないから。
>  ⑤いつも逆風になりかけてからやっと帆を揚げてるから。
>  ⑥帆が風を受ける道具とは知らなかったから。
>  ⑦じゅんぷうまんぽ、などと読んでいたから。

ばかばかしい書きこみですいません。


Re: 初歩的な疑問です・・ 投稿者:報復絶倒 投稿日:2008年12月 6日(土)15時37分10秒

  返信・引用
> No.2179[元記事へ]

 お返事ありがとうございます。

>  お望みなら、論理式a∧(a∨b)と論理式aの両方に、空虚な意味で、変数c、d、e、f、……が省略されていると考えてもかまいません。実際、世界には無数の原子命題があるのだから、いかなる論理式にも、明示化されていないすべての原子命題の真偽の選択肢への言及が潜伏していると考えるのは不自然ではありません。
>
>  定義域はすべての原子命題の真理値の組み合わせと考えるのが妥当でしょう。

なるほど、定義域を(明示化されていないものも含めて)全ての原始命題の真理値の組まで広げればどんな式のペアについて考える場合でも同値な式同士なら同じ関数同士であるといえますね。
 しかしわからないことが出て来てしまいました。原始命題のというのは考えようと思えばいくらでも考えられますよね?となると全ての原始命題というのは無限にあることになり、当然その真理値の組も無限にある事になりますよね。命題論理で要素が無限にある定義域をどう扱うのか考えたらわからなくなってしまいました。
 全ての原始命題というのが高々有限個なら問題ないはずなのですけど,「1は実数である」という原始命題の「1」の所だけを他の実数に置き換えた原始命題はそれこそ実数の数だけあるという例を考えただけでも有限個に収まらないことが言えてしまうし、どう考えればよいのかわかりません。

>  命題論理では様相演算子や認識演算子のような、内包的演算子を使わずに外延的にのみ話を進めますから、論理式の一部を同値な式に置き換えても全体の値は変化しませんね。
>  「太郎の信ずるところでは……」
>  とか、
>  「数学で以下のことが証明できる」
>  のような文脈では、当然、同値な式の置換ができるとはかぎりません。

外延についてのみ考える論理体系では互いに論理的同値であるということは互いに等しいとみなせ、同値な式同士を交換してもその前後で何も変わってないとみなせるのでそれらを好きに交換しても良いけど、内包について考える論理体系では互いに論理的同値であるからといって互いに等しいとは限らないので勝手に交換するのは許されない、と考えればよろしいでしょうか?


Re: 初歩的な疑問です・・ 投稿者:φ 投稿日:2008年12月 6日(土)00時40分59秒

  返信・引用
> No.2177[元記事へ]

報復絶倒さんへのお返事です。

>
>  論理式a∧(a∨b)は定義域{(1、1)、(1、0)、(0、1)、(0、0)}から
> 値域{1、0}への2変数真理関数であると考える事が出来ますし、論理式aも定義域{1、0}から値域{1、0}への1変数関数であると考える事が出来ますよね。この2つは定義域からして明らかに違う真理関数同士ですけど互いに同値変形可能な式同士でもありますよね。ということは、同値変形可能な式同士であっても互いに同じ真理関数を表しているとは限らないという事でしょうか?
>

面白い質問をどうもありがとうございます。

 報復絶倒さんの出された例は、「定義域からして明らかに違う真理関数同士」のように見えますが、それは表面上そう見えるだけです。
 つまり、じつは、定義域も同じです。真理関数として厳密に同じです。

 なぜならば、
 論理式aは、定義域{1、0}から値域{1、0}への1変数関数であるとだけ考える必要はなく、
 {(1、1)、(1、0)、(0、1)、(0、0)}から値域{1、0}への2変数真理関数であると考えることもできるからです。
 そして実際、論理式a∧(a∨b)と比べる場合は、論理式aについて(明示化されない隠れた変数)bをあえて無視することは不自然であり、論理式aにも、空虚な意味でではあるがbへの付値をあてがってやらねばなりません。
 論理式aはもちろん、明示されていないbが1でも0でも、いずれにしてもaの値だけによって全体の値が決まりますから、
 (1、1)→1、(1、0)→1、(0、1)→0、(0、0)→0
 という関数となります。
 定義域も値域も論理式a∧(a∨b)と同一です。

 逆に、どうしてもbを無視して考えたいというならば、同じ考えを貫いて、
 論理式a∧(a∨b)についてもbを無視すべきでしょう。
 もし無視できなければ、aとa∧(a∨b)は論理的同値ではありません。しかし、現に無視できるので(つまり、bの値にかかわらずaの値だけによって全体の値が決まるので)、論理式a∧(a∨b)は、定義域{1、0}から値域{1、0}への1変数関数であると考えることができます。
 定義域も値域も論理式aと同一です。

 お望みなら、論理式a∧(a∨b)と論理式aの両方に、空虚な意味で、変数c、d、e、f、……が省略されていると考えてもかまいません。実際、世界には無数の原子命題があるのだから、いかなる論理式にも、明示化されていないすべての原子命題の真偽の選択肢への言及が潜伏していると考えるのは不自然ではありません。

 論理式a∧(a∨b)についてはeまで考え、
 論理式aについてはgまで考える、というようなことをすれば、
 当然、両者の定義域は異なります。
 しかしそれは恣意的に設けられた相違ですよね。
 定義域はそろえて考えるのが自然です。

 というわけで、
 論理式a∧(a∨b)と論理式aに限らず、
 論理的に同値な式のペアは、同じ関数である(定義域、値域も含めて)と考えるべきでしょう。

 もう少し正確に言うと、
 同じ関数である(定義域、値域も含めて)と考えることのできる式どうしは、論理的に同値だということになります。
 定義域はすべての原子命題の真理値の組み合わせと考えるのが妥当でしょう。

>
>  それと、論理式の同値変形が許される根拠として置換定理(本によって呼び方が違うみたいですが)の事が書かれていたりするのですけどこの定理が言っていることは、ある式についてその一部の式をそれと同値な式に置き換えた結果出来る式は元の式と同値である、と言う事実であって同値な式同士だったら好きに置き換えても良いという許可を与えているわけではないですよね?
>  交換するのが許されているのは、命題論理では真理値の割り当てだけを問題にしていて、真理値について変化しないのなら式の形をどうしてもよいという考え方の下で話を進めていくからなのでしょうか?
>

 命題論理では様相演算子や認識演算子のような、内包的演算子を使わずに外延的にのみ話を進めますから、論理式の一部を同値な式に置き換えても全体の値は変化しませんね。
 「太郎の信ずるところでは……」
 とか、
 「数学で以下のことが証明できる」
 のような文脈では、当然、同値な式の置換ができるとはかぎりません。

http://tmiurat.cool.ne.jp/hagaki.htm


Re: ありがとうございます 投稿者:winef 投稿日:2008年12月 5日(金)22時56分21秒

  返信・引用
> No.2176[元記事へ]

>Fは、信念演算子、虚構演算子、許容演算子、検証可能性演算子、証明不可能性演算子、時刻演算子、等々、いろいろ。

いろんな演算子をくっつけて問題を記号化するのは面白そうですね。
『可能世界の哲学』のブックガイドで紹介されていた『決定不能の論理パズル』(スマリヤン)を、いま少しずつ読んでいます。同じ演算子がいろんな意味に解釈できることとか、いろいろ感心します。
そのうちヒューズ、クレスウェルにも挑戦できるといいのだけど…

どうもありがとうございました。


初歩的な疑問です・・ 投稿者:報復絶倒 投稿日:2008年12月 4日(木)23時27分0秒

  返信・引用
 はじめまして。以前から掲示板を度々拝見していましたが質問するのは今回が初めてです。どうかよろしくお願いします。

 論理学の教本を見ると命題論理の論理式は真理関数を表していると考える事ができると
書いてあったりするのですが、そうだとすると例えば

 論理式a∧(a∨b)は定義域{(1、1)、(1、0)、(0、1)、(0、0)}から
値域{1、0}への2変数真理関数であると考える事が出来ますし、論理式aも定義域{1、0}から値域{1、0}への1変数関数であると考える事が出来ますよね。この2つは定義域からして明らかに違う真理関数同士ですけど互いに同値変形可能な式同士でもありますよね。ということは、同値変形可能な式同士であっても互いに同じ真理関数を表しているとは限らないという事でしょうか?

 それと、論理式の同値変形が許される根拠として置換定理(本によって呼び方が違うみたいですが)の事が書かれていたりするのですけどこの定理が言っていることは、ある式についてその一部の式をそれと同値な式に置き換えた結果出来る式は元の式と同値である、と言う事実であって同値な式同士だったら好きに置き換えても良いという許可を与えているわけではないですよね?
 交換するのが許されているのは、命題論理では真理値の割り当てだけを問題にしていて、真理値について変化しないのなら式の形をどうしてもよいという考え方の下で話を進めていくからなのでしょうか?
 くだらない質問かもしれませんがどうかご教示下さい。


Re: ありがとうございます 投稿者:φ 投稿日:2008年12月 3日(水)18時48分19秒

  返信・引用
> No.2175[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

>
> ついでながら、その後の解説…「なぜなら、人間というものは(中略)互いに矛盾したことを、矛盾しているとは気づかずに同時に信ずることがしばしばだからだ」(『論理サバイバル』p109)…これはまさにその通りだなあとしみじみ実感します。いっそ「人間とは非論理的な動物である」と定義づけた方が早いんじゃないかと思うこともあったり。
>

Pと~Pはそのままでは矛盾しますが、
 何らかの演算子をかぶせて
 F(P) F(~P) とすれば、必ずしも矛盾はしないというわけですね。

 Fは、信念演算子、虚構演算子、許容演算子、検証可能性演算子、証明不可能性演算子、時刻演算子、等々、いろいろ。

 矛盾律のような論理的真理に関しては、
 ラッセル・クワイン流に「論理学は最も一般的な経験科学である」と捉えるよりも、
 通常の規約主義(「論理学は言語表現に関する形式科学である」)を取るのがよいように思います。


ありがとうございます 投稿者:winef 投稿日:2008年12月 3日(水)01時19分39秒

  返信・引用
> No.2174[元記事へ]

なるほど。やはり矛盾律を素直に受け取ればよいということですね。

『論理サバイバル』を読み返すと、「1+1=2」(001)に経験的真理と規約的真理の区別が登場していました。ここを混同しないことが大切なのですね。
矛盾も規約的な意味において成立しえないのだと納得できました。

それから、「ムーアのパラドクス」(048)の解説も参考になりました。
「Pではないと信じておりかつPだと信じている」は「論理的な矛盾」ではない……今回気になっていたのはこのあたりの問題だったのかもしれません。

ついでながら、その後の解説…「なぜなら、人間というものは(中略)互いに矛盾したことを、矛盾しているとは気づかずに同時に信ずることがしばしばだからだ」(『論理サバイバル』p109)…これはまさにその通りだなあとしみじみ実感します。いっそ「人間とは非論理的な動物である」と定義づけた方が早いんじゃないかと思うこともあったり。

>現代論理学において矛盾に積極的情報価値を認めようという立場(矛盾から恣意的な何でもかんでもが導出されることはないとする立場)は、 Paraconsistent logic なる分野で研究されていて、Graham Priestがその系統のいい本を何冊か書いています。

なるほど、そういう分野もあるんですね。
検索していくつか説明を読んでみました。人生いろいろ(?)、公理系もいろいろですね。興味深いです。

どうもありがとうございました!


Re: 矛盾は成立しえない? 投稿者:φ 投稿日:2008年12月 1日(月)01時36分56秒

  返信・引用
> No.2173[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

>
> そう考えると、この現実世界においては「論理的な意味での矛盾はどこにもない」と断定していいのでしょうか?
> 私たちが暮らす世界全体をひとつの集合だと考えると、「そこに矛盾はない」、なぜなら「現実に成立不可能な命題が少なくとも1つ(実際には無数に)あるからである」…このような推論は問題なく成り立つのでしょうか。
>

 成り立つと言うべきでしょう。
 というより、矛盾は、定義上、実在においては成立しえないものでしょう。
 実在の表現の中では、矛盾が生じたり生じなかったりしますが、もし矛盾が生じたら、実在の正しい表現ではなかった、と判明することになります。
 矛盾は、あくまで表現において生ずるものであり、
 実在において矛盾が生じている、ということは不可能です。
 実在において矛盾が生じているとしたら、そのように認識した認識システムのどこかに故障があるか、「矛盾」の意味がわかっていないか、いずれかだということになるでしょう。

 もちろん、表現される対象について矛盾を認めるかのような弁証法論理学のようなものもありますが、結局は表現そのものの矛盾についてしか述べることはできていないのではないかと思います。

 なんだか常識的な応答で申し訳ありませんが。

 現代論理学において矛盾に積極的情報価値を認めようという立場(矛盾から恣意的な何でもかんでもが導出されることはないとする立場)は、 Paraconsistent logic なる分野で研究されていて、Graham Priestがその系統のいい本を何冊か書いています。


矛盾は成立しえない? 投稿者:winef 投稿日:2008年11月30日(日)19時40分27秒

  返信・引用
こんにちは。この数日、「矛盾」について漠然と考えています。
特に「矛盾からはあらゆる命題が導出できる」という定理は不思議だなあと感じます。
(D∧~D)⊃A

この定理を適用した場合、現実世界全体を命題の集合だと考えると、「矛盾からあらゆる命題が導出」できます。一方で「あらゆる命題が成立すること」は現実にはありえません。
ということは、現実に不可能な命題が1つでもあるかぎり、「現実世界に矛盾はありえない」ということが結論付けられるということなのでしょうか。
~A⊃~(D∧~D)

日常の言語においては「矛盾」という概念は珍しくありません。
もし麻生総理が「年内に衆院を解散することはありえない」と発言しながら年内に衆議院の解散を行えば、これは発言と行動が矛盾していると言われます。
しかし「~Pと発言すること」と「Pを行うこと」自体は両立可能なので、論理的には矛盾とは言えなさそうです。
「アメリカは世界一優れた国である」と「アメリカは世界一ダメな国である」も、「優れた」と「ダメな」の基準が違っていれば矛盾とはいえないでしょう。

そう考えると、この現実世界においては「論理的な意味での矛盾はどこにもない」と断定していいのでしょうか?
私たちが暮らす世界全体をひとつの集合だと考えると、「そこに矛盾はない」、なぜなら「現実に成立不可能な命題が少なくとも1つ(実際には無数に)あるからである」…このような推論は問題なく成り立つのでしょうか。

もちろん、単純に矛盾律を採用するなら「この世界に矛盾はありえない」ことは自明なので、ここに書いたことは単なる同語反復でしかないようにも思えます。「可能ではないこと」が矛盾だとしたら、「可能ではないことは可能ではない」は当たり前でしょうし。
~(A∧~A)

すいません。くだらない質問かもしれませんが、もしよければ簡単でいいのでφさんの見解を教えていただけますでしょうか。


Re: ありがとうございました 投稿者:φ 投稿日:2008年11月21日(金)01時46分39秒

  返信・引用
> No.2171[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

なるほど、そういう経緯でしたか。

いい問題を出すもんですねえ。
そこらの大学院入試などよりよほど高度ですね。

>
> >「第98ラウンドまで一々待っているのは無駄だから、第1ラウンドだけで一挙に98ラウンドまで済ませたことにして、第2ラウンドを第99ラウンドということにしようではないか」とみんなが考えて、第99ラウンドでいっせいに「わかった」と言うことはありうるのではないか、と。
>

↑引用していただいたこの部分、誤記がありました(明白でしょうが)。
 誤 第99ラウンドでいっせいに「わかった」と言うことはありうるのではないか、と。
 ↓
 正 第2ラウンドでいっせいに「わかった」と言うことはありうるのではないか、と。


> そうそう。これも時間短縮が可能かどうかの「ワープ問題」として、侃々諤々の議論を繰り広げていた人たちもいましたよ。
>
>

 ほほう、そうでしたか。
 この短縮問題は、突っ込むとどんどん難しくなっていくような気がします。
 理屈ではそうなるが、実際には……、というあたり、「抜き打ち試験のパラドクス」に似ている気もしますね。

 何か面白いことを思いつかれたら、是非またご連絡ください。楽しみにしています。


ありがとうございました 投稿者:winef 投稿日:2008年11月21日(金)00時32分29秒

  返信・引用
φさん

お忙しい中、いろいろと質問に答えてくださり有り難うございました。

この問題に興味を持ったのは、googleの入社試験にこれのバリエーション問題が出題されているという話題をネット上のコミュニティーで見かけたのがきっかけです。
まあもちろん、googleの入社試験ということでいえば、○か×かの正答を導くというより、広い意味での柔軟な発想が求められているのかもしれませんが。

有名な問題ということもあり、数学的帰納法でいったん解答を導くまでには、そんなに時間はかかりませんでした。
だけどその後、「反実仮想で仮定するってどういうことだろう?」とか「人物の同一性は?」とか考え出すと、とたんに悩ましくなってしまったり…

φさんに質問させていただくことで、そのあたりの考え方がスッキリ整理できました。

>「第98ラウンドまで一々待っているのは無駄だから、第1ラウンドだけで一挙に98ラウンドまで済ませたことにして、第2ラウンドを第99ラウンドということにしようではないか」とみんなが考えて、第99ラウンドでいっせいに「わかった」と言うことはありうるのではないか、と。

そうそう。これも時間短縮が可能かどうかの「ワープ問題」として、侃々諤々の議論を繰り広げていた人たちもいましたよ。

いろいろありがとうございました。
ご著書も、少しずつですが、もっと読んでみたいなと思っています。


Re: 同一性の問題2 投稿者:φ 投稿日:2008年11月19日(水)01時20分3秒

  返信・引用
> No.2169[元記事へ]

winefさんへのお返事です。


>
> (1)同時に存在して、互いに矛盾した性質を持つ物は、互いに別々の物である。
> (2)別々の物が同時に同じ空間を占めることはできない。
>
> 「(1)を認めた以上は、(2)を放棄しなければならない」・・・ちょっと狐につままれたような気もしますが、別々の存在を許容することで矛盾を回避できるというのはとても面白いなと思いました。
>

そうですね、「1001匹の猫のパラドクス」との類縁性に気づかれたのは正解ですね。

普通は、時空的に同じ場所を占めるものはたった一つと考えて、多重の存在性は無視しますが(猫もあえて1001匹と数える理由はありませんが)、問49 スマリヤンのパラドクス や 問50 影のパラドクス のような難局においては、複数存在の並存を考えるべき強い理由が生ずることになります。「知らぬは亭主ばかりなり」も、そういった難局の一つと言えそうです。

>
> こちらの多重想定の解答では「多重想定の中の人物」と「現実の人物」が場所と振る舞いを共有することがポイントになっています。
> だとすると、問題設定が100人の場合なら第98ラウンドまでは何も起こらないことが「現実の人物」について自明であることから、「多重想定の中の人物」についても自明になりそうです。
> いずれにしても論理は無時間的なので、推論者aとしては「泥顔が99人」と「泥顔が100人」の2つの可能性だけを考えればいい、つまり、第1~第98ラウンドまでは自明なことをわざわざチェックする必要はないというように考えておいて問題ないでしょうか。
>

 そのとおりですね。
 第98ラウンドまではよそ見していても、マンガを読んでいてもよいのです。どうせ誰も「わかった」と言いはしないのだから。
 第99ラウンドにおいて、初めて「わかった」が言われるかどうかに注目することになります。
 すると疑問が生じそうです。
 「第98ラウンドまで一々待っているのは無駄だから、第1ラウンドだけで一挙に98ラウンドまで済ませたことにして、第2ラウンドを第99ラウンドということにしようではないか」とみんなが考えて、第99ラウンドでいっせいに「わかった」と言うことはありうるのではないか、と。

 しかしこれはありえません。
 全員が同じような推論をして「第98ラウンドまでは何も起こらない」と全員が思っている、という知識は、問題の外にいる私たちの知識であって、問題設定内にいる100人の泥顔は「全員が同じような推論をして「第98ラウンドまでは何も起こらない」と全員が思っている」とは思っていないからです。
 aの目からしてbは、「第97ラウンドまでは何も起こらない。ただし第98ラウンドでは身構えなくちゃ」と思っているかもしれないからです。
 では全員が「全員が同じような推論をして「早くとも第97ラウンドまでは何も起こらない」と全員が思っている、という知識」を持っているでしょうか。
 これもダメです。なぜなら、aの目からしてbは、cが「第96ラウンドまでは何も起こらない。ただし第97ラウンドでは身構えなくちゃ」と思っていると思っているかもしれないからです。
 ……等々。

 こうして、自分が泥顔かどうかがわからないかぎり、全員が自分は「第98ラウンドまでは何も起こらない」と確信しつつも、他者がそれ以前のラウンドに身構えている可能性(の可能性の可能性……)を考慮に入れねばならないため、全員がじっと第99ラウンドまで待つことは不可欠だということになります。

 誰かがあらかじめ声に出して自分の視界を報告してしまわない限り(これは暗黙に禁じられている)、100人の暗黙の同意によってラウンドを短縮する方法はないのではないでしょうか。
 一見、かなり不思議な論理ではありますが……。


同一性の問題2 投稿者:winef 投稿日:2008年11月18日(火)01時11分10秒

  返信・引用
なるほどなるほど。
「多重想定の中の人物」と「現実の人物」を別人だと割り切って考えてしまえば矛盾は生じないということですね。この思考はラディカルで、とても新鮮に思えます。

本日『論理パラドクス』を初めて購入したのですが(これでシリーズ3冊揃いました!)、051「1001匹の猫のパラドクス」でも同様の考え方が登場しますね。

(1)同時に存在して、互いに矛盾した性質を持つ物は、互いに別々の物である。
(2)別々の物が同時に同じ空間を占めることはできない。

「(1)を認めた以上は、(2)を放棄しなければならない」・・・ちょっと狐につままれたような気もしますが、別々の存在を許容することで矛盾を回避できるというのはとても面白いなと思いました。
「同一性の問題」は一筋縄ではいかない難問だと思いますが、今後は、ここで教えていただいた考え方がひとつの基準になりそうです。

いろいろ教えていただき、大変感謝しております。
そろそろ引き上げようと思うのですが、最後に一点だけ質問させてください。

こちらの多重想定の解答では「多重想定の中の人物」と「現実の人物」が場所と振る舞いを共有することがポイントになっています。
だとすると、問題設定が100人の場合なら第98ラウンドまでは何も起こらないことが「現実の人物」について自明であることから、「多重想定の中の人物」についても自明になりそうです。
いずれにしても論理は無時間的なので、推論者aとしては「泥顔が99人」と「泥顔が100人」の2つの可能性だけを考えればいい、つまり、第1~第98ラウンドまでは自明なことをわざわざチェックする必要はないというように考えておいて問題ないでしょうか。


Re: 同一性の問題 投稿者:φ 投稿日:2008年11月17日(月)00時40分17秒

  返信・引用
> No.2166[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

 なるほど、考察すべきことがまだあることに気づかされました。
 ありがとうございます。
 まだまとまっていないのですが、暫定的に私の考えを示しておきましょう。

 一つの考え方は、

 …………
 aの中のbと、現実のbとは、同一人物ではない
 aの中のbの中のc と現実のcとは同一人物ではない
 以下、同様で、
 aの中のbの中のcの中の……100人目 と現実の100人目とは同一人物ではない
 …………

 開き直ってそう考えてしまえば矛盾はなくなりそうです。
 (aの中のbと、現実のbとは、同一人物だとしても問題ありませんが、c以下の多重想定と合わせて一般化するために、aの中のb と 現実のbも同一人物でないとしておきましょう)

 背理法的前提「aは素顔である」「aの中のbは98の泥顔を見る」「aの中のbの中のcは97の泥顔を見る」……「aの中のbの中の……99人目は一つの泥顔を見る」「aの中のbの中のcの中の……100人目は、泥顔を見ない」をまず採用します。
 それらは現実のb~100人目とは別人なので、aの「c~100人目はみな98以上の泥顔を見ているはず」等々の認識とは矛盾しません。

 しかし、aの中のbの中のcの中の……100人目は、現実の100人目と同じ振る舞いをするのです(aから見て)。その2人の100人目は、aの視点からは物理的に同じ場所にいるので、そういうことになるのです。100人目だけでなく、b~99人目についても同様です。

 さて、現実の100人目は、第1ラウンドで何も言いませんでした。
 ということは、aの中のbの中のcの中の……100人目も、何も言わなかったのです(振る舞いは一致しているはずなので)。
 このことは、aの中のbの中のcの中の……100人目は、泥顔を少なくとも一つ見ていたことを示します(多重想定の中の人物も現実の人物と同様の合理性と共通知識を持つので)。
 aの中のbの中のcの中の……99人目は、自分の中の100人目が何も言わなかったことから、自分が泥顔であることを知ったはずです。なぜなら、aの中のbの中のcの中の……99人目にとっての現実では、98人目以前はみな素顔なので、彼の中の100人目が見ていた泥顔とは99人目自身でしかありえないからです。彼は第2ラウンドで「わかった」と言うはずです。
 さて、現実の99人目は、第2ラウンドで何も言いませんでした。
 つまり、aの中のbの中のcの中の……99人目も、何も言わなかったのです。
 このことは、aの中のbの中のcの中の……99人目は、泥顔を少なくとも2つ見ていたことを示します(彼にとって98人目以前はみな素顔、というわけではなかったのです)。
 aの中のbの中のcの中の……98人目は、自分の中の99人目が何も言わなかったことから、自分が泥顔であることを知ったはずです。なぜなら、aの中のbの中のcの中の……98人目にとっての現実では、97人目以前はみな素顔なので、彼の中の99人目が見ていた泥顔とは、100人目以外には98人目自身でしかありえないからです。
 彼は第3ラウンドで「わかった」と言うはずです。
 さて、現実の98人目は、第3ラウンドで何も言いませんでした。
 つまり、aの中のbの中のcの中の……98人目も、何も言わなかったのです。
 このことは、aの中のbの中のcの中の……98人目は、泥顔を少なくとも3つ見ていたことを示します(彼にとって97人目以前はみな素顔、というわけではなかったのです)。
 aの中のbの中のcの中の……97人目は、自分の中の98人目が何も言わなかったことから、自分が泥顔であることを知ったはずです。なぜなら、……
 ……と続けていって、
 ……現実のcは、第98ラウンドで何も言いませんでした。
 つまり、aの中のbの中のcも、何も言わなかったのです。
 このことは、aの中のbの中のcは、泥顔を少なくとも98個見ていたことを示します。
 aの中のbは、自分の中のcが何も言わなかったことから、自分が泥顔であることを知ったはずです。なぜなら、aの中のbにとっての現実では、aは素顔なので、彼の中のcが見ていた泥顔とは、100人目~d以外にはb自身でしかありえないからです。
 さて、現実のbは、第99ラウンドで何も言いませんでした。
 つまり、aの中のbも、何も言わなかったのです。
 このことは、aの中のbは、泥顔を少なくとも99個見ていたことを示します。
 aは、これで自分が泥顔であることを知ります。なぜならaにとって、彼の中のbが見ていた泥顔とは、100人目~c以外にはa自身でしかありえないからです。
 こうして、a自身が自ら泥顔であることを悟ります。
 第100ラウンドで、100人の泥顔が「わかった」と言います。
さて、
 「aの中のbの中のcの中の……100人目は、泥顔を少なくとも一つ見ていたことを示します。」~「aの中のbの中のcは、泥顔を少なくとも98個見ていたことを示します。」
 は、aにとっては始めから自明のようにみえるので、
 始めの背理法的前提「aの中のbの中のcは97の泥顔を見る」~「aの中のbの中のcの中の……100人目は、泥顔を見ない」
 は全くのナンセンスのように感じられますね。
 しかし、
   aの中のbの中のc ≠ 現実のc
 なので、背理法的前提は、経験的観察と矛盾したことを仮定していたわけではありません。aの中のbの中のc と 現実のcとは、場所と振る舞いは共有するが、心的内容(見ている泥顔の数)までも共有するとはかぎらないからです。そして心的内容は振る舞いから推測することしかできないので、aの中のbの心については、aの中のbの振る舞い=bの振る舞い が認識されるまでは、通常、誰にもわからない、というわけです。
 (想定が一段階であれば、環境の共有から、経験的知覚に限れば想定内人物の心もわかるが、多重想定内人物となると、振る舞いを見るまではわからないのでは)
(↑この理由は、もっと詰める必要がありそうです)。

 winefさんの心配
>
>仮定δ、ε、ζ、η、θ…と多重想定していっても、
>それは現実のd、e、f、g、h…とは同一人物とはいえないので
>

 を逆用するわけです。

 それこそが、謎解決のカギではないでしょうか?
          (別の考え方もできるかもしれませんが……)


↓訂正です 投稿者:winef 投稿日:2008年11月16日(日)12時09分50秒

  返信・引用
訂正です。失礼しました。

【誤】
仮定α、β、γを採用し、「aの想定するbの想定するc」が「b=泥顔」だと思う時点で

【正】
仮定α、β、γを採用し、「aの想定するbの想定するc」が「b=素顔」だと思う時点で


同一性の問題 投稿者:winef 投稿日:2008年11月16日(日)12時04分20秒

  返信・引用
人数を一般化しても成立することはよくわかりました。ありがとうございます
一ヶ月ぐらいあれこれ考えていたので、かなり気分が晴れました。

…といいつつ、やはり「人物の同一性」が気になってしまいます。
自分で考えていたときに一番悩ましかったのがこの部分なんです。

a、b、cがそれぞれ仮定α、β、γを採用したとします。
このとき「aが想定するbが想定するc」は「b=素顔」だと認識します。
一方、現実のcが「b=泥顔」だと認識していることは、aにとって自明です。
この2人のcを同一人物だとすると、cはbが「素顔かつ泥顔」だと認識することになり、これは矛盾だと思えるのです。
もちろん、a、b、cは任意の泥顔ですが、メンバーの誰を持ってきても、ここで同一性の問題が生じる気がします。

ちょっと設定を変更して、ある友達同士のグループ(a、b、c、d、e…)があるとします。
b君は「cさんが自分に恋愛感情を抱いているのではないか」と思っているようです。しかし、cさんがb君に恋愛感情を抱いていないことはb君以外の全員が知っています。

このとき、「a君の想定するb君の想定するcさん」は「b君を恋愛対象と考えている」かもしれません。
一方、現実のcさんが「b君を恋愛対象とは考えていない」ことはa君にとって自明です。
この場合、a君からすれば、cさんの行動を判断する際には現実のcさんだけを見れば十分だと思われます。「a君の想定するb君の想定するcさん」が「b君を恋愛対象と考えている」というのは間違った情報だとして、その時点で却下されるべきなのではないでしょうか。

泥顔と素顔の問題に戻ります。
仮定α、β、γを採用し、「aの想定するbの想定するc」が「b=泥顔」だと思う時点で、これは現実のcとは別人になってしまう。だから、aとしては、その想定が間違いだと判断することができる。
もちろん、そこから進んで仮定δ、ε、ζ、η、θ…と多重想定していっても、それは現実のd、e、f、g、h…とは同一人物とはいえないので、aが合理的に推論するかぎり、間違った想定は却下すべきだ。
…というふうには考えられませんか。

それとも、これは反実仮想なのだと割り切って、最初にN=1を仮定する解き方と同じだと考えればいいのでしょうか。

余談ですが、この問題についてあれこれ考えるうちに、様相論理に興味を持つようになりました。現時点では、何冊かの本で概説的なことを読んだだけですが、これからもう少し詳しく学びたいと思っているところです。
この分野についてもう少し自分の理解が深まれば、クリアに解決するのではないかと思ってみたりも…


Re: なるほど!「つねに2つの可能性」ですね 投稿者:φ 投稿日:2008年11月15日(土)02時51分13秒

  返信・引用
> No.2164[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

> (1)『心理パラドクス28』について
>
> 仮定α、β、γというのは、太郎、和雄、哲治の3人の頭の中を順番に辿っていく解き方です。
> 一方、今回、数学的帰納法の証明を行ったような順序でN=1,N=2,N=3と辿って考えても正答が得られそうです。
>

 そうですね、たしかに方向が逆のような感じですか。
(1)と(2)はいっしょにお答えしたほうがよさそうですので、以下にまとめます。

>
> (2)N=100人の場合
>
> 数学的帰納法でN=1を想定する場合の考え方について。
>
> 仮定α、仮定β、仮定γ、仮定δ……と各メンバーの頭の中を辿っていく、つまり「aの考えるbの考えるcの考えるdの考える……(99人続く)」と考えて、100人のうち1人だけが泥顔の場合を想定する。
> ↑
> この考え方は正しいのでしょうか。それとも間違いになりますか。
>

 aには99人の泥顔が見えているのですから、「bの目には98人より少ない泥顔が見えていることはない」とaにはわかりますね。そしてaの想定の中のbの想定の中では、cは「97人より少ない泥顔を見ていることはない」ということがbにわかり、aの想定の中のbの想定の中のcの想定の中では、dは「96 人より……」となり、ずっと辿って、99重想定の中の百人目では「0人より少ない泥顔を見ていることはない(=泥顔が見えていない=第1ラウンドで「わかった」)」となるわけですね。

 ただしここでaを特定したとしても、対称性によりb、c、d……は特定されない任意の泥顔のはずなので、「人物の同一性」の問題は生じないのではないかと思います(ただしこれは要考察かも)。
 もうひとつ、多重想定の中での泥顔の数は、98人より少なくなった時点でaにとって非現実的になりますが、これは完全に反実仮想の論理に入っているので、98ラウンドまで誰も「わかった」と言わないことをあらかじめ確信しているaとしては問題ないのではないでしょうか。

 けっこう込み入っていますね。従って、winefさんの次の推察は正しいと思います。

> 私の考えでは…
>
> (1’)
> 問題設定が3人だと2通りの解答が考えられるが、前者(仮定α、β…)の方が理解しやすい。
>
> (2’)
> しかし問題設定が4人以上で同じ解き方をしようとすると、現実のメンバーを想定しながら、反実仮想の領域に入り込んでいくように思える。すると「aの考えるbの考えるcの考えるdの考えるeの考える…」って何なんだ? という別の問題が生じてくる。
> 4人以上の場合は、N=1から解答を構成していく方法(数学的帰納法)がいい。

 ↑その通りでしょう。
 数学的帰納法だとaの想定はこうなります↓

■泥顔が少なくとも一人いるって? ふむ、ではまずN=1だとどうなるかな? うむ。そのひとりの泥顔には泥顔が見えないのだから、当然第1ラウンドで「わかった」と言うよな。もちろん俺の目からするとN=99または100なのだからN=1は非現実的で、どうせ第1ラウンドで「わかった」というやつはいないけどね。推論の都合上N=1の反実仮想をしてみたのだ。
■N=2だとどうなるかな? うむ。そのふたりの泥顔が第2ラウンドで「わかった」と言うよな。もちろん俺の目からするとN=99または100なのだからN=2は非現実的で、どうせ第2ラウンドで「わかった」というやつはいないけどね。推論の都合上N=2の反実仮想をしてみたのだ。
  ………………
■N=98だとどうなるかな? うむ。その98人の泥顔が「わかった」と言うよな。もちろん俺の目からするとN=99または100なのだからN=98は非現実的で、どうせ第98ラウンドで「わかった」というやつはいないけどね。推論の都合上N=98の反実仮想をしてみたのだ。
■N=99だとどうなるかな? うむ。その99の泥顔が「わかった」と言うよな。さて、俺の目からするとN=99または100なのだからN=99は現実的な想定だぞ。第99ラウンドで「わかった」とあいつら全員が言うかもしれないぞ。もし言ったら、第100ラウンドで俺は「わかった。俺は素顔だ」と言えばいいよな。
■お。誰も「わかった」と言わなかったぞ。ということはN=100なのだな。俺が泥顔の一員なのだ。それでN=100になる。よし、次のラウンド、「わかった」と言うぞ。

 ↑これのほうが遥かにわかりやすいですね。
 前回私は、

> 数学的帰納法の証明は無時間的(諸可能世界として一挙に与えられる)

 ということを強調しましたが、推論プロセスが十分素早ければ実際順々に推論をやっていっても別段問題ないようです。

 したがって、winefさんの推察どおり、一般的には数学的帰納法のほうが優れていることになります。
 想定の中の想定の……という考え方は、N=3の場合のような単純な場合は直観的にいっそうアピールしますが、一般的には、泥顔の他に素顔も混じっているという問題になりますから、それをも解決するためには数学的帰納法がよいでしょう。

 哲学的には、想定内想定内想定の(仮定α、β……)方式における人物同定の認識論理学をを考えてみるのも面白いでしょうね。
 ただしそれは、「知らぬは亭主ばかりなり」にわざわざ関連させて考える必要はなく、もっと単純明快な設定でやったほうがよさそうかもしれませんね。


なるほど!「つねに2つの可能性」ですね 投稿者:winef 投稿日:2008年11月15日(土)01時50分55秒

  返信・引用
なるほど! 頭のモヤモヤが晴れてきました。

●実際に考えなければならないのはつねに2つの可能性だけ
●数学的帰納法の証明は無時間的(諸可能世界として一挙に与えられる)

この2点がポイントなんですね。
それを踏まえて、『心理パラドクス』28「知らぬは亭主ばかりなり」の解答との関係を確認させていただいていいでしょうか。

『心理パラドクス』では、仮定α、仮定βという2段階の手続きを踏んでN=1の場合を想定しています。ここで確認したい点が2つあります。

(1)『心理パラドクス28』について

仮定α、β、γというのは、太郎、和雄、哲治の3人の頭の中を順番に辿っていく解き方です。
一方、今回、数学的帰納法の証明を行ったような順序でN=1,N=2,N=3と辿って考えても正答が得られそうです。

両者は基本的に同じ解き方ですが、相違点もありそうです。
前者の場合、太郎の考える和雄の頭のなかで「哲治の妻だけが不倫」という可能性が現実に想定されています。一方、後者は一般論としてN=1,2、3の場合の規則を導く解答だといえそうです。

これは、両方の解答が成立すると考えて問題ないでしょうか。
(もっとも、こちらの問題ではラウンドの設定がなく、また、和雄の頭の中をイメージする方が理解しやすいことから、前者の方が良質な解答だと思いますが)

(2)N=100人の場合

数学的帰納法でN=1を想定する場合の考え方について。

仮定α、仮定β、仮定γ、仮定δ……と各メンバーの頭の中を辿っていく、つまり「aの考えるbの考えるcの考えるdの考える……(99人続く)」と考えて、100人のうち1人だけが泥顔の場合を想定する。

この考え方は正しいのでしょうか。それとも間違いになりますか。

私の考えでは…

(1’)
問題設定が3人だと2通りの解答が考えられるが、前者(仮定α、β…)の方が理解しやすい。

(2’)
しかし問題設定が4人以上で同じ解き方をしようとすると、現実のメンバーを想定しながら、反実仮想の領域に入り込んでいくように思える。すると「aの考えるbの考えるcの考えるdの考えるeの考える…」って何なんだ? という別の問題が生じてくる。
4人以上の場合は、N=1から解答を構成していく方法(数学的帰納法)がいい。

質問が増えて申し訳ありません。
この2点がクリアになるとかなりスッキリしそうです。ご多忙のところ恐縮ですが、もう少しだけお付き合いいただけますでしょうか。


つねに2つの可能性 投稿者:φ 投稿日:2008年11月14日(金)01時30分8秒

  返信・引用
> No.2161[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

>
> 私は単純に論理的な正答について質問したつもりでした。が、φさんのおっしゃるとおり哲学的な疑問なのかもしれません。
>

 そうですね、私もちょっと考え直してみたところ、winefさんの疑問は、純粋に数学的帰納法の論理についての疑問のようですね。

 そして、winefさんの疑問は、さいわい、杞憂であるように思います。
 理由は以下のとおりです。

 N=3の場合には、第3ラウンドで泥顔3人が「わかった」と言うことについては、winefさんも同意なわけですね。

 N=3の場合、どの泥顔も、次の二つの可能性を心に抱いています。
 ① N=3。すなわち自分は泥顔である。
 ② N=2。すなわち自分は素顔である。

 (素顔は、①N=3と、③N=4の可能性を心に抱きますが、ここではさしあたり泥顔の視点だけ考えましょう)

 可能性②の場合には、すでに数学的帰納法の基礎として、第2ラウンドで泥顔がみな「わかった」と言うことが確かめられています。さて、第2ラウンドでみな黙っていたことにより、②の可能性が消えました。結果、①の可能性が残り、泥顔は第3ラウンドに「わかった」と言うことになります。

 まったく同じ理屈が、N=4の場合にも成り立ちます。
 N=4の場合、どの泥顔も、次の二つの可能性を心に抱いています。
 ① N=4。すなわち自分は泥顔である。
 ② N=3。すなわち自分は素顔である。

 可能性②の場合は、すでにN=3の場合の考察により、第3ラウンドで泥顔がみな「わかった」と言うことが確かめられています。さて第3ラウンドでみな黙っていたことにより、②の可能性が消えました。結果、①の可能性が残り、泥顔は第4ラウンドに「わかった」と言うことになります。

 一般に、N=kの場合、どの泥顔も、次の二つの可能性を心に抱いています。
 ① N=k。すなわち自分は泥顔である。
 ② N=k-1。すなわち自分は素顔である。

 可能性②の場合は、すでにk-1の場合の考察(実際に考察した必要はなく、数学的帰納法で証明済みであれば十分)により、第k-1ラウンドで泥顔がみな「わかった」と言うことが確かめられていますから、第k-1ラウンドでみな黙っていたことにより、②の可能性が消えます。結果、①の可能性が残り、第kラウンドに「わかった」と言うことになります。

 このように、【実際に考えねばならない】のはつねに2つの可能性だけなのです。
 N=100 の場合は、

 ① N=100 すなわち自分は泥顔。
 ② N=99  すなわち自分は素顔。

 だけを考えればよいことになります。
 N=1やN=2の場合に遡って考える必要はありません。
 それらの場合は数学的帰納法の論理の中で現われるだけで(言葉を換えれば、可能世界として登場しているだけで)、眼前の現実は99人の泥顔が見えているわけですから、①と②の可能性だけに絞ります。
 これでwinefさんの心配は消えたのではないでしょうか。

 数学的帰納法の論理によって(証明で用いられた諸場合は論理的に無時間的なので、言葉を換えれば諸可能世界として一挙にすべての場合が与えられているので、改めて基礎から想定し直す必要はない)、N=99のときに第99ラウンドで泥顔全員が「わかった」と言うことはわかっています。
 よって、第99ラウンドの沈黙のあと、可能性は初めて一つに絞られ、第100ラウンドで泥顔は自分の見ている泥顔の数+1のラウンドに達したがゆえに「わかった」というのです。

 第99ラウンドより前には、誰かが「わかった」という可能性はありません。誰にも①と②のいずれが真なのか特定できないからです。沈黙だとわかっている第99ラウンド以前のことは、何も悩まなくてよいのです。
 N=1やN=2の場合というのは第1ラウンドや第2ラウンドの問題ですが、どうせ沈黙なのですから、数学的帰納法で(無時間的に)証明済みのステップとして無視していればよいのですね。

 というわけで、

> この場合、N=1、2の場合の証明は現実に即したものではなくなるように思えます。メンバーの誰1人として想定する余地のない反実仮想になるのではないでしょうか。
>

 すでに見たように、反実仮想のままでよいというわけです。現実の選択肢には入りません。論理の中に登場するだけです。

>
> マラソンでいえば、42.195kmをちゃんと走らずタクシーに乗ってゴールに着いてしまったような後味の悪さがあります。
>

時間をかけて順々にドミノ倒ししたイメージからすれば後味悪いですが、論理は無時間的なので、人間がドミノ倒ししようがしまいが、N=99のときに第99 ラウンドで泥顔が「わかった」と言うことは決定しています。それを利用して、後件が実現しなかったことから背理法により、第100ラウンドで「わかった」と言うことになります。

 ↑
 以上は、数学的帰納法一般の論理であって、
 泥顔のパラドクスに特有の問題が含まれているかどうかは検討の余地有りかもしれません。

 「山のパラドクス」や「抜き打ち試験のパラドクス」の場合は、「合理性」「確信」や「概念の曖昧さ」といった別の問題が入り込んで、数学的帰納法が一見正しくないかのような外観を呈しました。

 「知らぬは亭主ばかりなり」の場合はどうでしょうか。
 これは実際にN人の泥顔+X人の素顔を使ってシミュレーションしたとしても特に矛盾は起こらず、理論どおりの結果になるでしょう(実験参加者がみな合理的に推論しさえすれば)。つまり実践的には「抜き打ち試験のパラドクス」のような不可解は生じないはずです。
 それで安心してよいかどうかは別ですが――


↓の投稿について 投稿者:winef 投稿日:2008年11月13日(木)23時26分19秒

  返信・引用
タイトルを打つ前に間違って投稿ボタンを押してしまいました。失礼しました。


投稿者:winef 投稿日:2008年11月13日(木)23時20分27秒

  返信・引用
丁寧なご返事ありがとうございます。
私は単純に論理的な正答について質問したつもりでした。が、φさんのおっしゃるとおり哲学的な疑問なのかもしれません。

ご回答いただいた数学的帰納法による証明はとても明快です。論理的な整理としては十分だと思います。私から欠点を指摘する箇所はありません。
またコモン・ノレッジについてはNHKブックス『確率的発想法』を参照し、大体のイメージを掴むことができました。ありがとうございます。

そのうえで、今回の用語に沿って疑問点を書いてみます。

定理の証明の第一段階において、N=1、2の場合の証明が登場します。
この証明自体は明快です。だけど、問題設定において泥顔の人数が増えたとき、この第一段階の証明が具体的、現実的に何を意味するのか、また、この証明を無条件に適用して第二段階に進んでもいいのかが、どうも腑に落ちません。

泥顔が3人のとき、つまりM=2のときは、特に問題ありません。
任意の泥顔aは、自分が素顔である可能性を想定できます。また、別の泥顔bの思考についてaが推測したときに、「aとbがともに素顔である」とbが考える可能性も、aは想定できます。
その結果、aの考えるbにとってN=1である可能性が生まれます。

一方、問題設定において泥顔が100人のとき、つまりM=99の場合だと、状況が違ってくるように思えます。
Aは99人の泥顔を見ています。同時に、残りの任意の泥顔が98人の泥顔を見ていることも知っています。
この場合、N=1、2の場合の証明は現実に即したものではなくなるように思えます。メンバーの誰1人として想定する余地のない反実仮想になるのではないでしょうか。

任意の泥顔aによる推論を、私は「木の枝」のようなイメージでとらえています。いわば「可能性の枝」です。
Aにとっては「自分が泥顔」「自分が素顔」両方の可能性がある。Bにとっても「自分が泥顔」「自分が素顔」両方の可能性がある。そういった可能性が枝状に広がっている。
しかし、第1ラウンド、第2ラウンドを経ても何も起こらないことで他の枝が切り取られ、最後に1本の枝が残る。つまり「自分が泥顔」だという事実が残る…というようなイメージです。

一方、たとえば問題設定が100人のときには、N=1とかN=2という「可能性の枝」は最初から存在しない。存在しないものを推論の根拠にして「M人の泥顔を見ている者は…」と一般化するのはどうもスッキリしないのです。
マラソンでいえば、42.195kmをちゃんと走らずタクシーに乗ってゴールに着いてしまったような後味の悪さがあります。

いかがでしょうか。


Re: 「知らぬは亭主ばかりなり」について質問です2 投稿者:φ 投稿日:2008年11月13日(木)03時20分38秒

  返信・引用
> No.2152[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

winefさんの疑問というのは哲学的なものですよね。
 想定内の想定内の想定内の……人物が、実在の人物と同一視されるべき根拠は? 等々。

 難しい問題です。
 哲学的問題を考える前段階として、論理的な整理をしておかねばなりませんね。

 永らく考えていなかった問題なので、「ところで数学的帰納法でどう証明するんだっけ?」と戸惑いました。そこで、まずは数学的帰納法の証明を一々書き下してみました。

 以下、短時間でオリジナル証明をでっち上げたので、必ずやおかしなところがあるかと思います。
 欠陥は御指摘いただき、ひとまず少なくとも論理的に問題ない証明を成立させてからのほうが、真打ちの哲学的議論に心置きなく入れるかと思います。
 まずはwinefさんの質問には直接対応していない段階から始まりますがご容赦ください。

 では、以下、証明(になっているか?)。
  (証明中、「共通知識」が効いてくる部分を ★ ★ ではさんであります)

 ……………………………………………………………………………

   「知らぬは亭主ばかりなり」
      (『心理パラドクス』第28問の一般化:証明)

Σ人のうち、N人が泥顔だとする。残りは素顔である。ただし、N≧1
Σ人全員が互いの顔を見ており、自分の顔は見えない(泥顔か素顔かわからない)。

ここで情報が与えられる。
情報P:「少なくとも一人は泥顔である」
これにより、次の共通知識が成立した。
共通知識C:「全員がPを知っており、そのことを全員が知っており、そのことを全員が知っており……(Σ回以上繰り返す)」

さて、各人は、自分が泥顔か素顔かがわかったら「わかった」と声に出して申告するよう求められる。(わからなければ「わかった」と言ってはいけない)
この申告は1日の終わる瞬間にだけ発することができ、他の全員に聞こえる。
申告できる1日1回の瞬間を「ラウンド」と呼ぶ。共通知識が与えられた日のその瞬間は第1ラウンド、翌日は第2ラウンド、等々。

定理:M人の泥顔を見ている者は、M+1ラウンドに「わかった」と言う。
   そしてそれ以前には言えない。
     ↓↓
N人の泥顔がいるので、どの泥顔も、自分以外のN-1人の泥顔を見る。よって、どの泥顔も、Nラウンドに初めて「わかった」と言う。
どの素顔も、N人の泥顔を見る。よって、どの素顔も、N+1ラウンドに初めて「わかった」と言う。

定理の証明:
 ■第1段階
 任意の泥顔をaとする。N=1のとき、aは0人の泥顔を見ているので、Pを真たらしめるためには自分が泥顔でなければならないとわかる。よって、第1ラウンドで「わかった」と言う。第1ラウンド以前に何も言えないことは自明である。
 任意の素顔をαとする。N=1のとき、αは1人の泥顔を見ているので、すでにPは真とわかっており、自分の顔については何もわからない。よって、第1ラウンドには何も言えない。さて、第1ラウンドでaが「わかった」と言った。★このことは、aが0人の泥顔を見ていたことを意味する(共通知識Cより)。こうしてαは自分が素顔であることを知り★、翌日、第2ラウンドに「わかった」と言う。
 N=2のとき、aは1人の泥顔を見ているので、すでにPは真であるとわかっており、自分の顔については何もわからない。よって、第1ラウンドには何も言えない。さて、第1ラウンドでもう一人の泥顔が何も言わなかったことをaは知っている。★これは、もう一人が少なくとも1人の泥顔を見ていたことを示している(共通知識Cより)。見られうる泥顔は自分の他にいないので、aは自分が泥顔であることを知り★、第2ラウンドで「わかった」と言う。
 αは2人の泥顔を見ているので、すでにPは真とわかっており、自分の顔については何もわからない。さて、第1ラウンドで泥顔が二人とも何も言わなかったので、依然として何もわからず、何も言えない。さて、第2ラウンドで二人が「わかった」と言った。★このことは、二人が、「もう一人に見られうる泥顔は自分の他にいない」と判断したことを示している(共通知識Cより)。こうしてαは自分が素顔であることを知り★、第3ラウンドに「わかった」と言う。

 以上、N=1、2のとき、定理が成り立つことがわかった。
 (N=1について示したのは不要かもしれないが)

 ■第2段階
 N=k≧2のとき、定理が成り立つと仮定する。すなわち、
 任意の泥顔をaとすると、aは第kラウンドに初めて「わかった」と言う。
 任意の素顔をαとすると、αは第k+1ラウンドに初めて「わかった」と言う。
 以上を仮定Hとする。
さて、N=k+1のときを考えよう。
 kラウンド以前にはまだ誰も「わかった」と言っていない。(ここは要証明?)
 aは、第kラウンドまでに誰も「わかった」と言わなかったことを知っている。
 ★このことは、N≠kであることを示している。(仮定Hの対偶、および共通知識Cより)
 ところで、aには、k人の泥顔が見えている(N=k)。N≠kであるためには、a自身が泥顔でなければならないとわかる★。こうして、aは第k+1ラウンドに「わかった」と言う。
 αは、第k+1ラウンドにaが(k+1人全員が)「わかった」と言ったことを知っている。
 ★このことは、彼らの目にk人の泥顔が見えていたことを示している(共通知識Cより)★。
 これは、泥顔が全部でk+1人しかいないことを意味する。よって、αは、自分が素顔であることを知り、k+2ラウンドに「わかった」と言う。
 以上で、定理がN=k+1のときに成り立つことがわかった。

 第1段階と第2段階を合わせると、数学的帰納法により、定理が証明できた。

定理:M人の泥顔を見ている者は、M+1ラウンドに初めて「わかった」と言う。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か6 投稿者:φ 投稿日:2008年11月13日(木)02時42分18秒

  返信・引用
> No.2156[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。


>
> 徳富蘇峰の戦争責任?
> そのようなことを言えば、日本人全体に戦争責任があることになりますよ。
>

 厳密な法的責任に絞るということですね。
 それだと事実の問題の議論に絞られて価値判断は排除されますね。単純な話しかできなくなるでしょうねぇ。
 私はどちらかというと、新聞やラジオの戦争責任、文学者や芸術家の責任、原爆を作った科学者の責任なども論じたいほうなので、ハムさん的捉え方は狭すぎるというか、つまらないんじゃないでしょうかとだけ言っておきましょう。

>
> 社長には管理監督責任があるというわけですが、天皇の場合はこの社長の責任もないのです。
> なぜかならば、天皇は立憲君主であって、審議のつくされた上奏は原則無条件裁可するしか選択がないからです。
>

 察するところ、
 ハムさんはこれまで、2つの間違いを犯してきていると思われます。

 一つは、絶対君主か立憲君主かという2分法に頼っているらしいこと。
 絶対君主(あるいは専制君主)でさえなければ全く潔白無垢で戦争責任なし、ということにはなりません。
 東条英機は独裁者でなかったのだから戦争責任はない、という説が通用しないのと同じです。

 立憲君主にもいろいろ段階があるでしょう。現代の天皇は、たとえいま自衛隊が侵略戦争を始めたとしても全く責任がないでしょうね。しかし、明治天皇や昭和天皇に戦争責任がないというのは無理な話でしょう。
 立憲君主というのは、単に法に服する範囲で権限をふるう君主であって、単なる傀儡という意味ではありません。
 裕仁天皇は統帥権を持ち、ときに超法規的な勅令を発することができたのですから、いかに内閣や議会によって制限されたにしても、個人としては首相をはるかに凌ぐ最大の権威と権力をふるったのですから責任がないなどという暴論は通りません。
 東条が憲法や閣僚に束縛されたからといって彼の責任がなかったことにはならない。天皇だって同様でしょう。

 まずは常識で、すなわち一般人にも通用する責任論で天皇を論じていただきたいものです。
 あれだけの権力で重大な影響をもたらした人物に責任がないと言うのは、天皇には生身の人間の倫理があてはまらないと言うに等しいでしょうね。もはや倫理的存在ではないのだと。それは立憲君主説の否定です。

 もう一つの間違いは、ハムさんが個人としての天皇への同情と、公の責任論とを混同しているのではないかということです。
 たしかに、望んでもいない地位に生まれつき定められて、強制的に軍や国家を率いる役目を務めねばならなかったことには同情します。
 しかし、だからといって重慶爆撃を急かして老若男女を殺し続けたり、和平派を一撃論で黙らせたり、無茶な特攻作戦で4千人を海の藻屑としたりしたことの責任がなくなりはしないのです。

>
> 私は以前、φ様が戦争について書くことに反対しました。
> 読者を敵と味方に分けてしまいますよ、とね。
> ことさら物議をかもしだす必要はないはずです。
>

 私は概して、読者のレベルを高く想定しておりまして(『多宇宙と輪廻転生』第7章などをご覧になった読者は頷かれるかもしれませんが)、つまりは信頼しています。
 逆に言うと、
 天皇その他の政治的文化的イデオロギーゆえに「敵」にまわってお付き合いいただけなくなるようなレベルの読者がいたとしたら(実際『のぞき学原論』以来そういう気配があるのですが……)、幾冊かの拙著論理哲学書の啓蒙的影響力が足らなかったことを反省いたす所存です。

 私が天皇を非難しているように見えるとしたら、原爆投下を論じると必然的にそこへ至ってしまうのではないかという問題提起に他なりません。
 べつに私は昭和天皇が嫌いというわけでもありませんが、世にしばしば聞く言説―― 原爆投下や特攻について皇室が謝罪していないのにアメリカに謝罪してほしいなど、論理的にちょっと真面目に考え直しましょうやということなのです。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か5 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月12日(水)12時24分27秒

  返信・引用
> 命令文はもちろんのこと、命令をも天皇は下していたのです。些細なことでは、「……を答えよ」というのも命令です。

そのようなことを言えば、「茶をもて」というのも命令ですが、そういう話はしていませんよね。
国政に責任のある命令の話をしているわけです。
だから、「しっかりやれ」というのは上奏を裁可するときに添える言葉であって、誰でもそう言うであろう挨拶のようなものだということです。


> ともあれ、法律的な問題よりも、道義的・倫理的な問題を論じてきているつもりです。
> 大川周明が戦犯として起訴されるような、そういう文脈です。徳富蘇峰にも戦争責任があるだろう、という意味での責任です。
> 天皇には、公式・非公式両方の場で巨大な影響力をふるった点で、開戦責任と敗戦責任があるのです。
> かりに法律的な問題に絞ったとしても、天皇は国家の最高機関だったのですから、戦争責任がないはずはありません。

徳富蘇峰の戦争責任?
そのようなことを言えば、日本人全体に戦争責任があることになりますよ。

社員の不祥事で社長が辞任することは、よくありますね。
社長には管理監督責任があるというわけですが、天皇の場合はこの社長の責任もないのです。
なぜかならば、天皇は立憲君主であって、審議のつくされた上奏は原則無条件裁可するしか選択がないからです。


> そのことを知っていて天皇は及川を追い詰め、大和を出撃させたのです。
> 全体の文脈を見ればそれ以外の解釈は成り立ちません。

天皇の「しっかりやれ」という言葉は、誰でも言う当り前の言葉であって、そこに責任はないでしょう。
「しっかりやるな」とは言えないでしょ。
そういう言葉尻を捕えて、天皇の戦争責任をいうのは、いいがかりというものです。

裁可された作戦を支障なく実行するのは軍人の仕事です。
大和を出撃させるか否かは軍人が選択することです。
実際に、大和出撃に反対する軍人に「特攻の先駆けになれ」と説得をして大和出撃を決定したのは軍人です。
それを天皇が誘導尋問したの何のと、いいがかりもいいとこです。
もっと事実による論証が必要です。


> 私はしばらく(調査がすむまで)、及川は二度上奏して、1度目は言葉に窮して退出、2度目に水上部隊出撃を奏答、という説を採用することにします。

今回、資料を調べていて感じるのですが、どうも報告の類も上奏といっていることがあるようです。
言葉は正しく使わないと正しい考察ができませんので、正式な上奏である帷幄上奏などを上奏として使うべきだと思います。
天皇との雑談の時の天皇の言葉に責任を求めるのは無理がありますからね。


> 論理だけで考えた場合――
> 上司が部下に命令文で発言すれば、それは命令ですよね。
> 社長が部長に命令文で発言すれば命令でしょう。
> 国家の最高機関が、下位機関に向けて命令文を送れば、手続きが法律に矛盾していない限り、それは命令でしょう。
> 226や終戦の聖断が例外であれ非例外であれ、反乱軍を一声で鎮圧したり、終戦の聖断を下したりできるほどの権威もしくは権限を潜在的にであれ常時備えていた天皇が、閣僚や統帥部長に命令文を発すれば、それは命令です。
> そうでないと言い張る人に立証責任があります。

私には特定のイデオロギーはありません。
私がφ様の著作を読むのは、論理的な思考を身につけるためです。
ただ、「戦争論理学」は、何の論証もなく天皇を悪役にしているところに恣意を感じています。

社長、部長、部下で考えた場合、部下は命令で動きます。
社長は、部長から部の基本方針を説明され承認します。
部長は、部の基本方針に沿って部下に業務を指示します。
ここで、部下の故意、過失によらない失敗があったとします。
社長は、部長に責任を負わせますが、社会的な問題になる場合は、社長も責任を負わされます。
ここで、天皇の役として名誉会長を考えてみます。
名誉会長は、社長から社の大まかな方針の説明を受けて「しっかりやれ」といいましたが、この名誉会長に責任はないでしょう。


> 第2弾を書くとすれば、こういうのを考えています。
> 『戦争論理学』が辿り着いた結論「早期終戦・人命救助ができたので、原爆投下は正しかった」を初期設定とし、「原爆投下は間違っていた」と主張する否定派に立証責任を負わせて、『戦争論理学』と同じ形式で各問論じてゆくのです。
> すると、否定論に多くの紙数が費やされることになり、もしかしたら今度は否定論が正しいということで決着するかもしれません。

私は以前、φ様が戦争について書くことに反対しました。
読者を敵と味方に分けてしまいますよ、とね。
ことさら物議をかもしだす必要はないはずです。

φ様の御専門は哲学なのですから、人間とか社会とか産業とか政治経済に深く関わる戦争は専門外のはずです。
私はもっと純粋な哲学の学究的な話が聞きたいのです。
そういう専門的な話は我々の思考の基礎を刺激し、基礎から応用がいろいろ可能です。
戦争などというメタな事象は、とかくイデオロギーにつながってしまいます。


※この掲示板を占有することは、私の意図することではないので、今後の投稿は少なくとも1日以上空けるようにします。


Re: 「知らぬは亭主ばかりなり」について質問です 投稿者:φ 投稿日:2008年11月12日(水)04時40分19秒

  返信・引用
> No.2152[元記事へ]

winefさんへのお返事です。

 winefさんの提示された問題は、  http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2136 で私が言及したばかりの「共通知識(コモン・ノレッジ)」に関わる問題ですね。ちょうど終戦の聖断にまつわる議論とも関係があり、かなり広い応用を持つ問題ですよね。

 あのパラドクスは、たしかに、考え直す必要があるでしょう。
 パラドクスというだけあって、winefさんのいうとおり、もしかすると尤もらしい推論がじつは間違っているのかもしれません。

 ちょっとじっくり考えてみます。
 その上でなるべく早く、ここにコメントを提示したいと思います。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か5 投稿者:φ 投稿日:2008年11月12日(水)04時26分50秒

  返信・引用
> No.2151[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 天皇は十分に協議されている作戦命令は原則無条件裁可(しっかりやれ)します。
> 天皇が命令文を使うか?などという話はしていません。
>

 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2147
 でハムさんは、「天皇が命令文を起す事はありません」と書いていましたし。

 命令文はもちろんのこと、命令をも天皇は下していたのです。些細なことでは、「……を答えよ」というのも命令です。

 天皇の命令の具体例などいくらでも挙げられます。
 大きな例を一つだけ挙げましょう。
 1941年5月10日、天皇は近衛文麿首相を召して、「国際信義を無視する松岡のような外相は迷惑だから辞めさせるように」と強く要請しています。
 松岡の追放を天皇が近衛に求めたことは間違いない事実です。『昭和天皇独白録』『木戸幸一日記』などがそれを証言しており、それに矛盾する記録はありません。
 天皇のこの要請は、事実上、命令です。
 しかし首相に大臣を辞めさせる権限などないので、近衛は内閣総辞職をし、天皇の意を受けて松岡を外し、第三次近衛内閣が発足しました。天皇には、閣僚を辞めさせる力があったのです。とりわけ不祥事もない内閣を倒す力があったのです(アメリカの対日石油輸出禁止を招いた南部仏印進駐が不祥事なら、松岡以外にも閣僚を大幅入れ替えするか、近衛自身が辞めるはず)。
 これを命令と言わずして何というのでしょうか。

 ともあれ、法律的な問題よりも、道義的・倫理的な問題を論じてきているつもりです。
 大川周明が戦犯として起訴されるような、そういう文脈です。徳富蘇峰にも戦争責任があるだろう、という意味での責任です。
 天皇には、公式・非公式両方の場で巨大な影響力をふるった点で、開戦責任と敗戦責任があるのです。
 かりに法律的な問題に絞ったとしても、天皇は国家の最高機関だったのですから、戦争責任がないはずはありません。

>
> 大和に割り当てられた燃料は命令では2000トンです。
> これは片道分です。
> 実際には往復分以上入れたのですが、知っているのは関係者だけです。
> 大和乗員の証言でも、片道燃料で特攻するのだと理解していたことが分ります。
> 大和出撃は最後になるとの関係者の努力で、無いはずの燃料を捻出したわけです。
> つまり、燃料のない無理な作戦だったわけです。
> ですから、もし「燃料がありません」と真実の奉答ができたら、戦争はもっと早く終ったかもしれません。
>

 2000トンあれば、沖縄まで楽々往復できますよ。
 何をもって「片道」と言っているのかが曖昧ですね。とくに戦闘行為をしながらの旅ですから。
 特攻機だって、別に片道燃料だけ積んでいたわけではありません。どこに敵艦がいるか探さなければならず、視界不良や故障の場合はどんな遠くからでも帰投せねばなりませんから、
どこまでの「片道」と言っているのか、「片道」の意味が特定できないのです。
 「片道燃料」とは単なる象徴表現です。使うべきではありません。
 大和の場合もそうです。

 天皇は「沖縄防衛に全力を尽くせ」と言っています。
 2000トンもあれば沖縄に行ける、あるいは少なくとも海上に出て航空特攻の陽動支援ができるのだから「燃料がない」は虚偽です。
 逆に2000トンしか積まないというのは大和の燃料タンクの三分の一にも満たないわけですから、大和に全力で戦わせることはできず(迂回したり速力アップしたりすればあっという間に燃料は3倍、4倍消費しますから)、天皇の「全力を尽くせ」に背くことになります。

 天皇を欺くのは大罪です。
 天皇の命令に背くのも大罪です。
 よって、自動的に、大和のタンクを満たさねばなりませんでした。(実際はさすがに満タンにはしなかったようですが)
 そのことを知っていて天皇は及川を追い詰め、大和を出撃させたのです。
 全体の文脈を見ればそれ以外の解釈は成り立ちません。

>
> >3月27日頃から4月上旬にかけて、日参して毎日上奏しています。『昭和天皇発言記録集成』参照。戦争指導上層部は、連日の上奏など簡単にできました。

> これは上奏ではないのではないですか?
>

 上奏と書いてあるのですから上奏でしょう。
 どうして文字通りに解しないのでしょうか? なにやら不純なバイアスを感じますね。

 軍人は、非常時にこそ上奏が求められました。
 裕仁天皇は、最高統帥者としては知る必要のない前線のこまごましたデータも知りたがったそうです。戦況が緊迫してくれば、参謀総長や軍令部総長としては、何より優先して上奏を重ねるのが義務でした。

 それを考えると、及川軍令部長総長が、1度目(3月29日)には天皇に答えられず退出し、即日、艦隊出撃を決め、2度目の上奏時(4月4日)にほぼ同じことを下問されて「水上部隊含め全兵力で」と答えた、というのはありそうなことだと思います。
 この2つの上奏が一つに合成されて、及川がとっさに独断で(連合艦隊司令長官に相談もせず)「水上部隊含め全兵力で」と答えた、という奇妙な都市伝説が生まれたのではないでしょうか?

 私はしばらく(調査がすむまで)、及川は二度上奏して、1度目は言葉に窮して退出、2度目に水上部隊出撃を奏答、という説を採用することにします。
 それが一番自然な気がするからです。

 たとえば、
 天皇はくどい人でした。
 梅津参謀総長の上奏のたびにほとんど同じ言葉で沖縄防衛に全力を尽くす旨命じたことは既述したとおりですし、
 これも前回例に挙げた1941年9月6日の御前会議での両統帥部長への下問もそうです。前日5日のリハーサルの場で、天皇は両統帥部長に同じ問いをしてそれなりの奏答を得ているにもかかわらず、そして御前会議当日、枢密院議長が海軍大臣の答弁に満足して両統帥部長の発言は必要なしと明言したにもかかわらず、天皇は割って入って、両統帥部長が発言しないのはけしからんと言い、前日に2人に言わせたばかりの「政府外交への協力」の言質を、さらに明確な表現で引き出そうとしています。
 とにかくくどかったのですよ、あの天皇は。自分の希望を臣下に徹底させるのが好きでした。というより、最高統率者としての責任感があったのでしょう。

 よって、及川に、二度にわたって「艦はないのか、水上部隊はないのか」「航空部隊だけの総攻撃か」と大和出撃を督促したというのも頷けます。
 1度目で及川が言葉に窮したことで事情はわかっているにもかかわらず、再度しつこく促したのですから、天皇の意図は明白であり、責任は重大でしょう。

>
> ことは天皇の戦争責任問題です。
> 日本人にとって大事な問題です。
> 「戦争論理学」では、(天皇&日本軍が悪いのだから)原爆投下は正しかったと主張していますね。
> 私は論理的に全く正反対の主張を持っています。
>

 ハムさんのスタンスがどうもわかりません。天皇に関し特定のイデオロギーを持っているわけではないのですよね?

 論理だけで考えた場合――
 上司が部下に命令文で発言すれば、それは命令ですよね。
 社長が部長に命令文で発言すれば命令でしょう。
 国家の最高機関が、下位機関に向けて命令文を送れば、手続きが法律に矛盾していない限り、それは命令でしょう。
 226や終戦の聖断が例外であれ非例外であれ、反乱軍を一声で鎮圧したり、終戦の聖断を下したりできるほどの権威もしくは権限を潜在的にであれ常時備えていた天皇が、閣僚や統帥部長に命令文を発すれば、それは命令です。
 そうでないと言い張る人に立証責任があります。

 他の権力関係で成り立つことを、天皇についてだけ適用しない理由が私には全くわかりませんね。
 虚心に論理的に考えれば、天皇と臣下の関係は、一般の権力関係の例外ではないはずです。
 天皇は神でも幽霊でもないのですから。

>
> じつは、「戦争論理学」には私が不思議に感じたことがあります。
> 人間です。
> あの本には人間らしい人間が登場しないのです。
> 戦争は人間の本能に関係することなので、人間は人間臭く登場するものです。
> トルーマンにしても天皇にしても広島や長崎の市民にしても、人間の顔が見えません。
> つまり、人間に対する考察がされていないのではないか、という疑いです。
> もしそうならば、天皇の発言から何かを論証することは難しくなります。
> 戦争の論理だけを論じるのであれば、天皇の描き方が恣意的です。
>

 通常の意味での「人間らしさ」を描くのは、他の本にまかせましょう。
 出版物は、分業が必要だからです。何でもかんでも一つの本でやろうとすると、一定の共感は得られるかも知れませんが、究極的には得るものは少ないでしょう。
 とにかく論理的に考えていった場合、「原爆投下は間違っていたとは言えない」というのがあの本の結論になってしまったということです。これは私個人の感情ではどうすることもできませんでした。

 第2弾を書くとすれば、こういうのを考えています。
 『戦争論理学』が辿り着いた結論「早期終戦・人命救助ができたので、原爆投下は正しかった」を初期設定とし、「原爆投下は間違っていた」と主張する否定派に立証責任を負わせて、『戦争論理学』と同じ形式で各問論じてゆくのです。
 すると、否定論に多くの紙数が費やされることになり、もしかしたら今度は否定論が正しいということで決着するかもしれません。

 「あとがき」に述べたように、なまじ否定論が正しいと最初に仮定して肯定論に立証責任を負わせた結果、かえって肯定派の発言の機会が多くなり、結論もそっちに偏ってしまった、という可能性もあります。
 逆方向で第2弾を書けば、「原爆投下はやはり間違っていた」という結論に落ち着き、天皇の戦争責任についても逆の見方がクローズアップされることになるかもしれませんね。

 やってみないとわかりませんが。
 (そして、同じ経験的データから出発しても、論ずる方向によって結論が異なってしまうほど、論理というものは語用論的なのか、という検証になるでしょうが……)。


「知らぬは亭主ばかりなり」について質問です 投稿者:winef 投稿日:2008年11月12日(水)00時51分42秒

  返信・引用
はじめまして。最近論理学に興味があって、ご著書も何冊か読ませていただきました。ありがとうございます。

『心理パラドクス』028「知らぬは亭主ばかりなり」に関する質問です。
この問題はメンバーが3人の設定になっています。とてもわかりやすい解説で私にも理解できました。だけど問題設定が4人以上の場合を考えると、よくわからなくなってしまいます。

ご存じかと思いますが、この問題は世界中にいろんなバリエーションがあります。顔に泥のついた子供(Muddy Children Puzzle)やバーベキュー・ソースの設定、修道士の額の染み、青い目と緑の目の島民、などなど。
そして、「問題設定が何人でも証明が成立する」というのがスタンダードな解答のようです。メンバーの証明サイクルを仮に1日とすると、4人なら4日後に、100人なら100日後に証明できる、という具合です。「数学的帰納法の好例」だという解説も見られます。

ここで引っかかるのが、たとえば問題設定が100人の場合、「1人だけ不倫」という仮定が無条件に有効なのか、という点です。数学的帰納法でいえば、最初の基礎(basis)が問題なく成立するのだろうか、という点がどうもよくわかりません。

メンバーをA、B、C、D…とし、推論の主体をAとします。
3人の場合だと、Aが仮定αを採用し、Bが仮定βを採用しても問題ありません。
だけど、問題設定が100人になって、ABCD…がそれぞれ仮定α、β、γ、δ…を採用し、「1人だけ不倫」という状態を想定することは、不自然に思えます。
なぜなら、どのメンバーにとっても「最低98人は不倫している」ことは自明であり、そのことをAはよく知っているからです。メンバーのだれ1人、「1人だけ不倫」という想定をする余地はないのではないでしょうか。
問題設定が100人の場合、「1人が不倫」「2人が不倫」…「97人が不倫」を仮定することはすべて反実仮想になります。その反実仮想を根拠に確信の有無を判断していいのかどうかが、よくわかりません。

別の表現をしてみます。
現実のCはBの妻が不倫をしていることを最初から知っています。(そのことをAは知っています)
一方、Bが考えるCは仮定α、βを採用する結果、Bの妻が不倫していないと仮定しています。
この場合、「現実のC」と「Bが考えるC」は別人であり、推論の主体Aとしては「Bが考えるC」という想定を無条件に採用してもいいのかどうかが、どうもよくわかりません。

問題設定が100人だと、証明の1サイクルを1日とすれば、100日目に全員が不倫を確信します(という解答がスタンダードです)。その場合…

(1)自分以外の全員の妻が不倫していることは明らかなのに、「不倫が1人だったら…」「不倫が2人だったら…」という反実仮想を積み重ねている。
(2)その結果、99日目までは何もしなくてもいい。具体的なメンバーについては何も思考せず、あくまで一般論として「99人の場合は99日目に残りの全員が確信するはず」ということが全員の判断の根拠になっている。

(1)(2)が不自然に思えて仕方ないのですが、これは特に問題なく成立するのでしょうか。
たとえば、以下のような別解答が成立する可能性はありませんか。

「各メンバーにとって、自分の妻の不倫を証明するためには『1人だけ不倫』という状況の想定が不可欠である。しかし、問題設定が4人以上の場合は、メンバーの誰もその状況を具体的に想定しえず、そのことは推論の主体Aにとって自明である。だから4人以上のときは誰も妻の浮気を確信できない」

長文コメント失礼しました。
見当違いの質問かもしれませんが、どうしても気になったので書き込ませていただきました。お時間のあるときにも教えていただけると、疑問が解けてスッキリできそうです。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月11日(火)18時18分51秒

  返信・引用
> 「しっかりやれ」これは明らかに命令です。
> 単なる激励ではありません。ひとごとではなく天皇自身の戦争なのですから。統帥下にある臣下に命令文で述べているのですから。
> 正式な場で言わなければ法的に命令にはなりませんが、言語学的には紛れもなく命令でしょう。

天一号作戦という作戦命令案が上奏され裁可されて命令となります。
そういう文脈で話をしています。
天皇は十分に協議されている作戦命令は原則無条件裁可(しっかりやれ)します。
天皇が命令文を使うか?などという話はしていません。


> ですから、「燃料がありません」というのは偽証かつ命令違反になります。

大和に割り当てられた燃料は命令では2000トンです。
これは片道分です。
実際には往復分以上入れたのですが、知っているのは関係者だけです。
大和乗員の証言でも、片道燃料で特攻するのだと理解していたことが分ります。
大和出撃は最後になるとの関係者の努力で、無いはずの燃料を捻出したわけです。
つまり、燃料のない無理な作戦だったわけです。
ですから、もし「燃料がありません」と真実の奉答ができたら、戦争はもっと早く終ったかもしれません。

>3月27日頃から4月上旬にかけて、日参して毎日上奏しています。『昭和天皇発言記録集成』参照。戦争指導上層部は、連日の上奏など簡単にできました。

これは上奏ではないのではないですか?


> 天皇の責任論と自明な言語学的解釈には私はやや飽きたのですが、まだやります?
> お望みならいくらでもお付き合いしますが、できれば原爆投下との関連に戻していただけると幸いです。特定の根拠なり、新しい展開が見込めれば、まだまだ天皇論でも歓迎ですけれどね。

ことは天皇の戦争責任問題です。
日本人にとって大事な問題です。
「戦争論理学」では、(天皇&日本軍が悪いのだから)原爆投下は正しかったと主張していますね。
私は論理的に全く正反対の主張を持っています。

この件で、大和特攻は象徴的で分りやすいと思います。
すなわち、天皇の「海上部隊はないのか」との発言(が悪い)から、大和特攻が行われたのか? という問題です。
これは、天皇(&日本軍)が悪いから、原爆投下されたのか? という問題と似ています。

大和特攻の誘導尋問説の論拠としては、天皇が誘導尋問の名人だった、ということですが、まずそういう事実を確定することはできません。
他の妥当な解釈があるからです。
また、天皇が誘導尋問の名人だったと仮定しても、「海上部隊はないのか」→大和特攻、は別に論証しなければなりません。
それは、誘導尋問の名人とこの時に誘導尋問をしたかどうかは別の問題だからです。

どう考えても、誘導尋問説は無理です。

φ様が何らかのイデオロギーをお持ちならば私は納得できます。
イデオロギー問題ならば私は興味がありません。

じつは、「戦争論理学」には私が不思議に感じたことがあります。
人間です。
あの本には人間らしい人間が登場しないのです。
戦争は人間の本能に関係することなので、人間は人間臭く登場するものです。
トルーマンにしても天皇にしても広島や長崎の市民にしても、人間の顔が見えません。
つまり、人間に対する考察がされていないのではないか、という疑いです。
もしそうならば、天皇の発言から何かを論証することは難しくなります。
戦争の論理だけを論じるのであれば、天皇の描き方が恣意的です。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:φ 投稿日:2008年11月11日(火)01時42分59秒

  返信・引用
> No.2149[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> これは命令ではないですよ。
> 天一号作戦が上奏された時の言葉です。
> 「目的達成に違算なからしめよ」、つまり、天一号作戦を「しっかりやれ」と言っているのです。
>

 「しっかりやれ」これは明らかに命令です。
 単なる激励ではありません。ひとごとではなく天皇自身の戦争なのですから。統帥下にある臣下に命令文で述べているのですから。
 正式な場で言わなければ法的に命令にはなりませんが、言語学的には紛れもなく命令でしょう。

>
> 大和の燃料が片道分しかなかった、というのは有名になっている話です。
> 帳簿上は燃料がなかったのです。
> 虚偽ではありません。
> ではなぜ、実際に往復分以上の燃料が入っていたかは以前書きましたが裏技を使ったのです。
>

 「片道分」とは全くの都市伝説用の言葉で、実体はありません。
 大和は発見を逃れるために迂回航路をとることは決まっていたし、航空特攻への陽動支援として途中で戦闘しながら進み燃料を大量消費することも予定のうちだったので(そのために対空機関砲を多めに取りつけた)、片道ギリギリの量しか積んでいないということはありえませんね。
 よく言われるのは、大和が実際に積んだ燃料では沖縄まで全速力で3往復以上はできた(ゆっくり行けば10往復以上できた)というものですが、それは当然でしょう。
 そのくらい積まねば、自由な作戦行動はできません。

 「帳簿上は燃料がなかった」というのは、それだけの燃料しか日本になかったという意味ではありません。大和出撃に許された割当量が決定されて、その量をなんとか名目上変えずに、精一杯多くの量を宛がってやるためには、帳簿に載らない「タンクの底の凹みの中の燃料」をさらってやったという意味です。

 大和+護衛9隻が積んだ燃料は、多く見積もって合計約1万トンだそうです。これは日本の海軍燃料在庫量の約3割だったとのこと。
 逆に言うと、沖縄まで艦隊を40往復くらいさせることが可能だったわけです。
 重油以外に、大豆油、松根油なども使えばもっと桁が上がったかもしれません。
 天皇は「天一号作戦に全力を尽くせ」と言っているのですから、ここですべての燃料を使わないようでは天皇の命令に背いたことになります。
 ですから、「燃料がありません」というのは偽証かつ命令違反になります。

 大和に名目上もっと多くの燃料を割り当てることはもちろん可能でした。しかし成功率がほぼ0%と見込まれた作戦ですから、大和の燃料タンクを満タンにすることなどできません。正式の割り当ては当然制限されました。いかに天皇の命令とはいえ、成功率極小の作戦のために大和の燃料タンクを満タンにすることなどできません。(物理的にはできますが作戦上愚かです)

 なお、本土決戦で主体となる航空機と戦車の燃料は陸軍がかなり備蓄しており、ちょっと数字は忘れましたが、たしか少なくとも3ヶ月は思い切り戦えたと言われています。

>
> 会話の流れはこう↓だったわけです。
> 天皇 「・・・目的達成に違算なからしめよ」
> 及川 航空部隊で激しく特攻攻撃する旨を奉答
> 天皇 「・・・海上部隊はないのか」
> 及川 沈黙or「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答した。

> この天皇の発言を普通に解釈すれば、海上部隊も含めて検討せよ、ということですね。
>和特攻の誘導尋問だ、という解釈はあまりにも突飛です。
>

 昭和天皇が誘導尋問の名人だったことは御存知でしょう。
 1941年9月6日の御前会議でも、対米交渉と開戦準備を並行して進めるという政府案を提示されたとき天皇は、「政府の考えはわかったが両統帥部長が一言も答弁しないのはなぜか。2人は意見を述べよ」と命じ、参謀総長・軍令部総長の答えを聞く前になぜか明治天皇御製の「四方の海」を詠んで、2人の答えを誘導しています。(判然としませんが、「開戦準備よりも外交を優先させることに同意する」と言わせたかったのでしょう)

 とにかくあの寝惚け眼に騙されてはいけません。昭和天皇はなかなかの策士だったのです。

>
> 現場にいた身近な人の証言(戦藻録)は我々の想像よりも重視すべきだと思います。
> 上奏は文書と印によりますから、そんなにホイホイとできるものではありません。
>

 同じことを繰り返すのはなるべくナシにしたいものですが……。
 前回も前々回も書きましたが、たとえば梅津参謀総長は、3月27日頃から4月上旬にかけて、日参して毎日上奏しています。『昭和天皇発言記録集成』参照。戦争指導上層部は、連日の上奏など簡単にできました。

> 実際に大和出撃までの間に上奏があったという事実はありません。
> それと、個別の兵器の使用を上奏することはないはずです。
>

 前々回も書いたように、神重徳参謀の証言では、4月4日に天皇は及川に「航空部隊だけの総攻撃か」と下問しています。『昭和天皇発言記録集成』p.351参照。
 (他にも4月4日説は見たことがありますが、いま手近にあるのを挙げればそれです)

 また、「大和」と特定して上奏が行われたなどと言っている人はいないようです。あくまで「水上部隊」「海軍の全兵力」といった言い回しだったでしょう。

 天皇の責任論と自明な言語学的解釈には私はやや飽きたのですが、まだやります?
 お望みならいくらでもお付き合いしますが、できれば原爆投下との関連に戻していただけると幸いです。特定の根拠なり、新しい展開が見込めれば、まだまだ天皇論でも歓迎ですけれどね。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月10日(月)17時48分29秒

  返信・引用
>――「帝国の安危を決するところ、挙軍奮励その目的達成に違算なからしめよ」
>これは命令文ですね。

これは命令ではないですよ。
天一号作戦が上奏された時の言葉です。
「目的達成に違算なからしめよ」、つまり、天一号作戦を「しっかりやれ」と言っているのです。


>虚偽を奏答してはいけませんよ。
> 大和が実際出撃できたのですから、「燃料はない」が事実ではあるはずないでしょう。

大和の燃料が片道分しかなかった、というのは有名になっている話です。
帳簿上は燃料がなかったのです。
虚偽ではありません。
ではなぜ、実際に往復分以上の燃料が入っていたかは以前書きましたが裏技を使ったのです。


> 会話の含意というものは、記録と通常の語用論的原理にもとづいて判断するしかないのです。大和特攻は紛れもなく天皇の命令だと考えるのが自然だと思います。
> 「目的達成に全力を尽くせ。よいな。そこで尋ねるが、海軍に水上部隊はないのか」
> これを水上部隊出撃への強い希望表明以外の何かとして解するのは、天皇に強いイデオロギー的共感を抱いている人以外にはまず無理ではないでしょうか。

会話の流れはこう↓だったわけです。
天皇 「・・・目的達成に違算なからしめよ」
及川 航空部隊で激しく特攻攻撃する旨を奉答
天皇 「・・・海上部隊はないのか」
及川 沈黙or「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答した。

この天皇の発言を普通に解釈すれば、海上部隊も含めて検討せよ、ということですね。
大和特攻の誘導尋問だ、という解釈はあまりにも突飛です。


> とにかく、陸軍の梅津が毎日奏上に参じていたかたわらで、海軍の及川がボサッとしていたとは考えにくく、何度か上奏に通ったことでしょう。
> とくに、3月29日に何も答えられなかったとすれば、大和出撃命令前に明確な答えを奏上せずにすませたというのはありえないでしょう。

現場にいた身近な人の証言(戦藻録)は我々の想像よりも重視すべきだと思います。
上奏は文書と印によりますから、そんなにホイホイとできるものではありません。

4月1日にアメリカが沖縄に上陸しています。
これの対応をどうするかが最優先の課題です。
戦況の報告を要求し報告を受けて各部隊へ的確に指示をしなければならない。
反撃の作戦も詳細に考えなければいけない。
上奏などは一段落してからになるでしょう。
実際に大和出撃までの間に上奏があったという事実はありません。
それと、個別の兵器の使用を上奏することはないはずです。


> 『戦藻録』のあの部分は伝聞ですから、証拠価値はほとんどありません。及川の日記か証言はどこにあるのでしょうか。及川から即日聞き及んだ豊田の日記か証言でもいいですが。

それは無いようです。
少ない情報の中から妥当な判断をしていかなければならないわけです。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 9日(日)22時52分32秒

  返信・引用
> No.2147[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> どうも誤解があるようです。
> 天皇が命令文を起す事はありません。
>

――「帝国の安危を決するところ、挙軍奮励その目的達成に違算なからしめよ」
これは命令文ですね。
 実際の発言はどうあれ、こう記録されているということは周囲が命令と受け取っていたことを意味し、天皇もその権威的立場に身を委ねていました。

 命令文より緩やかな提案文のほうが多いですけれどね。「……兵力足らざれば逆上陸もやってはどうか」といった感じの。
 ちなみに、「逆上陸案」という無茶な提案は、梅津参謀総長に対して4月3日と4日の二度、ほぼ同じ言葉で発せられています。よほど沖縄での一撃に取り憑かれていたのでしょう。

>
> 水上部隊を出撃させるだけの燃料がない、というのは事実です。
>
>天皇 海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか
> 私  燃料がないのでございます
> 天皇 そうか。

虚偽を奏答してはいけませんよ。
 大和が実際出撃できたのですから、「燃料はない」が事実ではあるはずないでしょう。
 大和が往復分燃料とともに沈んだ後も、本土決戦を数ヶ月戦えるだけの重油・揮発油が備蓄されていましたし。

 「燃料がない」と言ったらそれは、「砲弾がないからエノラ・ゲイを撃たずに見送らざるをえなかった」と呉の高射砲部隊がうそぶくようなものです。本土決戦用に温存したかったのと、砲の位置を知られたくなかっただけで、広島近辺に弾薬そのものは有り余っていたのに。

>
> いずれにしろ、天皇のご下問を一方的に解釈するのは恣意的です。
>

現在残っている天皇語録の語形からして、その命令文と疑問文の組み合わせは、天皇自身の強い希望と催促を軍令部総長に伝えている。それだけは確かです。正常な日本語話者がそれを認めなければ話は進みません。
 会話の含意というものは、記録と通常の語用論的原理にもとづいて判断するしかないのです。大和特攻は紛れもなく天皇の命令だと考えるのが自然だと思います。
 「目的達成に全力を尽くせ。よいな。そこで尋ねるが、海軍に水上部隊はないのか」

 これを水上部隊出撃への強い希望表明以外の何かとして解するのは、天皇に強いイデオロギー的共感を抱いている人以外にはまず無理ではないでしょうか。

 「水上部隊はないのか」
 ない、と虚偽は答えられない。
 ある、と真実を述べれば「なぜ出撃させないか」となる。
 ――真実 and 天皇の希望 を重んじた応答をする限り、「大和出撃させます」と言わざるをえない立場に、及川は追い込まれていたのです。

 むろん、
 天皇の強圧的な誘導尋問は、天皇を断罪する根拠とばかりはかぎりません。
 立場次第です。
 たとえば沖縄県民にとっては、沖縄へ援軍を強要した天皇の情熱は、天皇への怨恨をやわらげる一つの材料になることでしょう。
 また、本土決戦まで待たずに沖縄で一撃をもたらし講和に持ち込みたかった情熱を考えたとき、九州以東の人間にとっても天皇を支持したい気持ちに繋がるはずです。

 惜しむらくは非現実的な情熱だったのですけれどね。

>
> 4月7日五航艦宇垣纏『戦藻録』で「抑々(よくよく)茲に至れる主因は軍令部総長奏上際航空部隊丈の総攻撃なるやの御下問に対し海軍の全兵力使用致すと奉答せるに在りと伝う」とありませんか?
>

 p.488ですね。ありがとうございます。
 しかし伝聞形ですか……。これではいくらなんでも信憑性は薄いですね。
 そもそも上奏の日付が書いてない。上奏が何回あったかも書いてない。このたった2行余では大した証拠価値はありません。

 及川自身の日記か何かは残っていないのでしょうか。

 とにかく、陸軍の梅津が毎日奏上に参じていたかたわらで、海軍の及川がボサッとしていたとは考えにくく、何度か上奏に通ったことでしょう。
 とくに、3月29日に何も答えられなかったとすれば、大和出撃命令前に明確な答えを奏上せずにすませたというのはありえないでしょう。

>通常は証言を重要視しますよ。
> なぜ、宇垣纏『戦藻録』を無視するのですか?

そうです。当事者の証言を重視しましょう。
 『戦藻録』のあの部分は伝聞ですから、証拠価値はほとんどありません。及川の日記か証言はどこにあるのでしょうか。及川から即日聞き及んだ豊田の日記か証言でもいいですが。

 天皇と及川のやりとりの完全バージョンをどなたか是非御教示ください。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 9日(日)14時30分35秒

  返信・引用
>それは無理ですね。天皇はその直前に、何日にもわたって、梅津への下問その他を通じて、さかんに「沖縄戦に全力を尽くせ」という趣旨を、明確な命令文で何度も述べています。くどいほどに何度も。――「帝国の安危を決するところ、挙軍奮励その目的達成に違算なからしめよ」

どうも誤解があるようです。
天皇が命令文を起す事はありません。


> つまり、及川が受けた下問は、事実上こういうものです。
 「目的達成に全力を尽くせ。よいな。そこで尋ねるが、航空部隊だけの総攻撃なのか」

> しかも、ハムさん式に「水上部隊を出撃させる燃料がない」と答えるのは事実に反しているので、天皇を欺くことになり、大罪です。
> 燃料はあったのです。オイルそのものは、本土決戦を何ヶ月かは続けられるほどの備蓄がありました。パイロットの訓練を大幅に削減しての話ですが。

> しかも、大多数の記録によると、3月29日の天皇の下問は「航空部隊丈の総攻撃か」ではなく、「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」というものです。
> これに「はい、ありません」と答えると、完全な虚偽となります。

水上部隊を出撃させるだけの燃料がない、というのは事実です。
当時、大量の燃料を使う戦艦の洋上作戦は断念され、多くの艦船は港湾に繋留された状態だったのです。
だから、及川は航空部隊で激しく特攻をやると説明したわけです。

「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」というご下問でも同じことです。
天皇 海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか
私  燃料がないのでございます
天皇 そうか。

いずれにしろ、天皇のご下問の意図を詮索しても想像に過ぎません。
「戦藻録」という日記の証言があるのですから、それを採用しない理由はありません。


> 下問が一度だけだったとしても、文脈を考えれば下問の命令性は言語学的に明らかなので(そして奏答者へのプレッシャーを天皇が知っていたことは確かなので)さほど論点には関係ありませんが、

天皇のご下問は「・・目的達成ニ違算ナカラシメヨ」ということであり、全国民がそう思っていたことでしょう。
上奏された天一号作戦(敵沖縄上陸邀撃作戦)は航空部隊だけの作戦ではなかったわけで、及川の航空部隊特攻を強調した説明が天皇の「海上部隊はないのか」とのご下問を生んだわけであり、これは海上部隊の計画しだいで特攻をしなくてもすむのではないか?という意図があったのかもしれません。
いずれにしろ、天皇のご下問を一方的に解釈するのは恣意的です。


> いろんな人が『戦藻録』を参照していますが、確かめたいのでページ教えてください。

4月7日五航艦宇垣纏『戦藻録』で「抑々(よくよく)茲に至れる主因は軍令部総長奏上際航空部隊丈の総攻撃なるやの御下問に対し海軍の全兵力使用致すと奉答せるに在りと伝う」とありませんか?


>  終戦の聖断は、命令ではありませんよね。
> 外相への賛意を述べて、天皇が希望を表明しただけです。
> その意味では、従来のもろもろの聖断と変わりありません。

御前会議で重臣たちの意見がまとまらず、天皇に聖断を仰いで、天皇が意見を言った、のは前例がないでしょう。
これも、天皇の証言があるわけです。


>――その前に、少なくとも大和出撃については天皇の間接命令が大いなる責任を負うべきだ、という件については決着でよいですかね?
>        通常の言語感覚では、そう認めるのが普通なので。

通常は証言を重要視しますよ。
なぜ、宇垣纏『戦藻録』を無視するのですか?


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 8日(土)23時52分7秒

  返信・引用
> No.2145[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

> > 肯定の返事、つまり「はい、航空部隊だけです」と答えることを期待して「航空部隊丈の総攻撃なのか?」と問うのは語用論的センスが破綻してます。
>
> いえいえ、こう↓なら真っ当な問答です。
> 天皇 航空部隊丈の総攻撃なるや?
> 私  そうでございます
> 天皇 なぜか?
> 私  水上部隊を出撃させる燃料がないからでございます
> 天皇 そうか。
>

それは無理ですね。天皇はその直前に、何日にもわたって、梅津への下問その他を通じて、さかんに「沖縄戦に全力を尽くせ」という趣旨を、明確な命令文で何度も述べています。くどいほどに何度も。――「帝国の安危を決するところ、挙軍奮励その目的達成に違算なからしめよ」

 つまり、及川が受けた下問は、事実上こういうものです。
 「目的達成に全力を尽くせ。よいな。そこで尋ねるが、航空部隊だけの総攻撃なのか」
 これは明らかに、「総攻撃」と言いながら航空部隊だけとは何のための海軍か、という叱責です。
 ここで「はい、航空部隊だけです」と答えるのは、天皇の強い希望に背くことになるでしょう。

 しかも、ハムさん式に「水上部隊を出撃させる燃料がない」と答えるのは事実に反しているので、天皇を欺くことになり、大罪です。
 燃料はあったのです。オイルそのものは、本土決戦を何ヶ月かは続けられるほどの備蓄がありました。パイロットの訓練を大幅に削減しての話ですが。

 しかも、大多数の記録によると、3月29日の天皇の下問は「航空部隊丈の総攻撃か」ではなく、「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」というものです。
 これに「はい、ありません」と答えると、完全な虚偽となります。
 御上からこうも誘導尋問されて、大和を出さないという態度をとり続けるのは不可能です。

 天皇は明らかに、及川の奏答を限定するような問い方をしたわけです。
 天皇がよほど言語感覚の鈍い愚鈍でない限りは。

>
> ●3月29日 天一号作戦(敵沖縄上陸邀撃作戦)の上奏
> 天皇 「・・目的達成ニ違算ナカラシメヨ」
> 及川 航空機を持って特攻作戦をやると奉答
> 天皇 「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」とのご下問。
> 及川 恐縮して引き下がる。
> ●4月 1日 米軍の沖縄上陸開始。大本営では「昭和二十年度前期陸海軍戦備ニ関スル申合」が行われ「陸海軍全機特攻化」が決定された。
> ●4月 4日 特攻作戦が内示
> ●4月 5日 大和出撃命令
> ●4月 6日 大和出撃
>
> 私が調べた範囲では、4月4日に上奏があった形跡はありません。
> 4月1日にアメリカが沖縄へ上陸開始していますから、これへの反撃をどうするかで上奏どころではないでしょう。
>

 上奏どころではない、は見当違いです。
 海軍よりさらに緊急の陸軍の様子はどうだったか。
 梅津参謀総長のごときは、3月27日頃から4月上旬にかけて、日参して毎日上奏していますから、その時期に軍令部総長が総攻撃についてたった一度だけ上奏したとは考えにくいでしょう。

 しかも、及川は3月29日には答えに詰まって冷や汗たらたらで御前を退出したという記録のほうが多く、それが正しいとすれば、「水上部隊を含め全力で」と奏答したのは別の日です。

 神重徳参謀の証言では、4月4日に天皇は及川に「航空部隊だけの総攻撃か」と下問しています。『昭和天皇発言記録集成』p.351参照。

 そして、いかに軍令部総長とはいえ、海軍内で決めてもいないことをとっさに出任せで答えるというのは考えにくいことをふまえると――
 大和が正式に海上特攻の命令を受けたのが4月5日であることをふまえると――
 天皇はこの時期、梅津参謀総長には同じような下問を何日にもわたってクドクド繰り返していることもふまえると――

 及川は1度目(3月29日)は下問に答えられず、即日豊田司令長官を通じて海上特攻を決め、2度目の下問(4月4日)に対して確約し、翌日に大和出撃命令、という説は辻褄が合っており、否定できないのではないでしょうか。

 まあ、及川が二度下問されたと書いてある記録はないので(『昭和天皇発言記録集成』には3月29日の及川上奏は記されていない)、二度説は間違いかも知れませんが、
 いずれにせよ二度下問説が正しければ、天皇の下問の強制性が強まるといった程度であり、
 下問が一度だけだったとしても、文脈を考えれば下問の命令性は言語学的に明らかなので(そして奏答者へのプレッシャーを天皇が知っていたことは確かなので)さほど論点には関係ありませんが、
 それでも事実は知りたいですね。
 天皇の下問の日付、及川の上奏の回数、下問のセリフの正確な文面、等々はしっかり調べる必要があります。
 どなたか詳しい人いらっしゃいますか?

>
> 『戦藻録』(宇垣纏中将日誌)に、及川古志郎軍令部総長の「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」との奉答によって、第二艦隊の海上特攻も実施されることになったという証言があり、これを否定できないわけですから、この証言を採用すべきだと思います。
>

 『戦藻録』の何ページに書いてありますか。
 以前から『戦藻録』の頁を繰っているのですが、それらしい記述が見当たらないのです。
 いろんな人が『戦藻録』を参照していますが、確かめたいのでページ教えてください。

>
> > 下問以外にも自分の意見を述べていることは確かです。
>
> これは事例があるのでしょうか?
>

 前回に事例を述べました。御前会議の記録を見ればどこにでもいくらでも出てきます。

>
> ところが「意見を言おう」と終戦を聖断してしまった。
> これは2・26以外に例がないはずです。
>

 終戦の聖断は、命令ではありませんよね。
 外相への賛意を述べて、天皇が希望を表明しただけです。
 その意味では、従来のもろもろの聖断と変わりありません。

>
> φ様の天皇戦争責任論がイデオロギーでなければ何なのか、興味があります。
> 論理では、天皇戦争責任論は無理がありますよね。

 ★8月の御前会議がいかなるものだったのか、天皇に戦争責任があるのかどうか、について、じつは、私は確信を持っていないのです。あまり関心もないのです。
 どちらでもよいのです。
 どちらでもよい? ではなにを言おうとしているのか?

 ヒントは、「構成的ジレンマ」です。★

      ――その前に、少なくとも大和出撃については天皇の間接命令が大いなる責任を負うべきだ、という件については決着でよいですかね?
        通常の言語感覚では、そう認めるのが普通なので。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 8日(土)17時23分48秒

  返信・引用
> 肯定の返事、つまり「はい、航空部隊だけです」と答えることを期待して「航空部隊丈の総攻撃なのか?」と問うのは語用論的センスが破綻してます。

いえいえ、こう↓なら真っ当な問答です。
天皇 航空部隊丈の総攻撃なるや?
私  そうでございます
天皇 なぜか?
私  水上部隊を出撃させる燃料がないからでございます
天皇 そうか。


> 及川は二度下問を受けていることになり、1度目3月29日に暗黙に「水上部隊は行けない」ことを天皇に知らしめ、2度目4月4日に堂々と「水海上部隊も行く」と答えて天皇を満足させたことになります。

●3月29日 天一号作戦(敵沖縄上陸邀撃作戦)の上奏
天皇 「・・目的達成ニ違算ナカラシメヨ」
及川 航空機を持って特攻作戦をやると奉答
天皇 「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」とのご下問。
及川 恐縮して引き下がる。
●4月 1日 米軍の沖縄上陸開始。大本営では「昭和二十年度前期陸海軍戦備ニ関スル申合」が行われ「陸海軍全機特攻化」が決定された。
●4月 4日 特攻作戦が内示
●4月 5日 大和出撃命令
●4月 6日 大和出撃

私が調べた範囲では、4月4日に上奏があった形跡はありません。
4月1日にアメリカが沖縄へ上陸開始していますから、これへの反撃をどうするかで上奏どころではないでしょう。

天皇の「海軍にはもう艦はないのか。海上部隊はないのか」とのご下問をどう解釈するかはいろいろ考えられます。
悲嘆説 もう海軍はダメなのか、という悲嘆。
疑問説 なぜ艦を出さないのか? という単純な疑問。
ハム説 海上部隊の投入を当然検討した上での上奏なのだろうな? という確認。
φ様説 大和を特攻させろ、という誘導尋問?

いずれにしろ想像にすぎません。
『戦藻録』(宇垣纏中将日誌)に、及川古志郎軍令部総長の「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」との奉答によって、第二艦隊の海上特攻も実施されることになったという証言があり、これを否定できないわけですから、この証言を採用すべきだと思います。


> 下問以外にも自分の意見を述べていることは確かです。

これは事例があるのでしょうか?


> いきなり鈴木首相が「陛下に決めていただく」的な発言をした時点で、梅津、豊田、阿南は「それは横暴だ」「いつもと違う手続きは認められない」と抗議できたはずです。ほんとに例外的だったら、抗議は正論ですから。
> むろん、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2048
 で述べたように、抗戦派は「謀ったな!」といきり立ってはいます。
> しかしその怒りは、あらかじめ御前会議開催の承諾署名を書かされていてそれを使われそうになっていることへの「騙したな」「こっちが帷幄上奏を尽くしていないうちに謀ったな」という怒りであって、「例外的な御前会議は認めん」というものではありません。

陸軍は徹底抗戦を主張しているわけですから、その反対を決められたら怒るのは当然です。
陸軍が怒ったことをもって、天皇の聖断が例外ではなかったことの根拠になりません。
天皇は聖断を仰がれたときに、それは皆で協議して決めるように、と言うのが立憲君主としては正しいはずです。
ところが「意見を言おう」と終戦を聖断してしまった。
これは2・26以外に例がないはずです。


>これは、最近の書き込みで私が述べてきたことと矛盾しているでしょうか。

> しかしここで、私は最後の御前会議の異例性について(ひいては天皇の戦争責任について)矛盾したことを述べていると仮定してみましょう。

φ様の主張が矛盾しているとは思わないですよ。
私の理解では、上奏時に逆根回しして御前会議で決定する、という論法のように理解しています。
それは、私が一生懸命に反証しているつもりです。


> その矛盾が本当の矛盾だとしても、それでも私の立場は破綻しないのです。
> むしろ論理的に強固になるのです。
> なぜか?

φ様の天皇戦争責任論がイデオロギーでなければ何なのか、興味があります。
論理では、天皇戦争責任論は無理がありますよね。
以上は、新着順21番目から40番目までの記事です。


Re: 戦争論理学 読後感 下問は二度か 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 8日(土)02時53分5秒

  返信・引用
> No.2141[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> それは想像にすぎません。
> 違う解釈がいくらでも可能です。
> 私は、水上部隊も検討したうえでの「航空部隊丈の総攻撃」なのか?(肯定の返事を想定)との御下問だと考えています。
> いずれにしろ、想像よりも証言を採用すべきです。
>

 肯定の返事、つまり「はい、航空部隊だけです」と答えることを期待して「航空部隊丈の総攻撃なのか?」と問うのは語用論的センスが破綻してます。
 天皇はそんなにコミュニケーション能力が低かったのでしょうか。
 非道でなければ愚かである、聡明であったなら非道である、という構図はここでも同じようです。

 ところで、ちょっと調べ直してみたところ、
 気になることが出てきました。
 私もハムさんも事実認識が微妙に間違っていたのではないかと。

 間違っているといけないのでここで整理しますが、
 天皇と及川のやりとりはどうやら二度におよんでいるようです。

 第1回め 3月29日、天皇、参内した軍令部総長及川古志郎から航空特攻を全力挙げて行なう旨の上奏を受ける。そして下問。

      「天一号作戦は、帝国の安危を決するところ、挙軍奮励その目的達成に違算なからしめよ」(前日の梅津参謀総長上奏時の言葉と同じ)「海軍にはもう艦はないのか、海上部隊はないのか」

      及川、答えられず、恐縮して引き下がる。
      及川からこれを聞いた豊田副武連合艦隊司令長官が同日ただちに「畏れ多き御言葉を拝し、恐懼に堪えず。臣副武以下全将兵特死奮戦誓って聖慮を安んじ奉り、靱強執拗飽く迄天一号作戦の完遂を期す」と緊急電報を発し大和出撃を決める。

 第2回め  4月4日、天皇、及川に再度下問。

      「航空部隊だけの総攻撃か」

      及川、「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答。

 つまり弟1回目で、天皇は、及川が答えられないのを見て「水上部隊は出られず」という海軍の認識を知りました。
 しかし海軍側は震え上がってただちに水上特攻を決定。(御言葉から即日決定は宜昌のときとそっくり同じ)

 2回目に、天皇はなおも執拗に「航空部隊だけか」と下問。及川は今度は決定事項だけに胸を張って「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃です!」と奉答。

 つまり、及川はとっさの出まかせで水上特攻を確約したわけではなく、一度は天皇に答えられないという失態を演じ、すごすごと退出しているのです。
 その次の時に、名誉挽回というか忠誠心挽回のために堂々と水上特攻を報告。

 ↑
 各記録を見ると、及川の上奏は3月29日としている記録と、4月4日としている記録があります。
 3月29日としている記録は「及川は答えられず恐縮して引き下がった」と記しており、4月4日としている記録では「及川は水上部隊もゆくと答えた」と記しています。
 しかし、この2つをともに書いてある記録が私の手もとにはないのです。
 (従って下問が二度あったというのは間違っているかも?)

 ともあれ総合すると、そして各記録が正しいとすると、
 及川は二度下問を受けていることになり、1度目3月29日に暗黙に「水上部隊は行けない」ことを天皇に知らしめ、2度目4月4日に堂々と「水海上部隊も行く」と答えて天皇を満足させたことになります。

 これだと、ますます天皇の責任は重大です。

 沖縄決戦に賭ける期待を天皇は常々公言し、軍部にプレッシャーを与えていました。
 天皇の期待を裏切る奏答は、誰にもできません。
 それだけに及川は何も奏答できないという失態を演じ、その不名誉をそそぐために再度上奏したのではないでしょうか。

 天皇は自らの希望・意思を予め伝えておいて、再度の下問の形で臣下から望ましい約束を引き出したわけです。大した策士です。

 宜昌のときのように直接催促するようなことを沖縄戦についても天皇は何度か言ってます。『昭和天皇発言記録集成』(芙蓉書房出版)下巻p.351には、沖縄作戦緒戦4月4日、「現地軍はなぜ攻勢に出ぬか、兵力が足りざれば逆上陸をやってどうか」という発言が引用されています。
 それほどに沖縄での一撃に期待していた天皇に、及川は「航空部隊だけです」とは言えるはずがありませんでした。

>
> 御前会議での天皇の発言とされている話のほとんどは御前会議前や後に発言したものがほとんどです。
>

それは違うと思いますけれどね。
 発言記録の類を見るとどれも、天皇の下問が挿入されていなければ議事が進行しないような流れになっていますから。下問によって会議の流れが結構変わったりしてます。
 しかも、天皇が「他に発言はあるか」と司会発言をしていたり、「陛下御言葉なし」とわざわざ書いてある部分もありますから、天皇が相当口数が多かったことは確かでしょう。
 下問以外にも自分の意見を述べていることは確かです。

>
> そして、御前会議は当時の日本で最高の意志決定会議です。
> 御前会議を欠席したり決定を反故にするなど、考えられません。
>

 いきなり鈴木首相が「陛下に決めていただく」的な発言をした時点で、梅津、豊田、阿南は「それは横暴だ」「いつもと違う手続きは認められない」と抗議できたはずです。ほんとに例外的だったら、抗議は正論ですから。
 むろん、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2048
 で述べたように、抗戦派は「謀ったな!」といきり立ってはいます。
 しかしその怒りは、あらかじめ御前会議開催の承諾署名を書かされていてそれを使われそうになっていることへの「騙したな」「こっちが帷幄上奏を尽くしていないうちに謀ったな」という怒りであって、「例外的な御前会議は認めん」というものではありません。
 つまりあの二度の御前会議は例外的ではなかったのです。
 天皇のいつもの権限に頼っただけなのです。

 しかしすでにお気づきのように、
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2048 で私は、次のように書いていました。

>
>8月9日と14日のような「その場で天皇に決めていただく」方式は、異例中の異例でした。  ……★
>

これは、最近の書き込みで私が述べてきたことと矛盾しているでしょうか。

 矛盾しているとも言えるし、していないとも言えます。
 意図的に「共通知識」の形成を狙ったという点では(つまり形式的には例外だったということは)
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2136
 でも認めているので、★と矛盾してはいません。

 しかしここで、私は最後の御前会議の異例性について(ひいては天皇の戦争責任について)矛盾したことを述べていると仮定してみましょう。

 その矛盾が本当の矛盾だとしても、それでも私の立場は破綻しないのです。
 むしろ論理的に強固になるのです。
 なぜか?

 いやその前に、
 及川古志郎への天皇の下問が3月29日と4月4日の2部に分かれていたというのは本当かどうか、御教示いただけませんか。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻7 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 7日(金)11時22分30秒

  返信・引用
> 「いや、無理をしなくてもよい。陸軍は精強の第9師団を沖縄から引き上げたことだし、海軍が無理をして全滅したら元も子もない」と。
> しかるに、沖縄が一撃論実践の舞台になるという幻想に依然しがみついていた天皇は、奏答に頷くことで及川に大和出撃を事実上命令してしまいました。
> 法的には命令ではありませんが、「事実上」命令と同じ効果を及ぼしたことを天皇はわかっていたはずです。

それは想像にすぎません。
違う解釈がいくらでも可能です。
私は、水上部隊も検討したうえでの「航空部隊丈の総攻撃」なのか?(肯定の返事を想定)との御下問だと考えています。
いずれにしろ、想像よりも証言を採用すべきです。


> 9月6日の御前会議では天皇は対米開戦について「絶対に勝てるか」と何度も声を張り上げて、拒否したらしいですしね。

開戦時の御前会議では天皇は歌を詠み、終戦時の御前会議とともに天皇が発言したという例外です。


> 他にもいろいろあるでしょう。聖断を記録した本はたくさんあるので改めて調べてみますが、『御前会議―昭和天皇十五回の聖断』 (中公新書)などでもわかるとおり、天皇の聖断」が下されたのは終戦の時だけだというのは単なる都市伝説です。

御前会議での天皇の発言とされている話のほとんどは御前会議前や後に発言したものがほとんどです。


> それでは一つだけ尋ねましょう。
> 証拠Kの繰り返しですが、
> 8月9日の御前会議が例外だったとしたら、なぜ誰も、陸軍大臣や参謀総長ですら、「そんな御前会議は手続き違反だ。私は欠席する」と反抗しなかったのでしょうか。
> あるいは、御前会議の後で、「あんな御前会議は憲法違反だ、無効だ」となぜ抗弁できなかったのでしょうか。

> なぜ一人の反抗もなく粛々と閣議へ引き継がれ聖断のとおり決定されたのか?

> これに明確に答えられない限り、終戦の聖断が例外だったという説は説得力がありませんよね。

まず、終戦時の御前会議の例外とは、天皇が自身の意見を述べた、ということです。
御前会議では天皇は発言しないのが原則です。発言する場合も御下問がせいぜいです。
天皇自身が2・26と終戦時は立憲君主を踏み外したと述懐しています。

そして、御前会議は当時の日本で最高の意志決定会議です。
御前会議を欠席したり決定を反故にするなど、考えられません。
そんなことは日本に対する反逆であり、日本人なら、それだけは絶対にできないでしょう。
陸軍の一部が玉音放送を妨害しようとしましたが、これは一種の反乱です。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻7 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 7日(金)01時21分48秒

  返信・引用
> No.2137[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 3月29日の航空特攻攻撃による天一号作戦の上奏時に、「航空部隊丈の総攻撃なるや」の御下問に「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答した。
> これが事実ですね。
> 「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」との奉答により大和特攻出撃が行われたという証言がありますし、この証言は納得できます。
> 少なくともこう↓はいえますよね。
> A:「航空部隊丈の総攻撃なるや」→大和特攻出撃
> B:「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」→大和特攻出撃
> AよりもBの方が可能性が高いことは認めざるをえないでしょう。
>

 もちろんその通りですよ。
 単に下問があったというだけでは何事も決定されません。
 下問に対して臣下が何事か答えれば、その答えによって天皇に対する責任が生ずるのです。
 水上部隊が全力を挙げて沖縄へ向かう、と奏答してしまった以上、海軍はそれを実行しなければなりません。
 奏答と矛盾した政策や戦術が発動されたと周囲に知れたら、国体の秩序が崩壊します。

 天皇は当然、その力学を知っています。
 自分の前で臣下が奏答したことは、必ずやなされるであろうことを。
 そこで天皇は及川に対して次のように言えたはずです。
 「いや、無理をしなくてもよい。陸軍は精強の第9師団を沖縄から引き上げたことだし、海軍が無理をして全滅したら元も子もない」と。
 しかるに、沖縄が一撃論実践の舞台になるという幻想に依然しがみついていた天皇は、奏答に頷くことで及川に大和出撃を事実上命令してしまいました。
 法的には命令ではありませんが、「事実上」命令と同じ効果を及ぼしたことを天皇はわかっていたはずです。

 しかし海軍がどれほど粋がってみせようと、
 もちろん陸軍は沖縄戦を本土決戦への時間稼ぎとしか考えておらず、結局チグハグになってしまいました。
 天皇は大元帥なのだから、ちゃんと陸海軍の戦術を統一した戦略を考えてほしかったですよ。第9師団の欠けた沖縄では米軍の予想した水際決戦もできず、持久戦が精一杯で一撃を与えることなど不可能。天皇が今さら海軍にだけ総攻撃を強いるのは不合理でしょう。航空特攻で支援する程度が精一杯のはずです。
 軍略のわからない天皇には、一切口出ししないでほしかったですね……。

>
> > 仮説S 終戦の聖断の手続きは例外ではなかった
> > 仮説T 終戦の聖断の手続きは例外であり、天皇が立憲君主を踏み外した例だった
> > 証拠K 聖断が下りそうなときに軍人が帷幄上奏に奔走し天皇を説得しようとし(つまりいつもどおり天皇の意思の影響力を懸念し)、聖断後は陸軍大臣をはじめ誰も反対しなかった(つまり(御前会議での)単独上奏→下問→閣議決定→正式上奏→裁可 という手続きをみなが異議ひとつなく認めた)。
>
> この仮説は事実から反証されてしまいます。
> 御前会議の「聖断の手続き」なるものは存在しません。御前会議で聖断をしたこと自体が例外だということです。
> 御前会議では天皇は原則として発言しませんし、御下問をしたことすらないのです。
>

 そんなことはないでしょう。
 御前会議ではしばしば天皇は下問し奏答を受け、さらに発言したりということをしているはずです。
 9月6日の御前会議では天皇は対米開戦について「絶対に勝てるか」と何度も声を張り上げて、拒否したらしいですしね。
 11月5日の御前会議では東條を信頼するあまりか、「12月1日までに対米交渉が成功すれば中止」という条件付きで対米開戦を黙認しますが。

 他にもいろいろあるでしょう。聖断を記録した本はたくさんあるので改めて調べてみますが、『御前会議―昭和天皇十五回の聖断』 (中公新書)などでもわかるとおり、天皇の「聖断」が下されたのは終戦の時だけだというのは単なる都市伝説です。
 ふつう「聖断」というと終戦の聖断を意味するのは、「ニク」といえば牛の肉を指し、「トリ肉」というとニワトリの肉を指すのが普通であるようなもので、「シネクドキ(提喩)」です。
 天皇は、終戦時に限らず、さかんに聖断を下していたのです。
 もちろん臣下は、天皇を煩わせないようなるべく事前の閣議などで決定事項だけを持っていこうとはしましたが、決定できないことについては天皇の意見を仰ぎました。

 いま手元にある重光葵『最高戦争指導会議記録・手記』を見ても、天皇は松岡洋右の悪口を言ったり、ドイツの単独講和を心配し日独共同で申し入れはできないものかと無理なことを言ったり、チモール問題ではっきり参謀総長に反対したり、たびたび独自の発言をしています。
 その土壌があったからこそ、ポツダム宣言問題について「聖断を仰ごう」と鈴木首相がいきなり言っても閣僚はさほど驚かなかったのです。(抗戦派には不意打ちだったでしょうが、天皇の決定権を認めているからこそのショックでした)

>
>証拠Kも事実ではありません。
> 帷幄上奏は文書により天皇に裁可を仰ぐために行うことであって、天皇を説得するためではありません。
> そして、「単独上奏→下問→閣議決定→正式上奏→裁可」という手続きはありません。
> 手続きはこう↓です。
> 命令案+「御説明」+指示案の上奏→質疑応答→天皇「可」を押印→通し番号を打って正式命令として発令
>
> ですので、このベイズ的論証の前提が崩れています。
>

 それでは一つだけ尋ねましょう。
 証拠Kの繰り返しですが、
 8月9日の御前会議が例外だったとしたら、なぜ誰も、陸軍大臣や参謀総長ですら、「そんな御前会議は手続き違反だ。私は欠席する」と反抗しなかったのでしょうか。
 あるいは、御前会議の後で、「あんな御前会議は憲法違反だ、無効だ」となぜ抗弁できなかったのでしょうか。

 なぜ一人の反抗もなく粛々と閣議へ引き継がれ聖断のとおり決定されたのか?

 これに明確に答えられない限り、終戦の聖断が例外だったという説は説得力がありませんよね。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻6 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 6日(木)18時11分53秒

  返信・引用
> 大御心を政治家・軍人みなが気にかけ、それが政策に影響し、天皇もそのことをよく知っていて影響力を行使した、という事実が重要なのです。

「大御心を政治家・軍人みなが気にかけ、それが政策に影響し、天皇もそのことをよく知ってい」たというところまではいいのですが、天皇が「影響力を行使した」というところが事実と異なるわけです。


> 単独上奏(内密もしくは公式、両方の)による天皇の意思の確認が、誰にとってもきわめて重要視されたということ、これが大切なのです。天皇の意思の確認が、奏上者を含め多数の閣僚や重臣や軍人にそのつど影響を及ぼしたという事実は、否定できません。

> 大和出撃は、急遽決定した作戦でした。タイミング的に、天皇への奏答に束縛された以外の原因はありません。
> あんな愚劣な作戦は、海軍内部にすでにコンコルドの誤謬がはびこっていたにせよ、天皇の下問による一押しがなければ実現しなかったと思われます。

3月29日の航空特攻攻撃による天一号作戦の上奏時に、「航空部隊丈の総攻撃なるや」の御下問に「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答した。
これが事実ですね。
「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」との奉答により大和特攻出撃が行われたという証言がありますし、この証言は納得できます。
少なくともこう↓はいえますよね。
A:「航空部隊丈の総攻撃なるや」→大和特攻出撃
B:「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」→大和特攻出撃
AよりもBの方が可能性が高いことは認めざるをえないでしょう。


> 仮説S 終戦の聖断の手続きは例外ではなかった
> 仮説T 終戦の聖断の手続きは例外であり、天皇が立憲君主を踏み外した例だった
> 証拠K 聖断が下りそうなときに軍人が帷幄上奏に奔走し天皇を説得しようとし(つまりいつもどおり天皇の意思の影響力を懸念し)、聖断後は陸軍大臣をはじめ誰も反対しなかった(つまり(御前会議での)単独上奏→下問→閣議決定→正式上奏→裁可 という手続きをみなが異議ひとつなく認めた)。

この仮説は事実から反証されてしまいます。
御前会議の「聖断の手続き」なるものは存在しません。御前会議で聖断をしたこと自体が例外だということです。
御前会議では天皇は原則として発言しませんし、御下問をしたことすらないのです。
証拠Kも事実ではありません。
帷幄上奏は文書により天皇に裁可を仰ぐために行うことであって、天皇を説得するためではありません。
そして、「単独上奏→下問→閣議決定→正式上奏→裁可」という手続きはありません。
手続きはこう↓です。
命令案+「御説明」+指示案の上奏→質疑応答→天皇「可」を押印→通し番号を打って正式命令として発令

ですので、このベイズ的論証の前提が崩れています。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻6 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 5日(水)19時20分56秒

  返信・引用
> No.2135[元記事へ]

 私は天皇制に対してはとくにイデオロギー的信念を持っておらず(昭和天皇個人にしても単なる性格のいいオッサンだったのでしょうし)、さしあたり論理だけに関心があるのですが、

http://8044.teacup.com/miurat/bbs/212
 あたりから、話題(言葉)を限定する戦略に切り替わって、空論に陥っているのが少し残念ですね。

 大御心を政治家・軍人みなが気にかけ、それが政策に影響し、天皇もそのことをよく知っていて影響力を行使した、という事実が重要なのです。
 その事実をどう呼ぼうが、限定したり無視したりすることはできません。
 よって、証拠Eが仮説Qを確証しているという主張はまだ反駁されていません。

>
> 根回しというのは、裁可を得るためにあらかじめ了解を求めておく行為です。
> 天皇に対する根回しは事実がありません。
>

 「根回し」という語はもともとハムさんが使い始めた言葉なので、その語について反論されても私には答えようがありませんが。
 いずれにしても、
 【特定の】単独上奏のための事前の根回しがされえたかどうか、は重要ではありません。
 現在と違って、単独上奏への天皇の反応は秘密ではなく為政者レベルには知れ渡りましたから、それまでの単独上奏(閣僚による内奏や軍部による帷幄上奏)の積み重ねが、次の閣議や最高戦争指導会議などに影響するわけです。当然、後続の単独上奏および閣議への天皇の姿勢にも影響しました。だから実質的な根回しということになります。
 しかしともあれ、文字通りにとられやすい「根回し」という言葉は使わないようにしましょう。
 単独上奏(内密もしくは公式、両方の)による天皇の意思の確認が、誰にとってもきわめて重要視されたということ、これが大切なのです。天皇の意思の確認が、奏上者を含め多数の閣僚や重臣や軍人にそのつど影響を及ぼしたという事実は、否定できません。

>
> 3月29日の上奏で及川古志郎軍令部総長が「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答しました。
> 天皇が裁可したのは、上奏された航空特攻攻撃です。
> 大和特攻は4月2日に検討され、天皇に上奏され裁可された形跡はありません。
>

 「上奏への裁可」だけに天皇の影響を限って議論したいハムさんですが、その限定は恣意的です。
 天皇が自分の意思どおりに事を運ばせる手だての大半は受動的裁可ではなく積極的な下問によるものですから、下問の影響を除外しては議論にならないでしょう。

 もしも天皇に実質的政治力がないのであれば、及川は、「水上部隊云々」という下問に対して自分がとっさにどう奉答しようが、そんなものは守らなくてもよかったはずです。正しい戦術的・戦略的判断に従えばよいのです。
 もともと大和出撃に反対だった人々は、天皇が何と言おうが、反対を押し通せばよいはずです。
 しかし天皇に一度答えてしまったものは、守らねばなりませんでした。
 天皇の希望に添った奉答であることが明白な場合は絶対です。
 「特攻」の一言で伊藤整一が納得したのも、大和出撃についての下問が菊水一号作戦の文脈でなされたことが知れ渡っていたからです。天皇の言霊は大したものです。4千人の命の行方が一瞬にして決まってしまうのですから。

 天皇に背くことはタブーなのです。宜昌占領や大和出撃のような完全に間違った戦術であっても、物理的に可能であるかぎり、実行を余儀なくされてしまったのです。

 軍人が、天皇の下問への自らの奉答に縛られてしまうという習性、これは、現在の天皇制とは全く違う、大日本帝国下の天皇制の特色でしょう。
 天皇はそのことをよく知っており、下問への奏答を引き出すことで自分の意思を通していきました。(そうむやみに下問を繰り出したわけではないでしょうが、どうしても通したい希望は下問で押しつけました。何度も言いますが、支那事変の奥地の戦場で海軍の主張に味方して陸軍部隊を動員させるなど、横車もいいところです)
 現在の上奏なら、それへの天皇のコメントは極力秘密にされますから、天皇が政治的影響力を行使することはできません。しかし大日本帝国における単独上奏は、いかなるものでも、天皇の下問とそこから推定される天皇の意思は周知となりました。
 その影響下に閣議決定がなされ、正式上奏、形式的裁可となるわけです。

 大和出撃は、急遽決定した作戦でした。タイミング的に、天皇への奏答に束縛された以外の原因はありません。
 あんな愚劣な作戦は、海軍内部にすでにコンコルドの誤謬がはびこっていたにせよ、天皇の下問による一押しがなければ実現しなかったと思われます。

>
> 2・26と終戦は天皇自ら立憲君主を踏み外した例として挙げていますので、例外です。
>

 天皇自身の証言が信用できる保証はありません。証言内容が生の〈事実〉についてのものではなく、立憲君主の道といった〈解釈問題〉である場合はなおさらです。
 終戦の聖断は例外でなかったこと(形式的には例外だったが、実質的にはいつもの手順を一箇所でまとめただけ)を
 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2128
 ですでに述べました。

 そこで述べた主張「終戦の聖断の手続きは例外ではなかった」もまた、ベイズ的に確証してみましょう。

 仮説S 終戦の聖断の手続きは例外ではなかった
 仮説T 終戦の聖断の手続きは例外であり、天皇が立憲君主を踏み外した例だった
 証拠K 聖断が下りそうなときに軍人が帷幄上奏に奔走し天皇を説得しようとし(つまりいつもどおり天皇の意思の影響力を懸念し)、聖断後は陸軍大臣をはじめ誰も反対しなかった(つまり(御前会議での)単独上奏→下問→閣議決定→正式上奏→裁可 という手続きをみなが異議ひとつなく認めた)。

 P(S|K)/P(T|K)=P(S)/P(T)×P(K|S)/P(K|T)

 P(K|S)≒1 …… 例外でないことについては誰も反対する理由を持たないから
 P(K|T)≒0 …… 非常時に国家要人が揃いも揃って例外的決定手続きに議論抜きで従うことはありえないから

 こうして、 P(S|K)/P(T|K)≫P(S)/P(T)

 さて、それでは事前確率の比 P(S)/P(T) はどうでしょうか。
 SとTについては、いずれに有利な決定的証拠もありません。(K以外には)
 よって、P(S)/P(T)≒1

 したがって、P(S|K)/P(T|K)≫1

 こうして、Kは、仮説Sがほぼ真理であることを証拠立てているのです。

 終戦の聖断が例外的だったのは、証拠Kの「(御前会議での)」という部分だけでしょう。
 単独上奏が御前で集中してなされたために、大御心が「共通知識」となり、ふだんの閣議よりももっと強力にすみやかに閣議での合意が形成されたというわけですね。
 普通の閣議では大御心がどのようであるかは各自知っていながらも、他の閣僚は知っていないと思い込むふりができ、多少、大御心に逆らう余地もありました。が、御前会議でみんないっしょに大御心を聞かされたのでは、そういうカマトト戦術は使えなかったのです。いずれにしてもこれは、天皇が立憲君主を踏み外したかどうかという大きな相違ではありません。構造的には、聖断はいつもどおりの下問と同じ形で下されたのです。

 (「共通知識」については、小島寛之『確率的発想法』(NHKブックス)第6章が参考になります。)

 こうして仮説Sは正しいのですから、
 終戦の聖断と同じくらい強い影響力と権力を、天皇は戦時中ずっと、意識的にふるい続けていたという結論が導かれました。

 こうして、翻って仮説Qがますます正しそうだということになるわけです。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻5 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 5日(水)10時37分44秒

  返信・引用
>「文書によりますので根回しなどはできません」とは意味不明です。

> いずれにしても、政治家や軍人が天皇の意思を確かめ、時には説得し、その結果が周知されるという意味では、天皇への根回し(失敗することもあれば成功することもある)がなされているというべきでしょう

> 天皇の意思が強力な影響力を持っており、それを天皇自身が自覚していたことは確かです。
> 法的には巧みに守られていた天皇ですが、政治的・道義的に戦争責任を負うことはやむをえないでしょう。

上奏(単独上奏?といえども)は文書によるわけですから、その行為は根回し的な行為とはいえませんよね。
上奏が裁可されなければ実施できないわけですから、この意味で天皇は「強力な影響力を持って」いたわけです。
天皇の方は「憲法上の責任者が慎重. に審議をつくして」いれば原則裁可です。
この関係は、いってみれば法案と議会の議長のような関係でしょうか。
ある法律による行為の政治的・道義的責任を議会の議長が負うべきだ、という考え方には無理があり容認できませんよね。


> 裁可を仰ぐのが根回しではない、という言葉遣いも別にどちらでもいいです。

根回しというのは、裁可を得るためにあらかじめ了解を求めておく行為です。
天皇に対する根回しは事実がありません。


> 痛恨の大和出撃も、天皇の一声がなければ実現しなかったでしょう。

大和特攻出撃と上奏の関係を見てみます。
3月29日 軍令部総長及川古志郎海軍大将が、昭和天皇に、航空特攻攻撃による天一号作戦の発動を上奏
4月1日 大本営では「昭和二十年度前期陸海軍戦備ニ関スル申合」が行われ、「陸海軍全機特攻化」が決定された。
4月2日 矢矧での第二艦隊の幕僚会議で大和を浮き砲台として使う案を検討
4月4日 連合艦隊司令長官と軍令部総長の決裁後に軍令部、連合艦隊の幹部に大和特攻作戦通告

3月29日の上奏で及川古志郎軍令部総長が「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答しました。
天皇が裁可したのは、上奏された航空特攻攻撃です。
大和特攻は4月2日に検討され、天皇に上奏され裁可された形跡はありません。


> 玉音放送も、「必要があれば私がマイクの前に立って国民に説明する」と天皇自身が言ったらしいし、二度目の録音は間違いなく天皇の希望でなされたものです。
> その種の自由意思の表明が重要なのです。

2・26と終戦は天皇自ら立憲君主を踏み外した例として挙げていますので、例外です。


> 天皇論はややモチべーションが低下してきました。

もし、φ様がなんらかのイデオロギーをお持ちであれば、ここでの議論は不毛です。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻5 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 5日(水)04時57分7秒

  返信・引用
> No.2132[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 帷幄上奏も文書によりますので根回しなどはできません。
> 天皇が得る情報は側近からのものでしょう。
> 側近を使って情報収集させたこともあるようです。
> しかし、軍や政府からの根回しがあったという事実は見つかりません。
> 天皇への根回しがあったという根拠はないでしょう。
>

「文書によりますので根回しなどはできません」とは意味不明です。
 「根回し」が特別な意味で使われているのでしょうか。

 いずれにしても、政治家や軍人が天皇の意思を確かめ、時には説得し、その結果が周知されるという意味では、天皇への根回し(失敗することもあれば成功することもある)がなされているというべきでしょう。
 根回しという言葉が気になるなら使うのをやめましょう。(この語を最初に導入したのは私じゃありませんよね)

 単独上奏は、どんなにこっそりやっているつもりでも、ほとんど必ず反対陣営の耳に入ってしまうところがミソです。
 戦争末期のどさくさの時も、徹底抗戦を訴える軍令部総長の帷幄上奏が海軍大臣の知るところとなり、ケンカになっています。

 天皇の意思が強力な影響力を持っており、それを天皇自身が自覚していたことは確かです。
 法的には巧みに守られていた天皇ですが、政治的・道義的に戦争責任を負うことはやむをえないでしょう。

 ただし、原爆投下以前には、天皇が自発的に「戦争をやめよう」と主張しても、軍は決して従わなかったでしょう。「君側の奸」論で無視されてしまったはずです。
 なぜなら、それまでの天皇の意見があまりに明白に徹底抗戦論(一撃論)に傾いていたので、いきなり和平と言われても軍人は信じなかっただろうからです。「そんなはずはない、さては君側の奸が……」となったことでしょう。

 したがって、原爆投下前のポツダム宣言受諾は不可能でした。
 天皇が陸軍に傾倒しすぎたツケが回ってきていたのです。

>
> ところが海軍、陸軍、政府と思惑が違いますし、派閥があります。
> 上奏までこぎつけるのが大変な作業だったでしょう。
> 上奏までこぎつけられれば、原則裁可されますから、天皇への根回しなどではなく内部の根回しの方がはるかに大事だったでしょう。
>

 どうも「天皇への根回し」という言葉が一人歩きしていますが、
 その意味がどうあれ、
 近衛上奏のような重要な単独上奏が、成功すれば閣議の趨勢そして日本の運命を決定したにもかかわらず、天皇の自由意思によって却下された、という事例を忘れてはなりません。
 内部の根回しなどより、天皇の意思を確認するほうが大切でした。
 天皇以外には統一的な意思決定者はいないのですから、当然です。

>
> ですから、単独上奏(非正式上奏)などというものはないのだと。
> 帷幄上奏も文書によりますし、裁可を仰ぐわけですから根回しではありません。
> 帷幄上奏は「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして」とはいえない場合もあるでしょうから、却下することもあるのでしょう。
>

 単独上奏は、近衛上奏をはじめ、いくらでもあるんですけれどね。
 ハムさんがそれらを「ない」ものと定義したいのであれば、べつに反対しませんが。
 裁可を仰ぐのが根回しではない、という言葉遣いも別にどちらでもいいです。裁可あるいは同意を仰ぐこと自体が上奏の趣意でありその結果がそのつど奏上者に影響したわけで、そのことが天皇の政治的パワーを語る上で重要なのです。

 軍事的決定は、帷幄上奏のベクトルの総和でたいてい決まりました。
 どの帷幄上奏を拒否し、どれに賛同するかは天皇の自由意思です。臣下はそれに大いに影響されました。
 痛恨の大和出撃も、天皇の一声がなければ実現しなかったでしょう。

>
> 天皇に立派な絶対君主を望むのであれば、おっしゃるとおりでしょう。
> しかし、天皇は立憲君主として厳しく自制しているのです。
> 天皇からああせいこうせい、ということはできません。
>

 何度も同じ譬えで申し訳ないですが、宜昌占領は天皇がさかんに指図した結果です。軍事的には無意味どころか有害な作戦なのに、陸軍ですら抵抗しきれませんでした。
 昆明占領などという物理的に不可能なナンセンスも言い出しています。(出典は後に)
 和平派が一撃論を論破できなかったのも、天皇が一撃論で行けと促していたからです。
 ああせいこうせい、ずいぶん言ってると思いますよ。

 天皇のイニシャティブが自然に発露した例として、
 終戦の詔勅は、最終稿に天皇自身が何箇所か手直ししています。
 玉音放送も、「必要があれば私がマイクの前に立って国民に説明する」と天皇自身が言ったらしいし、二度目の録音は間違いなく天皇の希望でなされたものです。
 その種の自由意思の表明が重要なのです。
 玉音放送は、法律的には何の効力も持ちませんが、政治的には絶大な効果を持ちました。単独上奏への下問と同様にです。
 単独上奏にそのつど答えかつ問い質した天皇の言葉が、法的効力は持たずとも、奏上者である政治家や軍人に絶大な力を持ち、閣議決定を左右した。玉音放送はそれと類比的です。
 天皇は8月14日に突如としてイニシャティブを身につけたわけではありません。

 しかしかなり多くの論点が置き去りにされたままになっているような。
 天皇論はややモチべーションが低下してきました。


小泉の好きな米国版赤穂浪士討ち入りとなった。 投稿者:市民 投稿日:2008年11月 5日(水)02時57分57秒

  返信・引用
http://book.geocities.jp/jcxq03/02/1/4.html

三浦和義は室町将軍三浦義一のパロディー。

三浦義一は衆議院議長の息子で右翼の中で戦後最高の黒幕

三浦和義の逮捕が9月11日であり、ロス疑惑事件はA級戦犯の処刑と関連がある。
Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻4 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 4日(火)13時15分41秒

  返信・引用
> 今は、政治的に実質的意味のある 大日本帝国の上奏 について話をしています。

失礼しました。
大日本帝国の上奏は、永井和「万機親裁体制の成立―明治天皇はいつから近代の天皇となったか」に詳しく書かれています。
天皇の裁可を仰ぐための奏請書の書式を四種類に分類し、最初に大臣・参議が詔勅施行の裁可を請う覆奏式を定め、次に三種類の奏事式を規定しています。
第一類奏事は、大臣・参議が連署して、天皇が可印を用いて裁可を下すと定められています。結文には「右謹テ裁可ヲ請フ」と記します。
第二類奏事は、閣議の決定を要さず太政大臣および左右大臣より直ちに奏聞すべしとなっています。結文には「右謹テ奏ス」が用いられます。天皇の裁可印は聞印が用いられる。
第三類奏事は、裁可を仰ぐのではなく、たんに天皇に報告するだけでよいもので、内閣書記官より宮内卿を経由して上呈されるにとどまります。書式は太政大臣・左右大臣の連署上奏、結文は「右謹テ御覧ヲ仰ク」で、天皇印は「覧」印です。
このほかに帷幄上奏があります。「この奏請書は太政大臣を経由せずに参謀本部長から天皇に直接上奏され、天皇の裁可をうけたあと、その執行(人事発令)のために太政大臣に下付されたのだった。このような軍部から直接に出される奏請書を帷幄上奏書とよぶ。」

> 天皇への根回しはあったというのが通説でしょう。
> 単独上奏の中でもとくに「帷幄上奏」は制度化されており、
> 天皇はたえず軍事の細かいことまで知らされかつ意見を述べており、軍人の誰よりも戦局全般に通じていたのです。

帷幄上奏も文書によりますので根回しなどはできません。
天皇が得る情報は側近からのものでしょう。
側近を使って情報収集させたこともあるようです。
しかし、軍や政府からの根回しがあったという事実は見つかりません。
天皇への根回しがあったという根拠はないでしょう。


>> ですので、これ↓は証拠になりません。
>> 証拠E 政治家や軍人がたえず単独上奏に尽力していた

> ↑政治家や軍人が非常時に、無意味な尽力をすることは考えづらいでしょう。
>  天皇の意思が重大な影響を及ぼすがゆえに、みな必死になって単独上奏を行ない、正式な法的決定を得ようとしたのです。

ところが海軍、陸軍、政府と思惑が違いますし、派閥があります。
上奏までこぎつけるのが大変な作業だったでしょう。
上奏までこぎつけられれば、原則裁可されますから、天皇への根回しなどではなく内部の根回しの方がはるかに大事だったでしょう。


> 繰り返しになりますが、それはあくまで正式上奏について言えることであって、
> 正式上奏はすでに天皇の意思を確認した後の儀式ですから、「天皇が拒否しなかったこと」はなんら重要な問題ではありません。
> それを重要な問題であるかのように(天皇の政治的権限の証拠であるかのように)ハムさんが持ち出したので、私ははじめ、単独上奏のことを言っているのかと思ったわけです。

ですから、単独上奏(非正式上奏)などというものはないのだと。
帷幄上奏も文書によりますし、裁可を仰ぐわけですから根回しではありません。
帷幄上奏は「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして」とはいえない場合もあるでしょうから、却下することもあるのでしょう。


> その風潮を天皇は重々承知しているわけですから、あまりに非人道的な戦術(神風特攻のような)を軍が始めたら、即座に叱責する。それが天皇の役目でしょう。

> しかも、神風特攻開始の時の海軍大臣は米内光政で、早期終戦を唱えていた人物であることは天皇も知っていました。
> 「統帥の外道」戦術が、天皇からの停戦命令を期待しての戦術だったことくらい、天皇にはわかっていたはずです。

> いったん始められたら、止められません。戦争努力が低下する雰囲気は御法度だからです。つまり、外道作戦をやめさせられるのは大元帥の天皇しかいませんでした。
> 天皇が特攻の非人道性に鈍感だったことが返す返すも残念です。

天皇に立派な絶対君主を望むのであれば、おっしゃるとおりでしょう。
しかし、天皇は立憲君主として厳しく自制しているのです。
天皇からああせいこうせい、ということはできません。

天皇に戦争責任があると主張する人は、天皇の立憲君主としての自制を知らない場合が多いように思います。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻4 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 4日(火)02時01分12秒

  返信・引用
> No.2130[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 上奏は手順が細かく決められています。
> 上奏文を「上奏箱」(漆塗りの箱)に収める
> ↓
> 宮内庁の侍従職の事務室に上奏箱を運ぶ
> ↓
> 宮殿の「侍従候所」(当直侍従の控室)に上奏箱が運ばれ、上奏文書の内容が確認され
> ↓
> 宮殿の「表御座所」(天皇の執務室)に上奏文書が運ばれ、天皇が署名する(親署)
> ↓
> 内閣官房内閣総務官室の職員が上奏箱を内閣官房に持ち帰る
>

↑これは大日本帝国の上奏の手順でしょうか。
 現在の日本のではないですか?
 内閣官房内閣総務官というのは戦前にあったのでしょうか。

 現在の上奏は完全な儀式ですからね。
 今は、政治的に実質的意味のある 大日本帝国の上奏 について話をしています。

>
> 近衛上奏も却下されていますし。
>

 誰がいつどんな上奏を行ない、天皇がどのような反応を示したか、はだいたい知れ渡りました。
 ただ、閣議などでは、単独上奏によって周知となった天皇の意思についてはみな沈黙したまま、「空気」によって天皇の意思を実現する方向へ話を持っていったのでしょうね。

>
> 私が調べた範囲では天皇への根回しの事実はありません。
>

 天皇への根回しはあったというのが通説でしょう。
 単独上奏の中でもとくに「帷幄上奏」は制度化されており、
 天皇はたえず軍事の細かいことまで知らされかつ意見を述べており、軍人の誰よりも戦局全般に通じていたのです。

 帷幄上奏にかぎらず、天皇の同意を得ることは大変でした。一撃論による近衛上奏の拒否を見てもわかります。
 宜昌占領の決定、日米英開戦の決定、聖断の実現、などは、各方面が競って天皇へアクセスした結果、ベクトルの和として生じたものです。
 最終決定の責任は天皇にあることは間違いないでしょう。
 ただ、形の上では、「天皇の意思」ということをみなが心に留めながらも、閣議や最高戦争指導会議で天皇とは独立に決めたような体裁をとることができました。

> ですので、これ↓は証拠になりません。
> 証拠E 政治家や軍人がたえず単独上奏に尽力していた
>

 ↑政治家や軍人が非常時に、無意味な尽力をすることは考えづらいでしょう。
  天皇の意思が重大な影響を及ぼすがゆえに、みな必死になって単独上奏を行ない、正式な法的決定を得ようとしたのです。

>
> であれば無理もないとは思いますが、天皇には「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くし」た上奏を拒否することはできないのです。
>

 繰り返しになりますが、それはあくまで正式上奏について言えることであって、
 正式上奏はすでに天皇の意思を確認した後の儀式ですから、「天皇が拒否しなかったこと」はなんら重要な問題ではありません。
 それを重要な問題であるかのように(天皇の政治的権限の証拠であるかのように)ハムさんが持ち出したので、私ははじめ、単独上奏のことを言っているのかと思ったわけです。

  くどくて申し訳ありませんが、
 ☆天皇の政治的権限を検証するためには、正式上奏のことを言うのは無意味。
 ☆単独上奏のことを言っているのであれば有意味だが、偽。
  天皇はしょっちゅう拒否したり独自の考えを述べたりしたのですから、ハムさんの言うことは史実に反しています。

 ハムさんは今は、単独上奏を脇に置いて正式上奏だけに話を限定したいようですが、
 話を限定したとしても、単独上奏の存在そのものは消せません。
 話を単に限定することは、史実の検証には何の役にも立ちませんね。

>
> 特攻が悪いというならば、特攻中止を上奏しなかったことを問題にすべきです。
>

 特攻中止を主張した高級軍人はけっこういたようです。
 しかし、上奏する勇気のある者はいなかったのでしょう。
 大日本帝国の悪しき風潮です。
 その風潮を天皇は重々承知しているわけですから、あまりに非人道的な戦術(神風特攻のような)を軍が始めたら、即座に叱責する。それが天皇の役目でしょう。

 しかも、神風特攻開始の時の海軍大臣は米内光政で、早期終戦を唱えていた人物であることは天皇も知っていました。
 「統帥の外道」戦術が、天皇からの停戦命令を期待しての戦術だったことくらい、天皇にはわかっていたはずです。

 いったん始められたら、止められません。戦争努力が低下する雰囲気は御法度だからです。つまり、外道作戦をやめさせられるのは大元帥の天皇しかいませんでした。
 天皇が特攻の非人道性に鈍感だったことが返す返すも残念です。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻2 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 3日(月)17時49分37秒

  返信・引用
> 近衛上奏をはじめとする単独上奏などというものがなぜさかんになされる必要があったのか、という問いにハムさんは答えられない、ということでよろしいでしょうか。

これは論証が難しいのです。
天皇への根回しなどという話は、記録に残りませんからね。

上奏は手順が細かく決められています。
上奏文を「上奏箱」(漆塗りの箱)に収める

宮内庁の侍従職の事務室に上奏箱を運ぶ

宮殿の「侍従候所」(当直侍従の控室)に上奏箱が運ばれ、上奏文書の内容が確認され

宮殿の「表御座所」(天皇の執務室)に上奏文書が運ばれ、天皇が署名する(親署)

内閣官房内閣総務官室の職員が上奏箱を内閣官房に持ち帰る

この上奏の手順を見ると根回しなどはできないでしょうね。
近衛上奏も却下されていますし。

御前会議は天皇が発言することは原則としてありませんから、あとは枢密院、元老会議、皇族会議、元帥府でしょうか。
枢密院は戦時中は影響力が低下していますし、元老会議は西園寺の死をもって消滅しています。
皇族会議は戦争とは無関係で、元帥府が軍事に強く影響していた事例はなさそうです。
天皇との懇談会の類は、開戦時のものが言及されていますが、その後の御前会議で天皇は不満を意味する詩を詠んでいますので根回しというものではないでしょう。
私が調べた範囲では天皇への根回しの事実はありません。

ですので、これ↓は証拠になりません。
証拠E 政治家や軍人がたえず単独上奏に尽力していた


> ただ、原爆投下をもたらした罪よりも、重慶爆撃→東京大空襲をもたらした罪や、特攻を黙認した罪のほうがさらに重大なのですが。

であれば無理もないとは思いますが、天皇には「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くし」た上奏を拒否することはできないのです。
特攻が悪いというならば、特攻中止を上奏しなかったことを問題にすべきです。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻2 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 3日(月)01時59分59秒

  返信・引用
> No.2127[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

いつもありがとうございます。
『戦争論理学』がカバーしきれなかった細部にまでここで言及する機会が得られ、まことに感謝しております。

とはいえ、……あれれ?
今回は?
いつものハムさんらしからぬ応答でしょうか?

>
> 天皇への直訴の類は、正式ではないわけですからこの議論の「上奏」にまぜるべきではないです。
> 天皇の発言の「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして」が正式上奏の条件でいいでしょう。
>

 ↑これによって、私の出したE「多くの単独上奏の存在」の証拠価値を消すことはできませんよね?

 お望みなら「直訴」と呼び名を変えてもいいです。
 が、
 「近衛上奏」「上奏文」などという言い方が普通になされているわけですから、単独上奏という言い方でよいでしょう。
 呼び名を変えるだけで議論を片づけることはできませんよね。

 したがって、証拠Eが仮説Qの証拠になっているという私の論を全然反駁できていませんよ。
  仮説Q 閣議等では、天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されている
  仮説R そのような選択はなされず、天皇の意思とは独立に決定されている
  証拠E 政治家や軍人がたえず単独上奏に尽力していた

 ちなみに、ハムさんが提示している新しい「証拠E」の「審議を尽くして」は、
 事前の単独上奏の影響が除去できていないので、Rを確証できません。

>
> 証拠E 憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして上奏する
>
>  P(E|Q)≒0 …… 審議にヤラセはないはずなので
>  P(E|R)≒1 …… 憲法上の責任者の審議に天皇は入っていないので
>

 ↑つまり、「審議にヤラセはないはずなので」という仮定は、仮説Rそのものでしょう。
 つまり、仮説Rが自分で自分を確証する循環論法になっています。
 「審議にヤラセはない」かどうかが論点なのです。

 近衛上奏をはじめとする単独上奏などというものがなぜさかんになされる必要があったのか、という問いにハムさんは答えられない、ということでよろしいでしょうか。

 ――単独上奏がなぜ必要かというと、むろん、和平を実現するなど重大な政治決定のためには、論敵に対して、天皇の賛同を盾にとる必要があったからです。
 天皇が賛成している案があれば、閣議はその方向で決まるのです。
 仮説Rが正しいならば、なにも各方面が争って天皇に単独上奏(直訴)する必要などありません。むしろお上を煩わせるだけです。
 お上(聖上、陛下)を煩わせるのは大罪でした。

 「お上を煩わせてはならない」が、大日本帝国の政治の原則でした。
 したがって、御前会議で何事かを決定することはなく、閣議で決定済みの事柄を御前会議に持っていって、天皇の裁可を仰ぎました。
 ここで、「お上を煩わせてはならない」の意味を取り違えてはなりません。
 「お上自身の意見をわざわざ聞き出して面倒をかけてはならない」という意味ではないのです。そういう意味だとしたら、事前に皆が単独上奏して天皇の意見を聞きにゆくのは御法度のはずでしょう。
 「お上を煩わせてはならない」というのは、御前会議でお上の意に反した政策を提示して、機嫌を損ねてはならない、という意味です。
 あるいは、形式上、天皇自身が決めた形になって、万が一その政策が失敗したときに天皇が公に責任をとらされる形になるのを避けよう、という意味です。
 だからこそ、事前の単独上奏で天皇の意思を確かめ、それに反しない政策を閣議で決めるのです。臣下だけで決めたような体裁をとって、天皇は儀式的に裁可します。
 (実質的な意思決定の主体である天皇に政治的・道義的責任があるのですが、形式上(法律上)、天皇に責任がないかのような体裁を作り、臣下が罪をかぶることができます。うまいシステムではありますね)

 ポツダム宣言受諾の聖断がなされた御前会議を思い出しましょう。あのときも、「お上を煩わせては」いませんね。
 たしかに、御前会議の現場で天皇の意思を仰ぎましたが、臣下のほうから天皇の意思とは独立の決定を持っていったわけではありません。
 いつもどおりのことがなされたのです。つまり、各大臣がまず天皇に単独上奏するところから始めたのです。
 しかしいつもと違ったのは、単独上奏が個別にではなく、御前会議という場で一度に、全員の耳に聞こえる形でなされたのです。
 結果、天皇は陸軍大臣の上奏を退け、外務大臣の上奏を受け容れました。これは天皇の自由意思によります。「私は外務大臣の意見に賛成である」と自らの意思を述べました。
 しかし、それは「決定」「命令」ではありません。
 天皇の鶴の一声は、これまでのとおり、事前幾多の単独上奏によって天皇の意思を臣下が確かめた段階を画したにすぎません。
 ここから閣議が開かれ、当然のごとく、天皇の意思に従った決定がなされました。陸軍大臣ももはや反対できませんでした。
 ついで改めて、閣議の決定が天皇に正式上奏され、天皇は「煩わされることなく」裁可したのです。

 つまり聖断の御前会議は、その形式こそ異例でしたが、常日頃のバラバラの単独上奏のやり方をただいちどきに集中的に行なったというだけのことです。
いつもの「単独上奏→お上の意思の確認→閣議→正式上奏」の手順から外れていなかったからこそ、誰も反対できず、日本は無条件降伏できました。
 いつもの手続きから外れていたとしたら、陸軍大臣が黙ってはいなかったでしょう。
 このことも、仮説Qが正しいことの傍証になります。

 このように、
 天皇の意思は、開戦から終戦まで、常に、閣議に反映され、すべての決定に対して大きな影響を及ぼしていたのです。

 開戦から終戦まで政治の中枢にずっと居続けたのは天皇ただひとりですから、天皇には、東條などを遥かに上回る戦争責任があると言うべきでしょう。

>
>百歩譲って天皇に原爆投下の結果責任があるのだとしても、それは政治的な責任にとどまるはずです。
> 行為責任の方がはるかに重いはずです。
> アメリカの謝罪が最優先でしょう。
>

 アメリカは、自国の青年を殺し続ける敵に引導を渡しただけです。
 天皇は、天皇を尊敬しかつ信じこそすれ決して害しない自国民に害を及ぼしました。しかも、盾にとる形でです。

 どちらの罪が重いかは、一目瞭然でしょう。

 ただ、原爆投下をもたらした罪よりも、重慶爆撃→東京大空襲をもたらした罪や、特攻を黙認した罪のほうがさらに重大なのですが。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻2 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 2日(日)17時33分25秒

  返信・引用
> 何のために近衛上奏のような努力がわざわざなされたのか? それ自体は政治的決定力のない単独上奏が?
> 閣議の前に天皇の意思を確認し、できれば説得しておきたかったからという以外に蓋然的答えはありません。

> にもかかわらずP(Q|E)/P(R|E)<1 とするのは、非科学的でしょう。

天皇への直訴の類は、正式ではないわけですからこの議論の「上奏」にまぜるべきではないです。
天皇の発言の「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして」が正式上奏の条件でいいでしょう。

ですのでこの↓設定が恣意的です。
> 仮説Q 閣議等では、天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されている
> 仮説R そのような選択はなされず、天皇の意思とは独立に決定されている
> 証拠E 政治家や軍人がたえず単独上奏に尽力していた

証拠E 憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして上奏する

 P(E|Q)≒0 …… 審議にヤラセはないはずなので
 P(E|R)≒1 …… 憲法上の責任者の審議に天皇は入っていないので

 P(Q|E)/P(R|E)≒0

 だから、Eは、Q<Rを証拠立てていることになるはずです。


> だから結果責任です。
> 天皇は原爆投下に行為責任はないでしょうが、結果責任はあります。
> Bグループの上級者がAグループに暴力を働いた結果、怒ったAグループによってBグループの下級者が殴られた場合(直接上級者に報復する中途の障害を排除するために下級者を殴ったのです)、Bグループの上級者は殴られた下級者に謝らねばなりません。
> 自分が下級者を殴ったわけではありませんが、自分のせいで下級者が殴られたのだからです。謝らないほうが理不尽でしょう。
> Aグループが謝るのはその後です。

それもおかしいです。
百歩譲って天皇に原爆投下の結果責任があるのだとしても、それは政治的な責任にとどまるはずです。
行為責任の方がはるかに重いはずです。
アメリカの謝罪が最優先でしょう。


それほど日本のインチキは、はなはだしい 投稿者:市民 投稿日:2008年11月 2日(日)12時21分6秒

  返信・引用
http://3rd.geocities.jp/jcpv02/0202/5/147.html

広島と長崎の原爆投下は、実に日本に都合よくできている。
シナリオは日本が書いて米国が実行したようにしか見えない。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻2 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 2日(日)01時49分36秒

  返信・引用
> No.2123[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

> ならば、「昆明を占領できぬか」が公式の席の発言だと仮定してみましょう。
> そうすると、実際には昆明を占領しなかったわけですから、天皇の発言の影響力がないことになり、上奏どおりに裁可したことになるでしょう。
>

「昆明を占領できぬか」は、御前会議などでの発言ではなく、天皇独自の発言です。
 つまり、単独上奏に対して天皇が述べる通例の「意見、希望、催促」の類です。

 昆明占領は、物理的に不可能だったので、天皇が裁可する、しないの問題にはなりません。

>
> 天皇の自制はこう↓です。
> 「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」
>
> ①の近衛上奏は、「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして」いません。この上奏文は常軌を逸したものであり、これは例外です。
> ②の「天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されている」は論拠を示せるでしょうか。
> 天皇は、開戦など意に満たないことを裁可しています。
>

 まず整理すると、ハムさんの議論における疑問点は、単独上奏と正式上奏をごっちゃにしているのではないかということです。
 単独上奏に対しては、天皇は自由に意見を言いますし、上奏されていないことも積極的に述べ、上奏者に対して自身の主張を印象づけます。
 したがって、上奏に天皇が賛成するか反対するかが重要な意味を持ちます。

 これに対し、
 「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合」
 というのは、閣議などを経た正式上奏でしょう。これは、いきなり天皇の前に提示されることはなく、すでにもろもろの単独上奏を受けて(あるいは他のルートで)臣下に対し天皇自身の意思を知らしめた後での上奏なので、内閣も天皇の意に添った上奏をすることになり、天皇は御前会議で滞りなく裁可することになります。
 この場合は、上奏に天皇が賛成するか反対するかは重要な意味を持ちません。臣下らがすでに天皇の意を汲んだ後での決定なので、天皇は形式的に裁可するだけだからです。(つまり天皇のスタンスについて何の証拠にもなりません)

 ハムさんは、この2つを合成して、「天皇が上奏に賛成するかどうか」が天皇のスタンスに関し重要な意味を持ち、かつ天皇は常に反対しない、と前提していますが、それは同一の上奏については成り立たないのです。
 重要な意味を持つ上奏の場合は、天皇はしばしば反対しましたし(だから天皇のスタンスが判明するのです)、もはや重要な意味を持たない形式的正式上奏の場合(天皇の態度が決まっている場合)にだけ反対を控えました。

 二種の「上奏」を合成しないと、ハムさんの主張は成り立ちません。

 さてそこで改めて、
 「天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されている」は論拠を示せるでしょうか
 という問いに移りましょう。
 証拠を示せます。
 単独上奏が頻繁になされた、ということがその証拠です。

 天皇が、閣議決定や最高戦争指導会議の決定を本当にただ裁可するだけなら、事前の単独上奏は必要ないはずです。重臣や大臣や参謀総長らでどんどん決めて、ただ天皇に持っていけばいい。

 ところが、そのようなことはされないのです。閣議の前に、各々の筋がさかんに天皇に上奏し、その意見を伺うのです。そして、天皇の意に添わない案は自発的に引っ込められ、生き残った案だけが閣議で重視され、決定を見るのです。
 これはすべての筋がばらばらに行ない、統計力学的にベクトルが決まってゆくので天皇の意思は表面化しませんが、総合的に、天皇の意思が全体を左右することになります。

 ↑このようなことを断定していいのか? と疑問に思われるかもしれませんが、改めてベイズ的仮説検定で検証してみましょう。

 仮説Q 閣議等では、天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されている
 仮説R そのような選択はなされず、天皇の意思とは独立に決定されている
 証拠E 政治家や軍人がたえず単独上奏に尽力していた

 P(Q|E)/P(R|E)=P(Q)/P(R)×P(E|Q)/P(E|R)

 P(E|Q)≒1 …… 必要な確認プロセスだから
 P(E|R)≒0 …… 非常時に国家要人が揃いも揃って無駄な努力にかまけることはなかろうから

 こうして、 P(Q|E)/P(R|E)≫P(Q)/P(R)

 さて、それでは事前確率の比 P(Q)/P(R) はどうでしょうか。
 QとRについては、いずれに有利な決定的証拠もありません。(E以外には)
 よって、P(Q)/P(R)≒1

 したがって、P(Q|E)/P(R|E)≫1

 こうして、Eは、仮説Qがほぼ真理であることを証拠立てているのです。

 何のために近衛上奏のような努力がわざわざなされたのか? それ自体は政治的決定力のない単独上奏が?
 閣議の前に天皇の意思を確認し、できれば説得しておきたかったからという以外に蓋然的答えはありません。

 にもかかわらずP(Q|E)/P(R|E)<1 とするのは、非科学的でしょう。

>
> ですから、百人斬り競争記事はグロテスクではないのですって。
> 一乗寺下り松の決闘とか、荒木又右衛門の36人斬り、とかのノリなわけです。
> そういう文化だということで、野蛮ではなかったわけです。
>

 百人斬り競争は、事実として大新聞に報じられていました。
 単なるフィクションの武勇伝で国民が奮い立っていたわけではありません。

>
> 責任をとれるのは、自分や自分の側の決定や行動であって、相手の決定や行動の責任を取ることなどできません。
>
> AグループとBグループが口論をしたとして、Bグループの下級者がAグループに殴られた場合、Bグループの上級者に殴られた責任はありませんよ。
> Aグループの殴った者の責任でしょう。
> それを、Aグループの殴った者の罪を問わずに、Bグループの上級者がBグループの下級者に謝らなければならない、などとは理不尽もいいとこです。
>

 だから結果責任です。
 天皇は原爆投下に行為責任はないでしょうが、結果責任はあります。
 Bグループの上級者がAグループに暴力を働いた結果、怒ったAグループによってBグループの下級者が殴られた場合(直接上級者に報復する中途の障害を排除するために下級者を殴ったのです)、Bグループの上級者は殴られた下級者に謝らねばなりません。
 自分が下級者を殴ったわけではありませんが、自分のせいで下級者が殴られたのだからです。謝らないほうが理不尽でしょう。
 Aグループが謝るのはその後です。


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻 投稿者:ハム 投稿日:2008年11月 1日(土)16時41分27秒

  返信・引用
> 「有名な言葉」というだけでは無責任ですから、出典がわかり次第、書きとめることにします。

ならば、「昆明を占領できぬか」が公式の席の発言だと仮定してみましょう。
そうすると、実際には昆明を占領しなかったわけですから、天皇の発言の影響力がないことになり、上奏どおりに裁可したことになるでしょう。
天皇の自制である「私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」を反証する事例はないですね。


> 九十九里の守りが予定どおりでないことについては明らかに怒っていたし、珊瑚海海戦の報告を受けたときも、「そういうところで詰めが甘いようでは……」と叱っていますよ。これも出典を同定してそのうち書きます。
 そういうのはたいてい個別の下問の席で言われますから、「公式の席」とは言えないでしょうが、影響力を持ったことに変わりありません

重臣たちが決められたことを守らなければ怒りますし、戦局が不利になれば機嫌が悪くなります。
これは誰でもそうでしょう。
そういうことと作戦への指示、影響は違います。


> ハムさんの勘違いと思われるのは2点。
> ①天皇は、単独上奏には頻繁に反対している。近衛上奏が最も有名な例。
> ②天皇は、正式上奏には反対していない。しかし、それはすでに天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されているからで、天皇の自己主張とは矛盾しない。

天皇の自制はこう↓です。
「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」

①の近衛上奏は、「憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして」いません。この上奏文は常軌を逸したものであり、これは例外です。
②の「天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されている」は論拠を示せるでしょうか。
天皇は、開戦など意に満たないことを裁可しています。


> そのようなグロテスクなプロパガンダが受け容れられるということ自体が、その社会の倫理的堕落を示しているということです。

ですから、百人斬り競争記事はグロテスクではないのですって。
一乗寺下り松の決闘とか、荒木又右衛門の36人斬り、とかのノリなわけです。
そういう文化だということで、野蛮ではなかったわけです。


> 女子割礼は野蛮でしょう。残念ながらいっこうに無くならないようですね。
> インドのサティ(寡婦焚死)も野蛮です。これは無くなりつつあるようですから良かったです。
> それぞれの文化は尊重しなければならないといって、アフリカから逃げてきた女性を強制送還するような文化相対主義も野蛮です。

その民族の教育レベルを日本やアメリカなみにして、それでも行う民族内の習慣は文化として考えるしかないでしょう。


> 重慶爆撃を促し、日米開戦を認め、特攻隊を是認したことによって、アメリカの対日戦争努力を苛烈なものとし、一撃論に固執したことによって、原爆投下前の降伏を不可能にしたからです。
> 原爆の存在を知っていようが知るまいが、結果責任というものを免れることはできません。

責任をとれるのは、自分や自分の側の決定や行動であって、相手の決定や行動の責任を取ることなどできません。

AグループとBグループが口論をしたとして、Bグループの下級者がAグループに殴られた場合、Bグループの上級者に殴られた責任はありませんよ。
Aグループの殴った者の責任でしょう。
それを、Aグループの殴った者の罪を問わずに、Bグループの上級者がBグループの下級者に謝らなければならない、などとは理不尽もいいとこです。

天皇は戦後マッカーサーに会い、御自分が全責任をとると語りましたが、それは日本国民が行ったすべての決定と行動に対してです。
アメリカの行為に対して、天皇が責任を取れるわけがないでしょう。
「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした」


3月20日地下鉄サリン事件。 投稿者:市民 投稿日:2008年11月 1日(土)06時26分2秒

  返信・引用
http://friend.45.kg/mp02/5/64.html

オウム真理教と日本の不良債権


Re: 戦争論理学 読後感 選択効果の巻 投稿者:φ 投稿日:2008年11月 1日(土)02時31分29秒

  返信・引用
> No.2117[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 「昆明を占領できぬか」という言葉ですが、小説の類か側近にもらした言葉ではないのですか。
> 私が調べた範囲では、公式にこういう発言はないようです。
> そもそも、ビルマルートは昆明までは検討範囲ですし、この作戦命令は「指」ですので事後の上奏だと思われます。
>

 ビルマルート遮断のためには、昆明の占領は必要ではありません。中途を遮断すればよいので。
 ただ、1944年末には、日本軍が昆明まで進撃してくるのではないかと蒋介石もウェデマイヤーも戦々恐々としていたことは有名な事実です。もちろん日本軍にそんな兵站能力はなく、杞憂だったのですが。

 天皇の「昆明を占領できぬか」は有名だと思うのですが、たとえばどの本に書いてあるのか、というのは直ちには指摘できません。天皇語録や側近の回想録の一番完備したものなら載っていると思いますが、あまりいい加減なことを言ってもいけませんね。
 同じく有名な言葉に、「九十九里の防備は全然進んでいないではないか」という趣旨のものもありますね。これもただちにどこに書いてあるとは見つけられませんが、確かになされたはずの有名な発言です。本土決戦派の陸軍首脳に対して幾度かこの言葉を発して相手の主張を封じ、和平派の力を強めるのに貢献しました。
 一撃論に固執したことの罪悪を、遅ればせながら「本土決戦準備遅延の咎め」によって罪滅ぼししたかのようです。

 「有名な言葉」というだけでは無責任ですから、出典がわかり次第、書きとめることにします。(と言っても二次資料三次資料ではあまり意味ないかもしれませんが……)

 天皇は臨機応変に自分の言葉を発し、権威を行使していました。決して傀儡ではありませんでした。
 そもそも日本には単独の意思決定者がいないのだから、傀儡であることは不可能です。天皇は、そのつど拮抗し合う各主張の間の勢力図を自ら変えていたのです。(ほんの何気ない一言で変わったりしました。天皇もそれは重々知っていました)
 東條を含めいかなる単独の個人よりも天皇には影響力があったのです。

>
> 天皇が公式の席で誰かを「叱りつける」などということは、立憲君主として絶対にしてはいけません。
> それをすれば、絶対君主になります。
>

 九十九里の守りが予定どおりでないことについては明らかに怒っていたし、珊瑚海海戦の報告を受けたときも、「そういうところで詰めが甘いようでは……」と叱っていますよ。これも出典を同定してそのうち書きます。
 そういうのはたいてい個別の下問の席で言われますから、「公式の席」とは言えないでしょうが、影響力を持ったことに変わりありません。

>
> 天皇としては対立が上奏されたのですから裁可をしなければなりません。
> 海軍側の裁可をしたわけですが、終戦時も海軍側の裁可をしていますね。
> 対立したときは、海軍側に同情的だったということはあったのかもしれません。
> いずれにしろ、天皇が上奏に反対したことや、上奏されないことを指示したことはありません。
>

 いくらでも例はあるでしょう。
 近衛上奏にはハッキリ反対しましたし。

 ★なお、ハムさんに重大な誤解があるのではないかという気がしてきました。
 単独上奏と正式上奏の区別がなされていないのではないかということです。
 数多い散発的な単独上奏の場合(近衛上奏もその一つ)には、天皇はしばしば遠慮なく反対しました。
 閣議で決定したような場合の正式上奏に対しては、たしかに、天皇は必ず賛成します。認可します。
 しかし、正式上奏というものは、そもそも事前に天皇の意見を聞いた上で、これで大丈夫という確証があって初めて閣議決定され、改めて天皇に上奏されるわけです。上奏は単なる形式なので、天皇が同意するのは当たり前で、それをもって「天皇は上奏に反対しない」とするのは、空虚な循環論法です。
 正式上奏は、天皇が難色を示した事柄は上奏の候補から除外されるのですから、選択効果が働いているのです。

 この選択効果を見落として、「天皇は正式上奏には反対しない。よって天皇には権力も責任もない」とするのは、明らかな誤謬です。天皇は上奏の前段階で多大な影響力をすでに行使しているのです。

 同様に、
 最高戦争指導会議の決定などもそうで、事前に天皇の意思は確認されており、それに反することは最高戦争指導会議に登ってこないのです。決定事項を天皇が追認するのは当たり前です。
 よって、見かけ上の追認をもって「天皇は軍人の言うなりだった証拠」とするのは大間違いです。

 事前の単独上奏の積み重ねで、閣僚や軍人は天皇の意思を確かめ、それに反しない政策や作戦を決定し、形式上、再び天皇に正式に上奏して裁可を得ていきました。それが基本です。

 ハムさんの勘違いと思われるのは2点。
 ①天皇は、単独上奏には頻繁に反対している。近衛上奏が最も有名な例。
 ②天皇は、正式上奏には反対していない。しかし、それはすでに天皇が賛成するものと確かめられた内容が選択されているからで、天皇の自己主張とは矛盾しない。

 天皇の、単独上奏に対する態度と正式上奏にたいする態度を区別すること。
 多数の単独上奏と、正式上奏との間には選択効果が働いているということ。
 この選択効果は重要ですから、天皇の戦争責任・開戦責任を考えるときに見落とさないようにしたいものです。

 話戻して、
 宜昌占領については、そもそも陸軍の戦争において、(もしも行なうなら)陸軍が行なわねばならない作戦について、陸軍の意見ではなく海軍の意見を優遇するなど、見当違いもいいところです。
 あえてそれをした天皇は、複数の単独上奏の扱いをしばしば誤ったということです。
 しかも、自分の恣意で軍内部の勢力図をいくらでも変えられることを証明したわけで、事実上、専制君主に近いと言えますね。

 ただ宜昌占領のときのようなあからさまな強要は滅多に表に出なかったというだけのことで、潜在的にはかなりのパワーを持っていたのです。

>
> 百人斬り競争記事は、武勇伝として書かれたプロパガンダ記事です。
> 無抵抗の農民や投降兵や捕虜を百人斬殺することなどは、武勇伝になりません。
>

 ポイントがずれているようですが――、
 そのようなグロテスクなプロパガンダが受け容れられるということ自体が、その社会の倫理的堕落を示しているということです。
 某アメリカ兵がイラク人を百人斬殺したといって米国内で英雄視されるなどということがもしあったら、私たちは、「アメリカってなんて野蛮な……」と思うでしょう。百人斬殺の話が作り話であってもです。そんな作り話を国民が受容すること自体が問題なのですよ。

 百人斬りが事実かどうかは二義的です。
 その話をもてはやすような国民性だったということを、日本人は恥じねばならないのです。
 (余談ですが、私が持っているDVDで『海軍病院船』というニュース映画(1943年)は、傷ついたアメリカ兵捕虜が日本軍軍医の診察を受けている姿を映し出し、「捕虜になってまでも生きながらえようとする浅ましいこの根性……」といったナレーションが流れます。そういうのを見るたびに、なんかいやな国だな……と思うのです。ああいう人命侮蔑的な言辞に国民が頷いていたかと思うと)

>
> 過去の風習には未開なものがあるでしょう。
> 現在において、ある民族の文化を野蛮だというのは、人種差別ですよ。
> たとえば、割礼を野蛮だといったら人種差別です。
>

 女子割礼は野蛮でしょう。残念ながらいっこうに無くならないようですね。
 インドのサティ(寡婦焚死)も野蛮です。これは無くなりつつあるようですから良かったです。
 それぞれの文化は尊重しなければならないといって、アフリカから逃げてきた女性を強制送還するような文化相対主義も野蛮です。

 ホロコーストが野蛮であることにハムさんは賛成ではありませんか?
 ユダヤ人禁忌もキリスト教文化として尊重せねばならないのでしょうか。
 ホロコースト主義者を野蛮と言ったら差別でしょうか。

>
> マンハッタン計画から原爆投下までのどこにも天皇は関与していませんよ。
> 天皇は原爆の存在自体を知りませんでした。
> その存在を知らない人に、その謝罪をできるわけがないでしょう。
>

 関与しています。
 重慶爆撃を促し、日米開戦を認め、特攻隊を是認したことによって、アメリカの対日戦争努力を苛烈なものとし、一撃論に固執したことによって、原爆投下前の降伏を不可能にしたからです。

 原爆の存在を知っていようが知るまいが、結果責任というものを免れることはできません。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月31日(金)13時37分5秒

  返信・引用
> 誰も昆明への進撃など上奏しておらず、「昆明を占領できぬか」は、一号作戦の成功に喜んだ天皇の独創的な考えでした。

インパール作戦(大陸指第1776 号(「ウ」号作戦認可))は、援蒋ルートの一つであるビルマルートの遮断が目的です。
ラングーンからラシオ(鉄道)、そこから昆明(トラック)のルートです。
「昆明を占領できぬか」という言葉ですが、小説の類か側近にもらした言葉ではないのですか。
私が調べた範囲では、公式にこういう発言はないようです。
そもそも、ビルマルートは昆明までは検討範囲ですし、この作戦命令は「指」ですので事後の上奏だと思われます。


>珊瑚海海戦で米軍艦隊を追撃すればよかった、というのも天皇の独創でした。

> しばしば独創的な意見を表明していた天皇なのですから、特攻のような非人道的な作戦が始められたときには、一言叱りつけるくらいできたはずです。

珊瑚海海戦で天皇が側近に不満を述べたということではないのでしょうか。
珊瑚海海戦はともかくミッドウェーは、現在の私が見ても悔しいです。

天皇が公式の席で誰かを「叱りつける」などということは、立憲君主として絶対にしてはいけません。
それをすれば、絶対君主になります。


>繰り返しになりますが、支那事変は陸軍の戦争なのだから、海軍の主張を支持するというのはバランス感覚悪すぎなのです。

天皇としては対立が上奏されたのですから裁可をしなければなりません。
海軍側の裁可をしたわけですが、終戦時も海軍側の裁可をしていますね。
対立したときは、海軍側に同情的だったということはあったのかもしれません。
いずれにしろ、天皇が上奏に反対したことや、上奏されないことを指示したことはありません。


> 斬殺の対象が、完全武装した戦闘中の敵兵だなどというのは誰も信じていません。

百人斬り競争記事は、武勇伝として書かれたプロパガンダ記事です。
無抵抗の農民や投降兵や捕虜を百人斬殺することなどは、武勇伝になりません。


> 野蛮な文化とそうでない文化の差異があることは事実です。
> 効率的な文明化に馴染まない風習や信念はすべて野蛮です。

過去の風習には未開なものがあるでしょう。
現在において、ある民族の文化を野蛮だというのは、人種差別ですよ。
たとえば、割礼を野蛮だといったら人種差別です。


> 原爆投下はまさに、軍民の区別なく「日本人」に対して為されたのでした。
> しかしその結果、本当に罪のない子どもや赤ん坊が多数殺されました。
> それを引き起こしたのは、日本政府と軍と天皇です。だから謝罪すべきなのです。

おかしな論理です。
マンハッタン計画から原爆投下までのどこにも天皇は関与していませんよ。
天皇は原爆の存在自体を知りませんでした。
その存在を知らない人に、その謝罪をできるわけがないでしょう。


>「捕虜の扱いに関する条約(ジュネーヴ条約)」を日本が批准しなかった理由は、日本兵が捕虜になるなど論外だから、敵国兵の扱いを決める互恵的条約は無意味、という理由でした。

そう考えていたのは日本国民です。
その日本国民が軍人になるわけです。
軍人になれば、投降=死、がおかしいと分るようになる。

こういうのは、百人斬り競争なども同じですね。
国民は武勇をもって戦うのだと思っている。
しかし軍人になれば武勇などできないことが分る。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月31日(金)02時10分50秒

  返信・引用
> No.2115[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 援蒋ルートの一つであるビルマルート(昆明を含む)を遮断することは上奏された作戦のうちです。
>

援蒋ルート遮断の必要性は常識でしたが、昆明への地上侵攻などは論外でした。
 誰も昆明への進撃など上奏しておらず、「昆明を占領できぬか」は、一号作戦の成功に喜んだ天皇の独創的な考えでした。

> 珊瑚海海戦でポートモレスビー攻略を断念したことは、天皇にも報告されていたでしょう。

 珊瑚海海戦で米軍艦隊を追撃すればよかった、というのも天皇の独創でした。
 ドゥーリトル初空襲の屈辱と並んで、珊瑚海海戦の始末への天皇の叱責が、海軍の焦りを生じさせ、ミッドウェー攻略戦の大失敗に繋がったと言えるでしょう。

 しばしば独創的な意見を表明していた天皇なのですから、特攻のような非人道的な作戦が始められたときには、一言叱りつけるくらいできたはずです。
 それをしなかったのは、三種の神器を守るためには幾千の青年を砲弾として使うくらい当然だと天皇が考えていた証拠です。

>
> 宜昌攻略は軍令部総長と参謀総長の対立として上奏されたため、天皇が裁可をしたのです。
>

繰り返しになりますが、支那事変は陸軍の戦争なのだから、海軍の主張を支持するというのはバランス感覚悪すぎなのです。しかも重慶爆撃は軍事的にも政治的にも問題多すぎでしたし(p.33に述べたように、重慶爆撃はかえって国民党に大衆の支持を集め、蒋介石の権力を強めました)。
 天皇の独創性が裏目に出た事例です。

>天皇の自制(原則無条件裁可)を反証する事例はありません。

 ほんとうに無条件裁可なら、支那事変の主役である陸軍の方針を支持すべきであって、海軍案にひいきしたのは矛盾でしょう。
 宜昌攻略のてんまつは、上奏の有無や合理性や声の大きさを越えて、天皇独自の好みが影響力を持った証しでした。

>
> 「私はなぜフグを食べてはならないのか」などという不平は、国政と無関係でしょう。
> 天皇は皇太子時代、皇居をこっそり抜け出して遊んだといいますから、庶民の食べ物などをよく知っていたのでしょう。
>

 国政と無関係な感情や好みを周囲に主張することによって、国政や軍事に影響を及ぼしていたわけです。日常会話における一撃論の支持はその例です。命令でも下問でも何でもない単なる好みの表明でしたが、和平派の身動きがとれない空気を作ってしまいました。

>
> 対象は敵兵ですから、狙撃手の場合と同じでしょう。
> ここには、日本刀神話もあります。
> 戦争中に軍刀の修理をしていた人の話によりますと、名刀正宗で鉄が切れるか議論になり、実際に鉄板に切りつけて名刀をダメにしてしまった例があるそうです。
>

 斬殺の対象が、完全武装した戦闘中の敵兵だなどというのは誰も信じていません。
 競争が成り立っていたということは比較判定ができたということで、そのためには第三者の審判が正確に人数を勘定していなければなりません。狙撃の場合ならそれは可能でしょうが、白兵斬殺戦の最中には無理です。
 「百人斬り」と言って当然含意されるのは、
 管理された条件下で、無抵抗の農民や投降兵や捕虜を斬っていたに違いない、ということでしょう。それは当時の大人から子どもまで誰もがわかっていたはずです。のみならず、競争の当事者である2人が、無辜の農民を斬殺したのも勘定に入っていることを認めています。残りもすべて捕虜と市民でしょう。

 そういう野蛮な斬殺競争を国家挙げて賞賛してはいけませんよね。

>
> ○○が日本の文化である場合、○○をもって日本人を野蛮人だというのは人種差別です。
> 「○○は日本の文化だ」かつ「○○は野蛮である」も導き出せませんよね。
>

 野蛮な文化とそうでない文化の差異があることは事実です。
 効率的な文明化に馴染まない風習や信念はすべて野蛮です。
 奴隷制や宗教裁判、刑罰としての拷問や合法的仇討ち、自殺特攻強制や民族浄化政策、女性器切除や生贄、等々は野蛮というべきでしょう。
 他民族をステレオタイプ化した教育も野蛮です。
 米英人は鬼畜であって戦争法規を守らず女性を強姦し捕虜を殺戮するから降伏する前に自殺せよ、という教育は野蛮です。
 虚偽にもとづいたプロパガンダを国民に施すなど、論外でしょう。皇軍自身が中国でやっていることを証拠もなく米英軍の習慣へと読み替えたわけですから。
 意図的な虚偽にもとづく教育は、みな野蛮というべきです。神話教育もです。大日本帝国はどう見ても野蛮な国でした。

>
> この史観の間違いは、日本軍と日本国民を分けて考え、悪いのは日本軍だとすることにあります。
> あの時代の日本国民をよく見てほしいのです。
> 国連を脱退したときの世論はどうでしたか?、支持しましたよね。
> 関東軍の独断によるいろいろな事件も世論は支持しましたよね。
> 南京攻略のとき、提灯行列でお祝いしませんでしたか。
>

 まさにその意味で私は次のように書いたのです。
 「よって、戦争責任は原爆被爆者も共通に分け持っている」(p.257)
 しかし同時に、なぜ被爆者に全日本人が謝罪せねばならないかをも同頁に書きました。
 謝罪すべき筆頭はもちろん天皇です。

 原爆投下はまさに、軍民の区別なく「日本人」に対して為されたのでした。
 しかしその結果、本当に罪のない子どもや赤ん坊が多数殺されました。
 それを引き起こしたのは、日本政府と軍と天皇です。だから謝罪すべきなのです。

>
> 特攻攻撃は世界各国で負け戦のときの最後の手段として実行されるものです。(外国では個人攻撃が多い)
>

 繰り返しになりますが、ドイツその他の特攻は、生還できるときは生還してよいことになっていました。
 日本軍の特攻は、故障での引き返しを除き、いったん攻撃に入ったら生還を禁じていました。「うまく爆弾を命中させたら生還してよろしいですか」という特攻兵の質問に、司令官が「いかん」と答えた例はたくさんあります。
 緒戦の勝利の時も、敵地へ不時着などをして一瞬でも捕虜になった疑いのある兵は、生還後、最前線で戦死するまで決死攻撃を繰り返させられ、どうしても死なないとなると、飛行機で洋上に送り出して自爆させました。

 映画『鬼が来た!』でも、主人公が駐屯地へ戻ると、「貴様はもう靖国に入っているのになぜのうのうと戻ってきたか!」と皆から殴られるシーンがありますね。実際ああいうふうだったようです。
 他の軍隊だったら、捕虜が脱出して帰還したら大歓迎するのですけれどね。

>
> 「捕虜になれば日本人失格」は、実は軍ではなく、民間がそう信じていたことなのです。
> 軍人の間では、これを煽る新聞が悪いと考えていたようですが、新聞は世論を反映したということでしょう。
>

「捕虜の扱いに関する条約(ジュネーヴ条約)」を日本が批准しなかった理由は、日本兵が捕虜になるなど論外だから、敵国兵の扱いを決める互恵的条約は無意味、という理由でした。
 捕虜になってはならぬ、という気運の音頭を取ったのは政府と軍だったのです。
 捕虜になったときの教育が為されなかったため、日本兵は、いざ捕虜になってしまったときの対応ができず、混乱と諦めと自暴自棄を招き、どうせ日本人失格だ、家族も村八分だとばかり機密をペラペラ喋ってしまうなどの反作用が生じました。
 野蛮な捕虜政策は、戦争遂行上も自国の不利を招いたのです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月30日(木)13時29分11秒

  返信・引用
> 昆明への進撃など誰も上奏していませんし、
> 珊瑚海海戦の不徹底を天皇に訴える者もいませんでした。
> しかし天皇は自分の意見で作戦時リアルタイムでそれらに言及しています。
> 戦後の例では、誰も「お上もフグを召し上がるべきです」などと上奏していないのに、さかんに「私はなぜフグを食べてはならないのか」と不平を述べています。

> とくに、矛盾した上奏や具申が為されたとき、どちらに味方するかは天皇の自由意思によっていました。
> 何度も同じたとえで申し訳ありませんが、宜昌攻略は、軍令部総長と参謀総長の両者の言い分を聞いた上で、両者の前で、「陸軍は宜昌をなんとかできないか」と催促しています。連日の下問と催促についに陸軍は耐えかねて、宜昌占領を決めました。

援蒋ルートの一つであるビルマルート(昆明を含む)を遮断することは上奏された作戦のうちです。
珊瑚海海戦でポートモレスビー攻略を断念したことは、天皇にも報告されていたでしょう。
宜昌攻略は軍令部総長と参謀総長の対立として上奏されたため、天皇が裁可をしたのです。
天皇の自制(原則無条件裁可)を反証する事例はありません。

「私はなぜフグを食べてはならないのか」などという不平は、国政と無関係でしょう。
天皇は皇太子時代、皇居をこっそり抜け出して遊んだといいますから、庶民の食べ物などをよく知っていたのでしょう。


> 狙撃と日本刀では全然意味が異なりますよ。
> 狙撃手が狙うのは、敵の将校や前線の兵士だけです。
> 日本刀での斬殺は、対象となりうるのは無抵抗の人間です。白兵戦で百人を斬殺したなどと信じる人はいないでしょう。百人斬りは、捕虜や投降兵や民間人を殺す行為以外の何物でもありません。

百人斬り競争記事は、主役の二人がどちらが早く敵兵を百人斬り殺せるかを競争しているという記事です。
対象は敵兵ですから、狙撃手の場合と同じでしょう。
ここには、日本刀神話もあります。
戦争中に軍刀の修理をしていた人の話によりますと、名刀正宗で鉄が切れるか議論になり、実際に鉄板に切りつけて名刀をダメにしてしまった例があるそうです。


> ○○が日本の文化だ、と言ったところで、○○が野蛮でないことにはなりませんね。
> 日本の文化が野蛮であることの一例が○○であるだけのことです。

> 「○○は日本の文化だ」から「○○は野蛮でない」が導き出せる、という推論は、論理学では何の誤謬というのですかね……、
> ちょっと適当な誤謬名を探してみます。

○○が日本の文化である場合、○○をもって日本人を野蛮人だというのは人種差別です。
「○○は日本の文化だ」かつ「○○は野蛮である」も導き出せませんよね。


> そして、日本国民に対する最大の加害者は、アメリカでもソ連でもなく、天皇と大日本帝国政府と軍だったことは間違いありません。
> そもそも勝ち目のない開戦に踏み切ったこと自体が国民への最大の加害でしたし、それを別にしても、

これは朝日岩波史観です。
この史観のせいで、原爆投下の謝罪要求がいまだにできないのです。

この史観の間違いは、日本軍と日本国民を分けて考え、悪いのは日本軍だとすることにあります。
あの時代の日本国民をよく見てほしいのです。
国連を脱退したときの世論はどうでしたか?、支持しましたよね。
関東軍の独断によるいろいろな事件も世論は支持しましたよね。
南京攻略のとき、提灯行列でお祝いしませんでしたか。

日本軍が悪いというならば、日本が悪いことになります。
その日本は完膚なきまでに負けて、過去の過ちを繰り返さない新しい日本になっています。

> 対して、特攻は、命令に背くことのできない若者の立場につけ込んで老人が強制した、何のコストもリスクも負わない卑劣な作戦でした。
> 傷病兵や民間人の殺害も、「捕虜になれば日本人失格」の烙印をちらつかせて家族を人質に取ったも同然の非人道的強制です。

特攻攻撃は世界各国で負け戦のときの最後の手段として実行されるものです。(外国では個人攻撃が多い)
「捕虜になれば日本人失格」は、実は軍ではなく、民間がそう信じていたことなのです。
軍人の間では、これを煽る新聞が悪いと考えていたようですが、新聞は世論を反映したということでしょう。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月30日(木)03時40分36秒

  返信・引用
> No.2111[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 天皇の自制(原則無条件裁可)からいうと、特攻中止が上奏されたら裁可されただろう、ということです。
> 上奏されないことを天皇が主張することは原則としてありません。
> こういう天皇の立憲君主としての頑固なまでの強い姿勢は、まったく正しいことで、あの時代によく貫き通したものだと思います。

 上奏に対して天皇が独自の意見を述べることはしょっちゅうありました。
 上奏されてもいないことを主張したりこぼしたりすることもしょっちゅうでした。
 昆明への進撃など誰も上奏していませんし、
 珊瑚海海戦の不徹底を天皇に訴える者もいませんでした。
 しかし天皇は自分の意見で作戦時リアルタイムでそれらに言及しています。
 戦後の例では、誰も「お上もフグを召し上がるべきです」などと上奏していないのに、さかんに「私はなぜフグを食べてはならないのか」と不平を述べています。

 とくに、矛盾した上奏や具申が為されたとき、どちらに味方するかは天皇の自由意思によっていました。
 何度も同じたとえで申し訳ありませんが、宜昌攻略は、軍令部総長と参謀総長の両者の言い分を聞いた上で、両者の前で、「陸軍は宜昌をなんとかできないか」と催促しています。連日の下問と催促についに陸軍は耐えかねて、宜昌占領を決めました。

>
> 戦争では、敵国人を何人殺したかは戦果であり、プロパガンダとして通用します。
> ベトナム戦争で活躍したアメリカ海兵隊の狙撃兵カルロス・ノーマン・ハスコックII世は、勲章をもらい英雄として尊敬されました。
> こういうのは各国共通です。
> 日本だけが特別野蛮なわけではありません。
>

 狙撃と日本刀では全然意味が異なりますよ。
 狙撃手が狙うのは、敵の将校や前線の兵士だけです。
 日本刀での斬殺は、対象となりうるのは無抵抗の人間です。白兵戦で百人を斬殺したなどと信じる人はいないでしょう。百人斬りは、捕虜や投降兵や民間人を殺す行為以外の何物でもありません。

 武勇伝の真偽はともかく、武勇伝を賞賛する風土があったということは事実です。そして狙撃兵の賞賛と、斬殺者の賞賛とでは、人道的意味合いがまるで違うのです。

 私も、戦時下で名狙撃手や撃墜王を賞賛する風潮が非人道的だとは思いません。
 しかし、無抵抗な人間に対する斬殺競争を褒め称える風土は、どう見ても非人道的でしょう。捕虜虐待や民間人殺傷の賞賛なわけですから。

 あるいはもしかすると、日本兵は正真正銘の戦闘中に、ほんとうに刀で敵兵を連日斬り殺していったのだと大衆が信じるほど、当時の日本人大衆は無教育で愚昧だったのでしょうか。戦争の実態を知らないそっちの風土(非人道的というより愚かな風土)の方が恐ろしいといえば恐ろしいですが。


> 戦争末期の日本軍による民間人の殺傷も、野蛮だからではなく、そういう文化だということです。
> 主な心理としては、どうせアメ公に蹂躙されて殺されるなら情けをかけて殺してあげよう、ということです。
>

 ○○が日本の文化だ、と言ったところで、○○が野蛮でないことにはなりませんね。
 日本の文化が野蛮であることの一例が○○であるだけのことです。

 「○○は日本の文化だ」から「○○は野蛮でない」が導き出せる、という推論は、論理学では何の誤謬というのですかね……、
 ちょっと適当な誤謬名を探してみます。

>
>アメリカに原爆投下されて何万人もの一般人を一瞬にして完全抹殺されたのは日本です。
>つまり被害者は日本です。
>この場合、謝罪するのは加害者でしょう?
>

 もちろんそうです。
 そして、日本国民に対する最大の加害者は、アメリカでもソ連でもなく、天皇と大日本帝国政府と軍だったことは間違いありません。
 そもそも勝ち目のない開戦に踏み切ったこと自体が国民への最大の加害でしたし、それを別にしても、
 第二次大戦での日本人死者総数のうち、敵に殺された人数よりも自殺者+味方に殺された人数のほうが多いことは確実です。死ね、味方を殺せ、という教育のせいで。
 加害度の大きい者から順に謝罪するのは当然でしょう。

 天皇・日本政府・日本軍の日本国民への加害は、同胞への加害です。戦争時ということで弁明できる加害ではありません。
 アメリカの日本への加害は、敵への加害です。戦争時においてやむをえなかったのです。

 原爆投下は、苛酷な投下訓練を繰り返し、二十億ドルのコストと十万人の労力が無駄になる危険を冒し、かつ高射砲で撃墜されるリスクを冒して敵領空に侵入し、成し遂げたという意味では、フェアプレイでした。
 真珠湾攻撃ですら、訓練を積み、数倍の戦力のある敵基地に乗り込んで叩いたのですから、宣戦布告前とはいえ、リスクを冒したフェアプレイと言えなくありません。
 対して、特攻は、命令に背くことのできない若者の立場につけ込んで老人が強制した、何のコストもリスクも負わない卑劣な作戦でした。
 傷病兵や民間人の殺害も、「捕虜になれば日本人失格」の烙印をちらつかせて家族を人質に取ったも同然の非人道的強制です。

 つまり原爆投下や真珠湾攻撃と、特攻や沖縄戦とでは、非人道性のレベルが違うのです。
 前者がひとえに物理的な加害であるのに対し、
 後者は、人の心・同胞の心を罠に填めたような、倫理の根源に触れる非人道性を帯びています。戦争時だからといって許される加害ではありませんでした。

 日本国民にとって、
 アメリカは単に物理的な加害者でしたが、
 天皇と日本政府・日本軍は、物理的かつ精神的な加害者だったのです。

 まずは最大の加害者だった日本政府もしくは天皇が戦災者に謝罪するのが順序でしょう。政府は補償によって実質的に謝罪していますから、問題は天皇ですね。

>
> そして、「現在において」人種差別ゆえの日系人強制収容を謝罪したわけです。
> ならば、「現在において」人種差別ゆえの広島長崎原爆投下も謝罪すべきです。
>

 日系人収容はアメリカ政府の物理的かつ精神的加害でしたから、当然、謝罪しましたね。
 前述のとおり、物理的加害である原爆投下よりも物理的かつ精神的加害から謝罪がなされるべきです。
 天皇の名において、「沖縄語で喋る者は処分す」などという布告を出し、実際に沖縄県民を処刑していたわけですから、皇軍こそが最大の差別者でした。

 よって、差別という観点からしても、
 やはり天皇が沖縄県民や被爆者や特攻隊員に謝罪しないかぎり、アメリカからの謝罪を引き出すのは難しいのではないでしょうか。
 (何遍も言いますが私もアメリカから広島長崎への謝罪は望ましいと考える点では、ハムさんと同意見です)


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月29日(水)09時59分22秒

  返信・引用
> 私が疑問に思うのは、天皇のこのバランス感覚の欠如なのです。昆明占領を主張できるなら、特攻中止くらい簡単に言えたはずでしょう。

> 天皇の戦争責任の議論を私がなぜ重視するかというと、天皇の責任の大きさと原爆投下の正当性とは相関関係にあるからなのです(p.161-2に粗描した連鎖式推論図は単純ですが、誰も反論できないと思います)。

天皇の自制(原則無条件裁可)からいうと、特攻中止が上奏されたら裁可されただろう、ということです。
上奏されないことを天皇が主張することは原則としてありません。
こういう天皇の立憲君主としての頑固なまでの強い姿勢は、まったく正しいことで、あの時代によく貫き通したものだと思います。

アメリカはこういう天皇の立憲君主としての強い意志を、おそらく理解していなかったでしょう。
日本軍の捕虜にダーウィンの進化論を講義していたぐらいですからね。
あなたの天皇は神ではなく猿の子孫だ、というわけです。
アメリカが天皇を正しく理解していたら、あるいは原爆投下はなかったのかもしれませんね。


>敵国人を何人殺したというのがプロパガンダとして通用するところにこそ、野蛮性が表われているでしょう。イラク人を何人殺した、というアメリカ兵が英雄になれるとは思えません。

> 捕虜になりそうな傷ついた戦友や民間人を撃ち殺すよう教育していた日本軍とはえらい違いです。
> 戦争だからといって人権を踏みにじり、自国民の命も敵国民の命も蔑視した日本人は、深く恥じねばなりません。

戦争では、敵国人を何人殺したかは戦果であり、プロパガンダとして通用します。
ベトナム戦争で活躍したアメリカ海兵隊の狙撃兵カルロス・ノーマン・ハスコックII世は、勲章をもらい英雄として尊敬されました。
こういうのは各国共通です。
日本だけが特別野蛮なわけではありません。

戦争末期の日本軍による民間人の殺傷も、野蛮だからではなく、そういう文化だということです。
主な心理としては、どうせアメ公に蹂躙されて殺されるなら情けをかけて殺してあげよう、ということです。


> 自国民に対してはそれはもちろん謝罪しますよね。
> しかし日本は、自国民に対して謝罪していません。補償はなされていますが、天皇が特攻隊員や被爆者にきちんと謝罪しないうちは、アメリカが謝罪できるはずはありません。順序が逆ですから。

これはおかしな論理です。
アメリカに原爆投下されて何万人もの一般人を一瞬にして完全抹殺されたのは日本です。
つまり被害者は日本です。
この場合、謝罪するのは加害者でしょう?


> ということはつまり、人種差別は第二次世界大戦全般を覆うバックグラウンド定数ということですね。つまり、原爆投下の悪質度を判定するには、人種差別という要因は関係ないことになります。

ですから、「現在において」謝罪すべきだと主張しているのです。
人類は人権を尊重しあうまでに進化したわけです。
そして、「現在において」人種差別ゆえの日系人強制収容を謝罪したわけです。
ならば、「現在において」人種差別ゆえの広島長崎原爆投下も謝罪すべきです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月29日(水)03時11分53秒

  返信・引用
> No.2108[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 宜昌占領、特攻容認など戦争中の天皇の行動が非人道的だという見方こそが恣意的な見方なのです。
> 天皇の自制(原則無条件裁可)を知っていれば、全てがこれで説明できます。
> 宜昌占領は海軍の要請です。
> 特攻攻撃は軍令部の作戦です。
> つまり、すべて天皇の言葉通り原則無条件裁可していたのです。
> 特攻攻撃に反対するようなことは、天皇の自制に反することになります。
>

 天皇の政治軍事への干渉がすべて「非倫理的」な方向性を持っていたとは思いません。
が、バランスが悪すぎるのです。
 ほとんどの場合、天皇は無条件で裁可などしていません。何かしら不満や疑問を呈しています。例の「航空部隊だけか」もその一つです。

 天皇が、軍部の力関係のバランスを崩したことも数知れません。
 宜昌占領を、海軍の主張通りイケイケでやり遂げるか、陸軍の主張通り軍事的に意味のない兵力運用は避けるか、どちらに賛成することもできたはずです。
 というより、日中戦争が本質的に陸軍の戦争だったことを考えれば、むしろ陸軍の意見を尊重すべきで、海軍の重慶爆撃を陸軍の犠牲において支持したのは全くもって解せません。

 軍事的に無意味な市民殺戮の方にあえて賛成するという形で、海軍に不自然かつ不当な肩入れをしてしまいました。支那事変の主役たる陸軍からすれば「原則無条件裁可」どころではありません。

 一号作戦においても、昆明まで行けぬのかと、陸軍の計画に全くない希望を述べていますし、
 珊瑚海海戦では、アメリカ艦隊を追撃しなかったことについて海軍をあえて叱っています。

 つまり天皇は、大元帥の責任感をかなりの程度持っていて(憲法上、軍の最高指揮官だったのですから、立憲君主として責任感を持つのは当たり前です)、その責任感から、いろいろ希望や意見を表明していたのです。
 特攻は、計画した海軍トップ自身が「決してあってはならぬ作戦」と自認していたのですから、天皇がいつものノリで意見を述べたいなら、まともな倫理に従って「そんな作戦はあってはならぬ。もうやめるように」と言えたはずなのです。

 私が疑問に思うのは、天皇のこのバランス感覚の欠如なのです。昆明占領を主張できるなら、特攻中止くらい簡単に言えたはずでしょう。

 天皇の戦争責任の議論を私がなぜ重視するかというと、天皇の責任の大きさと原爆投下の正当性とは相関関係にあるからなのです(p.161-2に粗描した連鎖式推論図は単純ですが、誰も反論できないと思います)。

 また、かりに裕仁天皇個人に倫理的責任がないと言えたとしても、天皇の立場を軍国主義者が利用するシステムが出来上がっていたので、そのシステムを粉砕するという基本方針を捨てることは連合国にはできず、原爆投下の代替策としての「天皇制維持の保証」はできなかったことになります。
 裕仁個人の人間性はある意味どうでもよい問題で、厄介だったのは、天皇という「空虚な中心」をどうにでも利用できてしまったという軍国天皇制そのものだったのです。

>百人斬り競争は、残虐行為ではなく武勇伝として宣伝されたのです。
> 現在の感覚ですと日本刀で斬り殺すのは残虐に見えますが、古い日本では残虐どころか武勇なのです。
> 百人斬り競争の主役の2人は実際には1人も殺してはいません。
> 新聞記者とのヤラセに乗ってしまったのです。
> 戦後の裁判でこの新聞記者がヤラセだと証言しなかったために主役の二人は処刑されてしまいました。
> 百人斬り競争は残虐なのではなく、戦意高揚の武勇伝であり、日本だけでなく各国にあるプロパガンダなのです。
> 百人斬り競争記事をみて全日本人は野蛮人だと思うのは人種差別です。

敵国人を何人殺したというのがプロパガンダとして通用するところにこそ、野蛮性が表われているでしょう。イラク人を何人殺した、というアメリカ兵が英雄になれるとは思えません。

 昨日、大学の教室で、アメリカのテレビドキュメンタリー『硫黄島からのVoice Letter』を学生に観せたのですが、そこに描かれているのは、とにかく「生きる」というイデオロギーです。アメリカ兵は戦場で戦友を救助することに全力を尽くし、同時に自分も救助される権利を心置きなく主張しました。
 捕虜になりそうな傷ついた戦友や民間人を撃ち殺すよう教育していた日本軍とはえらい違いです。
 戦争だからといって人権を踏みにじり、自国民の命も敵国民の命も蔑視した日本人は、深く恥じねばなりません。

>
> 日本は戦争に負けて反省し謝罪し、現在では人種差別のない国になろうと努力しています。
> アメリカは日本に謝罪をしていない。
> 人種差別による原爆投下に客観的な根拠(トルーマンの日記)がある以上、現在においては、アメリカは人種差別による原爆投下をも謝罪すべきです。
> 日系人の強制収容については、人種差別だったと謝罪し損害賠償していますので。

 自国民に対してはそれはもちろん謝罪しますよね。
 しかし日本は、自国民に対して謝罪していません。補償はなされていますが、天皇が特攻隊員や被爆者にきちんと謝罪しないうちは、アメリカが謝罪できるはずはありません。順序が逆ですから。

>
> 戦争中は日本人もアメリカ人も人種差別がありました。
>

 ということはつまり、人種差別は第二次世界大戦全般を覆うバックグラウンド定数ということですね。つまり、原爆投下の悪質度を判定するには、人種差別という要因は関係ないことになります。
 人種差別ゆえに仏印進駐がなされ、人種差別ゆえにハルノートが突きつけられ、人種差別ゆえに真珠湾攻撃がなされ、人種差別ゆえにバターン死の行進がなされ、人種差別ゆえにミッドウェー海戦がなされ、人種差別ゆえにレイテ沖海戦がなされ、人種差別ゆえに硫黄島や沖縄で戦いがなされ、人種差別ゆえにポツダム宣言が黙殺され、人種差別ゆえに原爆投下がなされました。
 よって人種差別は、原爆投下をとりわけ解明するのに適した要因ではありません。人種差別は、議論上はトリビアルな要因なのです。遥かに重視すべき動機や根拠が溢れており、そちらを論ずるべきなのです。
 マリリン・モンローの死因を調査するときに、死因の候補として「MMが女であったこと」「MMがアメリカ人であったこと」「MMが三十歳代まで生きたこと」「MMに心臓があったこと」等々を重視する人はいないでしょう。確かにそれらの要因はMMが「あのような死」を遂げるためには存在論的に重要な要因でしたが、議論のためにはきわめて些細な要因でしかありません。それらは無視せねばならないのです。同様に、原爆投下の動機や正当性を論ずるさいには「人種差別」は除外せねばなりません。原爆投下に人種差別が関わったのは、〈MMの死〉に〈MMに脚が二本あったこと〉が関与したのと同じ意味でしかないのです。

 人種差別という背景要因に囚われると、「薫製ニシン」にひっかかって袋小路にはまることになるでしょう。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月28日(火)13時06分11秒

  返信・引用
> しかしあれだけ口出ししておきながら、特攻を容認したこと、これが日本を後戻りできない悲劇に追い込んでしまったのです。組織的自殺特攻の開始は、ルーズベルトの無条件降伏要求、原爆投下と並んで、第二次大戦中の三大パラダイム変換と言うべきでしょう。

宜昌占領、特攻容認など戦争中の天皇の行動が非人道的だという見方こそが恣意的な見方なのです。
天皇の自制(原則無条件裁可)を知っていれば、全てがこれで説明できます。
宜昌占領は海軍の要請です。
特攻攻撃は軍令部の作戦です。
つまり、すべて天皇の言葉通り原則無条件裁可していたのです。
特攻攻撃に反対するようなことは、天皇の自制に反することになります。


> 問題は単なる戦意高揚のヤラセではなく、残虐行為の宣伝と賞賛が為されていたかどうかです。

百人斬り競争は、残虐行為ではなく武勇伝として宣伝されたのです。
現在の感覚ですと日本刀で斬り殺すのは残虐に見えますが、古い日本では残虐どころか武勇なのです。
百人斬り競争の主役の2人は実際には1人も殺してはいません。
新聞記者とのヤラセに乗ってしまったのです。
戦後の裁判でこの新聞記者がヤラセだと証言しなかったために主役の二人は処刑されてしまいました。
百人斬り競争は残虐なのではなく、戦意高揚の武勇伝であり、日本だけでなく各国にあるプロパガンダなのです。
百人斬り競争記事をみて全日本人は野蛮人だと思うのは人種差別です。


> 根拠なく「野蛮」と思われたのではなく、根拠があった以上、まったく差別ではありません。
> 差別してない人あるいは国を「差別者」と呼ぶことこそ、根拠なき偏見による差別でしょう。

根拠があるなしは人種差別を正当化する理由にはなりません。
いかなる理由があろうとも人種差別をしてはいけないのです。
人種差別は差別する側の問題であって、される側に問題はないのです。

戦争中は日本人もアメリカ人も人種差別がありました。
日本は戦争に負けて反省し謝罪し、現在では人種差別のない国になろうと努力しています。
アメリカは日本に謝罪をしていない。
人種差別による原爆投下に客観的な根拠(トルーマンの日記)がある以上、現在においては、アメリカは人種差別による原爆投下をも謝罪すべきです。
日系人の強制収容については、人種差別だったと謝罪し損害賠償していますので。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月27日(月)23時01分50秒

  返信・引用
> No.2106[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 天皇に何かを咎めたり、意見を述べたり、嫌悪や不快感を表明する義務はありません。
> 統帥権についても、陸軍では陸軍大臣と参謀総長に、海軍では海軍大臣と軍令部総長に委託されていたのです。
> 天皇にある義務は自ら任じているように、「私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」です。
>
> この天皇の自制を踏み外せば、おそらくヒトラーのようになってしまいます。
> それは我々にとってもっと不幸なことだったでしょう。
> 個々の戦況に捕われて国民の意志に反する恣意的な意見をいうようなことは、天皇の態度としては、よろしくないことです。

 天皇が何事についても沈黙していたのなら、それはそれでよいのです。
 ほんと、すべてについて黙っててくださいって感じですよね。

 問題なのは、
 天皇がきわめてお喋りだったことなのですよ。
 ほんとにあの人は軍事のあれこれに口を出しました。政治にすらです。
 重慶爆撃、宜昌占領、珊瑚海海戦、一号作戦、天号作戦、決号作戦、一撃論対和平論などについて、天皇は非公式にであれさかんに口をはさんで、軍や政府の方針に重大な影響を与えています。嫌がる陸軍に無理強いしたことさえあります(宜昌占領はその代表例)。
 つまり恣意的な意見をさかんに述べまくるスタンスをとっていたのです。
 その流れで、レイテ沖での自殺特攻開始を聞いたときには、いっそうの奮励を督促しこそすれ、お咎めなしだったのです。
 天皇が日本国民の命を何とも思っていなかった証拠です。三種の神器に比べ、国民の命は無限に小さなものでした。特攻隊員数千人の命は、砲弾にも値しなかったのです。

 珊瑚海海戦や一号作戦の詰めの甘さを叱りながら、神風特攻隊の非人道性を叱りはしなかった。
 大問題でしょう。

 特攻の父大西は、自ら神風特攻を「統帥の外道」と呼び、天皇の意に反した作戦であるはずと信じていました。したがって、天皇が叱責して停戦命令を出すことを怖れ、かつ期待していました。
 それなのに天皇は不快感の一つも表明しなかった。

 天皇の非情な倫理観を示すエピソードです。

 繰り返しますが、天皇が終始沈黙の人だったのであれば、罪は軽いでしょうね。
 しかしあれだけ口出ししておきながら、特攻を容認したこと、これが日本を後戻りできない悲劇に追い込んでしまったのです。組織的自殺特攻の開始は、ルーズベルトの無条件降伏要求、原爆投下と並んで、第二次大戦中の三大パラダイム変換と言うべきでしょう。

>
> それはもういろいろな例があります。
> プロパガンダで検索してみてください。
> アメリカですと、マッカーサーの“I shall return.”で、レイテ島に上陸する写真などは完全なヤラセです。

 ヤラセはどの国もやっていました。
 多数のアメリカ兵にドイツ兵捕虜の服を着せ、集団で手を挙げ投降するふりをさせて撮影したり。撃墜した日本機の翼に改めてガソリンをかけ火をつけて撮影したり。パリに入場する連合軍部隊に向かってサクラのパリジェンヌたちがキスの雨を降らせる様子を撮影したり。
 まあ、当時のドキュメンタリーのレベルはそんなものです。
 問題は単なる戦意高揚のヤラセではなく、残虐行為の宣伝と賞賛が為されていたかどうかです。
 日本刀での斬殺は、常識的に言って戦闘中の行為でありえないことは誰でもわかるし(事前に特定された複数の人物がそろって、白兵戦を百人分も生き延びられるというのはありえない)、実際、競争当事者が、無抵抗の投降兵や民間人を惨殺したことまでを武勇伝として語っていたのです。
 そんな残虐行為が「暴支膺懲」の名でもてはやされたのですから、悪質度においてマッカーサーの演出とは比べものになりません。
 アメリカでは、サイパンでの日本人民間人の悲惨な様子(母親が身投げ直前に投げ捨てた赤ん坊が水際に浮いているなど)は上映禁止とされました。国内でブーイングが起こるのを怖れたためです。つまりアメリカは、人道的に野蛮な国ではありませんでした。自国の同胞の命を尊重しているからこそ、敵国民の命にも感情移入できました。
 だからこそ、自国民を殺して平気な日本の国民性がアメリカ人には野蛮に映ったのです。早期終戦のためには大量殺戮も致し方ないほどの野蛮人にね。

>
> それがまさに人種差別ですよ。
> 広島や長崎の人たちの個性を尊重せず野蛮人だとレッテルを貼るわけですからね。
> 野蛮な行為者は野蛮人です。
> しかし、その家族やその民族までを野蛮人とするの差別です。
>
>

 もちろん野蛮人でない人たちも大勢殺傷されるであろうことはわかっていたはずです。
 しかし「戦争中」であるから非常手段として仕方なかったということです。
 ちょうど、日本軍が「戦争中であるから」自殺特攻という自国民大量殺害を非常手段としたようにです。

 ………………

 繰り返すと、
 差別とは、合理的理由(経験的証拠など)がないままに、偏見によって悪意を抱くこと。
 日本が国民に「鬼畜米英」という教育をしたのは、明らかに米英差別です。アメリカやイギリスが当時とくに残虐行為を働いている証拠はなかったからです。
 逆に、ナチスの犯罪を知っていながら、親独的な教育をしていました。
 野蛮でないやつを野蛮と言い、野蛮なやつをまつりあげた。事実に反したイメージを国民に提供し続けていた。
 大変な偏見国家でしたね。

 日本国家自身が自国民の命を軽視し、虐待し、強制自殺に追い込んでいたことが世界に知られていたのですから、ましてや敵国アメリカが一々日本人の人命を尊重してはいられないのは当然のことではないでしょうか。

 根拠なく「野蛮」と思われたのではなく、根拠があった以上、まったく差別ではありません。
 差別してない人あるいは国を「差別者」と呼ぶことこそ、根拠なき偏見による差別でしょう。

 白人であるというだけで差別者だと決めつけ、白人の国というだけでその戦略の動機は人種差別だと言いつのり、有色人種であるというだけで差別を弾劾する権利があるなどという態度をとっていたら、それこそ「有色人種はいじけている・ひがんでいる」と「根拠ある悪意」の対象になってしまうでしょう。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月27日(月)13時58分53秒

  返信・引用
> 自分の統帥権下にある軍隊が外国で婦女子に乱暴狼藉を働いたり、自国民を強制的に自殺特攻に駆り立てていたりするのを咎めないのは、やはり有罪でしょう。

> 繰り返すと、天皇が、政治ではなく、軍の戦術に対する意見を述べることは、立憲君主の本質に反しません。

天皇に何かを咎めたり、意見を述べたり、嫌悪や不快感を表明する義務はありません。
統帥権についても、陸軍では陸軍大臣と参謀総長に、海軍では海軍大臣と軍令部総長に委託されていたのです。
天皇にある義務は自ら任じているように、「私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」です。

この天皇の自制を踏み外せば、おそらくヒトラーのようになってしまいます。
それは我々にとってもっと不幸なことだったでしょう。
個々の戦況に捕われて国民の意志に反する恣意的な意見をいうようなことは、天皇の態度としては、よろしくないことです。


>新聞に連日大々的に報じられて、それが販売部数増加に貢献したような例ですよ。

それはもういろいろな例があります。
プロパガンダで検索してみてください。
アメリカですと、マッカーサーの“I shall return.”で、レイテ島に上陸する写真などは完全なヤラセです。


>> 「なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」が「事実にもとづいた嫌悪の表明」だとおっしゃるならば、広島や長崎の一般市民がそうであると論証しなければなりませんが、できないはずです。

>百人斬りに喝采を送り、自殺特攻を礼讃した国民は、当時のアメリカ人の目には野蛮人に映ったはずです。それは仕方がありません。
> 原爆投下の目標都市の市民が、日本人の中で例外だということは確率的にない、とトルーマンは思ったでしょう。
> よって、原爆投下の目標都市の市民も等しく野蛮だと推論されても、文句は言えません。

それがまさに人種差別ですよ。
広島や長崎の人たちの個性を尊重せず野蛮人だとレッテルを貼るわけですからね。
野蛮な行為者は野蛮人です。
しかし、その家族やその民族までを野蛮人とするの差別です。

あと、人種差別問題は差別する側の問題です。
差別される側の差別される理由などは人種差別問題ではありません。
つまり、差別する側が相手の人権を尊重するということです。
日本人は野蛮人だ、と書いた時点で人種差別主義者です。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月26日(日)23時51分26秒

  返信・引用
> No.2103[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

> まず、何かをしないことは罪になりません。

 子どもが万引きし続けているのに叱らず放置している親は、有罪です。
 自分の統帥権下にある軍隊が外国で婦女子に乱暴狼藉を働いたり、自国民を強制的に自殺特攻に駆り立てていたりするのを咎めないのは、やはり有罪でしょう。
 慈父失格です。

> 天皇が戦後、藤田侍従長に語った言葉です。
> 「憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上明記してある国務大臣の責任の範囲内には、天皇はその意志によって勝手に容喙(ようかい)し干渉し、これを掣肘(せいちゅう)することは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」
>

 繰り返すと、天皇が、政治ではなく、軍の戦術に対する意見を述べることは、立憲君主の本質に反しません。
 現に、重慶爆撃、宜昌占領、珊瑚海海戦、一号作戦、などについて、天皇はどこを占領できぬか、どこまで進撃できぬかとさかんに軍人に催促しています。自分の意見を始終述べていたのです。政治に対してすら、一撃論を奉じて和平派の上奏をことごとく斥けました。
 むろんそれらは命令ではなく、あくまで意見や希望の表明でしたが、強い影響力を見越しての意図的発言でした。

 レイテ沖での自殺特攻開始を聞いたときに、天皇が少しでも嫌悪や不快感を表明しておれば(珊瑚海海戦の後始末に不快感を表明した程度でもよいのです)、軍人は恐縮し、ただちに自殺特攻作戦は中止となったはずです。

 自殺特攻の開始は、軍人が、戦争継続は無理だと天皇にシグナルを送った非常手段でしたが、天皇はそんなことも見てとれず、青年が次々に死地へ送られる外道作戦を黙認し続けました。
 天皇は倫理的に悪だったというより、単に勘が鈍かったのかもしれませんが、それはそれで責められるべきでしょう。
 それに、多数の青年の命を軽んじたという点では、単に鈍かったではすまされず、やはり倫理的な責めを負うべきです。

>
> 神風特攻-特攻攻撃は外国軍にも例がある。

 例えばドイツ軍も末期には神風特攻の真似をしましたが、はるかに小規模であり、しかも乗員は間一髪で脱出してよいことになっていました。イタリア軍やイギリス軍の水上特攻もそうです。生還を禁じられていた日本軍の特攻とは違って、遥かに人道的でした。

> 南京事件-ベトナムでアメリカ軍も行ってしまった。事件性が強い。

 第二次大戦当時のアメリカ人の日本への印象の根拠を問うている文脈ですから、ベトナム戦争は関係ありません。
 私も、1960年代以降のアメリカがきわめて野蛮かつ愚かであることは否定しません。
 現在も依然として、アメリカは日本より遥かに野蛮な国だと私は確信しています。
 しかしそれは、1940年代においてはアメリカより日本のほうがはるかに野蛮であったという事実を否定する根拠にはなりません。

> 重慶爆撃-外国軍にも例がある。

前例はありません。地上侵攻を前提としない大規模な市民殺傷は重慶爆撃が世界初で、東京大空襲の計画は重慶の爆撃現場からクレア・シェンノートがワシントンに具申して実現したものです。

> 宣戦布告前奇襲攻撃-外国軍にも例があるし、真珠湾は政治的なミス。

日本は、日清戦争以来、あらゆる戦争で宣戦布告なしの奇襲攻撃から開戦していました。弁明しようがありませんね。残念ながら、卑怯な国というイメージは国際的に定着していました。

> バターン死の行進、泰緬鉄道-捕虜を特別に虐待したわけではなく、完全武装の日本軍の方が過酷だったとの証言がある。

自国民にすら苛酷な虐待や強制労働を課したのですから、日本という国はよけい野蛮です。

> 毒ガス使用やペスト菌使用-日本軍は主に非致死性のガスを使った。致死性のガス使用例は例外的。

毒ガス兵器がとりわけ非人道的というわけでないことについては私もフランク報告に賛成です。しかし、当時の「日本は野蛮」というイメージを問題にしているのですから、一般に毒ガスが銃弾より非人道的と(誤って)思われていた以上、ただ一国、毒ガス兵器を使っていた日本が野蛮だと思われたことに根拠はあったと言うべきです。
 当時の常識では、「毒ガス兵器を使う国=野蛮な国」だったのです。

> 百人斬り競争の大喜び-外国にも例がある。

たとえばどういう例でしょうか。
新聞に連日大々的に報じられて、それが販売部数増加に貢献したような例ですよ。

>
> 「なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」が「事実にもとづいた嫌悪の表明」だとおっしゃるならば、広島や長崎の一般市民がそうであると論証しなければなりませんが、できないはずです。
>

百人斬りに喝采を送り、自殺特攻を礼讃した国民は、当時のアメリカ人の目には野蛮人に映ったはずです。それは仕方がありません。
 原爆投下の目標都市の市民が、日本人の中で例外だということは確率的にない、とトルーマンは思ったでしょう。
 よって、原爆投下の目標都市の市民も等しく野蛮だと推論されても、文句は言えません。
 それに加え、どうせ自国民の命を尊重しない一億特攻の国なのだから、戦争行為で都市の2つや3つ壊滅させられるくらいは覚悟しているだろう、との思いもあったのではないでしょうか。
 日本軍が、日本兵および日本民間人の命を尊重した戦いかたをアメリカに印象づけていれば、アメリカも、原爆投下を躊躇したかもしれません。

 サイパンや沖縄で、民間人が、教育されたとおりに自決していったのは、「アメリカ人は野蛮であり、女はレイプされ男は虐殺される」と信じていたからです。
 つまり、当時は日本人もアメリカ兵が野蛮であると信じていたのです。
 しかしそれは根拠となる事実の裏付けがありませんでした。
 「アメリカ人は野蛮」という教育は、差別の産物だったのです。

 他方、アメリカ人の「日本人は野蛮」というイメージには、残念ながら、根拠となる事実の裏付けがあったのです。
 サイパンや沖縄で投降しようとする民間人を背後から日本軍が射殺する場面を多数目撃し、自暴自棄に突っ込んでくる神風特攻隊を目の当たりにしたアメリカ兵にとって、そしてニュース映画でそれらの場面を見ていたアメリカ国民にとって、そして大統領以下アメリカ政府と軍の指導者にとって、「……、……、…… したがって日本人は野蛮」というのは「合理的な推論」だったはずです。
 事実的根拠のない差別とは違うのです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月26日(日)16時23分41秒

  返信・引用
> 「戦争をなるべく早くやめる方向で考えるように」という示唆もできたはずなのに、それをしなかった。それだけで天皇の罪は重いでしょう。

> 軍がどのような戦術をとるか、は政治ではなく軍事ですから、憲法と関係ありません。
>統帥権を持つ軍の最高権力者として、その時々の新戦術に対して意見を述べることは立憲君主の本質に反しません。

まず、何かをしないことは罪になりません。
次に、天皇が自任する立憲君主は、原則無条件裁可です。

天皇が戦後、藤田侍従長に語った言葉です。
「憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上明記してある国務大臣の責任の範囲内には、天皇はその意志によって勝手に容喙(ようかい)し干渉し、これを掣肘(せいちゅう)することは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」

意見を述べまくる立憲君主は、実質として絶対君主になるでしょう。
この議論は、絶対君主はよくないという前提に立っていますが、天皇は絶対君主であるべきであったという御主張ならば話は別です。


> トルーマンの書き込みは、人種差別ではありません。そう言われるに値する残虐行為を日本軍がしていたのは事実ですから。

> むろん、「野蛮な国の国民は野蛮である」という推論は「分割の誤謬」です。が、演繹的には誤謬だというだけであって、結果的に正しい確率の高い、帰納的にはそこそこ合理的な推論でもあります。

神風特攻-特攻攻撃は外国軍にも例がある。
南京事件-ベトナムでアメリカ軍も行ってしまった。事件性が強い。
重慶爆撃-外国軍にも例がある。
宣戦布告前奇襲攻撃-外国軍にも例があるし、真珠湾は政治的なミス。
バターン死の行進、泰緬鉄道-捕虜を特別に虐待したわけではなく、完全武装の日本軍の方が過酷だったとの証言がある。
毒ガス使用やペスト菌使用-日本軍は主に非致死性のガスを使った。致死性のガス使用例は例外的。
百人斬り競争の大喜び-外国にも例がある。

百歩譲って日本軍が残虐だったとしても、広島や長崎の一般市民が野蛮だったとは、「結果的に正しい確率の高い、帰納的にはそこそこ合理的な推論」だとは考えられません。


> 偏見ではなく事実にもとづいた嫌悪の表明は、差別の証拠にはなりません。

「なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」が「事実にもとづいた嫌悪の表明」だとおっしゃるならば、広島や長崎の一般市民がそうであると論証しなければなりませんが、できないはずです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月26日(日)00時43分27秒

  返信・引用
> No.2101[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 「航空部隊丈の総攻撃なるや」とは、私にはあたりまえの質問にみえます。
>

 「戦争をなるべく早くやめる方向で考えるように」という示唆もできたはずなのに、それをしなかった。それだけで天皇の罪は重いでしょう。
 近衛上奏を斥けて、一撃論に固執したのは天皇の大いなる誤りか、さもなくば悪意か、どちらかです。

 戦況と政治についてさまざまな意見が上奏されてくる中で、沖縄戦が絶望になるまで和平派に耳を傾けず、主戦論に肩入れし続けたのは、天皇の決定的な罪です。
 このことは日本人の大多数が認めているのですが、公言されることは意外と少ないために、日本の再軍事大国化可能性を過大評価する口実を近隣諸国に与え、警戒したり政治利用させたりするもととなっているのではないでしょうか。

>
> 天皇は立憲君主だということ、少なくともご自身でそう任じていたのです。
> 青年たちの命を尊重し停戦を口にしたら、その人は立憲君主ではないのです。
> 天皇のことばどおり「私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」のです。
> 天皇を絶対君主にしないためには、それが必要なことでしょう。
>

 軍がどのような戦術をとるか、は政治ではなく軍事ですから、憲法と関係ありません。
統帥権を持つ軍の最高権力者として、その時々の新戦術に対して意見を述べることは立憲君主の本質に反しません。
 裕仁天皇の最大の罪は、自殺特攻という新戦術が採用されその報告を受けたとき、不快感の表明をすべきだったのに、それをしなかったことです。
 「そのような戦い方は不愉快である」と一言述べておれば、大西瀧治郎の期待どおり、「そんな非道なことをせぬと戦争を続けられないなら、戦争はやめだ」という意向が伝わり、和平派が俄然力を持ち、原爆投下はおろか沖縄戦、硫黄島戦をも避けられたことでしょう。
 大西瀧治郎ですらもう戦争はやめるべきだと信じていたときに、自殺特攻をこともなげに追認した天皇の罪を否定することはできないでしょう。

 愛する親や兄弟や恋人を持ち、将来の希望も持っていた青年一人一人の命の価値を、一片の砲弾と同一視する自殺特攻は、日本の恥だと思います。
 自殺特攻の非人道性を徹底的に悔い、それを容認した天皇を弾劾しないかぎり、日本人には、原爆投下を非難する権利はないでしょう。命の軽視ということでは、特攻は、原爆投下の比ではないのですから。

 昭和天皇は、特攻隊員の遺族に謝罪すべきでした。

>
> トルーマン米大統領が日本に原爆投下を決めた日の日記に「このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」という書き込みをしています。
>

 トルーマンの書き込みは、人種差別ではありません。そう言われるに値する残虐行為を日本軍がしていたのは事実ですから。
 日本人である私でさえ、当時のアメリカよりも大日本帝国のほうがはるかに野蛮だったと思います。神風特攻一つとっても、天皇がそれを支持したことをみても、国際基準で見て抜群に野蛮な国ではありませんか?

 むろん、「野蛮な国の国民は野蛮である」という推論は「分割の誤謬」です。が、演繹的には誤謬だというだけであって、結果的に正しい確率の高い、帰納的にはそこそこ合理的な推論でもあります。

 偏見ではなく事実にもとづいた嫌悪の表明は、差別の証拠にはなりません。
 南京事件や重慶爆撃や宣戦布告前奇襲攻撃やバターン死の行進や泰緬鉄道や毒ガス使用やペスト菌使用など、日本軍の戦争犯罪は世界中に知られていました。
 軍や兵士だけではありません。百人斬り競争は捏造だったにしても、その記事に一般国民が大喜びしたことは事実ですから、兵士のみならず一般国民一人一人も「野蛮」だったと言えるでしょう。それらを根拠としたトルーマンの嫌悪表明は、全然「差別」の名に値しません。
 差別とは、事実的根拠の裏付けなしに、理由なく嫌悪感を抱いて不当に扱うことです。
 差別していない人を「差別者」とレッテル貼りすることは、それ自体が事実的根拠を持たない嫌悪にもとづいており、イメージや偏見による決めつけであり、差別なのです。

 原爆投下が人種差別によって為された、という言説も、根拠のないアメリカ人差別なのです。

 原爆投下が人種差別によって為されたことを証明する事実は何一つなく、かつ別の理由があまりにも豊富ですから、オッカムの剃刀によって人種差別は削ぎ落とすのが健全でしょう。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月25日(土)16時55分23秒

  返信・引用
> しかし天皇は、無知ではありませんでした。天皇の質問は、決して素朴な質問ではありませんでした。
> 海軍が天皇や陸軍に対しても誤った戦果を伝えて惑わしていたことは事実ですが、天皇は連合艦隊などもう存在しないことは熟知していたはずです。
> 合理派(大和は残す)vs非合理派(大和は乗組員を満載して沈まねばならぬ)の戦いに、天皇が鶴の一声で介入したのはやはりまずかったでしょう。
> 沖縄決戦に期待しすぎたあたり、天皇は悪だったというより判断力がなかったというべきかもしれません。いずれにせよ、責任は重いでしょう。

天皇は全てを詳細に熟知していたわけではありません。
そんなことは不可能です。
だから、天皇への説明の場が設けられていたわけです。
天皇が全てを詳細に熟知し、何らかの意図があるのならば、責任者を呼びつけて指示をすれば済みますよね。
ところがそういう事実はありません。

天皇は科学者でもあるので、作戦が最善の作戦か否かは確認したかったのでしょう。
一般社会でも有能な上司はそうするでしょう。
水上部隊の投入も検討したうえで、航空部隊だけの作戦が最善だと判断したのか?
これは確認すべきことです。
「航空部隊丈の総攻撃なるや」とは、私にはあたりまえの質問にみえます。


> ただ私としては、「航空部隊丈の総攻撃なるや」に腹が立つのは、天皇が、航空特攻は当然のことと見なし、青年たちの命をこれっぽっちも尊重していないことです。
> p.87, p.158 に述べたように、大西瀧治郎が特攻という外道作戦を始めたときも、大西の期待に反して天皇は停戦を口にしませんでした。
> 天皇が「大御心」で(国民の惨禍に心を痛めて)終戦の詔勅を出した、という都市伝説ほど歴史を歪めたものはないでしょう。

天皇は立憲君主だということ、少なくともご自身でそう任じていたのです。
青年たちの命を尊重し停戦を口にしたら、その人は立憲君主ではないのです。
天皇のことばどおり「私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」のです。
天皇を絶対君主にしないためには、それが必要なことでしょう。


> 人種差別ゆえに原爆投下をした、ということを証明する文書――あるいは、人種差別がなかったら原爆投下はなかっただろう、と証明する文書――が出てこないかぎり、
> 「アメリカは人種差別ゆえに原爆投下した」という言明は、
> 「アメリカは人種差別ゆえにポーツマス条約を斡旋した」という言明以上の意味は持ちえないのです。

人種差別ゆえに原爆投下をしたのであれば、その人種差別を謝罪してもらう必要があります。
トルーマン米大統領が日本に原爆投下を決めた日の日記に「このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」という書き込みをしています。


>ボタンC:ボタンBを1週間以内に押すとアメリカに通告する。ただし、ボタンCを一度押してしまうと、もはやボタンBを押せなくなる(つまりボタンAを解除できなくなる)可能性がかなり高い。

> 事前通告は、いざ本番投下となったときのショックを大幅にやわらげてしまいます。
> しかも前に論じたように、少数機侵入部隊がことごとく高射砲で狙われて、ボタンA解除が不可能になってしまうのです。リスクが大きすぎるというべきでしょう。

それでも、ボタンCを押すべきですね。
それで解決しないのならば、新たなボタンDを作ればいいだけのことです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月25日(土)00時58分41秒

  返信・引用
> No.2097[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 作戦に万全を尽すのは当り前ですね。
> ところが、航空部隊だけの作戦だと説明を受けた。
> この場合、誰でも、水上部隊をなぜ使わないのだ?、と疑問にもつはずです。
> それが天皇の「航空部隊丈の総攻撃なるや」という御下問です。
>

 天皇が戦況や海軍内部での作戦状況に無知だったのであれば、その解釈は自然でしょう。「航空特攻だけ? どうしてだ?」と素朴に尋ねるはずです。
 しかし天皇は、無知ではありませんでした。天皇の質問は、決して素朴な質問ではありませんでした。
 海軍が天皇や陸軍に対しても誤った戦果を伝えて惑わしていたことは事実ですが、天皇は連合艦隊などもう存在しないことは熟知していたはずです。
 合理派(大和は残す)vs非合理派(大和は乗組員を満載して沈まねばならぬ)の戦いに、天皇が鶴の一声で介入したのはやはりまずかったでしょう。
 沖縄決戦に期待しすぎたあたり、天皇は悪だったというより判断力がなかったというべきかもしれません。いずれにせよ、責任は重いでしょう。

 ただ私としては、「航空部隊丈の総攻撃なるや」に腹が立つのは、天皇が、航空特攻は当然のことと見なし、青年たちの命をこれっぽっちも尊重していないことです。
 p.87, p.158 に述べたように、大西瀧治郎が特攻という外道作戦を始めたときも、大西の期待に反して天皇は停戦を口にしませんでした。
 天皇が「大御心」で(国民の惨禍に心を痛めて)終戦の詔勅を出した、という都市伝説ほど歴史を歪めたものはないでしょう。

 海軍がどれほど天皇に真実を伝えていたのか(水上部隊出撃の成功率を天皇はどれほどと見積もっていたのか)はもう少し勉強しないと私は確信が持てませんが、いずれにしても、悲惨な結末になることを相当程度予想できていながら「航空部隊丈の総攻撃なるや」はいくらなんでも非情というべきでしょう。

>
> 原爆投下に人種差別があったかどうか?
> 私は、あったと思っていますし、多くの人もそう思っているはずです。
> 論証が難しいだけです。
>

 原爆投下に人種差別があった、の意味が不明です。
 何度も同意しているように、アメリカに日本への人種差別意識があったことは紛れもなく事実です。私はそれを否定しているわけではありません。
 原爆投下だろうがミッドウェー海戦だろうがコレヒドール攻防戦だろうが日米安保条約だろうが、そこには人種差別はあったのです。
 したがって、原爆投下に人種差別があった、といってみても何の意味もありません。「アメリカは日本人を人種差別していた」をただ原爆投下という主題のもとで言い直しているだけだからです。
 人種差別ゆえに原爆投下をした、ということを証明する文書――あるいは、人種差別がなかったら原爆投下はなかっただろう、と証明する文書――が出てこないかぎり、
 「アメリカは人種差別ゆえに原爆投下した」という言明は、
 「アメリカは人種差別ゆえにポーツマス条約を斡旋した」という言明以上の意味は持ちえないのです。

>
> 広島長崎の原爆投下以外に、戦争終結の方法はいろいろあります。
> 被害が少なければ、すみやかである必要もないはずです。
> ・原爆投下の最後通牒をする。

 ……ショックをやわらげてしまい、終戦をもたらす効果を見込め出せなくなるので不可。

> ・国体護持を条件に降伏勧告をする。
> ・無条件降伏以外の条件で終戦協定する。
> ・朝鮮半島の権益を残し終戦協定する。
> ・ロシアなどの国に仲裁させる。

 ……日本は単なる天皇制維持ではなく「天皇の大権」に固執しているので不可。さらに、国内世論および対ソ政策上、無条件降伏方針の転換は危険です。

>
> こう↓ならどうでしょう。
> 日本政府はいかなるボタンを押すべきか?
> ボタンA(押下済み):1ヶ月で日本人青年が4千人、メキシコ人など中南米人が20万人死ぬ
> ボタンB:ボタンAを解除し、アメリカ人30万人の被爆死
> ボタンC:降伏しなければ、ボタンBを1週間以内に押すと通告する。
>
> ボタンCを押すべきですね。

もっと正確には、こうでしょう。

ボタンC:ボタンBを1週間以内に押すとアメリカに通告する。ただし、ボタンCを一度押してしまうと、もはやボタンBを押せなくなる(つまりボタンAを解除できなくなる)可能性がかなり高い。

 事前通告は、いざ本番投下となったときのショックを大幅にやわらげてしまいます。
 しかも前に論じたように、少数機侵入部隊がことごとく高射砲で狙われて、ボタンA解除が不可能になってしまうのです。リスクが大きすぎるというべきでしょう。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月24日(金)11時19分30秒

  返信・引用
> 天皇の下問は、大和出撃賛否両論の天秤の片方を天皇がぐいっと押したようなものでしょう。明らかに、海軍内部の議論に天皇は意図的に影響を及ぼしました。どう考えても天皇には責任がありますね。(でないとすれば愚かだったのですね。)

そういう見方は恣意的です。
別の見方がいくらでもあるからです。
いろいろな見方を等分に比較検討し結論すべきです。

作戦に万全を尽すのは当り前ですね。
ところが、航空部隊だけの作戦だと説明を受けた。
この場合、誰でも、水上部隊をなぜ使わないのだ?、と疑問にもつはずです。
それが天皇の「航空部隊丈の総攻撃なるや」という御下問です。

この解釈の方が自然でしょう。


> ……米大統領も司令官も米兵もガムを噛み鼻歌を歌いながら楽勝気分で戦争していたのだ、といったイメージに与すると、アメリカ退役軍人協会から抗議を受けるでしょうね。
> そのイメージこそ、アメリカ人への差別ではないでしょうか。

原爆投下に人種差別があったかどうか?
私は、あったと思っていますし、多くの人もそう思っているはずです。
論証が難しいだけです。


> 原爆投下以外には、すみやかな戦争終結の方法は思いつけなかったわけですから。(他の方法のリスクはすでにここにも何度か書き、『戦争論理学』にも列挙したとおりです。無警告の原爆投下だけが、あらゆるリスクを免れた確実な策だと信じられており、実際その通りでした)

広島長崎の原爆投下以外に、戦争終結の方法はいろいろあります。
被害が少なければ、すみやかである必要もないはずです。
・原爆投下の最後通牒をする。
・本土上陸の最後通牒をする。
・国体護持を条件に降伏勧告をする。
・無条件降伏以外の条件で終戦協定する。
・朝鮮半島の権益を残し終戦協定する。
・ロシアなどの国に仲裁させる。
・広島、長崎、新潟などの都市を通常爆撃する。
・日本を取り囲み兵糧攻めにする。
・首都に原爆投下し天皇をケロイドサンマにする。
などなど、いろいろ考えられます。

広島長崎の無警告原爆投下は現在にまで禍根を残す邪悪な作戦です。


> 現在の日本政府が、2つのボタンを与えられて、選択を迫られたとします。
> 「ボタンAはすでに3年半も前に押されていて、1ヶ月で日本人青年が4千人、メキシコ人など中南米人が20万人死ぬ羽目になる事態を継続させる。それを断ち切るのはボタンBで、ただしこれを押すとアメリカ人30万人の被爆死を引き起こす」
> 躊躇なくボタンBを押すと思いますよ。
> ましてや日本人青年4千人+中南米人20万人の死がアメリカのせいで起こりつつあるのであれば。

こう↓ならどうでしょう。
日本政府はいかなるボタンを押すべきか?
ボタンA(押下済み):1ヶ月で日本人青年が4千人、メキシコ人など中南米人が20万人死ぬ
ボタンB:ボタンAを解除し、アメリカ人30万人の被爆死
ボタンC:降伏しなければ、ボタンBを1週間以内に押すと通告する。

ボタンCを押すべきですね。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月24日(金)01時06分0秒

  返信・引用
> No.2095[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。


> 「航空部隊丈の総攻撃なるや」という御下問から水上部隊の出撃は、導出できないでしょう。
>

もちろん論理的には導出できませんが、誤用論的には十分導かれます。
あの状況では、天皇の期待に背く返答はできなかったでしょう。

> 天皇:航空部隊丈の総攻撃なるや
> 私:そうでございます
> 天皇:それは何故か
> 私:水上部隊を出撃させるだけの燃料がないからでございます
>

 海軍内部で、意見が「水上出撃なし」に統一されていたのであれば、天皇の誘導尋問に対してもハッキリと「否」と言えたでしょうね。
 しかし実際は、「コンコルドの誤謬」に従って、大和が無傷で残ることを許さない空気がすでにあった上に、港で撃沈されたり敵の手に渡ったりしたら大変という危惧も海軍内部にありました。しかも航空特攻部隊から、水上からの支援はないのかという声が軍令部にも届いていました。
 それらが「成算なくとも大和は出撃して沈むべし」という非合理的な主張を醸し出し、「大和出撃は無謀だ。ありえない」という合理的な主流意見にプレッシャーを与えていました。その現状を天皇はよく知っていたのです。(ちなみに天皇は、ありとあらゆる方向から絶えず上奏を受けていて、いかなる軍人個人・政治家個人よりも戦況と内情に精通していました)
 大和をめぐるそのような不安定な空気の中で天皇が発した「航空部隊丈の総攻撃なるや」がいかなる意味で言われたかは自明です。天皇自身に対して自明でなかったとしたら、天皇はよほど「愚か」でしょう。

 天皇の下問は、大和出撃賛否両論の天秤の片方を天皇がぐいっと押したようなものでしょう。明らかに、海軍内部の議論に天皇は意図的に影響を及ぼしました。どう考えても天皇には責任がありますね。(でないとすれば愚かだったのですね。)

 海軍全体が「大和出撃はなし」と決めていたにもかかわらず天皇の質問一つで及川軍令部総長が百八十度方針を変えたとすればそれは及川の責任でしょう。しかしそうではない不安定な状況でしたから。
 天皇はハッキリ「非合理派」に肩入れし、大和を4千人とともに死地へ送ったのです。

> 相手を対等と認めて攻撃するのは必死になりますが、相手を虫けらだと差別して攻撃す
>る場合は「ウヒヒッ」と笑いながら攻撃することになります。

 ……米大統領も司令官も米兵もガムを噛み鼻歌を歌いながら楽勝気分で戦争していたのだ、といったイメージに与すると、アメリカ退役軍人協会から抗議を受けるでしょうね。
 そのイメージこそ、アメリカ人への差別ではないでしょうか。

>
> 日本軍が中国で暴れまわっていたことや、アメリカ兵の損害が、広島や長崎の一般庶民を原爆で完全抹殺する理由にはならないでしょう。
>

 残念ながら、なると思いますよ。
 原爆投下以外には、すみやかな戦争終結の方法は思いつけなかったわけですから。(他の方法のリスクはすでにここにも何度か書き、『戦争論理学』にも列挙したとおりです。無警告の原爆投下だけが、あらゆるリスクを免れた確実な策だと信じられており、実際その通りでした)

 現在の日本政府が、2つのボタンを与えられて、選択を迫られたとします。
 「ボタンAはすでに3年半も前に押されていて、1ヶ月で日本人青年が4千人、メキシコ人など中南米人が20万人死ぬ羽目になる事態を継続させる。それを断ち切るのはボタンBで、ただしこれを押すとアメリカ人30万人の被爆死を引き起こす」
 躊躇なくボタンBを押すと思いますよ。
 ましてや日本人青年4千人+中南米人20万人の死がアメリカのせいで起こりつつあるのであれば。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月23日(木)11時18分53秒

  返信・引用
> 「……だけか」という質問形は、「まさか……だけではあるまい」という咎めと理解されたのです。(日常会話でもそのように作用します)
>  天皇にその心理作用・談話論理がわかっていなかったとしたら彼は無罪ですが、そのかわりとんでもなく「愚か」ですよね。
>  聡明な天皇は、非情にも水上部隊の出撃を事実上強要したのです。

それは、ほとんどいいがかりというものです。
「航空部隊丈の総攻撃なるや」という御下問から水上部隊の出撃は、導出できないでしょう。
「そうです」と答えるか「いいえ」と答えるか、決まっていないのですからね。

たとえば、私であればあの状況でこう答えます。
天皇:航空部隊丈の総攻撃なるや
私:そうでございます
天皇:それは何故か
私:水上部隊を出撃させるだけの燃料がないからでございます
天皇:そうか。


> 差別せずに殺す方がもっと悪でしょう?

>  したがって、ハムさんの言うとおりアメリカ人にとって日本人は非人間であり、人種差別ゆえに原爆投下がなされたのだとすれば、
> そして他方、人種差別がなかったにもかかわらずドレスデンが爆撃されたのだとすれば、ドレスデン爆撃のほうが原爆投下より悪いことになります。(人種差別の有無を考えなくても、終戦効果ゼロのドレスデン爆撃のほうが無意味で不合理だったことは自明ですが)

たとえば、相手を殺す理由が、差別である場合と、恨みである場合では、差別のほうが悪いですよ。
誰でも差別によって殺されたら理不尽だと思うはずです。
これは戦争の場合でも同じです。
相手を対等と認めて攻撃するのは必死になりますが、相手を虫けらだと差別して攻撃する場合は「ウヒヒッ」と笑いながら攻撃することになります。


> 日本軍が中国でいまだ暴れまわっていたかぎり、原爆の2発や3発使っておとなしくさせることは正当化できるでしょう。

> 既述のとおり、大規模な戦闘のなかった静かな1945年7月だけで米兵死者(死傷者ではない)は4000人以上(直接の戦闘死は2000人程度だが、病気やB29の事故などで同数以上が死んでいる)。あと1ヶ月でまた4千人。自国の数千の青年を救うために、敵の十万人を殺しても、大統領としては当然の職責を全うしただけでしょう。まずは自国のために尽くすのが国家指導者だからです。(各国がそのようでないと国際社会が機能しない)

> 責められるべきはかさねがさね、自ら開戦しておきながら自国民を守れなかった(守ろうとしなかった)日本軍と日本政府です。
> このことを日本人はよくわかっているからこそ、アメリカに謝罪を求めるなどという動きは起こらないのです。

日本軍が中国で暴れまわっていたことや、アメリカ兵の損害が、広島や長崎の一般庶民を原爆で完全抹殺する理由にはならないでしょう。

原爆投下の謝罪要求はいろいろな動きがあります。
最近では民主党の小沢代表も触れています。
アメリカも献花を行っています。(謝罪ではないが)

こういう動きは今後大きくなるのではないでしょうか。


Re: 千葉大の授業 投稿者:tosy 投稿日:2008年10月23日(木)02時32分23秒

  返信・引用
> No.2092[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> とし改めtosyさんへのお返事です。

(略)

 どうもありがとうございました。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月23日(木)02時13分25秒

  返信・引用
> No.2089[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 『戦藻録』(宇垣纏中将日誌)によると、天皇は「菊水一号作戦」を上奏されたとき、「航空部隊丈の総攻撃なるや」と御下問され、及川古志郎軍令部総長が「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答してしまったために大和特攻作戦が実施されたと書いています。
> とすると、及川古志郎軍令部総長の責任ということになります。
>

それこそ責任転嫁というものでしょう。
 田中義一の惨死以来、自分の言葉の重さを痛感熟知していた天皇ですから、及川に
 「無理をしなくてよい」と言うこともできたはずです。
 しかも、「航空部隊の総攻撃」を完全に認めているところなど、「国体護持のためには青年が何千人死のうがかまわぬ」という冷酷な性格が表われています。

 大和特攻は、天皇の誘導尋問がなければ実施されませんでした。
 天皇は一撃論の実行手段として沖縄決戦に期待を寄せており、そのことは軍令部総長のみならず軍部指導者全員が知っていましたから、「航空部隊丈の総攻撃なるや」と下問されたら答えは決定されてしまいます。
 「……だけか」という質問形は、「まさか……だけではあるまい」という咎めと理解されたのです。(日常会話でもそのように作用します)
  天皇にその心理作用・談話論理がわかっていなかったとしたら彼は無罪ですが、そのかわりとんでもなく「愚か」ですよね。
  聡明な天皇は、非情にも水上部隊の出撃を事実上強要したのです。

>
> 一般(戦争を除く)に、
> 虫を殺すのは悪ではない。
> 人間を殺すのは悪である。
> 人間を虫だと勘違いして殺すのは、過失ですね。
> 人間を虫けらだと差別して殺すのは、悪でしょう。
>
> アメリカは、日本人を虫けらだと差別していなかったでしょうか?
>

 差別せずに殺す方がもっと悪でしょう?

 人間は虫けらを差別していますので、ゴキブリを殺しても罪になりません。
 犬を殺してもせいぜい器物損壊罪です。
 人間を殺したら、重く罰せられます。

 したがって、ハムさんの言うとおりアメリカ人にとって日本人は非人間であり、人種差別ゆえに原爆投下がなされたのだとすれば、
 そして他方、人種差別がなかったにもかかわらずドレスデンが爆撃されたのだとすれば、ドレスデン爆撃のほうが原爆投下より悪いことになります。(人種差別の有無を考えなくても、終戦効果ゼロのドレスデン爆撃のほうが無意味で不合理だったことは自明ですが)

>
> 原爆の悪は、戦争という観点だけでは論じられないようです。
> 原爆という兵器は、人間の戦争のその人間を完全に抹殺してしまう兵器ですので、戦争のメタな兵器ということでしょうか。
>

 原爆投下を、現代の核戦争の基準で判定することはできない件については、p.191に粗描したとおりです。
 日本軍が中国でいまだ暴れまわっていたかぎり、原爆の2発や3発使っておとなしくさせることは正当化できるでしょう。
 現在はどの国もあれほどのことはしていませんから(アメリカですらああいう侵略はしていませんから)核攻撃を被るに値するような国は今はありません。

 既述のとおり、大規模な戦闘のなかった静かな1945年7月だけで米兵死者(死傷者ではない)は4000人以上(直接の戦闘死は2000人程度だが、病気やB29の事故などで同数以上が死んでいる)。あと1ヶ月でまた4千人。自国の数千の青年を救うために、敵の十万人を殺しても、大統領としては当然の職責を全うしただけでしょう。まずは自国のために尽くすのが国家指導者だからです。(各国がそのようでないと国際社会が機能しない)

 責められるべきはかさねがさね、自ら開戦しておきながら自国民を守れなかった(守ろうとしなかった)日本軍と日本政府です。
 このことを日本人はよくわかっているからこそ、アメリカに謝罪を求めるなどという動きは起こらないのです。
 

Re: 千葉大の授業 投稿者:φ 投稿日:2008年10月23日(木)01時26分55秒

  返信・引用
> No.2090[元記事へ]

とし改めtosyさんへのお返事です。

人間原理ブログ楽しみですね。

 同様の授業等の予定は、未定です。
 聴講者申込締切済みの市民講座風のものは一つありますが。

 予定が決まりしだい、ブログ http://green.ap.teacup.com/miurat/
 の「活動メモ」に予告することに致しましょう。


>  千葉大学で2008年度前期に「知識論購読」という科目があったようですが、今後同様の授業の開講予定はございますでしょうか?
>  もしくは、その際のご著書の読書会などありますでしょうか?
>  よろしくお願いします。


千葉大の授業 投稿者:とし改めtosy 投稿日:2008年10月22日(水)16時37分20秒

  返信・引用
 千葉大学で2008年度前期に「知識論購読」という科目があったようですが、今後同様の授業の開講予定はございますでしょうか?
 もしくは、その際のご著書の読書会などありますでしょうか?
 よろしくお願いします。

http://tosy.sakura.ne.jp/ap/


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月22日(水)11時25分0秒

  返信・引用
> 天皇の言葉は、仄めかし程度であっても絶大な効果を持ったのです。

『戦藻録』(宇垣纏中将日誌)によると、天皇は「菊水一号作戦」を上奏されたとき、「航空部隊丈の総攻撃なるや」と御下問され、及川古志郎軍令部総長が「水上部隊を含めた全海軍兵力で総攻撃を行う」と奉答してしまったために大和特攻作戦が実施されたと書いています。
とすると、及川古志郎軍令部総長の責任ということになります。

> 大和出撃については、片道燃料だったなど虚偽の都市伝説が流布していますが、p.138-9に述べたように、ある程度合理的な戦術的意味も持っていました。本土決戦前における大和出撃は、前々から考えられてはいたのです。

燃料については、数字上は片道分ですが、実際は往復分以上入っていました。
数字上はないはずの燃料が実際には入っていたのです。
あちこちの空の燃料タンクの底をさらって入れたのです。

菊水作戦が合理的だと考えていた関係者は一人もいなかったでしょう。
象徴的な話があります。
最後まで反対していた伊藤中将は、「要するに、一億総特攻のさきがけになっていただきたい、これが本作戦の眼目であります」といわれ、「それならば何をかいわんや。よく了解した」と納得します。
あの状況で「一億総特攻のさきがけ」作戦だといわれたら拒否はできません。


> 天皇が、自分の発言の言霊的影響力に気づいていなかったということであれば、天皇は倫理的には悪でなくなるでしょう。そのかわり、天皇は鈍感であり愚かだ、ということになりはしないでしょうか。

> 構成的ジレンマ(第13問参照)です。
> 「天皇は、悪であったか愚かであったか、いずれかである」

天皇は、自分の発言の影響力を知っています。
ですから、「愚か」ではないですね。
あとは、「悪」を論証しなければなりませんが、できないはずです。
そういう例はないのですから。


> 私は逆だと思うのです。

> アメリカ大統領や軍人が日本人を虫けらのように思っていたがゆえに原爆を投下したなら、倫理的にはむしろ免罪されるのではないでしょうか。私たちが人間を殺すのと、虫や野獣を殺すのとでは後者のほうが罪が軽いでしょう。トルーマンらが日本人を虫けらだと思っていたなら、原爆投下はさほど悪ではないことになります。倫理は、行為者の主観的意図で決定されるからです。

> 逆に、トルーマンらが日本人を自分たちと同格の人間だと思っていたのに原爆を投下したのだとすれば、それは大悪です。

一般(戦争を除く)に、
虫を殺すのは悪ではない。
人間を殺すのは悪である。
人間を虫だと勘違いして殺すのは、過失ですね。
人間を虫けらだと差別して殺すのは、悪でしょう。

アメリカは、日本人を虫けらだと差別していなかったでしょうか?


> 原爆投下を「愚か」と貶めるか、「悪」と弾劾するか。
> 後者の選択肢をとるなら、人種差別を言い立てるのは賢明ではありません。

原爆の悪は、戦争という観点だけでは論じられないようです。
原爆という兵器は、人間の戦争のその人間を完全に抹殺してしまう兵器ですので、戦争のメタな兵器ということでしょうか。
人間の完全抹殺の是非を問うとき、人種差別問題も入ってきてしまうようです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月22日(水)03時38分43秒

  返信・引用
> No.2086[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 政治的責任、道義的責任の追及ならばなおのこと、証言なりの事実によって論証すべきです。
> たとえば、戦艦大和特攻出撃を例にとると、天皇の「海軍にはもう艦はないのか」ということばによって大和を特攻出撃させたのではないかという憶測があります。
> しかし、大和特攻出撃については詳しく研究されていて、どういう事情で特攻出撃したのか分っています。
> 天皇の「海軍にはもう艦はないのか」という言葉は直接関係ありません。

 軍令部総長から菊水作戦を聞いて「航空部隊だけか、水上部隊は出ないのか」と天皇がさりげなくプレッシャーをかけたと聞いていますけれどね。
 天皇の言葉は、仄めかし程度であっても絶大な効果を持ったのです。

 大和出撃については、片道燃料だったなど虚偽の都市伝説が流布していますが、p.138-9に述べたように、ある程度合理的な戦術的意味も持っていました。本土決戦前における大和出撃は、前々から考えられてはいたのです。
 しかし、その具体的な出撃時の決定があまりに唐突だったことも確かです。

 天皇の一言がなければ、もっと合理的で慎重な使い方ができたはずです。

 天皇が、自分の発言の言霊的影響力に気づいていなかったということであれば、天皇は倫理的には悪でなくなるでしょう。そのかわり、天皇は鈍感であり愚かだ、ということになりはしないでしょうか。

 構成的ジレンマ(第13問参照)です。
 「天皇は、悪であったか愚かであったか、いずれかである」

>
> 原爆人種差別問題は法的ではなく倫理的な話なのです。
> 相手を虫けらのように考えて行った行為は、一般により悪いと考えられていますよね。
> そして、そう考えられる相手はその行為を行ったアメリカです。

 私は逆だと思うのです。

 アメリカ大統領や軍人が日本人を虫けらのように思っていたがゆえに原爆を投下したなら、倫理的にはむしろ免罪されるのではないでしょうか。私たちが人間を殺すのと、虫や野獣を殺すのとでは後者のほうが罪が軽いでしょう。トルーマンらが日本人を虫けらだと思っていたなら、原爆投下はさほど悪ではないことになります。倫理は、行為者の主観的意図で決定されるからです。

 逆に、トルーマンらが日本人を自分たちと同格の人間だと思っていたのに原爆を投下したのだとすれば、それは大悪です。

 結局、ハムさんが主張するように、アメリカ政府と軍に人種差別意識があって、日本人は劣等で野蛮だと思い込んでいたとすれば、そのぶん、原爆投下は倫理的に免罪されるでしょう。人間を殺すことの悪ではなく、野獣を殺すことの悪と同程度でしかなくなるからです。

 もし悪があるとすれば、差別意識そのものが悪である、つまり人間を野獣や虫けらのように思うというそのことが間違っているのであって、それは原爆投下以前の問題です。
 なので、
 原爆投下の話をしているときには、人種差別を持ち出さない方がよいでしょう。
 本当に人種差別があったとすれば、それだけアメリカは免罪されてしまうからです。たとえ人種差別そのものについては非難されるべきだとしても、人種差別を前提とした原爆投下については、さほど悪気はなかったことになるからです。

 自らが尊敬する高貴な民族に(ドイツ人やイギリス人に)原爆を投下したらこれは大変な悪意を伴った非人道的な行為となりますね。行為者の主観において紛れもない殺人です。
 他方、人間以下の黄色い猿(だと思い込んでいる対象)を焼き殺した程度であれば、少なくとも主観的意識としては、さほど悪気があったとは言えないのです。猿殺しの罪程度です。

 原爆投下否定論における人種差別論は、双刃の剣というよりも、ブーメランですね(p.225,「ブーメラン効果」を参照)。背景となる人種差別そのものをいくら弾劾しても、とくに原爆投下が非人道的だったと論ずるには関係ないばかりか、むしろ逆効果なのです。

 前半と呼応させて言い換えるとこうなります。

 「天皇は、悪であったか愚かであったか、いずれかである」
 「トルーマンは、悪であったか差別主義者であったか、いずれかである」

 ↑この選言は、背反的選言です。(天皇は自らの言葉の力を知っているほど聡明だったとしたら悪だし、鈍感で愚かだとしたら倫理的に悪気はなかった)(トルーマンは、日本人というれっきとした人間を虫けらだと思い込んでいたのであれば「愚か」だ。しかし悪ではなくなる。日本人を人間だと正しく認識するほどに聡明だったなら、原爆で殺したのは悪だ)
 原爆投下を「愚か」と貶めるか、「悪」と弾劾するか。
 後者の選択肢をとるなら、人種差別を言い立てるのは賢明ではありません。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月21日(火)14時56分9秒

  返信・引用
> 私が天皇の責任と言っているのは、法的責任ではないのです。天皇に法的責任があるとは私も確信できません。真の問題は、政治的責任、道義的責任です。
> 法的裏付けがなくとも、天皇が閣僚や軍人に抜群の影響力を持っていたことは自他認める事実なので、最も好戦的な路線に賛意を表明して政策決定の方向に影響を与えたことに天皇は政治的・道義的責任があるということです。

政治的責任、道義的責任の追及ならばなおのこと、証言なりの事実によって論証すべきです。
たとえば、戦艦大和特攻出撃を例にとると、天皇の「海軍にはもう艦はないのか」ということばによって大和を特攻出撃させたのではないかという憶測があります。
しかし、大和特攻出撃については詳しく研究されていて、どういう事情で特攻出撃したのか分っています。
天皇の「海軍にはもう艦はないのか」という言葉は直接関係ありません。


> アメリカでなくとも原爆投下を選択したはずでしょうし。

重慶を攻略するにはどうするか?という問題には、誰でも爆撃を選択するでしょうが、
日本を降伏させるにはどうするか?という問題には、誰でも広島・長崎の原爆投下を選択するとはいえませんね。
少なくとも、フランク報告の科学者は、無警告の広島・長崎の原爆投下を選択しません。


> ヒトラーですら、市街地の無差別爆撃は抑制していました。(戦争に勝つには非効率的ですから)

ヒトラーが行った無差別爆撃は、バトル・オブ・ブリテン、巡航ミサイルV1、大陸間弾道ミサイルV2ですね。
まあ、これらは報復なのでしょう。
ヒトラーは、戦略爆撃を理解しなかったので負けたのだ、という史家もいますね。


> メタで見ればなおさら、重慶爆撃のほうが悪いという気がしてくるのですが。
> なにせあんな爆撃では死傷者を増やすだけで素人目にも戦争が終わりっこないですからね。
> 原爆こそ、メタの視点では正当化しやすいでしょう。メタの立場は、現実の悲惨な被爆被害を括弧に入れて大局的に見ろということですから。
> メタの視点では重慶爆撃に利点は一つもありません。近視眼的な殺戮でした。

戦争という視点で見れば、重慶爆撃は蒋介石の日記にもあるように、ほとんど戦争を単独で遂行することができないまでに追い込みましたし、広島長崎原爆は、日本を降伏させました。
戦争を含む視点で見れば、重慶爆撃は通常の戦争行為ですが、広島長崎原爆はそこにいる人間を完全に抹殺してしまうという人類に対する背任行為です。


> 原爆投下がいかに苛酷な訓練と努力の賜であり、投下当日に上空で起爆装置を組み立てることがどれほどのスレスレの精神集中を必要としたか、それを知れば原爆投下もフェアプレーだったことがわかるはずです。

> 日本陸海軍よりも、マンハッタン計画や第509混成部隊の人々のほうが、遥かに深遠な努力を成し遂げたということです。何十本もの日本陸海軍高射砲の射程距離内を飛びながら至難の原爆投下を遂げた。これがフェアプレーでなくて何でしょうか?

マンハッタン計画から投下までの努力?が広島長崎の惨禍に見合う努力ではないでしょう。
こそこそと原爆を作って、ばれないようにそっと投下しおおせたわけですが、これは、オウム真理教のこそこそとサリンを作って、ばれないようにそっと撒いた、ことと重なります。
オウムの麻原がウヒヒッと笑ったとしたら、フランク報告以外の原爆関係者もウヒヒッと笑ったのではないでしょうか。

> 虫けらのように考えていたかどうかは、行なった行為の罪の重さに影響しないでしょう。

> 天皇も米大統領も、日本国民の命に対し【法的な】責任は負っていませんでした。そして、【道義的には】天皇より米大統領のほうが日本国民に対して責任が重いということはありえません。もし米大統領の責任のほうが重いというならば、それは天皇をあまりに過小評価した、侮辱そのものではないでしょうか。

原爆人種差別問題は法的ではなく倫理的な話なのです。
相手を虫けらのように考えて行った行為は、一般により悪いと考えられていますよね。
そして、そう考えられる相手はその行為を行ったアメリカです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月21日(火)00時34分25秒

  返信・引用
> No.2083[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 二・二六事件と終戦以外で天皇が聖断したことはないはずです。
> これは歴史的に重要なことですので、想像ではなく証言なりの事実により論証するべきです。
>

 「聖断」は法律的な決定や命令ではなく、天皇の希望ですね。法的な裏付けはありません。
 したがって、天皇の叱責によって田中義一内閣が倒れたり、参謀総長への下問によって陸軍の方針が百八十度転換して宜昌占領となったりしたのも、戦艦大和が出撃を強いられたのも、終戦の聖断と同様、天皇が自らの非公式の影響力を行使した超法規的作用であったことに変わりありません。

 私が天皇の責任と言っているのは、法的責任ではないのです。天皇に法的責任があるとは私も確信できません。真の問題は、政治的責任、道義的責任です。
 法的裏付けがなくとも、天皇が閣僚や軍人に抜群の影響力を持っていたことは自他認める事実なので、最も好戦的な路線に賛意を表明して政策決定の方向に影響を与えたことに天皇は政治的・道義的責任があるということです。
 そうやって自ら誘導して実現に貢献した政策に「従っただけだ」というのは、詭弁以外の何物でもないでしょう。

>
> 重慶爆撃は、そうする理由が日本にはあります。
> ・国民党政府が、首都を南京から漢口そして重慶へ移転させたこと。
> ・重慶は天然の要害の地であり、地上軍による攻略は難しいこと。
> ・漢口占領のために、日本の地上軍に余力がなかったこと。
> などです。

 余力がなく、勝てるはずのない戦争を続けたことを日本は大いに悔いねばなりません。日本は中国に対して大悪をなしたのです。容易に勝てる力があって、蒋介石のファシズム政権を倒せたというならば話は別ですけれどね。
 他方、アメリカは日本に対して、確実に勝つ力を持っていました。ここが日中戦争と異なります。

 すぐ決着をつけるほどには威力のない爆撃で漫然と老若男女を殺し続けるなど、最悪の非人道行為ではないでしょうか。実力を伴わない示威によって自滅した愚かな戦争。それが日中戦争でした。

> 日本でなくても重慶爆撃を選択するはずです。

 アメリカでなくとも原爆投下を選択したはずでしょうし。

 しかも、原爆投下と違って重慶爆撃のような終戦効果不明の無益な大量殺戮は、正常な軍人・政治家なら選択しません。現にヒトラーは、バトルオブブリテンで当初、爆撃目標を軍需工場と飛行場に限定していました。首都ロンドンの市街地を爆撃し始めたのは、誤爆の報復としてチャーチルがベルリンを爆撃した再報復としてです。
 ヒトラーですら、市街地の無差別爆撃は抑制していました。(戦争に勝つには非効率的ですから)

 (ちなみに英独のテロ爆撃合戦については、ヒトラーよりもチャーチルに責任があるというのが定説のようです。チャーチルは、ドイツ機のちょっとした誤爆を口実に、待ってましたとばかりに過剰な市街地爆撃の報復をして、無差別爆撃応酬へわざと誘導しました。市民の犠牲によって軍飛行場を救ったのです。カッとなって挑発に乗ったヒトラーが愚かでした。)

>
> 「戦争」の語用論的な前提である人間の存在を否定するような兵器である原爆を論じるには、戦争をメタで見る視点が必要だと思います。
>

 メタで見ればなおさら、重慶爆撃のほうが悪いという気がしてくるのですが。
 なにせあんな爆撃では死傷者を増やすだけで素人目にも戦争が終わりっこないですからね。
 原爆こそ、メタの視点では正当化しやすいでしょう。メタの立場は、現実の悲惨な被爆被害を括弧に入れて大局的に見ろということですから。
 メタの視点では重慶爆撃に利点は一つもありません。近視眼的な殺戮でした。

>
> 戦争というのは、たとえば、ロンドン爆撃やドレスデン爆撃のように、人間が必死になって敵と戦うことであって、(ウヒヒッと笑いながら)ボタンをポンと押すようなことではないはずです。
>

 ウヒヒッと笑いながら、というイメージには、重大な誤解が含まれています。
 アメリカ軍は、何もガムを噛み鼻歌を歌いながら楽々と仕事をこなしていたわけではありません。1945年7月だけで、4000人以上のアメリカ兵士が死んでいるのです。
 原爆投下がいかに苛酷な訓練と努力の賜であり、投下当日に上空で起爆装置を組み立てることがどれほどのスレスレの精神集中を必要としたか、それを知れば原爆投下もフェアプレーだったことがわかるはずです。BBCのドキュメンタリー『世界に衝撃を与えた日 第4巻ヒロシマ』をご覧になることをお薦めします。(その監督スティーヴン・ウォーカーが改めて書き下ろしたのが、『カウントダウンヒロシマ』邦訳・早川書房)

 呉の高角砲部隊が砲弾を惜しんだばかりにああいうことになったのですから(砲手は、許可さえあればエノラゲイを撃ち落とせたと証言している)、同胞の命を守れなかった(というより守る気がなかった)日本軍をこそ我々は責めるべきではないでしょうか。

 日本陸海軍よりも、マンハッタン計画や第509混成部隊の人々のほうが、遥かに深遠な努力を成し遂げたということです。何十本もの日本陸海軍高射砲の射程距離内を飛びながら至難の原爆投下を遂げた。これがフェアプレーでなくて何でしょうか?

> 原爆を広島と長崎に投下できたということは、日本人を虫けらのように考えていたのではないか、と思われてもいたしかたないと思います。

 虫けらのように考えていたかどうかは、行なった行為の罪の重さに影響しないでしょう。
 そして、虫けらというより、外国人と考えていただけではないでしょうか。
 大統領は、自国の国民の命に責任を持つだけであって、外国人ましてや敵国民の命には全く責任がありません。その責任のなさは、日本天皇が法的に日本国民の命に責任がないという以上の【無さ】なのです。
 天皇も米大統領も、日本国民の命に対し【法的な】責任は負っていませんでした。そして、【道義的には】天皇より米大統領のほうが日本国民に対して責任が重いということはありえません。もし米大統領の責任のほうが重いというならば、それは天皇をあまりに過小評価した、侮辱そのものではないでしょうか。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月20日(月)13時24分5秒

  返信・引用
> 恣意的な主張を自ら提起することはありませんでしたが、
> 政府や軍の中のいずれの主張を支持するかは、天皇自身が自発的に決めていました。

> 『戦争論理学』に列挙したように、陸軍の一撃論を支持して和平派を抑制しつづけたこと、重慶爆撃の強化や戦艦大和出撃のような無益な希望に固執したこと、最後の帝国議会で徹底抗戦の詔勅を発したことなど、天皇の責任は重大と言わねばなりません。

天皇は戦後になって藤田侍従長に語っています。「憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上明記してある国務大臣の責任の範囲内には、天皇はその意志によって勝手に容喙(ようかい)し干渉し、これを掣肘(せいちゅう)することは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出し裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外にとるべき道はない」

二・二六事件と終戦以外で天皇が聖断したことはないはずです。
これは歴史的に重要なことですので、想像ではなく証言なりの事実により論証するべきです。


> 南京事件、重慶爆撃は通常の戦争行為ではありません。

南京事件は、同じようなことをベトナム戦争でアメリカも行っており、今回の原爆特殊論とは別です。
重慶爆撃は、そうする理由が日本にはあります。
・国民党政府が、首都を南京から漢口そして重慶へ移転させたこと。
・重慶は天然の要害の地であり、地上軍による攻略は難しいこと。
・漢口占領のために、日本の地上軍に余力がなかったこと。
などです。
日本でなくても重慶爆撃を選択するはずです。

> それに対し原爆投下は、
> 大破壊の象徴的ショックによって日本政府と軍が降伏の口実を与えられ、すぐに戦争が終結するという確信をアメリカ政府は抱いていました(ただしアメリカの見通しは多少甘く、ソ連参戦が加わって初めてその効果を発揮したのですが)。
> 重慶爆撃よりも原爆投下のほうが合理的であり、正当化できるゆえんです。「天佑」という当時の日本人の感想がその証拠です。

先の戦争で、原爆という圧倒的な破壊力を持つ特殊な爆弾を日本人の上に無警告で投下すれば、降伏の口実になり戦争が終結するでしょう。
問題は、原爆を人類の上に無警告で投下していいのか?という問題なのです。
毒ガスを容認しているようにみえるフランク報告の科学者も、この問題を主張しているわけです。

現代において、原爆を人類の上に無警告で投下してもいいとすると、人類は滅亡してしまいますね。
「戦争」の語用論的な前提である人間の存在を否定するような兵器である原爆を論じるには、戦争をメタで見る視点が必要だと思います。


> であれば、ロンドン爆撃もドレスデン爆撃も無警告でしたから、英独もお互い人種差別を謝罪するべきだと思います。

一瞬にして何万人もの人を抹殺してしまうようなことは、もはや戦争というより、なにかゲームのような感覚です。
戦争というのは、たとえば、ロンドン爆撃やドレスデン爆撃のように、人間が必死になって敵と戦うことであって、(ウヒヒッと笑いながら)ボタンをポンと押すようなことではないはずです。
において、原爆を広島と長崎に投下できたということは、日本人を虫けらのように考えていたのではないか、と思われてもいたしかたないと思います。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月19日(日)22時06分56秒

  返信・引用
> No.2080[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

いつもご意見ありがとうございます。
一晩留守をしていたため応答が遅れました。

>
> 天皇は立憲君主を任じていましたから、恣意的な主張はしないはずです。
> 国民が戦争を早く終らせたければ従うでしょうし、議論になるようなときは多数派に従うのでしょう。
>

 恣意的な主張を自ら提起することはありませんでしたが、
 政府や軍の中のいずれの主張を支持するかは、天皇自身が自発的に決めていました。

 『戦争論理学』に列挙したように、陸軍の一撃論を支持して和平派を抑制しつづけたこと、重慶爆撃の強化や戦艦大和出撃のような無益な希望に固執したこと、最後の帝国議会で徹底抗戦の詔勅を発したことなど、天皇の責任は重大と言わねばなりません。
 高松宮が天皇位にあれば、戦争は起きなかったに違いありません。

>
> 南京事件も重慶爆撃も通常の戦争行為です。
> 非人道的だという非難は、蒋介石の政治活動です。
>

 南京事件、重慶爆撃は通常の戦争行為ではありません。
 南京事件にはさしもの陸軍も衝撃を受けて慰安所の増設を急いだし、日本の従軍記者は「日本はこれで戦争に勝つ資格を失ったよ」と嘆きました(むろん報道はせず)。
 重慶爆撃はp.240に述べたように「地上侵攻を予定しない一般市民に対する殺戮のための殺戮」として世界初であり、原爆投下よりも戦争ルールの踏み外し方は大です。さすがの陸軍もこれを支援するのは嫌がりました(爆撃実行者である海軍に同調して天皇が陸軍を無理矢理協力させ宜昌占領という愚挙と相成りました)。

 現地の暴走である南京事件は別として、軍中央と天皇が主体的に決定した重慶爆撃について言うなら、戦争を終わらせる効果が薄い(被災する重慶市民が蒋介石に矛先を向ける確率は低いだろう)とわかっていながら漫然と殺戮を続けたことは決して正当化できません。
 日本は、世界で初めて、軍事的にも政治的にも意味のない無差別爆撃を継続したという、恥ずべき&愚かしい前歴を負っているのです。

 それに対し原爆投下は、
 大破壊の象徴的ショックによって日本政府と軍が降伏の口実を与えられ、すぐに戦争が終結するという確信をアメリカ政府は抱いていました(ただしアメリカの見通しは多少甘く、ソ連参戦が加わって初めてその効果を発揮したのですが)。
 重慶爆撃よりも原爆投下のほうが合理的であり、正当化できるゆえんです。「天佑」という当時の日本人の感想がその証拠です。

>
> 無警告で投下した以上、人種差別だという非難も受けてもらってもいいのではないでしょうか。
>

 であれば、ロンドン爆撃もドレスデン爆撃も無警告でしたから、英独もお互い人種差別を謝罪するべきだと思います。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月18日(土)20時13分12秒

  返信・引用
> 「毒ガス戦は、爆弾と弾丸の戦争よりも決して「非人道的」でないにもかかわらず、大衆心理の中の非合理的な要素によって毒ガスが爆弾攻撃よりも忌むべきものとされているのは事実である」
>      more revolting that は more revolting than の誤植です。

なるほど、おっしゃるとおりのようです。
アメリカの科学者は、毒ガスが爆弾と弾丸の戦争よりも「非人道的」だとは考えていなかったようですね。
原爆は破壊力がまったく違う、ということのようですね。

> 毒ガスで皮膚や神経に後遺症を与えるより弾丸で眼球や手足を奪う方が「人道的」などとは言えないでしょう。

フランク報告でも指摘しているように、世論は毒ガスや原爆を支持しない、つまり非人道的だと考えているということですね。

>フランク報告は、事前デモンストレーションが賢明かどうかについては保留し、「もし実施するとしたら連合国の代表を呼んで」と提起しており、日本代表を呼ぶことは支持していません。

そして、連合国や世論の承認を得て、降伏勧告か避難させるための事前の最後通告の後に,日本に対して原爆が使用されるであろう、と主張していますね。
これと同じことは、事前デモンストレーションなしでも可能ですし、その方が現実的だと思います。

> 逆であれば、同じく国民(というより軍)の意見に従いつつ、戦争を回避するとか、戦争を早く終わらせるとかできたはずです。とりわけ真珠湾攻撃前に、海軍の避戦派(かなり有力だった)に天皇が同調しておりさえすれば、あんなことにはならなかったのです。東条を厚く信頼した天皇の責任は重大ですね。

天皇は立憲君主を任じていましたから、恣意的な主張はしないはずです。
国民が戦争を早く終らせたければ従うでしょうし、議論になるようなときは多数派に従うのでしょう。
それで良いと思います。
終戦の聖断が立憲君主を踏み外しています。


> 人種差別ゆえ原爆投下、という証拠文書が一つもないので、「人種差別ゆえの原爆投下をも謝罪」は無理でしょう。証拠のないことは謝れません。
>人種差別とはまったく別に、
>現在の皇室が南京事件と重慶爆撃を正式に謝罪したとき、現在の米大統領が原爆投下を謝罪する可能性が出てくるのではないでしょうか。

南京事件も重慶爆撃も通常の戦争行為です。
非人道的だという非難は、蒋介石の政治活動です。

広島長崎原爆投下は、フランク報告にもあるように連合国や世論の承認を得て最後通告の後から行うべきことです。
無警告で投下した以上、人種差別だという非難も受けてもらってもいいのではないでしょうか。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月18日(土)01時08分45秒

  返信・引用
> No.2076[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> フランク報告の問題のところを引用します。
> 「It is true, that some irrational element in mass psychology makes gas poisoning
more revolting that blasting by explosive, even though gas warfare is in no way
more "inhuman" than the war of bombs and bullets. 」
> 毒ガス戦は、爆弾と弾丸の戦争より "inhuman" (「非人道的」)である、ということですね。

 「毒ガス戦は、爆弾と弾丸の戦争よりも決して「非人道的」でないにもかかわらず、大衆心理の中の非合理的な要素によって毒ガスが爆弾攻撃よりも忌むべきものとされているのは事実である」
      more revolting that は more revolting than の誤植です。
 毒ガスで皮膚や神経に後遺症を与えるより弾丸で眼球や手足を奪う方が「人道的」などとは言えないでしょう。

> フランク報告では、原爆投下前に日本に対してデモンストレーションすべきだと主張していますが、これは非現実的ですよね。
>

フランク報告は、事前デモンストレーションが賢明かどうかについては保留し、「もし実施するとしたら連合国の代表を呼んで」と提起しており、日本代表を呼ぶことは支持していません。

>
> これは二・二六事件でもそうなのですが、天皇と接したことがなく、その人柄を知らないがゆえに起ることなのだと思います。
> 軍人が自分に都合のいい天皇像を勝手に作り上げてしまうのです。
> 二・二六事件の磯部浅一などは、天皇の「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」という言葉を聞いて心底驚くのですね。
> 天皇が自分の意志を持って発言した、ということに驚くわけです。
> 天皇を現人神にしたことが間違いの元です。

 天皇は、大東亜戦争中、国民(というより軍)の意見に従いましたが、軍の総意などなかった状況において、軍の中でよりによって最も好戦的な部署の意見に好意を寄せる傾向がありました。
 逆であれば、同じく国民(というより軍)の意見に従いつつ、戦争を回避するとか、戦争を早く終わらせるとかできたはずです。とりわけ真珠湾攻撃前に、海軍の避戦派(かなり有力だった)に天皇が同調しておりさえすれば、あんなことにはならなかったのです。東条を厚く信頼した天皇の責任は重大ですね。

>
> ただ、現代においては、人種差別ゆえの原爆投下をも謝罪していいと思います。
>

 人種差別ゆえ原爆投下、という証拠文書が一つもないので、「人種差別ゆえの原爆投下をも謝罪」は無理でしょう。証拠のないことは謝れません。
 人種差別とはまったく別に、
 現在の皇室が南京事件と重慶爆撃を正式に謝罪したとき、現在の米大統領が原爆投下を謝罪する可能性が出てくるのではないでしょうか。

>
> そう、スポーツで男女別の競技がなくならない限り男女差別が続いている証拠だと思う人はいませんからね。

 百メートル走決勝にすべての人種が人口比の比率で進出できない限り人種差別はなくなっていない、とかですね。
 

「艦長、インディアナポリスを追跡中です。」 投稿者:市民 投稿日:2008年10月17日(金)15時42分37秒

  返信・引用
http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/0202/5/147.html

これはフィクションではなかった。

原子爆弾がテニアン島に陸揚げされるまで潜水艦による攻撃は行わず、
その陸揚げの4日後に伊号第五八潜水艦が魚雷攻撃で
インディアナポリスを撃沈した。

インディアナポリス艦長は戦場では常識のジグザグ回避運動を
指示せず、日本の潜水艦に完全な魚雷攻撃を許した。
以上は、新着順1番目から20番目までの記事です。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月17日(金)12時29分53秒

  返信・引用
>そんなことはありません。毒ガスが通常爆弾よりも非人道的という根拠はないのに、大衆は非合理的に判断するので、毒ガスと同列と見られかねない原爆使用も慎重にやるべし、というのが「フランク報告」の趣旨でした。アメリカの科学者は、毒ガスや原爆による殺傷が通常戦争の殺傷より悪いということはない、と認識していたのです。(第4問参照)
 彼らの原爆使用慎重論は、人道的なものではなく、政治的なものでした。

> なお、ネットや本に引用されているフランク報告の日本語訳はすべて誤訳ですから注意してください。ネット上の訳はこうです。「毒ガス戦が,爆弾と弾丸の戦争より決して「人道的」などということはあり得ないが,集団心理のある不合理な要素が毒ガス戦を爆薬によって吹き飛ばすことより不快にさせることは確かである」
 ……意味不明ですね。「人道的」→「非人道的」と読めば意味が通じるでしょう。


フランク報告の問題のところを引用します。
「It is true, that some irrational element in mass psychology makes gas poisoning
more revolting that blasting by explosive, even though gas warfare is in no way
more "inhuman" than the war of bombs and bullets. 」
毒ガス戦は、爆弾と弾丸の戦争より "inhuman" (「非人道的」)である、ということですね。
フランク報告では、原爆投下前に日本に対してデモンストレーションすべきだと主張していますが、これは非現実的ですよね。
できるのは、原爆開発成功を示す映像と資料を日本に提示することでしょう。
原爆を投下するには、それなりの配慮が必要だという点では良識的だと思います。


> 天皇が決定をしないというのは法的な建前であって、実際には(政治的には)天皇の言葉で政治家や軍人が容易に動きました。

国民が開戦を決定したのなら、立憲君主は勝つためにあらゆる活動をすべきですね。
それは当り前の戦争行為です。
ここに罪はありません。

>宮城事件の首謀者たちにしても、陸軍より好戦的な天皇の諸発言を知っていたので、その天皇がまさか本心で降伏を命ずることはありえない、と信じていたのでしょう。
 天皇自身の抗戦姿勢ゆえに、後には自らの終戦希望を抗戦派に信じてもらえなくなり「君側の奸」論を誘発してしまったとは皮肉です。

これは二・二六事件でもそうなのですが、天皇と接したことがなく、その人柄を知らないがゆえに起ることなのだと思います。
軍人が自分に都合のいい天皇像を勝手に作り上げてしまうのです。
二・二六事件の磯部浅一などは、天皇の「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」という言葉を聞いて心底驚くのですね。
天皇が自分の意志を持って発言した、ということに驚くわけです。
天皇を現人神にしたことが間違いの元です。

> あれほど蒋介石には気を遣っていたアメリカですし、黄色人種に対する差別というより、やはり、敵・日本を撃滅する意識が強かったはずです。

卑怯なジャップには原爆だ、という気持ちはあったはずですが、これは根本の動機ですし、当時は差別は当り前でしたしね。
ただ、現代においては、人種差別ゆえの原爆投下をも謝罪していいと思います。

> 「すべての職業の性比が50%にならない限り、男女差別が続いている証拠」などと本気で信じている人たちがまだいるのですから。

そう、スポーツで男女別の競技がなくならない限り男女差別が続いている証拠だと思う人はいませんからね。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月17日(金)00時00分55秒

  返信・引用
> No.2072[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> この考え方だと、原爆や生物化学兵器と通常爆弾も同じになってしまいますよ。
> 通常爆弾は許容できるが、生物化学兵器は許容できない。
>

そんなことはありません。毒ガスが通常爆弾よりも非人道的という根拠はないのに、大衆は非合理的に判断するので、毒ガスと同列と見られかねない原爆使用も慎重にやるべし、というのが「フランク報告」の趣旨でした。アメリカの科学者は、毒ガスや原爆による殺傷が通常戦争の殺傷より悪いということはない、と認識していたのです。(第4問参照)
 彼らの原爆使用慎重論は、人道的なものではなく、政治的なものでした。

 なお、ネットや本に引用されているフランク報告の日本語訳はすべて誤訳ですから注意してください。ネット上の訳はこうです。「毒ガス戦が,爆弾と弾丸の戦争より決して「人道的」などということはあり得ないが,集団心理のある不合理な要素が毒ガス戦を爆薬によって吹き飛ばすことより不快にさせることは確かである」
 ……意味不明ですね。「人道的」→「非人道的」と読めば意味が通じるでしょう。
 堀江芳孝訳『原爆投下決定』(原書房)も全く同様の誤訳をしています。

>
> トルーマンは国民が決定した大統領です。
> 天皇は立憲君主なのですよ。
> この差は決定的です。
> 大統領は自らが政策等を決定し実行しますが、立憲君主は国民の決定通りに行動するのです。
>

 天皇が決定をしないというのは法的な建前であって、実際には(政治的には)天皇の言葉で政治家や軍人が容易に動きました。天皇も自らのその力を自覚していました。しかも天皇は、そのつど最も好戦的な助言者の意見に賛成していました。たとえば陸軍は軍事的に意味のない重慶爆撃に関心がなかったのに、海軍の主張を容れて、陸軍に宜昌占領を強要し、護衛戦闘機基地を前進させたのは天皇です。
 天皇は、そのつど、陸軍・海軍・政府のうち、最も好戦的な主張を唱える筋に同意を与えてきたのです。天皇の言一つごとに、何万人という人命が失われました。
 宮城事件の首謀者たちにしても、陸軍より好戦的な天皇の諸発言を知っていたので、その天皇がまさか本心で降伏を命ずることはありえない、と信じていたのでしょう。
 天皇自身の抗戦姿勢ゆえに、後には自らの終戦希望を抗戦派に信じてもらえなくなり「君側の奸」論を誘発してしまったとは皮肉です。
 天皇は倫理的な責任を自覚し、国の内外に謝罪すべきでした。

>
> 古い日本にある差別意識には困ったものだと思っています。
>

 もともと大東亜戦争を人種戦争として意味づけ、その線でプロパガンダしてたのは日本ですしね。
 あれほど蒋介石には気を遣っていたアメリカですし、黄色人種に対する差別というより、やはり、敵・日本を撃滅する意識が強かったはずです。

> 目を覆うような酷い話はなくなってきています。
> 差別是正活動を続けていくことが大事だと思います。

 と同時に、是正がなされたらそれに満足することも大事ですね。
 「すべての職業の性比が50%にならない限り、男女差別が続いている証拠」などと本気で信じている人たちがまだいるのですから。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月16日(木)09時35分25秒

  返信・引用
> いずれにせよどんな死に方がマシかは人によって違いますから、1人の死は一律一つとして勘定すべきです。

この考え方だと、原爆や生物化学兵器と通常爆弾も同じになってしまいますよ。
通常爆弾は許容できるが、生物化学兵器は許容できない。
広島長崎原爆投下もしかりです。

> 自国民を見殺しにした天皇に戦争責任がないのであれば、敵国民の犠牲で終戦を早めたトルーマン大統領にはなおさら責任はないでしょう。
> 天皇が国民に謝罪しなかった理由が私にはわかりませんね。

トルーマンは国民が決定した大統領です。
天皇は立憲君主なのですよ。
この差は決定的です。
大統領は自らが政策等を決定し実行しますが、立憲君主は国民の決定通りに行動するのです。


> 外人嫌いの差別主義者である日本人が、他の民族・人種を支配するために起こした戦争、というイメージも国際的にはメジャーでしょう。

> 差別はお互い様です。原爆投下論議にとっては何の利点もありません。

人種差別はお互い様だから許容するという考え方は、人種差別をなくしません。
人種差別はお互い様だから、自ら是正するし、相手にも是正してもらいます。
まあ、これは原爆問題とは直接関係はないですね。
ですが、差別した方はころりと忘れていますが、差別された方は根に持つものです。


古い日本にある差別意識には困ったものだと思っています。
ですが、差別是正活動が徐々に浸透していることも確かです。
目を覆うような酷い話はなくなってきています。
差別是正活動を続けていくことが大事だと思います。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月16日(木)00時39分27秒

  返信・引用
> No.2070[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

> > ドイツだったら、連合国が原爆開発に成功したと聞いた時点で降伏したかもしれませんね。
>
> ヒトラーが降伏するわけがないですよ。
> 降伏すれば処刑されるのが分ってますからね。
>

 ヒトラーも、ルドルフ・ヘスの対英講和活動を黙認したくらいですから、原爆開発を知れば、米英には降伏したのではないでしょうか。ソ連とは戦い続けるでしょうが。
 もちろん米英はソ連抜きの単独講和を認めませんが、ヒトラーは西部戦線で自主的に武装解除して米英軍をベルリンに導き入れるという手があります。東部戦線では抵抗を続けながらです。

 原爆開発公表とともに、反ナチ+国防軍がヒトラーを暗殺するかもしれません。ドイツにはそういった土壌がありました。
 対して日本は、反政府運動・反軍運動は微弱だし、原爆完成を聞いても降伏するという土台はできていませんでした。君側の奸論が通用していた以上、天皇ですら降伏実現は無理でした。

>
> 通常爆撃にあって、安全な所まで逃げきれず命を落とすのは、無念とはいえやむをえない。
> しかし、何の予告もなく逃げるひまもなく突然ケロイドサンマにされるのは、やむをえないとはいえない。
>

「苦しみながらではなく一瞬であっさり死にたい」と常々言ってる人は多いですから、焼夷弾の火炎地獄で焼かれるより爆心地で蒸発した方がよい、という感覚の方が多数派かもしれません。
 いずれにせよどんな死に方がマシかは人によって違いますから、1人の死は一律一つとして勘定すべきです。東京大空襲で微動だにしなかった天皇が玉音放送で人命を慮るなど偽善も甚だしいのです。

>
> あとはすべて国民の決定通りに活動していました。
> 立憲君主を理想としていた天皇としては当然のことです。
> 全ては国民が決定し、天皇は無条件で認可していただけです。
> 天皇に戦争責任はありません。
>

 天皇は、自分の発言が強力な政治的影響力を持つことは知っていてその力を行使し続けましたから(cf. p.158, p.240-1)、三百万人死ぬまで終戦に乗り出さなかったことに対して、倫理的責任を負うべきでしょう。
 自国民を見殺しにした天皇に戦争責任がないのであれば、敵国民の犠牲で終戦を早めたトルーマン大統領にはなおさら責任はないでしょう。
 天皇が国民に謝罪しなかった理由が私にはわかりませんね。
 天皇が謝罪しなかった以上、残念ながらアメリカが原爆投下を謝罪する日は永久に訪れないでしょう……。

>
> まことにもっておっしゃる通りなのですが、深い感情の部分の話なのです。
> どなたかの受け売りなのですが、人間の思考活動は論理的に考えてから決定することは少ないのだそうです。(将棋だか囲碁だかの例でした)
> まず決定があり、次に論理的な裏付けをするのだそうです。
> とすると、まず原爆投下決定があって、次に論理的な裏付けをしたということになるのですが、その原爆投下を決定したときの心理はというと、人種差別と卑怯な真珠湾攻撃だと思われるわけですね。
> これはもう私だけではなく日本人の信念になっていると思います。
>

現代科学文明を築いたのは白人なので、有色人種はえてして一方的に白人が差別者、有色人種は被差別者と考えがちです。

 しかし、白人側から、日本の人種差別が弾劾された例も少なくありません。
 何年前だったか、所ジョージの「鼻ターカダカ!」というCMが、日本在住(?)の白人の抗議で放映中止になりました。
 日本各地の温泉(とくに北日本)では、いまだに、日本人以外は入浴禁止、というところがあります。ある白人が、日本に帰化して名前も漢字に変えて「これなら文句ないだろう」と温泉に出かけたら、温泉側から「日本国籍でも白人はダメ」と締め出され、その体験を抗議を込めて書いて出版していたはずです。(書名忘れましたが)

 外人嫌いの差別主義者である日本人が、他の民族・人種を支配するために起こした戦争、というイメージも国際的にはメジャーでしょう。

 差別はお互い様です。原爆投下論議にとっては何の利点もありません。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月15日(水)11時50分31秒

  返信・引用
> ドイツだったら、連合国が原爆開発に成功したと聞いた時点で降伏したかもしれませんね。

ヒトラーが降伏するわけがないですよ。
降伏すれば処刑されるのが分ってますからね。
処刑覚悟で降伏できるトップは天皇ぐらいのものです。

> 確かに原爆は特殊ですが、被害に遭う個々の人間という観点から見れば、原爆も通常爆撃も焼夷弾も銃撃も、全く同質です。
 通常爆撃や飢餓や病気や本土決戦の銃爆撃で一千万人死ぬよりも原爆で20万人死ぬ方が悲惨だ、という感覚は、どこか間違っているのではないか。
 原爆特権主義は、オカルトに繋がると思います。

この同質という感覚なのです。
たとえば、殺されるのと自然死は同じ死でも同質ではないですね。
軍人ならば闘って死ぬのは覚悟の上ですね。
それでも、何の予告もなく原爆でケロイドサンマにされるのはまっぴら御免です。
原爆は軍人よりも民間人を大量虐殺したのです。
通常爆撃にあって、安全な所まで逃げきれず命を落とすのは、無念とはいえやむをえない。
しかし、何の予告もなく逃げるひまもなく突然ケロイドサンマにされるのは、やむをえないとはいえない。

> 原爆はそのような謝罪では済みません。原爆投下の正当性が被爆国にも認識されているからこそ、アメリカの謝罪は難しいのです。
 しかしうまく謝罪できれば素晴らしいですね。

簡単です。
原爆開発成功を示す最後通牒をしないで原爆投下したことを謝罪すればいいのです。

>終戦の詔勅で国民の命に言及しているのは、東京大空襲に動じなかった天皇としては偽善もいいところではないでしょうか。
 天皇の関心は、国民の命ではなく、天皇家の存続にありました。

天皇は幼少のころより日本を代表する最高の教育者による帝王学をはじめとする個人教育を施されます。
その時代の天皇として理想の教育をされるのです。
天皇にとっては、天皇家と日本人は同一だったのではないでしょうか。
天皇は戦争に反対し、開戦後は激励し、最後に終戦の決断をしました。
天皇の意志を通したのは終戦のときだけです。
あとはすべて国民の決定通りに活動していました。
立憲君主を理想としていた天皇としては当然のことです。
全ては国民が決定し、天皇は無条件で認可していただけです。
天皇に戦争責任はありません。

>どうしても人種差別には戻ってきてしまいますな(☆)。
 次の3つの理由で「人種差別」はお払い箱になりませんかね?
 ①人種差別抜きでも原爆投下の動機は十分だった。
 ②第7問に述べたように、ルーズベルトはドイツに対して原爆を使うことを口にしている。
 ③アメリカ人に日本人に対する人種差別があったこと自体は事実なので、アメリカ→日本のいかなる行為についても「人種差別ゆえだ」と評することができてしまい、ほとんど無意味である。①を考え合わせると「人種差別」は原爆投下論議にとって無益。

まことにもっておっしゃる通りなのですが、深い感情の部分の話なのです。
どなたかの受け売りなのですが、人間の思考活動は論理的に考えてから決定することは少ないのだそうです。(将棋だか囲碁だかの例でした)
まず決定があり、次に論理的な裏付けをするのだそうです。
とすると、まず原爆投下決定があって、次に論理的な裏付けをしたということになるのですが、その原爆投下を決定したときの心理はというと、人種差別と卑怯な真珠湾攻撃だと思われるわけですね。
これはもう私だけではなく日本人の信念になっていると思います。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月15日(水)00時43分39秒

  返信・引用
> No.2067[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> ポツダム宣言もアメリカの対ソ交渉も相手の言い分を全面的に認めるわけではありませんよね。
> はじめは拒否するものです。
>

そうでもないでしょう。
 ポツダム宣言を見たとき外務次官松本俊一は即座に「これは受諾できる」と判断しました。東郷外相も同感でした。それが当然の反応です。しかし陸軍の反対にあってどうにもなりませんでした。軍が政治に入り込んでいた日本の運命がそこで決まりました。
 ドイツだったら、連合国が原爆開発に成功したと聞いた時点で降伏したかもしれませんね。

>
> その理由をすべて聞いても、広島・長崎原爆投下は容認できないわけです。
> これが原爆という兵器の特殊性です。
> この特殊な兵器を人類に対して使うには、それに見合う特殊な配慮が必要です。
>

 確かに原爆は特殊ですが、被害に遭う個々の人間という観点から見れば、原爆も通常爆撃も焼夷弾も銃撃も、全く同質です。
 通常爆撃や飢餓や病気や本土決戦の銃爆撃で一千万人死ぬよりも原爆で20万人死ぬ方が悲惨だ、という感覚は、どこか間違っているのではないか。
 原爆特権主義は、オカルトに繋がると思います。

>
> アメリカは日本に対して、この特殊な配慮をしていない。
> ここが非難されるわけです。
> アメリカが謝罪するまでこの非難は続きます。
>

 ドイツはゲルニカについて謝罪し、イギリスはドレスデンについて謝罪しました。
 それでも非難は続くでしょうね。
 日本は重慶爆撃を謝罪しましたっけか? いずれにせよ「先の大戦」については歴代の日本首相が何度か謝罪していますが、それでも非難は続いています。

 たとえアメリカが原爆投下を謝罪したとしても、非難は続くのではないでしょうか。むしろ謝罪したことで非難派の言い分が正しかったことになり、ますます非難は高まるでしょう。

 重慶爆撃は戦争を終結させる役に立たず、漫然と万単位の人々を殺し続けましたが、原爆投下は戦争終結の役に立ちました。原爆は功利的には正しかったので、アメリカが謝罪するとしたら、どのような意味での謝罪なのか、が同時に考えられるべきでしょう。

 私もアメリカの謝罪はあってほしいし、望ましいと思いますが、しかし論理的に難しい謝罪になります。
 日本が重慶爆撃を謝罪するほうが論理ははるかに単純で、容易です。重慶爆撃は全く正当化できないので、ただ「ひたすら悪かった」で謝罪は済むからです。
 原爆はそのような謝罪では済みません。原爆投下の正当性が被爆国にも認識されているからこそ、アメリカの謝罪は難しいのです。
 しかしうまく謝罪できれば素晴らしいですね。

>
> 天皇を見損なうと、間違った戦史になってしまいます。
> 広島への原爆投下で天皇は終戦を聖断したわけですが、それは本土の決戦で日本人を大勢死なすより、自らが死んでも終戦を選ぶという聖断でした。
>

終戦の詔勅で国民の命に言及しているのは、東京大空襲に動じなかった天皇としては偽善もいいところではないでしょうか。
 天皇の関心は、国民の命ではなく、天皇家の存続にありました。だからこそ、神風特攻隊の開始を聞いても戦争を継続し、一撃論に固執したのです。沖縄戦が絶望になるまで、天皇は、主戦論の筆頭でした。原爆投下まで、主戦論を捨てませんでした。

 原爆投下は、その派手な演出によって、「国民の命を慮っての聖断」というポーズを可能ならしめました。結果的に、天皇の慈悲(大御心)を信じて象徴天皇制に順応する日本人が大勢を占め、国が安定したのでよかったとは言えますが、倫理的には裕仁天皇にはかなり問題がありますね。
 そもそも天皇は、日本国民に謝罪しましたっけか?

 昭和天皇が「原爆投下はやむをえなかった」と言ったまま死んでしまった以上、アメリカの謝罪は難しいでしょうね……。

>
> アメリカは人種差別ゆえに日本に原爆を投下したかったのではないか、それは卑怯な真珠湾攻撃の仕返しでもあった、のではないか。
>

 どうしても人種差別には戻ってきてしまいますな(☆)。
 次の3つの理由で「人種差別」はお払い箱になりませんかね?

 ①人種差別抜きでも原爆投下の動機は十分だった。
 ②第7問に述べたように、ルーズベルトはドイツに対して原爆を使うことを口にしている。
 ③アメリカ人に日本人に対する人種差別があったこと自体は事実なので、アメリカ→日本のいかなる行為についても「人種差別ゆえだ」と評することができてしまい、ほとんど無意味である。①を考え合わせると「人種差別」は原爆投下論議にとって無益。

 まあ、突っ込んで議論すれば人種差別からも面白い論点も出てくるでしょう。
 ちなみに、「ドイツに比べて日本の科学力と工業力は怖るるに足らなかったので(不発弾を研究される可能性が小さく)原爆を使いやすかった」というのは、人種差別ではありません。
 それは単に功利的な判断であって、偏見ではなく日独の科学技術力の事実認識にもとづいた判断だからです。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月14日(火)15時35分3秒

  返信・引用
> それはその通りで、だからこそ原爆投下は日本の国益に適っていた、というわけです。北海道を何十年もソ連に占領されるのと、東京大空襲2回分の打撃を被って領土分割を免れるのと、どちらをとるかの問題ですね。

> 第25問に述べたように、すでにポツダム宣言は、天皇制護持を保証してします。

ポツダム宣言もアメリカの対ソ交渉も相手の言い分を全面的に認めるわけではありませんよね。
はじめは拒否するものです。


> 原爆投下予告があると、要地に配された高射砲がすべて稼働し、撃墜率は上がるでしょう。

> ことが原爆投下だからこそ、アメリカは失敗してはならなかったのです。

アメリカが史実通りの原爆投下をしたのには、それなりの理由はあるでしょう。
その理由をすべて聞いても、広島・長崎原爆投下は容認できないわけです。
これが原爆という兵器の特殊性です。
この特殊な兵器を人類に対して使うには、それに見合う特殊な配慮が必要です。
アメリカは日本に対して、この特殊な配慮をしていない。
ここが非難されるわけです。
アメリカが謝罪するまでこの非難は続きます。

もうひとつ、先の戦争で特殊なことがあります。
天皇です。
天皇を見損なうと、間違った戦史になってしまいます。
広島への原爆投下で天皇は終戦を聖断したわけですが、それは本土の決戦で日本人を大勢死なすより、自らが死んでも終戦を選ぶという聖断でした。
この聖断をするにいたった原爆に対する情報は、事前告知によって知ることができるわけです。
こういう天皇の人柄の見立てが、事前告知の正邪に影響するわけです。

じつはもうひとつ特殊なことがあるのです。
人種差別と真珠湾攻撃です。
アメリカは人種差別ゆえに日本に原爆を投下したかったのではないか、それは卑怯な真珠湾攻撃の仕返しでもあった、のではないか。
まあ、これは議論がむずかしいのですが、意外と真実だと思っています。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月13日(月)18時57分57秒

  返信・引用
> No.2063[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 通常は高射砲よりも迎撃機での撃墜数がはるかに大きくなるはずなのですが、B29の場合は迎撃機での撃墜も高射砲での撃墜と同じようにマグレだったということなのでしょうね。
>

 マグレというべきかどうか、当時は高射砲も本土決戦用に温存が図られていました。
 広島に原爆投下したエノラ・ゲイも、当日、呉の最新高角砲部隊(最大射高12000m)によってしっかり捕捉されていました。が、砲の温存を命じられていたため、豊富な砲弾を持ちながら一発も撃たずに見送ったのです。
 原爆投下予告があると、要地に配された高射砲がすべて稼働し、撃墜率は上がるでしょう。
 インディアナポリス事件などからもわかるように、原爆投下は決して余裕をもって成功したわけではなく、スレスレの芸当だったのです。戦争は甘いものではありません。

>
>投下予告といいますが、
>どこにいつ投下するのか分らなければ通常の戦争状態と変らないでしょう。
>

 まだ爆撃を受けていない主要都市を守ればよいので、大体予想がつき、防衛はそのぶん容易です。現に、目標候補だった新潟市では、長崎壊滅後の8月10日、市が無人化するほどの大規模な避難騒ぎが起きています。(政府から予想を聞き出した県職員の報告にもとづき、県知事が疎開命令を出した)。
 疎開と同時に主要都市に高角砲部隊が補強されるので、効果的な原爆攻撃は不可能になるでしょう。

>
> ①と②は、日本が1の段階で降伏しない場合ですが、私は1の段階で降伏した可能性があると考えています。
> 実際の原爆投下と1の段階で日本が得る情報に差が少ないわけですからね。
> 原爆投下ショックと国体護持保障の効果を比べると、国体護持保障の効果の方が大きいと考えることもできます。
>

 1の段階で日本は降伏しないというのがアメリカ首脳の見解で、実際その通りだったでしょう。少なくともソ連参戦は必要でした。

>
> ③については政治的な問題なので、いくらでも対応方法があるでしょう。
> たとえば、日本の領土の割譲でソ連は納得するでしょう。
>

 それはその通りで、だからこそ原爆投下は日本の国益に適っていた、というわけです。北海道を何十年もソ連に占領されるのと、東京大空襲2回分の打撃を被って領土分割を免れるのと、どちらをとるかの問題ですね。

>
> 先の1の段階というのは対日講和ではなく降伏の最後通牒です。
> 国体護持保障についても、日本に対しては直接表現するのではなく、ポツダム宣言を国体護持保障と取れるような解釈として説明すればいいでしょう。
>

 第25問に述べたように、すでにポツダム宣言は、天皇制護持を保証してします。
あれで降伏できなかったのですから、日本に弁明の余地はありません。
 しかも、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2037
 に述べたように、当時の日本(和平派ですら)の条件は、単なる天皇制護持ではなく、「天皇の大権」の維持でした。
 そんな条件をアメリカが進んで認められるはずがないでしょう。
 ましてや陸軍は、他の諸条件にも固執していたのですから。

>
> ことは原爆投下です。
> 1の段階はあらゆる面から見て必要だったと思います。
>

 ことが原爆投下だからこそ、アメリカは失敗してはならなかったのです。
 最高の爆撃条件を確保し、成功の確率を最大化する。
 そのためには、無警告の原爆投下しかない。
 しかも、投下に成功したとしても、1の段階を踏んだ後だと、「最大のショック」が得られなくなり、単に第2・第3の東京大空襲にすぎなくなってしまいます(戦争継続に影響なし)。そうなる確率が無視できないからこそ、1の段階を踏んではならないのです。

>
>国体護持保障の連合国間調整などは努力しだいで可能でしょう。
>

 連合国共同宣言ファクターに関していえば、日本から北海道を分離させることを覚悟すれば、米ソ協調は保てたかもしれませんね。
 しかしその場合も、天皇制護持にはソ連とオーストラリアが反対しますから話はつかないでしょう。しかも日本側の要求ときたら「天皇の大権」ですし。やはりどうみてもダメみたいですよ。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月13日(月)15時09分47秒

  返信・引用
> 一瞬だけB29の高度に肉薄して体当たりする、という芸当は、通常の戦闘機でもできないわけではありません。

B-29の特徴を発揮できる高度10000mといえば、日本機の上昇限度に近く、この高度での日本機はエンジン出力の大幅低下により舵のききが悪くなります。
浮いた金魚のようにアップアップ状態になるのです。
この高度で進入されたら、日本機での撃墜はまず不可能でしょう。


> また、B29の撃墜は迎撃機よりも高射砲によるほうがずっと多く、高射砲での撃墜281機、損傷736機で、高射砲にかぎっても損傷率はのべ爆撃機数の17パーセント。
 日本軍の15センチ高射砲で最大射高19000m、12センチ高射砲で最大射高14000m、8センチ高射砲ですら最大射高10000mです。高射砲に対しては、優れた護衛戦闘機も無力です。B29といえども意外と危ないものなのです。

大戦でのB29の撃墜数は512機で、延べ出撃数33.000機(アメリカ空軍爆撃機運用史)だそうです。
とすると、約半数が高射砲での撃墜ということになります。
通常は高射砲よりも迎撃機での撃墜数がはるかに大きくなるはずなのですが、B29の場合は迎撃機での撃墜も高射砲での撃墜と同じようにマグレだったということなのでしょうね。

投下予告といいますが、どこにいつ投下するのか分らなければ通常の戦争状態と変らないでしょう。


> 歴史的な原爆投下が失敗に終わるような確率を上げるようなこと(事前警告)をあえてして失敗でもしたら、とくに国内世論は厳しくあたったでしょう。

>広島・長崎の惨事が防げたのは、1の段階で成功した場合のみ、です。
> そして、1の段階の難点は、

> ①日本の防空体制を強めてしまう。
> ②日本を脅威に徐々に慣らしてしまい、戦争を終えさせられなくする。
> ③対日妥協してでもソ連参戦抜きの終戦を目論んでいる意図を公表することになり、連合国共同宣言とヤルタ密約に違反し、対ソ協調ができなくなる。

①と②は、日本が1の段階で降伏しない場合ですが、私は1の段階で降伏した可能性があると考えています。
実際の原爆投下と1の段階で日本が得る情報に差が少ないわけですからね。
原爆投下ショックと国体護持保障の効果を比べると、国体護持保障の効果の方が大きいと考えることもできます。
③については政治的な問題なので、いくらでも対応方法があるでしょう。
たとえば、日本の領土の割譲でソ連は納得するでしょう。


> 対日講和の手段としてではなく、純粋な軍事作戦の一環として原爆投下するしかなかったのです(実質は政治的作戦だとしても、形式上軍事的作戦として)。軍事作戦としての原爆投下なら、連合国共同宣言にもヤルタ密約にも無条件降伏要求方針にも抵触しませんからね。

先の1の段階というのは対日講和ではなく降伏の最後通牒です。
国体護持保障についても、日本に対しては直接表現するのではなく、ポツダム宣言を国体護持保障と取れるような解釈として説明すればいいでしょう。
国体護持保障の連合国間調整などは努力しだいで可能でしょう。

ことは原爆投下です。
1の段階はあらゆる面から見て必要だったと思います。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月12日(日)22時14分35秒

  返信・引用
> No.2061[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> B29というのは、最大速度574 km/h、上昇限度10,200 mという戦闘機並みの性能を持った爆撃機です。
> これを撃墜できる日本機は海軍の雷電など数が限られます。
> 東京防空の302空の雷電は40機ありましたが、稼動できるのが約10機というありさまです。
> しかもB29には、P51という最大速度703 km/hというジェット機なみの戦闘機が護衛しているのです。
> B29の撃墜は至難の業です。
> B29を高高度か夜間で使われたら、まず撃墜は不可能です。
> このことはアメリカも知っています。
> つまり、原爆を積んだB29での予告爆撃など、アメリカにとってさほど難しいことではない。
>

 原爆投下には、その精度と効果確保の点から、目視爆撃が義務づけられていました。
 よって、夜間の爆撃はできず、晴天下での、つまり防御側には最も有利な条件下での爆撃となります。

 一瞬だけB29の高度に肉薄して体当たりする、という芸当は、通常の戦闘機でもできないわけではありません。
 また、B29の撃墜は迎撃機よりも高射砲によるほうがずっと多く、高射砲での撃墜281機、損傷736機で、高射砲にかぎっても損傷率はのべ爆撃機数の17パーセント。
 日本軍の15センチ高射砲で最大射高19000m、12センチ高射砲で最大射高14000m、8センチ高射砲ですら最大射高10000mです。高射砲に対しては、優れた護衛戦闘機も無力です。B29といえども意外と危ないものなのです。

 日本人として軍事的に謙虚になるのは悪いことではありませんが、アメリカ側から見れば、失敗を許されない世紀のイベント原爆投下作戦にとって、対空砲火は脅威でした。(日本国内の高射砲台数はドイツ国内の17分の1でしたが、それでも脅威に違いありません)

 歴史的な原爆投下が失敗に終わるような確率を上げるようなこと(事前警告)をあえてして失敗でもしたら、とくに国内世論は厳しくあたったでしょう。

>
> この1~3の手順を実行すれば、広島・長崎の惨事が防げたかもしれませんし、アメリカが非難されることもありませんでした。
>

広島・長崎の惨事が防げたのは、1の段階で成功した場合のみ、です。
 そして、1の段階の難点は、

 ①日本の防空体制を強めてしまう。
 ②日本を脅威に徐々に慣らしてしまい、戦争を終えさせられなくする。
 ③対日妥協してでもソ連参戦抜きの終戦を目論んでいる意図を公表することになり、連合国共同宣言とヤルタ密約に違反し、対ソ協調ができなくなる。

 ホプキンズのモスクワ派遣からもわかるように、大戦末期、アメリカはソ連との戦後協調を真面目に考えていました。原爆投下予告と天皇制保証は、対ソ政策として最悪です。ポツダム宣言ですら、ソ連の猛抗議を招いたのですから。

> 史実よりもより良い方法があるのなら、史実が正しかったとはいえないはずです。

 後知恵で考えれば、史実よりもよい方法はいくらでも思いつけます。しかし、現場において、【うまくいきさえすれば最善となる策】に賭けろといっても無理です。たいていその策は、失敗すると最悪となるからです。対日宥和ポーズによる逐次脅迫政策は、原爆投下によっても日本を降伏できなくしてしまい、戦争を引き延ばした確率が大です。
 無警告の原爆投下なら、日本に降伏の口実を掴ませる確率が大だと判断されていたし、実際そうなりました。

 『戦争論理学』全体で繰り返し述べたように、アメリカは、自らが主導した連合国共同宣言と無条件降伏要求宣言によって、「枢軸国との和平交渉による講和」を禁じられていたことを忘れてはなりません。無条件降伏要求方針の転換にはよほどの理由が必要です。
 連合国共同宣言だけにかぎっても、原爆の秘密を連合国全体で共有してからでないと、日本への秘密漏洩は不可能なのです。ソ連、フランス、中国と原爆情報を共有しろというのは無理筋ですし、そんなことに手間取っていれば戦争は延びていたでしょう。
 対日講和の手段としてではなく、純粋な軍事作戦の一環として原爆投下するしかなかったのです(実質は政治的作戦だとしても、形式上軍事的作戦として)。軍事作戦としての原爆投下なら、連合国共同宣言にもヤルタ密約にも無条件降伏要求方針にも抵触しませんからね。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月12日(日)11時33分26秒

  返信・引用
> 警告付き原爆投下が【実現できれば】最善だったと言い募ることはできますが、戦争中に、さしものアメリカといえどもそんな自信はありません。

> 第42問に述べたように、当時日本は、一万機以上の航空兵力を温存していました。日本に原爆の存在を知らせた結果、本土決戦用飛行機を防空用にすべて動員されようものなら、原爆投下は不可能となります。(投下後の退避旋回の必要上、多数機編隊での原爆投下はありえませんから、日本側としては少数機での侵入のときをとくに警戒すればよいので、原爆投下の防止は容易です)

B29というのは、最大速度574 km/h、上昇限度10,200 mという戦闘機並みの性能を持った爆撃機です。
これを撃墜できる日本機は海軍の雷電など数が限られます。
東京防空の302空の雷電は40機ありましたが、稼動できるのが約10機というありさまです。
しかもB29には、P51という最大速度703 km/hというジェット機なみの戦闘機が護衛しているのです。
B29の撃墜は至難の業です。
B29を高高度か夜間で使われたら、まず撃墜は不可能です。
このことはアメリカも知っています。
つまり、原爆を積んだB29での予告爆撃など、アメリカにとってさほど難しいことではない。
硫黄島攻略の方がはるかに難しいでしょうね。


> 日本を徐々に破局に慣らしていって漫然と死者を増やし続けるより、一瞬の集中的な大量破壊ショックによって戦争期間を大幅短縮するというのは、どうみても最善の策であり、不幸になる人々の総数を劇的に減らしたことは間違いありません。

「戦争期間を大幅短縮」を目指すのであれば、首都に投下し天皇をケロイドサンマにすればドイツのような降伏のさせ方ができますね。
そうしないのは、天皇に降伏させたほうがいいという判断があったと思われます。

であるならば、まずはこう↓最後通牒し、これで降伏すれば無駄死にが防げます。
1.原爆開発に成功しこれを使えば都市が一瞬で灰になり大勢死ぬこと、降伏すれば日本人による国体を保障すること。

それで降伏しないなら、実行します。
2.広島に原爆投下する。

それでも降伏しないなら、首都に投下し決着をつけます。
3.首都に原爆を投下する。

この1~3の手順を実行すれば、広島・長崎の惨事が防げたかもしれませんし、アメリカが非難されることもありませんでした。
史実よりもより良い方法があるのなら、史実が正しかったとはいえないはずです。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月11日(土)00時15分46秒

  返信・引用
> No.2058[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 陸軍があきらめたのはソ連参戦でも原爆でもありません。
> 天皇のご聖断です。
>

 もちろんそうですが、有効な聖断が下されうる環境を急速に作り出したのが、原爆投下とソ連参戦だったということです。
 サイパン陥落のときも東条内閣が倒れただけ、東京大空襲の焼け跡の惨状を天皇自ら視察しても一撃論に何の変更も無しでした。
 聖断がスムーズに下される状況へ持っていくこと自体が大変な難事だったのです。原爆革命のみがそれを実現しました。

>
> そして我々は、この原爆投下を非難することになります。
> 最近では、日本だけでなくアメリカでも非難が高まってくるような気配です。
>
> これは、政治的には広島・長崎の原爆投下は失敗したからです。
> 政治的には、「原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒」さえしていれば、アメリカは非難されることはありませんでした。
>
> 近い将来、アメリカは原爆投下を謝罪することになるのではないかと思います。

 つまり、「原爆投下自体は正しかった、しかし不合理にも原爆投下が弾劾されかねないのは無警告投下というやり方ゆえだった、よって「無警告の原爆投下」は悪かった」というのがハムさんの立場ですね。

 いくぶん共感できますが、やはり後知恵というものでしょう。
 警告付き原爆投下が【実現できれば】最善だったと言い募ることはできますが、戦争中に、さしものアメリカといえどもそんな自信はありません。
 B29は、当時の技術水準からみれば相当な無理をして作られた超先進兵器であり、離陸の失敗で搭乗員全員死亡、という事故も頻繁に起きていました。
 原爆投下はB29によるギリギリの作戦でした。日本側に警戒させて、撃墜の可能性を少しでも増やすようなリスクを犯せるはずがないのです。
 第42問に述べたように、当時日本は、一万機以上の航空兵力を温存していました。日本に原爆の存在を知らせた結果、本土決戦用飛行機を防空用にすべて動員されようものなら、原爆投下は不可能となります。(投下後の退避旋回の必要上、多数機編隊での原爆投下はありえませんから、日本側としては少数機での侵入のときをとくに警戒すればよいので、原爆投下の防止は容易です)

 パンプキン爆弾の訓練も水泡に帰します。
 原爆の存在を日本に知らせるなど、軍事的に論外です。戦争も延々と続いたことでしょう。

 日本を徐々に破局に慣らしていって漫然と死者を増やし続けるより、一瞬の集中的な大量破壊ショックによって戦争期間を大幅短縮するというのは、どうみても最善の策であり、不幸になる人々の総数を劇的に減らしたことは間違いありません。
 

Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月10日(金)09時43分43秒

  返信・引用
> なぜ陸軍が諦められたか、が重要です。原爆投下がなかったら、あのような潔い諦めは不可能だったでしょう。

陸軍というものの理解が重要です。
陸軍があきらめたのはソ連参戦でも原爆でもありません。
天皇のご聖断です。

これは史実なので覆ることはないですよ。

> 東京への投下は論外でしょう。
> 戦後も、秩序ある国家としての日本の存続が、アメリカのアジア戦略のためには不可欠です。
> 東京を滅ぼすと、降伏文書に署名する当事者がいなくなって混乱するばかりか、戦後日本の政治的再建が困難となり、アメリカの損失は計り知れません。

ドイツのような負かし方が戦略的には一番早い勝ち方ですね。
そうしないのは政治的な判断です。

> フランク報告を書いた科学者たちも、日本へのデモンストレーションという案は危険が大きすぎるとして否定しています。科学的な推論によると、事前警告・デモンストレーション案は却下でしょう。

> ハムさんの肯定論批判が「原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒」というアイディアに立脚しているかぎり、説得される人は少ないのではないでしょうか。

そう、史実は無警告の投下でした。
そして我々は、この原爆投下を非難することになります。
最近では、日本だけでなくアメリカでも非難が高まってくるような気配です。

これは、政治的には広島・長崎の原爆投下は失敗したからです。
政治的には、「原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒」さえしていれば、アメリカは非難されることはありませんでした。

近い将来、アメリカは原爆投下を謝罪することになるのではないかと思います。


Re: 戦争論理学 読後感 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 9日(木)22時47分56秒

  返信・引用
> No.2056[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。


>
> しかし、陸軍から独断専行の関東軍や、二・二六事件の近衛歩兵連隊、宮城事件の近衛師団などを除くわけにはいかないでしょう。
>

 「陸軍」とは何か、という言葉の問題は、原爆投下論議とはほとんど関わりがないので、まあどちらでもよいとしておきましょう。
 ポイントとなるのは、何を陸軍と呼ぶのであれ、その陸軍が現実に徹底抗戦の道を諦めたということです(宮城事件の首謀者たちも、東部軍に叱りつけられて自主的に解散しました)。
 なぜ陸軍が諦められたか、が重要です。原爆投下がなかったら、あのような潔い諦めは不可能だったでしょう。

>
> ソ連参戦の影響が無いとは思いませんが、原爆投下の影響よりもはるかに小さかったと思います。
>

 原爆投下は、天皇個人を震撼させはしましたが、政府と軍にとっては、ソ連参戦がはるかに深刻でした。ソ連が入ってくると、国体護持がまず不可能になるからです。
 原爆が東京に落とされて皇族全滅、ということはありえないので、原爆投下は、国体護持を目的とする日本にとって実質的な脅威ではなく、もっぱら降伏の口実として(ソ連参戦の意義を隠すために)重宝されました。

>
> ・原爆は首都に投下すべきだった。
> 肯定論はこれに尽きると思います。
>

 東京への投下は論外でしょう。
 戦後も、秩序ある国家としての日本の存続が、アメリカのアジア戦略のためには不可欠です。
 東京を滅ぼすと、降伏文書に署名する当事者がいなくなって混乱するばかりか、戦後日本の政治的再建が困難となり、アメリカの損失は計り知れません。

 しかも東京の焼け野原に原爆投下しても、原爆の威力実験の役に立ちませんし。

>
> ・原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒をすべきだった。
> 否定論はこれに尽きると思います。
> これさえしていれば、原爆投下は許容せざるをえません。
> 非難は降伏しなかった日本に向きます。
>

 ポツダム宣言だけでも、あれを見て降伏しなかった日本は非難されるべきだと私は思います。
 どう考えても寛大な条件だったので。

 原爆実験が成功したといっても、地上の鉄塔に固定した理想的条件下での成功であって、敵領空内に侵入して高々度から投下して空中爆発させる、という難事が成功するという保証はありません。つまり原爆実験は、原爆そのものが爆発するという科学的事実の確認にすぎず、戦争行為の中で原爆投下を成功させるという技術的問題は未知です。日本側は、原爆実験を見たとしても、防空体制を強化するなどして、実験どおりにいくとはかぎらない、と高をくくったでしょう。
 しかも、原爆の警告をしてしまうと、日本は主要各都市の中心部に連合国捕虜を送り込み、それを連合国側に公表して、原爆投下を難しくした可能性が大です。

>
> つまり、史実どおりの原爆投下はまったくの誤りです。
>

 事前デモンストレーションは、原爆のパラダイム変換効果を無にしてしまうリスクが大きすぎるので、無警告の投下こそが正解でした。
 フランク報告を書いた科学者たちも、日本へのデモンストレーションという案は危険が大きすぎるとして否定しています。科学的な推論によると、事前警告・デモンストレーション案は却下でしょう。

 ハムさんの肯定論批判が「原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒」というアイディアに立脚しているかぎり、説得される人は少ないのではないでしょうか。
 

戦争論理学 読後感 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 9日(木)16時11分7秒

  返信・引用
> (あれを陸軍の行為と見るなら、聖断に服したのも陸軍の行為であり、「陸軍は聖断に服し、かつ逆らった」ということになります。海軍も同じです。そのような矛盾をあらゆる主体に認めるような言葉遣いは放棄すべきです。宮城事件を行なったのはあくまで数名の軍務課将校であり、陸軍ではありません)

しかし、陸軍から独断専行の関東軍や、二・二六事件の近衛歩兵連隊、宮城事件の近衛師団などを除くわけにはいかないでしょう。
陸軍とは矛盾だらけの組織だったという認識がなければ、正しい分析は不可能だと思います。

>ともあれここにハムさんと私の対立はありません。

ソ連参戦の影響が無いとは思いませんが、原爆投下の影響よりもはるかに小さかったと思います。


「戦争論理学」では原爆投下を肯定しています。
ひとことでいえば、原爆投下はあの戦争に必要であった、ということですね。

私はまったくそうは思いません。

・原爆は首都に投下すべきだった。
肯定論はこれに尽きると思います。
これ以外はいいわけに聞こえます。

・原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒をすべきだった。
否定論はこれに尽きると思います。
これさえしていれば、原爆投下は許容せざるをえません。
非難は降伏しなかった日本に向きます。

この肯定論から否定論が導かれるはずです。
つまり、史実どおりの原爆投下はまったくの誤りです。


Re: 戦争論理学16 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 9日(木)00時03分45秒

  返信・引用
> No.2054[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> ソ連が参戦しようと原爆投下されようと、陸軍は最後まで徹底抗戦です。
> 史実はそうみえます。
>

 宮城事件を陸軍の行為とみるかどうかは、言葉の問題でしょう。
 常識的には、あれは陸軍の追認も賛同も受けておらず、226に比べても小規模でした。陸軍の行為と見ることはできません。阿南も梅津もクーデターにはハッキリ反対を述べています。
 (あれを陸軍の行為と見るなら、聖断に服したのも陸軍の行為であり、「陸軍は聖断に服し、かつ逆らった」ということになります。海軍も同じです。そのような矛盾をあらゆる主体に認めるような言葉遣いは放棄すべきです。宮城事件を行なったのはあくまで数名の軍務課将校であり、陸軍ではありません)

 ともあれここにハムさんと私の対立はありません。
 ポイントは、
 陸軍のあの徹底抗戦姿勢という事実が、結果的に原爆投下を正当性しやすくしていることは確かだということです。
 もし聖断がなければ、陸軍のみならず海軍も政府も徹底抗戦せざるをえませんでしたが、
 陸軍の特殊なところは、聖断がたとえあったとしても(それが単なる聖断なら)、徹底抗戦の構えは崩さなかったろうということです。

 しかしあのタイミングでの聖断の効果は特別でした。
 ソ連参戦と原爆投下は、あの陸軍さえも聖断に服させたという意味で、まさに天佑だったのです。
 

Re: 戦争論理学16 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 8日(水)08時17分45秒

  返信・引用
> 陸軍メンバーの行為であっても、大本営か参謀本部が命令or賛同or追認する行為でなければ、「陸軍の」行為とは認められません。

陸軍という組織、というより日本人の組織というものは、こういうやり方が多いのです。
既成事実を作っておいて、それが成功すれば追認します。
成功しなければ、断罪するのです。
中国で起こした関東軍の事件は追認されました。
二・二六事件などは断罪されました。


> ソ連参戦と原爆投下のいずれかが為されなかったら、陸軍は陸軍大臣以下一丸となって抗戦態勢をとり続けただろうし、聖断を下すこともできなかっただろうと私は考えます。和平派が聖断を画策しようものならクーデターが起きて軍事政権ができかねなかったでしょう。
> ソ連参戦のショックを喰らった瞬間、陸軍の腰が一瞬砕けた隙を捉えて、和平派は原爆投下という逃げ道へ陸軍を誘導し見事に難局解決したのでした。

ソ連が参戦しようと原爆投下されようと、陸軍は最後まで徹底抗戦です。
史実はそうみえます。


> その頃までは抗戦派が和平派を出し抜き続けていました。
> ソ連参戦で形勢は逆転し、抗戦派の意気は挫けて和平派の策にハメられるばかりとなりました。

最高戦争指導会議が紛糾していて、ソ連の宣戦布告も協議できない。
大勢はポツダム宣言受諾なのですが、陸軍が頑として譲らない、困った鈴木首相が最後の手段として天皇の御聖断を仰いだわけです。
かってない新型爆弾、マッチ箱1個で都市が吹っ飛ぶ、人類が始めて原爆を知ったときの当然の反応だと思います。


Re: 戦争論理学16 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 7日(火)23時44分58秒

  返信・引用
> No.2051[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 陸軍といったときに、陸軍なるものの総体を指しますね。
> 宮城事件を起こした陸軍省幕僚と近衛師団参謀を中心とする陸軍軍人は、陸軍なるものでしょう。
>

 陸軍の構成員が起こした事件はみな「陸軍が起こした」事件になるとはかぎりません。海軍も厚木を中心として反乱を起こしたことになってしまいます。
アメリカの政治家や将軍にも原爆投下に異を唱えた者がいたので、「アメリカは原爆投下に反対した」ことになってしまいます。
 陸軍メンバーの行為であっても、大本営か参謀本部が命令or賛同or追認する行為でなければ、「陸軍の」行為とは認められません。

 いずれにしても、ハムさんが述べるほど陸軍が徹底抗戦態勢に凝り固まっていたとすれば、ますます原爆投下の正当性は高まりますね。
 『戦争論理学』も基本的にその線に沿って書かれています。
 ソ連参戦と原爆投下のいずれかが為されなかったら、陸軍は陸軍大臣以下一丸となって抗戦態勢をとり続けただろうし、聖断を下すこともできなかっただろうと私は考えます。和平派が聖断を画策しようものならクーデターが起きて軍事政権ができかねなかったでしょう。
 ソ連参戦のショックを喰らった瞬間、陸軍の腰が一瞬砕けた隙を捉えて、和平派は原爆投下という逃げ道へ陸軍を誘導し見事に難局解決したのでした。

>
> ソ連の宣戦布告に対する日本側の措置は、最高戦争指導会議がポツダム宣言受諾問題で紛糾していたため、協議できなかった事実があります。
> これは、ソ連の参戦ではなく原爆投下が最高戦争指導会議を紛糾させたということです。

 最高戦争指導会議を紛糾させたのはポツダム宣言、原爆投下、ソ連参戦のすべてでしょう。ソ連参戦の時点ですでに混乱していたことは事実です。
 抗戦派が強硬に策を弄したのは、ポツダム宣言への対応を閣議で論じた頃が最後です。閣議で決まった「ソ連に期待して、ポツダム宣言には答えず様子を見よう」という結論を無視して、記者会見直前に梅津、豊田、阿南が鈴木首相に強引にねじ込んで「前線の士気に悪影響があるから断固たる拒絶声明を出せ」と迫り、鈴木が記者団の前で「黙殺」と言わざるをえなかったあたりですね。(東郷外相は、「閣議決定と違う」と激怒しています。)

 その頃までは抗戦派が和平派を出し抜き続けていました。
 ソ連参戦で形勢は逆転し、抗戦派の意気は挫けて和平派の策にハメられるばかりとなりました。
 

Re: 戦争論理学16 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 7日(火)09時01分26秒

  返信・引用
>陸軍を正式に代表して玉音放送を阻止しようとした人は1人もいません。
>宮城事件は、陸軍大臣や参謀総長の裁可を得ていない一部将校の暴走にすぎません。

陸軍といったときに、陸軍なるものの総体を指しますね。
宮城事件を起こした陸軍省幕僚と近衛師団参謀を中心とする陸軍軍人は、陸軍なるものでしょう。

最後の陸軍大臣下村定大将は敗戦後の第89回帝国議会において、この陸軍なるものを「陸軍内の者が」として「私は陸軍の最後に当りまして、議会を通じて此の点に付き全国民諸君に衷心から御詫びを申上げます」と謝罪しています。


>ソ連参戦直後のショック状態で陸軍の意思決定機能が麻痺していた、その瞬間を捉えて和平派は好便に動いたのでした。

ソ連の宣戦布告に対する日本側の措置は、最高戦争指導会議がポツダム宣言受諾問題で紛糾していたため、協議できなかった事実があります。
これは、ソ連の参戦ではなく原爆投下が最高戦争指導会議を紛糾させたということです。


Re: 戦争論理学16 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 6日(月)21時57分32秒

  返信・引用
> No.2049[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 陸軍は御前会議で徹底抗戦を主張し、かなわないとなると、玉音放送を阻止しようとした。
> これが史実です。
>
> この史実と異なる見解は新説ですので、想像ではなく事実にもとずく論証が必要です。
>

 その「史実」は、何という文献に書いてあるのですか?
 主語は「陸軍」ですか?
 陸軍を正式に代表して玉音放送を阻止しようとした人は1人もいません。
 宮城事件は、陸軍大臣や参謀総長の裁可を得ていない一部将校の暴走にすぎません。

>
> 「和平派の術中にはまりたかった」のだが、御前会議で徹底抗戦を主張し、玉音放送を阻止しようとした、という説明は無理があります。
> 陸軍は最後まで徹底抗戦を主張し実行しようとした、と考える方が自然です。
>

 繰り返すと、玉音放送を阻止しようとしたのは「陸軍」ではありません。
 そもそも御前会議で発せられた天皇の言葉は「命令」ではなくただの「希望」ですから(立憲君主として天皇には直接命令する法的権限はなかった)、そのあとの閣議で「やはり陛下は君側の奸にたぶらかされておる、ポツダム宣言は突っ返してやれ」と頑張ることは阿南には十分できたはずです。
 それをしなかった。陸軍は抵抗力を失っていたのです。

 もちろん、あの瞬間に和平派がぼやぼやしていて、聖断が出ないまま10日も1ヶ月も過ぎてしまったら、陸軍も我に返って対ソ作戦を立て直し、持久戦の構えに入ってしまったことでしょう。関東軍は退却しただけで、壊滅はしていませんでしたから。
 原爆+ソ連参戦のショックに軍官民が慣れてしまうと、もはや終戦は容易には実現しません。

 多少ハムさん寄りに修正した言い方をするならば、
 あの時点で陸軍は「観念した」というよりも、「麻痺していた」のです。(麻痺状態から醒めれば、もちろん、陸軍は旺盛な抗戦意志を取り戻したことでしょう)

 ソ連参戦直後のショック状態で陸軍の意思決定機能が麻痺していた、その瞬間を捉えて和平派は好便に動いたのでした。
 麻痺と弱気の刹那に、原爆投下+聖断という二大超自然が陸軍に降伏の口実を与えたのでした。
 陸軍は、罠にはめられたことで自らの名誉を救うことになりました。(赤軍にコテンパンに叩きのめされてからでは面子の立てようがありませんからね)
 あの瞬間の聖断、まさにファインチューニングだったのです。


Re: 戦争論理学16 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 6日(月)09時01分4秒

  返信・引用
> サイパン陥落時に大空襲を覚悟した日本首脳が、東京大空襲に全く動じなかったように、原爆をあらかじめ警告されてしまうと、終戦がますます難しくなります。

原爆は「かつて戦争ルールとして認められて」いない兵器なので、原爆開発成功を示す映像や資料を添えた最後通牒で天皇が終戦を決意した可能性はあります。
戦略的にも最後通牒はすべきであるし、そういう最後通牒をしないから、ここまで批判されるわけです。


> 突然の御前会議開催というのは阿南らにとって寝耳に水で、「和平派に謀られた」と悟りながらも、しぶしぶ(を装って)出席し、和平派の言いなりになったというのが真相です。

> とくにソ連参戦後は、抗戦派は「和平派の術中にはまりたかった」のです。
 原爆投下&聖断という、軍の責任とは関係ない事件で戦争が終わるなら、軍の面子も保たれたのです。


陸軍は御前会議で徹底抗戦を主張し、かなわないとなると、玉音放送を阻止しようとした。
これが史実です。

この史実と異なる見解は新説ですので、想像ではなく事実にもとずく論証が必要です。


「和平派の術中にはまりたかった」のだが、御前会議で徹底抗戦を主張し、玉音放送を阻止しようとした、という説明は無理があります。
陸軍は最後まで徹底抗戦を主張し実行しようとした、と考える方が自然です。


Re: 戦争論理学16 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 5日(日)21時00分47秒

  返信・引用
> No.2046[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

> >ソ連参戦前の日本降伏を勝ち取る手段は、原爆投下以外にはありませんでした。
>
> アメリカは原爆という切り札を握っています。
> この場合、ソ連に参戦される前に日本を降伏させるには、最後通牒が有効です。
>

 最後通牒は、ポツダム宣言という形でなされています。日本兵の即時帰還を約束し、「日本国民の自由意思で政府の形態を決定」してよいと言っているのですから、あれで十分です。
 原爆の警告やデモンストレーションは、小出しのショックを日本に与えることになりますから、逐次投入戦術の誤りを犯すことになることはすでに述べました。
 サイパン陥落時に大空襲を覚悟した日本首脳が、東京大空襲に全く動じなかったように、原爆をあらかじめ警告されてしまうと、終戦がますます難しくなります。

>
> 陸軍は御前会議に反対するはずはありません。
>

 御前会議というものは、閣議で決定したことについて形だけ天皇の認可を受ける儀式であると了解されていました。閣議や最高戦争指導会議で結論が出なければ、御前会議の招集はありえないはずなのです。(陛下を煩わせては畏れ多いということで、そういう強固な慣例があった)
 8月9日と14日のような「その場で天皇に決めていただく」方式は、異例中の異例でした。
 突然の御前会議開催というのは阿南らにとって寝耳に水で、「和平派に謀られた」と悟りながらも、しぶしぶ(を装って)出席し、和平派の言いなりになったというのが真相です。
 (不意の御前会議招集に対しては、陸海軍の幹部がこぞって政府に抗議し、阿南が陸軍省軍務局長を「もうよいではないか」となだめるという光景も現出しています)

>
> 敗戦は天皇の死を意味しますから、天皇が戦争継続に反対するはずはないと考えたはずです。
>

 和平派がさかんに天皇に働きかけていることは抗戦派も知っていました。
 抗戦派は和平派にペテンにかけられたのですが、それを知っていながら大した画策に出ていません。原爆投下後の和平派の精力的な活動に比べて、抗戦派の無為無策ぶりは何を意味するか?
 とくにソ連参戦後は、抗戦派は「和平派の術中にはまりたかった」のです。
 原爆投下&聖断という、軍の責任とは関係ない事件で戦争が終わるなら、軍の面子も保たれたのです。

>
> 結局、史実どおりの玉音放送の阻止を裏で画策し実行したのですが、失敗しました。
>

反乱を起こしたのは佐官クラスの参謀たちで、将軍クラスは誰一人賛同していません。
 玉音放送が流されたときでなく、ソ連参戦のときに陸軍は観念していたのです。
 

Re: 戦争論理学16 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 5日(日)12時30分21秒

  返信・引用
>ソ連参戦前の日本降伏を勝ち取る手段は、原爆投下以外にはありませんでした。

アメリカは原爆という切り札を握っています。
この場合、ソ連に参戦される前に日本を降伏させるには、最後通牒が有効です。
それによって日本が降伏すればソ連参戦が防げるし、降伏しないときは史実どおりに投下という二本立ての戦略を取るべきです。
この手順を実行していれば、原爆投下に非難もなかったはずです。
アメリカは戦略的に手順前後の誤りを犯しています。

> もし本気で本土決戦をするつもりであれば、御前会議開催に反対すればよかっただけのことです(それは簡単でした。開催の同意書に署名しなければよいのですから)。あるいは、予告なしに御前会議開催を持ち出され和平派のはかりごとを悟ったあの時点で、または聖断が下ったあとですら、阿南が辞任して倒閣させればよいだけです。重大事に関わるのですから、「君側の奸」論を持ち出して天皇に逆らう大義名分は十分でした(参謀たちも阿南辞職を期待しました)。
> それをしなかったのは、阿南も内心、原爆投下と聖断に安堵していたからとしか考えられません。

陸軍は御前会議に反対するはずはありません。
敗戦は天皇の死を意味しますから、天皇が戦争継続に反対するはずはないと考えたはずです。

聖断後の阿南陸軍大臣の辞任もありえません。
それをすれば、天皇に逆らったことになります。
国体明徴声明に反することになります。
結局、史実どおりの玉音放送の阻止を裏で画策し実行したのですが、失敗しました。

玉音放送が流されたときに陸軍は観念したのです。


Re: 戦争論理学16 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 4日(土)21時28分31秒

  返信・引用
> No.2043[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。


> >あせらせるもなにも、ポツダム会談のとき、ソ連軍は8月15日に満州侵攻を始める、と米英側はすでに聞いていました。なるべく早く原爆投下して、ソ連参戦前の終戦を狙ったのです。★
>
> ソ連の侵攻は9日午前零時です。
> 広島原爆がソ連の侵攻を早めてしまったことは確実です。
>

論点がすれ違っているようですが――
 ★は、「ソ連の対日戦参戦については、アメリカはソ連参戦前に日本を降伏させたかったわけですから、原爆投下によってソ連参戦をあせらせるのはアメリカにとってマイナスになるはずです。」へのレスでした。
 どのみち、原爆とは無関係にソ連参戦が近いことをアメリカは知っていたので、原爆投下以前にソ連参戦で日本が降伏してしまうという事態をなんとしても回避する必要があったのです。
 ソ連参戦前の日本降伏を勝ち取る手段は、原爆投下以外にはありませんでした。

 広島原爆と長崎原爆は意味が違います。
 広島原爆は、ソ連参戦前に日本を降伏させるための予防的措置。(失敗)
 長崎原爆は、(意図は広島原爆と同じとはいえ結果的に)わずかの差でソ連参戦の後になったため、その参戦効果をマスキングした対抗措置として日米に利用された。(結果的に成功)

>
> ソ連参戦で陸軍が観念した事実はありません。
>

 ソ連を仲介とする和平交渉を主張していたのは陸軍です。
 ひとえに、ソ連参戦を食い止めたいという願望からでした。
 もちろん、「対ソ作戦計画要領」も並行して進められ、最悪の事態を陸軍は想定していましたが、実際、決号作戦(本土決戦計画)は、ソ連参戦なしのシナリオに依存していました。関東軍の「新しい対ソ作戦計画要領」準備完了は9月下旬予定。8月上旬でのソ連参戦は陸軍にとって致命的でした。

 表向きは陸軍は本土決戦を放棄しようとしませんでしたが、ソ連参戦によってすべての計画が崩れ、原爆投下を口実に聖断に従ったというのが真相です。
 もし本気で本土決戦をするつもりであれば、御前会議開催に反対すればよかっただけのことです(それは簡単でした。開催の同意書に署名しなければよいのですから)。あるいは、予告なしに御前会議開催を持ち出され和平派のはかりごとを悟ったあの時点で、または聖断が下ったあとですら、阿南が辞任して倒閣させればよいだけです。重大事に関わるのですから、「君側の奸」論を持ち出して天皇に逆らう大義名分は十分でした(参謀たちも阿南辞職を期待しました)。
 それをしなかったのは、阿南も内心、原爆投下と聖断に安堵していたからとしか考えられません。

 宮中勢力と外務省を中心とする和平派は、ソ連参戦の実質的ショックを利用して、原爆投下の象徴的ショックで陸軍を懐柔できたのです。ほんのわずかなタイミングでした。まさにファインチューニングだったのです。
 

Re: 戦争論理学16 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 4日(土)13時57分1秒

  返信・引用
>あせらせるもなにも、ポツダム会談のとき、ソ連軍は8月15日に満州侵攻を始める、と米英側はすでに聞いていました。なるべく早く原爆投下して、ソ連参戦前の終戦を狙ったのです。

ソ連の侵攻は9日午前零時です。
広島原爆がソ連の侵攻を早めてしまったことは確実です。

>ソ連参戦でようやく陸軍も観念しました。

終戦が決定された9日23時の御前会議において、阿南陸軍大臣は本土決戦、一億玉砕を主張しています。
終戦を決定したのは天皇です。(この決定は天皇が死を覚悟したということです)
この御前会議が開かれたのは、最高戦争指導会議においてポッダム宣言の受諾か本土決戦の戦争継続か、議論が二つに分れて、どうしても決まらなかったからです。
陸軍が本土決戦を頑強に主張するので、困った当時の鈴木総理が御前会議を開いたのです。
ソ連参戦で陸軍が観念した事実はありません。


Re: 戦争論理学16 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 3日(金)20時35分59秒

  返信・引用
> No.2041[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> ソ連の対日戦参戦については、アメリカはソ連参戦前に日本を降伏させたかったわけですから、原爆投下によってソ連参戦をあせらせるのはアメリカにとってマイナスになるはずです。
>

あせらせるもなにも、ポツダム会談のとき、ソ連軍は8月15日に満州侵攻を始める、と米英側はすでに聞いていました。なるべく早く原爆投下して、ソ連参戦前の終戦を狙ったのです。

>
> 史実が示すとおり広島原爆で天皇は終戦を決断したわけですから、長崎原爆はまったくのムダです。
>

 天皇は精神的に俗人ですから、確かに原爆に震え上がりました。
 しかし遥かに高邁な(?)使命感に燃えていた陸軍は、原爆で全くショックを受けていません。
 ソ連参戦でようやく陸軍も観念しました。
 しかし、原爆投下がなければ、ソ連が戦争を終わらせたことが世界中にばれてしまいます。
 日本にとっても米国にとっても最悪のシナリオです。
 結局、原爆が(広島原爆より長崎原爆が。第21問参照)ソ連参戦の功績を掻き消し、日本分断統治を回避させたのです。
 

戦争論理学16 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 3日(金)08時32分7秒

  返信・引用
「戦争論理学」のどの問にも反論ができるのですが、ここには原爆投下に関係することを重点的に投稿するつもりです。

>早期終戦や対ソ戦略といった動機は、多面的でなく、原爆投下を促す一方向的要因だったと思われます。

>警告や資料提供だけで日本が降伏する確率はほぼゼロだったと言えるでしょう。

ソ連の対日戦参戦については、アメリカはソ連参戦前に日本を降伏させたかったわけですから、原爆投下によってソ連参戦をあせらせるのはアメリカにとってマイナスになるはずです。

原爆投下の最後通牒によって、天皇が終戦を決断した可能性はあると思います。
日本が恐れたものは、ソ連の参戦ではなく(ソ連参戦は想定の範囲内で机上の演習を行っていた)、原爆です。
国体護持できなくなるからです。
原爆を首都に投下されたら天皇もケロイドサンマになってしまいます。


16少なくとも長崎への原爆投下は正当化できまい?

史実が示すとおり広島原爆で天皇は終戦を決断したわけですから、長崎原爆はまったくのムダです。
戦略的には二発目の原爆は首都投下用に温存すべきです。
日本が降伏しないとき、最後通牒をして首都に投下すればそれで決着がつきます。


Re: 戦争論理学14 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 2日(木)13時51分44秒

  返信・引用
> No.2038[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

毎度のコメント大変ありがとうございます。
続編または改訂版を出すときに大いに役立ちます。

したがって、ここに私が書くレスは、
『戦争論理学』から導かれながらも、明示はしなかった補強的事柄をメインにしてみたいと思います。

>
>>人種差別は、「原爆投下を避ける方向にも」働きうる要因なのです。
>
>こういう物事の多面性は、証明できない限りどんなことに対してもいえることですね。
>

 早期終戦や対ソ戦略といった動機は、多面的でなく、原爆投下を促す一方向的要因だったと思われます。
 人種差別の場合は、人種差別「ゆえに」原爆投下した、という理屈が成り立つのと同等に、人種差別「にもかかわらず」原爆投下した、という理屈も成り立つのではないかということです。

>
> 日本に対して原爆開発成功を証明する映像や資料などを添えた最後通牒は必要だったと思います。
>

 警告や資料提供だけで日本が降伏する確率はほぼゼロだったと言えるでしょう。
 しかも、原爆投下前の早期警告は、日本に対してショックを「徐々に」与える策ですから、日本は少しずつ脅威に慣れてしまい、いざ本当に原爆が投下されても、即時終戦の効果を持たなくなる怖れがあります。
 広島よりもはるかに多くの即死者を出した東京大空襲でさえ、終戦への傾向を全くもたらしませんでした。日本首脳部の予想の範囲内の攻撃だったからです。

 原爆投下とソ連参戦は、全くの奇襲であったからこそ、劇的なインパクトをもたらしました。(日本国内の和平派の発言力が急上昇し、抗戦派を一瞬圧倒した隙に超法規的聖断で終戦できました。まさにスレスレでした)

 早期警告策をとると、そうした「隙間窓効果」が期待できなくなります。
 日本軍が太平洋の島々で犯した「逐次投入戦術」と同じで、愚かな非能率的戦術なのです(第16問)。

 広島・長崎の三十万の犠牲は、1ヶ月足らずで日本人にもたらされるのと同等の犠牲を印象深く目立たせ、漫然たる無益な死傷を防いで効果的な終戦策をもたらしたと言えます。
 広島・長崎と満州の犠牲は、沖縄や東京大空襲の犠牲に比べても、ずっと意味の大きい(無駄死にには程遠い)「有意義な死」だったと言えるでしょう。

 有意義と言うことが、被爆者への冒とくになるとは思えません(むしろ逆ではないでしょうか)。
 

戦争論理学14 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 2日(木)09時24分50秒

  返信・引用
>「人種差別」という動機が、原爆投下をもたらすアメリカの意思を強める方向にのみ働く一方向的要因であれば、たしかに排除しきれないでしょう。

>人種差別は、「原爆投下を避ける方向にも」働きうる要因なのです。


こういう物事の多面性は、証明できない限りどんなことに対してもいえることですね。
この多面性は排除する理由ではなく、議論が必要な理由になります。

トルーマン米大統領が日本に原爆投下を決めた日の日記の「このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」という書き込みは、我々日本人に「人種差別ゆえの原爆投下」を確信させています。


14原爆のデモンストレーションをするべきだったのでは?

私も原爆のデモンストレーションは現実的ではないと思います。
ですが、
日本に対して原爆開発成功を証明する映像や資料などを添えた最後通牒は必要だったと思います。
これをしていれば、原爆投下が非難されることはなかったと思われます。

宣戦布告後に真珠湾攻撃をしていれば日本が非難されなかったのと同様です。


人種差別、国体護持 投稿者:φ 投稿日:2008年10月 2日(木)00時09分36秒

  返信・引用
Re:ハムさん

 >他の動機で説明できるからといって、
>「人種差別という動機」を排除するのは恣意的だと思います。

「人種差別」という動機が、原爆投下をもたらすアメリカの意思を強める方向にのみ働く一方向的要因であれば、たしかに排除しきれないでしょう。
 しかし、 http://8044.teacup.com/miurat/bbs/2032 で述べたように、
 人種差別は、「原爆投下を避ける方向にも」働きうる要因なのです。
 (劣等人種には、拷問やレイプやガス室はふさわしいと考えられたかもしれませんが、核兵器投下のような高価な、敬意を表したような扱いはふさわしくないでしょう)

 よって、
 すでに、早期終戦、対ソ政策、米国内世論対策、等の動機がありあまるほど揃っているわけですから、「人種差別」は排除して考えるべきなのです。

Re:スターダストさん

 もう一つ付け加えると、
 8月10日、日本政府がポツダム宣言の条件付き受諾を通告したさい、次のように述べていました(第27問)。
 「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの要求の下に」
 アメリカの回答(バーンズ回答)はこれを無視し、「降伏の瞬間から、天皇および日本政府の国家統治権は連合国最高司令官に従属することになる」と述べました。

 実際、戦後に「天皇の国家統治の大権」はどうなったでしょうか?

 もちろん、変更されました。
 戦後日本には、天皇の大権などというものは認められていません。
 つまり、日本政府が最後の最後までこだわった条件は、もともとアメリカが呑める条件ではなかったのです。
 連合国は、天皇制の維持そのものにはさほど抵抗は感じませんでしたが、天皇の大権を含む「国体護持」を了承してはいなかったのです。(そして了承できるはずがなかったのです)。
 原爆投下の正当性を考えるときに重要な事実でしょう。
 

Re: 戦争論理学 投稿者:スターダスト 投稿日:2008年10月 1日(水)12時52分11秒

  返信・引用
> No.2024[元記事へ]

φさんへのお返事です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> >
> > ●原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀 (単行本)
> > by 鳥居 民 (著)
> >
>
>  この本は、『戦争論理学』では第33問の参考文献に挙げておきましたが、

失礼いたしました。 確認させていただきました。私の見落としです。

> >
> > 「受諾したポツダム宣言が日本にとって無条件ではなかったことをアメリカサイドも了承していたこと、
> >つまり国体護持を了承できるのならばいっそ7月には終戦できたこと」が気になります。
> >
>
> ここは見方の別れるところでしょうが、『戦争論理学』に述べたとおり、国体護持容認政策について論理的だと私が思う判断はこうです。
>
>  ★国体護持が保証されることにより、原爆投下もソ連参戦もないときに「聖断」が下っても、軍・民ともに、終戦を納得できず混乱しただろう。陸軍大臣辞任によって倒閣するか、軍の反乱が生じただろう。(いったんそうなると原爆投下・ソ連参戦を経ても聖断が通用しなくなり戦争が延びてしまう!)
>  ★アメリカが日本に「国体護持」を公に認めることは、無条件降伏要求と連合国共同宣言に反するので、不可能だった。(アメリカ世論にも反しており、対独政策とも不整合だった)
>  もう一つ、複雑化を避けて『戦争論理学』には明示しなかった要因としては、次のものがあります。
>  ★アメリカが日本に「国体護持」を公に認めることは、ソ連参戦前の終戦を【妥協によってでも】成し遂げようとするアメリカの意図を示すこととなり、対ソ・ヤルタ密約に違反している。対ソ協調のためには、無条件降伏要求と連合国共同宣言に反してまでソ連参戦を防止するような妥協措置をアメリカがとることは論外だった。(妥協ではない純然たる戦争努力である原爆投下なら、ソ連参戦前の日本降伏を実現できてもソ連は文句言えなかった(対ソ協調は妨げられなかった)はず)
>
>  というわけで、アメリカにとって一番安全確実な道(結果的に日本の国益にも有利だった道)は、国体護持に言質を与えることなくソ連参戦前に原爆投下すること、だったのではないでしょうか。

この論点については大変に難しい問題を含んでいると思われますが、なかなかに自説をまとめらない現状です。 もうしわけございませんでした。


Re: 戦争論理学06 投稿者:ハム 投稿日:2008年10月 1日(水)09時16分8秒

  返信・引用
> 並存しているからといって因果関係を認めるのは、「ポストホックの誤謬」です。朝陽が目覚まし時計のベルの原因でないと思う方が不思議、という人には、朝陽を遮断したとき目覚ましが鳴るかどうか実験すればいいでしょう。

一般に心理が行動に及ぼす影響を探究するのが心理学です。
心理学が「ポストホックの誤謬」だとは思わはいはずです。


> 「人種差別という動機」は不要な要素ですから、原爆投下の是非を評価するさいには除外して考えねばなりません。オッカムの剃刀によって。

>ある仮説が不要だとわかれば、その仮説にはそれ以上こだわらない方がよいでしょう。

一般に倫理学では規範や道徳的な根拠について考察しますよね。
原爆投下の善悪を論じる時に、特定の動機だけを排除するにはしかるべき理由が必要だと思います。

他の動機で説明できるからといって、「人種差別という動機」を排除するのは恣意的だと思います。


Re: 戦争論理学06 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月30日(火)23時13分45秒

  返信・引用
> No.2033[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 人種差別意識はあったが原爆投下とは無関係だと思う方が不思議です。
>

 並存しているからといって因果関係を認めるのは、「ポストホックの誤謬」です。朝陽が目覚まし時計のベルの原因でないと思う方が不思議、という人には、朝陽を遮断したとき目覚ましが鳴るかどうか実験すればいいでしょう。
 原爆投下については、人種差別を除外してもなおかつ原爆投下するメリットもしくは合理性が考えられるかどうか、という問題になります。人種差別という動機が働かなかったとしても、アメリカ首脳は原爆投下について同じ結論に至らざるをえなかったろう、ということをいちおう示したのが『戦争論理学』でした。
 「人種差別という動機」は不要な要素ですから、原爆投下の是非を評価するさいには除外して考えねばなりません。オッカムの剃刀によって。

>
> 我々の直感が感じ取っている以上、論証が難しくとも、常にこういう疑問を呈することが必要だと思います。

 もちろん、疑問を呈することは議論のために大切ですが、
 ある仮説が不要だとわかれば、その仮説にはそれ以上こだわらない方がよいでしょう。
 

Re: 戦争論理学06 投稿者:ハム 投稿日:2008年 9月30日(火)12時35分8秒

  返信・引用
>差別意識があるということと、原爆投下の因果関係は論証できないでしょう。

人種差別意識はあったが原爆投下とは無関係だと思う方が不思議です。
こういう文化的な問題は表に出てこないので論証が難しいのですが、真の問題であることが多いように思います。

日系人に対する強制収容政策は明らかな人種差別ですよね。

ロナルド・タカキ米カリフォルニア大教授は「文化的事情」を重視しトルーマン大統領の日記などをもとにこう述べています。
(1)同大統領は子供のころから「いくじなし」と言われ、ルーズベルト大統領の急死で大統領就任後もマスコミから「小物」と呼ば

れて「決断力のある男らしくふるまわなければならない」と強く考えていた
(2)日米戦争は人種戦争の性格を持ち、同大統領も人種的偏見を持っていた

ラダ・ビノード・パール博士
「広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の

意思表示していたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を『実験』として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにでは

なくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔(ざんげ)の言葉を聞い

ていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」

我々の直感が感じ取っている以上、論証が難しくとも、常にこういう疑問を呈することが必要だと思います。


Re: 戦争論理学06 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月29日(月)22時54分6秒

  返信・引用
> No.2031[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

 差別意識があるということと、原爆投下の因果関係は論証できないでしょう。
 逆も言えるからです。つまり、復興する能力が信じられていたからこそ原爆を落とすことができた、と。
 大江健三郎は、コンゴのレオポルドビルにだったら原爆など到底落とせまい、という差別的なことを書いています(『ヒロシマ・ノート』)。つまり、アメリカ側が日本人の復興能力を信じていたからこそ原爆投下できたのだ、と。アフリカのどこぞだったら、その後が悲惨すぎて到底原爆投下などできなかったろうと。

 つまり、原爆攻撃のような完膚無きまでの撃滅は、相手を恐るべき敵と尊敬していたからこそだとも言えるのです。

 実際、原爆投下までされないと屈服しなかった日本の軍事能力・国力がむしろ過大評価され、戦後、日本が国際的にかなり得をしている面があるのではないでしょうか。
 大江健三郎のように、原爆投下されたことに密かなる誇りを感じている日本人は結構いるのではないかと思われます。かなりグロテスクな倒錯した誇りですけれどね。

 ――「かつて戦争ルールとして認められていたこと」
 という概念は曖昧ですが、
 原爆の場合は、あまりに革新的すぎて、従来の禁止兵器に入っていませんでした。

 いずれにしても、禁止兵器である毒ガスやペスト菌をどしどし戦場で使っていた日本としては、原爆攻撃くらい受けることは承知だったはずです。なにしろ一億玉砕の予定だったのですから。
 一億玉砕を覚悟していたはずの国民が、2つの都市を抹殺されたくらいでゴネるのはみっともないと私は思うのです。なんか国粋主義右翼みたいで申し訳ありませんが……。
 

Re: 戦争論理学06 投稿者:ハム 投稿日:2008年 9月29日(月)10時11分47秒

  返信・引用
> しかし、彼らに差別意識があったからといって、その意識が構造的に原爆投下決定を左右した証拠がないかぎり、差別意識は原爆投下の善悪に関係ありません。

その人の思想や考え方は、その人の発言や行動によって推し計るしかありません。
その人の常日頃の発言と、行動が一致していれば、そういう思想なり考え方がある、と判断していいはずです。

「日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だ」という常日頃の発言があり、「かつて戦争ルールとして認められて」いない原爆投下が行われたことは、彼らの人種差別意識が原爆投下を是認した一要因だ、と判断できると思われます。

ドレスデン爆撃は、のべ千機以上の爆撃による通常の戦争行為ですが、原爆投下は「かつて戦争ルールとして認められていたことを全て放棄しなければならい」ような行為です。


Re: 戦争論理学06 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月28日(日)15時13分47秒

  返信・引用
> No.2029[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> アメリカ人に人種差別意識がなかった、とはいわせません。
>

 これを否定する人はいないでしょうね。
 ルーズベルト、チャーチル、カナダ首相マッケンジー・キングという、原爆の秘密を共有していたただ3人の国家元首がみな、事あるごとに人種差別的な発言をしていたのは周知の事実です。
 ルーズベルトは、日本人は頭蓋骨の形が特殊なので残虐なのだと言っていたし、キングは、原爆投下時に「白人に対して使われなくてさいわいだった」と述べています。

 しかし、彼らに差別意識があったからといって、その意識が構造的に原爆投下決定を左右した証拠がないかぎり、差別意識は原爆投下の善悪に関係ありません。

 ある男が女を殺したとして、その男が女性蔑視的な考えの持ち主だったかどうかは、その殺人の動機に関係しないかぎり、罪の重さに無関係でしょう。
 原爆投下も、人種差別意識は単に投下決定者の心に並存していただけで、別の合理的判断にもとづいていたというのであれば、差別意識をことさらに重視するのは「ポストホックの誤謬」にあたります。

 ちなみに、白人どうしの方が概して残虐行為が多い傾向すらありますね。
 原爆投下よりもドレスデン爆撃の方がはるかに悪質であることは間違いないでしょう。ドレスデン爆撃には原爆投下のような正当化の根拠もなく、戦局になんの影響も及ぼさず、民間人と難民の無益な殺戮だったからです。
 また、ヒトラーはイギリス人を優秀民族として尊敬し、戦争中もたびたび公言していましたが、V1、V2は戦場とは無縁の市民無差別殺傷以外の何物でもありませんでした。

 人種差別などという動機に左右されるほど戦争は甘いものではなさそうですね。
 

戦争論理学06 投稿者:ハム 投稿日:2008年 9月28日(日)13時41分2秒

  返信・引用
>一機で一都市壊滅というパラダイム変換のショックを与えて、敵に降伏の口実を与えることが目的でした。

それがまさに、「罪」も「危険性」もない一般市民を殺戮する理由にもなります。

>> あくまでも敵に手を下して勝たねばならない、ということです。
> まったくそんなことはなく、第一次大戦でのロシアやドイツは、国内事情で休戦を求めました。勝者はそれでも十分満足でした。

>一般に嫌われているかどうかは、その善悪とは関係ありません。ましてやWW2末期のような特定の適用が正しかったかどうかとは関係ありませんね。

これらは、今は保留にしたいと思います。


06 <目標・日本>は人種差別だから許せない?

「人種差別意識が原爆投下目標選定の動機だったかどうかとは、まったく別問題なのである」と論じています。
しかし、アインシュタインが日本への原爆投下に反対したのは、人種差別者のナチスのための兵器を日本に使うことは人種差別につながる、と考えたようですし、
ルーズベルト大統領の主席補佐官ウイリアム・レーヒー提督は、開戦後間もない昭和17年(1942年)1月に出した覚え書きの中で「日本の野蛮人と戦う際は、かつて戦争ルールとして認められていたことを全て放棄しなければならい。」という当時米国内で言われていた言葉を引用しました。
また、トルーマン米大統領はポツダムにおける対日戦争終結のための会議に出席中に原爆実験成功を知り、それを日本に対して使用することを直ちに決断しましたが、その際の日記に 「このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、残酷、狂信的だから」と記しています。
原爆開発を担当していたロスアラモス研究所から原爆投下作戦を指揮するために、原爆搭載機の発進基地であったテニアン島に呼び寄せられたウイリアム・パーソンズ大佐も、投下後の記者のインタービューに答えて、「ジャップがひどい目に遭うことについて、特別な感情はなかった」と語っています。

アメリカ人に人種差別意識がなかった、とはいわせません。


Re: 戦争論理学04 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月27日(土)14時11分10秒

  返信・引用
> No.2027[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 軍需工場とその労働者宅を破壊するために、広島市全体を壊滅させる必要はないはずです。
>

 原爆投下の「正当化」の論理は重慶爆撃以来の「常識」によっていますが、
 その「目的」は、従来の戦略爆撃とはまったく異なります。
 一機で一都市壊滅というパラダイム変換のショックを与えて、敵に降伏の口実を与えることが目的でした。
 計画は図に当たって、日本は陸軍の面子を失わせることなく降伏できました。(和平派は、「もちろん帝国陸軍は強いのだが、国が科学競争で負けたのだから仕方ない」と、すべてを原爆に責任転嫁して抗戦派を説得したそうです)

>
> あくまでも敵に手を下して勝たねばならない、ということです。
>

 まったくそんなことはなく、第一次大戦でのロシアやドイツは、国内事情で休戦を求めました。勝者はそれでも十分満足でした。

>原爆はこの意味でも嫌われるのです。

 一般に嫌われているかどうかは、その善悪とは関係ありません。ましてやWW2末期のような特定の適用が正しかったかどうかとは関係ありませんね。

 (たとえば、売春が忌み嫌われる傾向があるからといって、そこからただちに「売春は悪だ」という短絡的な結論を導く粗悪な自然主義的議論が横行していますから、要注意です。)
 

戦争論理学04 投稿者:ハム 投稿日:2008年 9月27日(土)11時30分34秒

  返信・引用
>表向きは、危険な軍需工場労働者を攻撃するための不可避の犠牲が子どもや老人なのだ、ということになります。

不可避の犠牲を容認するとしても、原爆投下は容認できません。
軍需工場とその労働者宅を破壊するために、広島市全体を壊滅させる必要はないはずです。
これは一種の合成の誤謬になるのではないかと思います。


04 核兵器は通常兵器より悪いのか?

「現在の基準で当時の「新兵器」を裁くことはできない」とあります。
戦争の目的は敵に勝つことですが、これは敵を負かすことです。
ここは注意する必要があるところです。
たとえば、敵が自然死しても勝ったことにはならないということです。
あくまでも敵に手を下して勝たねばならない、ということです。
これは軍人というよりも人間の本能に関係することだと思います。
動物は自然死した獲物は食べないのです。
獲物は殺して食べるのです。

だから、自然死にたよる化学兵器や生物兵器は嫌われます。
原爆はこの意味でも嫌われるのです。


Re: 戦争論理学02 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月27日(土)01時37分3秒

  返信・引用
> No.2025[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

 表向きは、危険な軍需工場労働者を攻撃するための不可避の犠牲が子どもや老人なのだ、ということになります。重慶爆撃時に日本軍が公言していた論理です。

 むろん、重慶も広島長崎も、その真の目的は住宅地の破壊でした。
 世界で初めて、一般市民を対象にした恐怖爆撃のための恐怖爆撃を行なったのは、他ならぬ日本軍でした。
 (重慶より前の悪名高いあのゲルニカ爆撃ですら、恐怖爆撃ではなく、フランコ軍地上侵攻支援のための準備爆撃でした)

 つまり、日本軍が創始した「市街地内の工場施設破壊の副作用を名目に住宅地破壊・市民殺傷を為す恐怖爆撃」は、1945年段階では世界中で常態化してしまっており、原爆投下に特有の問題はそこには見出せない、ということです。
 原爆投下に特有の悪がない以上、他の戦争継続方針と被害の程度を比べるしかありません。
 8月14日~15日の通常爆撃だけでも、日本人は2千人ほど死んでいます。これが3ヶ月も続けば、原爆投下の死者に匹敵することになります。その間にニューギニアやフィリピン、ピルマで餓死してゆく兵士も合わせれば、原爆投下をはるかに上回ります。
 日本人の犠牲だけでもそうなのですから、ましてやその何倍にも相当する率で増えていたベトナムなど東南アジアや中国での餓死者・戦死傷者の悲惨さは計り知れないでしょう。原爆投下が正当化できるゆえんです。

 結局、原爆投下だけを分離して現在の倫理基準にあてはめるのではなく、原爆投下がなされた時点での他の選択肢の倫理的常識を背景に考えねばならないということです。

 重慶爆撃が戦後の戦犯裁判で立件されていない(正当な通常戦略と認められた)のですから、その論理の延長上にある原爆投下だけを責めることはできないわけです。
 もし原爆投下を責めたいならば、
 まず日本人自身の手で、当時の重慶爆撃の責任者を処罰し、重慶爆撃に最も熱心だった裕仁天皇(pp.240-1参照)をこそきちんと断罪してからの話ではないでしょうか。
 

戦争論理学02 投稿者:ハム 投稿日:2008年 9月26日(金)09時14分35秒

  返信・引用
「罪のない一般市民」とは誰だろう?

「罪」ではなく「危険性」ゆえに攻撃し攻撃されあう。
とありますが、これだと原爆投下の妥当性が主張できないように思います。
原爆投下で殺された女性と子供と老人に「罪」や「危険性」があるとは思えないからです。

将兵が敵を殺すのは、命令だからです。
作戦計画を立てる人の目的は敵をせん滅し降伏させるためです。
つまり敵に勝つためです。

一般市民には「罪」も「危険性」もありません。
一般市民が殺される理由は、敵の戦争目的の遂行のためです。
つまり、殺される側に理由などない、殺す側の理由だと思います。


Re: 戦争論理学 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月25日(木)14時43分46秒

  返信・引用
> No.2021[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

>
> ●原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀 (単行本)
> by 鳥居 民 (著)
>

 この本は、『戦争論理学』では第33問の参考文献に挙げておきましたが、

>
> 「受諾したポツダム宣言が日本にとって無条件ではなかったことをアメリカサイドも了承していたこと、
>つまり国体護持を了承できるのならばいっそ7月には終戦できたこと」が気になります。
>

ここは見方の別れるところでしょうが、『戦争論理学』に述べたとおり、国体護持容認政策について論理的だと私が思う判断はこうです。

 ★国体護持が保証されることにより、原爆投下もソ連参戦もないときに「聖断」が下っても、軍・民ともに、終戦を納得できず混乱しただろう。陸軍大臣辞任によって倒閣するか、軍の反乱が生じただろう。(いったんそうなると原爆投下・ソ連参戦を経ても聖断が通用しなくなり戦争が延びてしまう!)
 ★アメリカが日本に「国体護持」を公に認めることは、無条件降伏要求と連合国共同宣言に反するので、不可能だった。(アメリカ世論にも反しており、対独政策とも不整合だった)
 もう一つ、複雑化を避けて『戦争論理学』には明示しなかった要因としては、次のものがあります。
 ★アメリカが日本に「国体護持」を公に認めることは、ソ連参戦前の終戦を【妥協によってでも】成し遂げようとするアメリカの意図を示すこととなり、対ソ・ヤルタ密約に違反している。対ソ協調のためには、無条件降伏要求と連合国共同宣言に反してまでソ連参戦を防止するような妥協措置をアメリカがとることは論外だった。(妥協ではない純然たる戦争努力である原爆投下なら、ソ連参戦前の日本降伏を実現できてもソ連は文句言えなかった(対ソ協調は妨げられなかった)はず)

 というわけで、アメリカにとって一番安全確実な道(結果的に日本の国益にも有利だった道)は、国体護持に言質を与えることなくソ連参戦前に原爆投下すること、だったのではないでしょうか。
 

Re: 戦争論理学 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月25日(木)13時59分51秒

  返信・引用
> No.2020[元記事へ]

ハムさんへのお返事です。

>
> 私はどうしてもこれに追加したい肯定派としての反論↓があります。
> ・原爆投下は真珠湾攻撃の報復である。
>

 「報復」とは似て非なる、ただしより倫理的な含みのある要因として
 「懲罰」「天誅」としての原爆投下、というのは考えられると思います。
 日中戦争時のニュース映画の報道ぶりを見ても、大日本帝国の独善的な傲慢ぶりは日本人として本当に恥ずかしく、腹が立ちます。あの国には途方もない天誅が下されることが必要でした。
 被害を受けた一般市民にはとんだ災難ですが、満州事変以来国民の支持によって戦争が拡大したことは確かだし、国民を守れなかった軍・政府に恒久的な反省を強いるには、ああいう象徴的出来事しかなかったでしょう。
 アメリカは、真珠湾攻撃については、当時のアメリカ海軍責任者をきっちり罰しています。日本も、原爆投下については、当時の国家指導者を自ら罰するべきだったでしょう。東京裁判とは別に自発的に。

>
> ・報復は正義ではない。(キリスト教の愛の精神)
> ・報復としては等価ではない。(真珠湾を1とすると原爆は100だ)
>

 ただし、いかなる犯罪行為も、その動機が「報復」である場合、情状酌量の対象となることが多いことは事実です。「利益追求」や「娯楽」が動機の場合は情状酌量されないのに。「報復」は「利益追求」や「娯楽」より一般に悪いはずなのに。

 ↑『心理パラドクス』問010「報復のパラドクス」を改めてご参照いただければ幸いです――
 

Re: 戦争論理学 投稿者:スターダスト 投稿日:2008年 9月25日(木)13時38分37秒

  返信・引用
> No.2017[元記事へ]

φさんへのお返事です。

コメントをありがとうございます。
もう少し早く終戦が可能ではなかったのかと思いまして、その後いろいろ情報を探してみましたが、以下の書籍ぐらいしかみつかりませんでした。

●原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀 (単行本)
by 鳥居 民 (著)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794214081/

主張する論拠が少々弱いのですが…アマゾンでの出版社からのコメントでは以下のとおりです。
===引用開始
 著者は、昭和19年の日本軍の一号作戦から説き起こし、その結果に衝撃を受けたルーズベルト大統領がドイツ降伏後一日も早く日本を降伏させねばならないと考える一方、日本では昭和20年6月22日に天皇が「時局収拾」を述べて降伏の意向をかためていたことを指摘。そのうえで、原爆実験の日、投下準備完了の日、ポツダム会談開催日、ソ連参戦の日という原爆投下にいたる4つの重要な日付を手がかりに、ルーズベルトの急逝後、新大統領となったトルーマンとその最側近であったバーンズが、それぞれの日付をめぐって、どのように動き、いかなる発言をしたかをとりあげて精緻に分析していく。結局のところ、二人は日本の降伏を早めたいという考えなど持っておらず、それとはまったく逆の発想のもと、すなわち日本が降伏する前に、またソ連が参戦してしまう前に原爆を世界に公開したいがために、政府・軍の高官に悟られぬよう極秘のうちに巧妙な計画を立てていたと著者は説く。その計画のなかには、日本が「ポツダム宣言」を最後通牒と受け取らぬような仕掛けも含まれていたのである。洞察力に富む推論に、まさに目が開かれる思いがする。
===引用終了

…私見では上記引用部分よりも、著作内で示されている内容、「受諾したポツダム宣言が日本にとって無条件ではなかったことをアメリカサイドも了承していたこと、つまり国体護持を了承できるのならばいっそ7月には終戦できたこと」が気になります。


戦争論理学 投稿者:ハム 投稿日:2008年 9月25日(木)09時10分26秒

  返信・引用
を拝見しています。
戦争をこういう形で論じれば読者を敵味方に分けてしまうことはないですね。
さすがφ様、おそらく史上初の試みではないでしょうか。

01無差別爆撃は悪だろうか?

肯定派の二種類の反論が挙がっています。
・無差別爆撃は悪いとはかぎらない。
・原爆投下は無差別爆撃ではない。

私はどうしてもこれに追加したい肯定派としての反論↓があります。
・原爆投下は真珠湾攻撃の報復である。

宣戦布告前に行った卑劣な奇襲攻撃に対して、原爆投下で応じたのだ。
というわけです。
これがアメリカ人の心情ではないかと思います。

もちろん、これに対しては、こう↓否定派の反論ができます。
・報復は正義ではない。(キリスト教の愛の精神)
・報復としては等価ではない。(真珠湾を1とすると原爆は100だ)

こういう人間の感情の問題が真の問題である場合が多いように思います。


Re: 久間発言から一年余り 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月21日(日)03時39分15秒

  返信・引用
> No.2018[元記事へ]

Usedさんへのお返事です。

原爆投下のような大量殺人が正しいはずはないのですが、
それを正当化する尤もな理屈がいくらでも湧いて出るというのが戦争の恐ろしさだと思います。
 → http://green.ap.teacup.com/miurat/720.html

>
> 記号とか式とか弱いものですから、難しさは変らないと思いますが、
>

今度のは記号や式はあまり関係ないので、大いに突っ込んでいただければ幸いです。

論理と倫理がどの程度一致すべきかということも含め、
私の歴史認識に多々問題あるかもしれません。専門的にみても常識的にみても。


久間発言から一年余り 投稿者:Used 投稿日:2008年 9月21日(日)02時35分31秒

  返信・引用
三浦先生

昨夏久間防衛大臣による原爆投下容認発言があった頃に投稿させていただいた折
『戦争論理学』を執筆中と先生がお書きになっていて、爾来心待ちにしていました。

(今年の夏は、北京オリンピックの影響なのでしょうが例年よりも戦争関連の報道が
少ないようでしたが、印象では一般の兵士だった人たちが漸く以前よりも多く、自ら
の戦場体験を語られているように感じました)


書店の新刊コーナーで『戦争論理学』を入手することができ読み始めたばかりですが
気持ちがはやって先々のページを繰れば、そちらにも引き込まれ、とまりません。

記号とか式とか弱いものですから、難しさは変らないと思いますが、一般の歴史書の
ようにして先生の論理のお考えに触れることができ大変有り難く、感謝申し上げます。


Re: 戦争論理学 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月20日(土)01時03分34秒

  返信・引用
> No.2016[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

 やはり、人命を軽視し国体にこだわった日本政府の過ちが大きいと私は思うのです。

 前掲書(西島有厚『原爆はなぜ投下されたか』)では、日本からソ連への和平仲介依頼をアメリカは知っていたのだから、その機を捉えて対日交渉をしなかったアメリカが悪い、というような議論をしています。
 不思議な発想だと思います。降伏する主体である日本から米英に直接交渉を持ちかけたならともかく、米英牽制目的の対ソ秘密交渉になぜアメリカがいそいそと名乗り出ねばならんのか……(そもそも対日戦をやりたいスターリンが協力するはずないし、連合国間の単独不講和協定もある……)

 原爆投下を「論理的に」論ずるためには、まず諸事実の因果的効力を押さえておかねばならないのでたしかに難しいですね。

 原爆投下のようなパラダイム変換なしにあっけらかんと玉音放送、となったら、日々出撃していた特攻隊員の遺族は納得できなかったろうし、君側の奸論を盾に全陸海軍が反乱を起こしたこと必定と思うのですが、この疑問に論理的に答えてくれた言説にはまだ出会えていません――
 

Re: 戦争論理学 投稿者:スターダスト 投稿日:2008年 9月19日(金)18時08分52秒

  返信・引用
> No.2015[元記事へ]

φさんへのお返事です。

お返事の内容には本当にうなづくばかりです。

いえ、本当に三浦先生へ誤解はないつもりです。 読者は、あの戦争論理学を、本当に乗り越えるべきです。

トルーマンとトルーマンの愛する国務長官が、戦争をもっと早く終了することが可能であったかもしれないという客観的な文献資料がみつかればよいのですが・・・


Re: 戦争論理学 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月18日(木)04時16分52秒

  返信・引用
> No.2013[元記事へ]

スターダストさんへのお返事です。

『戦争論理学』の狙いは今ざっと数えて約5つあります。

 1.論理実践の本質がものになっているかどうか試してもらう。
    論理の本質はテーマ中立的であること。
    個人的に感情を刺激されるテーマ(内容)についても、それ以外のテーマ(内容)についてと同様に冷静な議論が組み立てられるかどうかで、本当に論理を実践する力が身についているかどうかがわかる。のではないかと。

 2.意外と知られていない第二次大戦の基本的知識を得てもらう。
    『戦争論理学』に書いたことは第二次大戦を理解するには必須の基本中の基本ばかりですが、実際はほとんど知らないで原爆云々、慰安婦云々を論じている人がいるのではないか。
    とくにソ連参戦という最重要の終戦要因が日本では(米英でも)軽視されているので、基本的知識の整理が重要です。

 3.漠然とした誤解を解く。
    日本人の大半は、1945年8月原爆投下直前にはすでに日本は虫の息で、戦争する力など残っていなかった、とイメージしている人が多い。しかし陸軍は本土決戦やる気満々だったし、国民の大多数にも、終戦は寝耳に水。戦争はまだまだ続くはずだった。戦後世代の日本人の多くはそれを知らない。これは民族的自意識や自己イメージに関わる錯誤で、戦争テーマにかぎらず日本人の思考全体を暗に歪めている怖れがあります。
 ちなみに戦争経験世代の書いた書物には、原爆投下によっても陸軍の徹底抗戦の意欲は全く挫けなかったという事実を正しく認識しながら、「原爆投下は日本降伏に関係なかった、よって正当化できない」という結論を導いているものが多数あります(たとえば西島有厚『原爆はなぜ投下されたか』青木書店)。むしろ逆の結論を導くのが論理的には正しいはずなのですが。陸軍など抗戦派、和平派、天皇の三角関係抗争の中に原爆を位置づければです。

 4.私はミリタリーマニアではありませんが戦争が大好きで(小学生のとき重宝した平凡社世界大百科事典の「世界大戦」のページだけ、小口が黒くなっています)、とくに第二次大戦は論理的パズルの宝庫なので、これからも多言を費やす予定。その露払い兼エッセンスが『戦争論理学』と受け取ってください。

 5.本当に説得的な原爆投下否定論を知りたい。
   私は意識においてはほぼ百パーセント反軍・反皇室・反靖国ですが、本音のところに本能的な国粋主義魂があるらしく、本土決戦でアメリカ兵死者は3万人くらいのものだろうと言われると「そんなはずはない」と日本陸軍の面子を擁護したくなります。ガダルカナルやサイパンで日本兵が一人一人虫けらのように射殺される米軍のリアルな記録映像を観ても無性に悔しいし、日本兵捕虜をかなり殺しているアメリカやオーストラリアに日本軍の戦争犯罪だけ喧伝されるのも腹が立ちます。一般市民の虐殺においてをや。
   なのであとがきに述べたように説得的な原爆否定論を聞きたいものだと念じているわけです。残念ながら感情論以外の否定論は一つも聞いたことがない。そこで『戦争論理学』への反発を糧にしてでも、少しは信じられる原爆投下否定論がでてきてほしいものだと。
   基本問題にすぎない62問のごときはすべて徹底反駁できてくれないと。ほんと誰かお願いします。

> 公理をひとつ立てておしまいにしたいおももちです。
>「全ての物理的強制力はいかなる利得に対しても有効ではない」
>

 そうですねえ、しかし原爆投下がなければ、もっとずっと大きな物理的強制力が長期間各地で続いたことは間違いないので……、、、、
 

戦争論理学 投稿者:スターダスト 投稿日:2008年 9月17日(水)15時54分45秒

  返信・引用
戦争論理学、拝読いたしました。
なにかもう、個人的には、思考の追跡を投げ出したくなる先生の論考でした。 私の側の問題なのですけれど。
公理をひとつ立てておしまいにしたいおももちです。「全ての物理的強制力はいかなる利得に対しても有効ではない」 強すぎる公理ですが、気分はこれで終了なのです。 みもふたもありませんけれど・・・
それほどまでに私の中では核は悪なのです。哲学の対象として考えられないのですよねぇ。あくまで個人的な問題です。 こんな感想は想定内でしょうけれど…キビシイ


Re: ありがとうございます。 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月 5日(金)01時41分9秒

  返信・引用
> No.2011[元記事へ]

kotobaduさんへのお返事です。

>  こちらに持ってきてよかったです。
>
> レビューを見て、
> 自然選択説>副産物説  という起こりやすさの事前確率が 人間原理によって逆転するという論かと思ってしまい
> それはないんじゃないか と思ったのです
>

 一般的な「副産物説」というのがあるのかどうか知りませんが、「自然選択(適応)」による主産物がない限り、「副産物」も生じようがありませんよね。

 自然選択説(適応主義)と副産物説(反適応主義)が対立するのは、一般的な説としてではなくて、常に、特定の形質の説明としてでしょう。
 形質Aの説明としては自然選択(適応価の違いによる)、Bの説明としては副産物(適応的には中立)、というふうに、形質ごとに判断されるでしょう。

 人間原理を考慮することで、ある形質の説明として自然選択説と副産物説の確率が逆転する、ということがありえます。

 ただし、重要な形質の多くが主産物だと見なせば「適応主義」で、逆に重要な形質の多くが副産物だと見なせば「反適応主義」である、という区別をするならば、そのどちらの事前確率が高いか、ということには人間原理は関係ありません。

>
> 人間原理が適用できるような形質の固定に関しては、 メリットが大きいから→増えた という図式が破れている可能性がある
> という理解は合ってますか?

 そのとおりですね。
 メリットがなくても(むしろ不利であっても)、間違いのようにして発達してしまった形質が稀にあるはずで、
 言語(を生み出す脳)のような、長期的にみれば文明構築に繋がって種として有利であっても、個体として短期的にみればメリットのないはずの形質が進化してしまったのは、適応主義ではたぶん説明がつかず、宇宙は広いので一度くらい間違いが起きてしまった、それが観測選択されたということになるでしょう。

 意識の進化がたまたま適応主義に合致するような環境が地球だった、という説明もありうるでしょうが、その場合も、意識の進化が適応主義に合致するような環境は稀かもしれない、という可能性は残るわけです。
 

ありがとうございます。 投稿者:kotobadu 投稿日:2008年 9月 4日(木)20時29分8秒

  返信・引用
 こちらに持ってきてよかったです。

レビューを見て、
自然選択説>副産物説  という起こりやすさの事前確率が 人間原理によって逆転するという論かと思ってしまい
それはないんじゃないか と思ったのです

で、それとは違い、自然選択では無理だろうという理由が別にある場合に、しかし副産物ではあまりに確率が低いから やはりなんとか自然選択の可能性を と考える必要は無い
人間原理にかかる事柄ならば、確率が低い副産物としての成立も合理的と考えられる
という話ならありかな と思いましたが・・(昨日は書きませんでした

気づいたのは、自分には 自然選択の方が副産物より当然確率が高い という先入観があったと思います
φさんのコメントによると 自然選択の方がむしろ困難、副産物・外適応の方があり得るという場合があるのですね?

『可能性が小さいといって副産物説を否定できないはずだと反論している』

ここもちょっと 副産物説=事前確率低い(自然選択よりも) という話だと思ってしまったような。

> 自然選択説(自然選択の言語表現)が生じた場所は、観測選択がなされた例外的・非典型的な舞台なので、自然選択の中でも確率の低いことが起きてしまっている見込みが大です。

人間原理が適用できるような形質の固定に関しては、 メリットが大きいから→増えた という図式が破れている可能性がある
という理解は合ってますか?


Re: こんにちは 投稿者:φ 投稿日:2008年 9月 3日(水)20時19分23秒

  返信・引用
> No.2009[元記事へ]

kotobaduさんへのお返事です。

 私もアマゾンでそのレビューを読み、早速『数学する遺伝子』を読んでみたクチです。

 結果からいうと、「人間原理」という言葉は、少なくとも訳本には一度も出てこなかったように思います。(いちおうそこは注意して読んだのですが)

 レビュアーが「この議論は人間原理だ」と理解して、そう評したものでしょう。人間原理を的確に理解している人だと思われます。
 実際、『数学する遺伝子』の言語論、数学論は人間原理に基づいていました。が、どちらかというと言語の能力から数学の能力が出てくることに主張の眼目があり、そのリンクは自然な因果関係によるもので、人間原理とは関係ありません。
 言語能力の出現そのものは自然な自然選択では望めない低確率の出来事かもしれないとし、そこに人間原理的な正当化が試みられているようです。
 『数学する遺伝子』全体で人間原理的議論は2箇所くらい、計3頁ほどしか触れてないので、それを期待して読むと失望するかもしれません。
 むしろドーキンスの『神は妄想である』のほうがその人間原理的議論を明示していたような。

 しかし言語の起源に関しては私も、『数学する遺伝子』に賛成です。
 地球上で目や牙や爪や翼が別々の系統で何度も生じたのに対して、抽象的な概念を扱える言語は、ただ一つの系統にしか生じていません。これは、言語の出現が自然選択にとって自然な結果ではないことを示す傍証でしょう。
 そもそも言語能力の前提である人間の巨大な脳は、適応上、不利が大きすぎ、短期的に見て損失が大で(出産時の母子の事故率・死亡率高く、転倒による幼児の死傷率高く、体重のたった2%の臓器で血糖の50%を消費するなどカロリー効率が悪すぎて生存上不利である、等々)、容易に進化しそうにないことは予測されます。
 自然選択が何百億個もの惑星で別個に試みられて、やっと一つの惑星に言語が生ずる、といったようなものではないでしょうか。

>
> 人間原理によって 言語が直接自然選択にかかって生じたか、副産物として生じたかの 確率の比というか ありそうらしさが変わることはないんじゃないかと思え
>

 人間原理によって、確率は大いに変わるでしょう。
 もし、言語に対して人間原理以外の説明がしづらいとあれば、言語の発生はナイーブな自然選択説が考えるよりもはるかに低確率であることになります。
 換言すれば、
 言語や巨大な脳が生じやすいとする(目や翼の進化に相当するような)メカニズムがわからない限り、言語は自然選択で直接できたものではなく、特定の環境に固有の偶然の因子がたまたま他の適応的な性質と結びついて外適応によって生じてしまった、とするのがもっともらしいでしょう。
 その場合、客観的には言語が生ずる確率は極小であってかまいません。宇宙でたった1回、どこかで生ずれば十分なのです。(その場所が事後に言語によって「地球」と名づけられたわけですが)

 このあたりの理屈については、『ゼロからの論証』所収の4-2「自然選択説が選択する、不自然な自然選択」をご参照いただければ幸いです。
 自然選択は一般に、適応的に最も確率の高い進化の方向を進むでしょうが、自然選択説(自然選択の言語表現)が生じた場所は、観測選択がなされた例外的・非典型的な舞台なので、自然選択の中でも確率の低いことが起きてしまっている見込みが大です。
 

こんにちは 投稿者:kotobadu 投稿日:2008年 9月 3日(水)08時28分31秒

  返信・引用
φ さんは 「数学する遺伝子」という本は読まれましたか? (自分は読んでないのですが・・)

というのは
書評で
http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070504


『言語自体副産物と考えるのはかなりグールド的だ.言語のような複雑なものが副産物として生じる可能性がきわめて小さいというピンカーらの主張に対して,デブリンは言語自体を説明しようとするのは言語を持つ人間にしかできないわけだから,これは「人間原理」が適用になる局面であり,可能性が小さいといって副産物説を否定できないはずだと反論している.ここに人間原理を持ち出すのはデブリンの独創だし,ロジックとしては正しいが,何故適応説が間違いだと思うのかについて説得力はないと思う.』


人間原理が使われているらしいのですが
人間原理によって 言語が直接自然選択にかかって生じたか、副産物として生じたかの 確率の比というか ありそうらしさが変わることはないんじゃないかと思え

で その本を探して読むべきか・・どうしようかなと思って
まずφ さんに聞いてみようと ここに持って来ました。 人間原理ならφ さんだ と。
読まれましたか あるいは上記の引用から、どんな論立てか推測されるものがありますか?


(無題) 投稿者:h-iwk 投稿日:2008年 8月19日(火)01時24分21秒

  返信・引用
漠然とした質問に答えていただきありがとうございます。
一般的に関数のタイプとは、という問の答えを出すのは難しい、
ということがわかりました。
確かに、例えば「項より関数が一つタイプ上」と限定をしてしまうと
関数の再帰的定義が不可能になってしまいますね。

もう少し、自力で調べるなり考えて見ます。ありがとうございました。


Re: (無題) 投稿者:φ 投稿日:2008年 8月18日(月)02時44分51秒

  返信・引用
> No.2004[元記事へ]

h-iwkさんへのお返事です。

> 関数の型というのはどうやって判断すればいいのですか?
> そもそも、関数には階層構造はあるのでしょうか?

 コンピュータ言語で、関数の型というのを定義することはあるのかもしれませんが、私はそっち方面はさっぱりわかりませんので、コンピュータ言語に詳しい人に尋ねるのがよいでしょう。すみません。

 哲学や論理学で言えば、階層構造を持つ関数のグループもあれば、階層構造を持たない関数のグループもあるとしか言えないと思います。
 たとえば、命題関数は、述語(または集合)と同じと解釈できるので、項に比べて一つタイプが高く、命題関数を項とする命題関数はさらにもう一つタイプが高く……、とどこまでも階層が高く続いていくでしょう。
 それに対して、命題から命題を作る真理関数のようなものは、単に同タイプの命題どうしを出力・入力として出し入れするだけなので、すべて同じタイプに属すると言うべきでしょう。

 その他の場合、たとえば、
 自然数がすべて同じタイプに属し、自然数の集合が一段高いタイプに属するとしたとき、関数+はどちらのタイプに属すると言うべきなのか、文脈を離れては一概には言えないのでは。
 +(x,y)は、{{1,1},2}、{{1,2},3}、{{1,3},4}、{{1,4},5}、{{1,5},6}……などの集合と捉えれば、「集合の集合の集合」ということになって、自然数の集合より二段階高いタイプに属することになりますし。
 それほどタイプを高くしない定義の仕方もあるかもしれませんし。
 関数の目的によるのではないでしょうか。

 カルテシアン積では、もとの集合よりタイプが上がるかどうかこれも文脈によるでしょうが、(a,b)は{a,{a,b}}と書けることを考えると、カルテシアン積はそれらの集合ですから、もとの集合より二段階高いタイプに属することになりますか。
 しかしもっと低いタイプのものとして定義できるかもしれません。同じ関数が、別々の定義で表現できることは往々にしてあるので。

 一般論では答えは定まらず、特定の関数を特定の目的に使う場合についてしか、階層構造を云々できないと言うべきでしょう。
 たとえば、
 「命題関数を述語論理で用いる場合」
 と限定すれば、項より関数が一つタイプ上、などと決まりますが、
 一般論で「関数のタイプは」と問うても意味をなしにくいと思います。


(無題) 投稿者:h-iwk 投稿日:2008年 8月17日(日)10時39分26秒

  返信・引用
すみません。こんがらがりました。
>あと、ここが一番聞きたかったりするのですが、もし、階層構造がある場合、Mをタイプnの対象としたとき、MとMのカルテシアン積MxMはタイプn+1になるのでしょうか。

は、関数とは別個の質問です。消し忘れです。
なにを聞きたいのかまとまりきれていないので、変なことになってしまいましt。申し訳ないです。


(無題) 投稿者:h-iwk 投稿日:2008年 8月17日(日)10時34分1秒

  返信・引用
ありがとうございます。

>関数というのは、対象を対象へと対応づけるシステムで、その場合の「対象」は何でもいいのですが、命題関数は、そのうちの特殊な一部です。つまり、対象を命題に対応づけるシステムです。

なるほど。命題関数と関数だと関数のほうが広いクラスなのですね。
そうすると、というか、そこから新たな疑問なのですが、
関数の型というのはどうやって判断すればいいのですか?
そもそも、関数には階層構造はあるのでしょうか?
すなわち、前にあげた+であれば、1+2=3の数論的関数+も、u,v,wをベクトル空間の元としてu+v=wとして用いるベクトルの加法も、区別がなくなったりするのでしょうか。
あと、ここが一番聞きたかったりするのですが、もし、階層構造がある場合、Mをタイプnの対象としたとき、MとMのカルテシアン積MxMはタイプn+1になるのでしょうか。


Re: h-iwkさん  Re: khnmrさん 投稿者:φ 投稿日:2008年 8月17日(日)03時18分10秒

  返信・引用
★Re: h-iwkさん

> 1点目:命題関数は数学で言う関数と同一のものなのでしょうか?

 同一ではありません。
 関数というのは、対象を対象へと対応づけるシステムで、その場合の「対象」は何でもいいのですが、命題関数は、そのうちの特殊な一部です。つまり、対象を命題に対応づけるシステムです。
 入力は何でもいいのですが、出力は必ず命題であるような関数が、命題関数です(普通は、命題でない何かを入力とし、命題を出力とする関数です)。
 ただ「関数」とだけいえば、命題関数よりもずっと広い範囲のシステムを含んでいます。

> 例えば、2項関係の足し算、すなわち「xとyを足す」、前置記法をつかって記号表現すると+(x,y)は、一般的に +(1,2) = 3という風に用いられます。
>しかし、単純型理論に従って命題の型は項よりも1つ上、と考え、
>個々の自然数の型がタイプ2であるとすると、+(1,2)はタイプ3になってしまい、単純にタイプ2の3と比較はできない気がします。
>3を型持ち上げしてから比較していると考えるべきなのでしょうか。

 〈+関数〉において入力の1,2と出力の3とは同じタイプに属していてかまいません。
 〈+関数〉は命題関数ではありませんから(出力として命題を作りませんから)、出力が入力(項)よりもタイプが高いということはありません。
 関数一般においては、入力と出力との間のタイプの違いは、ある場合もあれば、ない場合もあるでしょう。

 ちなみに、xを自然数の部分集合とし、

 y=一番小さな要素である(x)

 という関数を考えれば、出力yの方が入力xよりもタイプが小さくなります。
 それでいっこうに不都合はありません。

★Re: khnmrさん

 前回、私が書いた

 後投げ設定では、覚醒したとき、コイン投げのタイミング(AかBかの決定)と自分との相対的な前後関係についての情報が失われており、主観確率が未知なので、【P(月|B)=1/2を出発点として逆算しています。】

 は、

 【P(B|月)=1/2を出発点として逆算しています。】

 の書き間違いでした。
 P(月|B)=1/2 も当然使われていますが、むしろ
 P(B|月)=1/2 という問3の答えから逆算して
 問2の答え P(B|月)=1/3 を導き出したのが、前回やったことでした。
 先投げ設定では  問2 1/2    →ベイズ改訂→    問3 2/3
 後投げ設定では  問3 1/2  →ベイズ改訂の逆算→   問2 1/3

 しかし、これでよいのかどうかは(『多宇宙と輪廻転生』ではそれでよいとしたのですが)、まだ考える余地があるかもしれません。
 ちなみに、

 >P(月|B)=1/2と考えることがやはり気になる

とのことですが、これは先投げだろうが後投げだろうが問題ナシではないでしょうか。
 Bでは月曜と火曜の間に記憶喪失になるのですから、P(月|B)=1/2は問題設定の中に組み込まれています。

>先投げ設定では、まず場合Aと場合Bがランダマイズされ、
>次に月曜と火曜がランダマイズされる。
>よって、A-月、B-月、B-火の確率判断は1/2、1/4、1/4となる
>後投げ設定では、まず月曜と火曜がランダマイズされ、
>次に場合Aと場合Bがランダマイズされる。
>よってA-月、B-月、B-火の確率判断は1/3、1/3、1/3となる。

 ↑これの意味については少し考えてみます。
 

『ラッセルのパラドクス』を読んでいて出た疑問 投稿者:h-iwk 投稿日:2008年 8月17日(日)00時45分55秒

  返信・引用
こんにちは。はじめまして。
岩波書店から出ております『ラッセルのパラドクス』を先日読んで、とても興味を持ったのと、一つ疑問が湧いたため、書き込みします。

私は、型理論に興味を持っています。
『ラッセルのパラドクス』における型理論の説明はとてもわかりやすく、非常に感銘を受けました。
しかしながら、いくつか型理論に関連して、納得ができないところがあったので質問します。
1.命題関数
「xは人間である」のように、変項を含む枠組みを命題関数と呼ぶとあります。
1点目:命題関数は数学で言う関数と同一のものなのでしょうか?
2点目:仮に命題関数=関数という関係が成り立つ場合、
例えば、2項関係の足し算、すなわち「xとyを足す」、前置記法をつかって記号表現すると+(x,y)は、一般的に +(1,2) = 3という風に用いられます。
しかし、単純型理論に従って命題の型は項よりも1つ上、と考え、個々の自然数の型がタイプ2であるとすると、+(1,2)はタイプ3になってしまい、単純にタイプ2の3と比較はできない気がします。3を型持ち上げしてから比較していると考えるべきなのでしょうか。

先日からずっと悩んでいて、困っています。お手数ですがお教えください。


前回の投稿では僕に混同がありました。後投げの問2は1/3で正しいと思います。 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 8月16日(土)15時53分6秒

  返信・引用
こんにちは。
まず、僕の書いた
> まさに問2への答えであって問3への答えではない
ですが、これはまったく僕の日本語の不備でした。
「ベイズ改訂を受けるのはまさに問2への答えであって、『そしてその改定の結果は』問3への答えではない」
と書くべきところでした。申し訳ないです。
そしてどちらにせよ、ご指摘のように
前回の僕の投稿は、やはり「被験者の視点」と「私たちの視点」とを混同していました。
(あるいはP(B|月)とP(B|月)P(月)を混同していました。)

逆算が行われることにはなんら問題がないことを理解しました。

ですがP(月|B)=1/2と考えることがやはり気になるので検討してみます。
P(月|B)は以下の計算で出ます。後投げです。

 P(月|B)
=P(B|月)P(月)/(P(B|月)P(月)+P(B|火)P(火))
=(P(月)/2)/(P(月)/2+(1-P(月)))
=P(月)/(P(月)+2(1-P(月)))
=P(月)/(2-P(月))

ここでP(月)はいくつなのかが問題になります。考えられるのは3/4か2/3でしょう。

P(月)が3/4ならP(月|B)=3/5となり、このときP(A)=3/8です。
P(月)が2/3ならP(月|B)=1/2となり、このときP(A)=1/3です。

少なくともどちらの場合も
今が場合Aであるためには、今が月曜日でなければならず、今が月曜日である確率はP(月)。
月曜日で場合Aである確率はP(月)/2、よって月曜日で場合Bである確率もP(月)/2。
すなわち後投げでは、A-月の確率とB-月の確率は等しいということのようです。

P(月)は3/4なのか、2/3なのか、それともそれ以外なのかですが
月曜日の目覚めは確率1で生じる。火曜日の目覚めは確率1/2で生じる。
と考えれば、P(月)は2/3なので
後投げなら、問2はやはり1/3、そして問3は1/2でよいと思います。

なお、先投げ設定のP(月)は3/4でよいようです。



先投げ設定では、まず場合Aと場合Bがランダマイズされ、次に月曜と火曜がランダマイズされる。
よって、A-月、B-月、B-火の確率判断は1/2、1/4、1/4となる
後投げ設定では、まず月曜と火曜がランダマイズされ、次に場合Aと場合Bがランダマイズされる。
よってA-月、B-月、B-火の確率判断は1/3、1/3、1/3となる。

とすることによって、
眠り姫問題の少なくとも唯一設定は「解けた」と言ってよい気がするのですが、どんなものでしょう。


実質、同じことの繰り返しになってしまいましたが…… 投稿者:φ 投稿日:2008年 8月13日(水)14時42分9秒

  返信・引用
> No.1998[元記事へ]

khnmrさんへのお返事です。

>
> もしも問2と問3が異なる問いであるのならば、
> 月曜日であるという新たな知識によってベイズ改訂を受けるのは
> まさに問2への答えであって問3への答えではない
> ということになります。
>

ここは「?」です。
 月曜という情報で
 ベイズ改訂を受けるのは問2の答えであって、問3はその結果ですね。
 問3の答えがさらに改訂されるわけではありません。

 私が khnmrさんの趣旨を理解していない可能性がありますから、慎重に整理してみます。
 以下の計算でおかしなところがあれば、御指摘ください。

      月  → コイン後投げ →  火

 A   覚醒A1

 B   覚醒B1            覚醒B2


(月曜に)覚醒したとき場合Aである被験者の主観確率 …… P(A)  ←求める値

(月曜に)覚醒したとき場合Bである被験者の主観確率 …… P(B)=1-P(A)

月曜と知ったときに場合Aである被験者の主観確率 …… P(A|月)=1/2
                            ↑後投げ設定だから

Aと知ったときに月曜である被験者の主観確率 …… P(月|A)=1
Bと知ったときに月曜である被験者の主観確率 …… P(月|B)=1/2

 P(A|月)=P(月|A)P(A)/(P(月|A)P(A)+P(月|B)P(B))
=P(A)/(P(A)+P(B)/2)=2P(A)/(2P(A)+(1-P(A)))
=2P(A)/(P(A)+1)=1/2

4P(A)=P(A)+1   P(A)=1/3

 ちなみに、先投げ設定のときは、P(A)=1/2が既知なので(「コインがすでに投げられた」とわかっているので、「コインがこれから投げられる」とわかっている日曜日(実験前)の主観確率と変わらない)、それを出発点としてP(A|月)=2/3という計算になります。
 後投げ設定では、覚醒したとき、コイン投げのタイミング(AかBかの決定)と自分との相対的な前後関係についての情報が失われており、主観確率が未知なので、P(月|B)=1/2を出発点として逆算しています。
 P(月|B)=1/2 である以上、月曜と判明すればベイズ改訂はなされるべきで、逆算には問題ないと思われます。(問題があるとしたらここか?)

 つまるところ、

  > 場合Bならば、“自動的に”B-月である。

というkhnmrさんの趣旨が私にはまだ不明なのです。
 依然としてkhnmrさんは、「被験者の視点」と「私たちの視点」とを混同しているのでは?
 被験者の視点では、あくまで P(月|B)=1/2です。
 これは、先投げも後投げも同じことではないでしょうか。

 眠り姫問題が成立しない場合には用のない私たちにとっては、語用論的には
 P(月|B)=1 という考えもありでしょう。
 問3成立の場合を「選択」していますから。
 私たちの視点である P(月|B)=1 として計算すれば、
P(A|月)=P(A)/(P(A)+P(B))=P(A)/(P(A)+(1-P(A)))=1/2で、
 たしかに P(A)=1/2 となりますが、
 被験者にとっては(意味論的には) P(月|B)=1ではなく、
 Bのときは「今は火曜日です」と言われる、または「今は月曜です」と言われずに終わる可能性が1/2あるのです。
 眠り姫問題の成立は被験者側からは観測選択されません。観測選択されるのは、問題の外にいて問3の成立に関心を集中している私たちにとってだけです。被験者は、人間としては必ず問3に遭遇するにせよ、「目覚めた今」に遭遇するとは限らないのです。被験者は、どの目覚めを今選ぶかという「立場のコントロール」はできません(外部の私たちにはできます)。

 後投げ設定のときに P(A)=P(A|月)=1/2 とするkhnmrさんの理由は、
 「被験者の視点」と「私たちの視点」との混同でないとしたら、何でしょうか?
 

後投げでは、問2と問3は“同じ問い”ではないのではないでしょうか。 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 8月12日(火)19時38分22秒

  返信・引用
こんにちは。
まず今更ですが、先日来のこの検討を、非常に楽しんでおります。ありがとうございます。


さて
・後投げ設定であっても問3は偶然の問いであること
・新たな情報を得ている以上、ベイズ改訂はなされねばならないこと
この二点はまったくその通りだと理解しました。

しかしながら、
問2の答えを問3から「逆算」するというのは、直感的にいかにもおかしいと思われます。

問2を問われ、問2しか問われていない(問3が問われるのかはまだ知らない)状況で
問2への答えに問3を織り込んだ「逆算」はできないはずなので。

しかし一方で、ベイズ改訂は
「新しい情報を得ることによって、“同じ問い”への答えが以前の答えとは異なるものになる」
ことなので、ベイズ改訂は本来逆算を伴うものだということもいえます。

“同じ問い”の部分を強調したのは
ここで問題になるのが、問2と問3が、果たして“同じ問い”なのか、ということだと考えるからです。

すなわち
問3は、「新たな知識を得た上での問2の再問」なのかという疑問です。

もしも問2と問3が異なる問いであるのならば、
月曜日であるという新たな知識によってベイズ改訂を受けるのは
まさに問2への答えであって問3への答えではない
ということになります。



先投げ設定であれば、
問2は
「場合Aと場合Bがランダムに決まる。場合AならばA-月である。
 また場合Bならば、B-月とB-火がやはりランダムで決まる。
 場合Aである確率は?」
であり、
問3は
「場合Aと場合Bがランダムに決まる。場合AならばA-月である。
 また場合Bならば、B-月とB-火がやはりランダムで決まる。
 そして今は月曜日である。
 場合Aである確率は?」
です。
つまり問3は「新たな知識を得た上での問2の再問」であると言えます。


しかしながら後投げ設定だと、
問2は先投げと全く同じ
「場合Aと場合Bがランダムに決まる。場合AならばA-月である。
 また場合Bならば、B-月とB-火がやはりランダムで決まる。
 場合Aである確率は?」
ですが、
問3は、前回の僕の投稿で検討したように
「場合Aと場合Bがランダムに決まる。場合AならばA-月である。
 また場合Bならば、“自動的に”B-月である。
 そしていまは月曜日である。
 場合Aである確率は?」
となり、手順の解釈そのものが変わっています。
つまり問3は「新たな知識を得た上での問2の再問」ではありません。

したがって後投げ設定では、問3への答えは問2の答えにベイズ改訂を加えたものではないことになります。


より詳しく見ると、
月曜日であるという知識による改訂は
「新たな知識を得て、振り返ってみた問2」に対して加えられることになります。
それは問2の設定を
「場合Aと場合Bがランダムに決まる。場合AならばA-月である。
 また場合Bならば、“自動的に”B-月である。
 場合Aである確率は?」
に修正するという形で現れ(これはベイズ改訂とは呼ばない?)、A-月、B-月、B-火の確率が
1/2、1/4、1/4から1/2、1/2、0に修正されることになるでしょう。

そしてこの「新たな知識を得て、振り返ってみた問2」を踏まえた問3は
「場合Aと場合Bがランダムに決まる。場合AならばA-月である。
 また場合Bならば、“自動的に”B-月である。
 そしていまは月曜日である。
 場合Aである確率は?」
であり、
これでは月曜日だという情報に価値がないので
問3の答えは「新たな知識を得て、振り返ってみた問2」の答えと全く同じになります。

つまり、唯一設定の後投げでは
A-月、B-月、B-火の確率が
問2の時点では1/2、1/4、1/4
問3の時点では1/2、1/2、0
なので、
月曜日だと教えられることによって確率判断は変動しているが、問2、問3は共に場合Aについて問うているので
問2は1/2、問3は1/2
となるのではないでしょうか。


Re:2: 先投げと後投げはやはり違うのではないでしょうか。 投稿者:φ 投稿日:2008年 8月 8日(金)21時58分26秒

  返信・引用
> No.1992[元記事へ]

khnmrさんへのお返事です。

     中途訪問の方の便宜のために注記すると、
     ここで問2、問3と言われているのは、
     『多宇宙と輪廻転生』p.235-6にのっとった呼び名で、
     それぞれ次の問です。
   問2「目覚めた。場合Aである確率は?」
   問3「今は月曜日である。場合Aである確率は?」

   場合Aはコインが表で、あなたは月曜だけに起こされる。
   場合Bはコインが裏で、あなたは月曜と火曜に起こされる。
            (火曜には問題設定以外の記憶は消えている)

  場合A、Bという呼び名は、コイン投げのタイミング
(月曜より前に投げるのか、月曜と火曜の目覚めの間に投げるのか)
に言及しない中立的言い方に便利なので採用しました。

>後投げにするということは、
>問題内キャラの立ち位置をひとレベル上げてしまう気がします。

 これは重要な洞察で、たしかに、虚構キャラであれ現実の解答者であれ、同じ無知の立場または既知の立場に置かれることはありうるでしょう。
 しかし、「偶然問われるのか」「必ず問われるのか」という違いは、先投げ・後投げの区別とは全く別のものです。
 偶然問われたのであれば(問われないこともありえたのであれば)ベイズ改訂はなされるし、必ず問われるようになっていたのであれば(データと対立仮説が独立でないならば。つまり、データに矛盾しない限りで仮説が新たに捏造されるならば)ベイズ改訂はなされない、ということでしょう。
 つまりこうです。
         (②……問2 ③……問3)

            唯一設定            反復設定

先投げ設定    ②1/2  ③2/3      ②1/3  ③1/2

後投げ設定    ②1/3  ③1/2      ②1/3  ③1/2

 以上は、偶然問われた場合についてで、はじめから問2、問3がセットになっているという前提では、話が違ってきます。

              問3が偶然問われた       問3が必ず問われる

唯一設定の先投げ設定   ②1/2  ③2/3      ②1/2  ③1/2

唯一設定の後投げ設定   ②1/3  ③1/2      ②1/2  ③1/2

 ……………………
 さて、
 『多宇宙と輪廻転生』の眠り姫問題のところを読み返してみたところ、「眠り姫問題が偶然問われるのか否か」については、我ながら意外に多数回論及していました。主に注においてですが。
 そこでの記述は今でも正しいと感じられますので、以下、『多宇宙と輪廻転生』で非主題的に触れられた断片をまとめる形でお応えします。

  次の箇所にご注目ください。
 p.260およびp.261注4……問題内キャラクターと実在の解答者の視点の関係について。 p.267 ……観測選択効果を認めると必然的な問いかけになってしまう件について。
 p.269注11 ……眠り姫問題に翻訳すると、問2とセットで問3が必ず問われるものと被験者が知っていてはならない。知っていたら、覚醒の時点で今が月曜日だと判断され、問3が無意味になってしまう。問3が必ず問われると「知って」いるのは実験者、そして問題の外の私たちであって、被験者は問3は与えられないこともありうると思っている。眠り姫問題は、被験者視点での問題であることに注意。

 とくに
 p.273注12(「無謀な賭け」をひきずっているので、「問2」が「第1問」と言われています)
 p.281注17の前半
 が、khnmrさんの考えに対する「答え」を仄めかしてはいないでしょうか。
 ベイズ改訂がなされえないような設定は、眠り姫問題の設定に反するのです。

 p.282 注19が、眠り姫問題でベイズ改訂がなされうるのはなぜかを説明しています。
 終末論法とは違って、眠り姫問題では、「表か裏か」の2つに仮説が決定されています。たとえば被験者は、「目覚めたとき月曜だろうか?」と固定した問題意識を持つことができます。結果的に判明した曜日によって、対立仮説を変えることはできません(終末論法ではそれをやっているので、ベイズ改訂がインチキになったのですが)。よって、被験者は、「あらら、火曜日なのか。それじゃ裏だ。難問として知られる眠り姫問題は生じなかったか」……一件落着、ということが起こりうるのです。

 よって、

>先投げだと、“この目覚めの最初の時点”では、B-火である可能性があったが
>月曜日だと知らされてその可能性がなくなったので確率判断を変更する。
>後投げだと、“この目覚めの最初の時点”から、B-火である可能性はなかったので
>月曜日だと知らされてもそれは情報として価値がなく、確率判断は変更されない。

 ということはなく、
 たとえ後投げ設定であっても、「すでに投げられた後だった……だからこの覚醒は火曜日。裏が確率1」という発見が被験者によってなされうるのです。

 したがって、

>唯一設定で、意図的な出題なら
>問2は1/2、問3は1/2
>唯一設定で偶然の出題なら(必ず先投げ)
>問2は1/2、問3は2/3
>唯一設定で後投げなら(このときは実質的に偶然の出題ではなくなっている)
>問2は1/2、問3は1/2

 ということはなく、ベイズ改訂はなされねばなりません。
 「問3が必ず問われる」場合には被験者が観測選択されて〈②1/2 ③1/2〉であるかのようにみえますが、それは【問3が問われる状況にだけ関心を持っている実験者または私たちの視点】からの話であって、被験者にとっては、「問3が必ず問われる」などという前提はありません。

 被験者にとって、問3が偶然の出題でなければならないがゆえに、ベイズ改訂はなされるべきで、逆算により〈②1/3  ③1/2〉が妥当ではないでしょうか。
 

Re: 先投げと後投げはやはり違うのではないでしょうか。 投稿者:φ 投稿日:2008年 8月 6日(水)00時20分48秒

  返信・引用
> No.1992[元記事へ]

khnmrさんへのお返事です。

大変興味深い展開です。

ただどうなんでしょうか、先投げ設定と後投げ設定で異なることは確かだと思うのですが、その両方を横断する形で「現実バージョン(設問外の視点・必然的発問)」と「虚構バージョン(設問内キャラクターの視点・偶然的発問)」とがあるのではないでしょうか。
 少し考えてみます。

 ――戦争論理学のゲラはほぼ終わって時間はできたのですが、形而上学的抽象思考から離れていたためにモードを戻すのに苦労しそうです。

http://green.ap.teacup.com/miurat/1639.html


先投げと後投げはやはり違うのではないでしょうか。 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 8月 4日(月)11時39分7秒

  返信・引用
こんにちは。お久しぶりです。

サイコロの例での考察読ませていただきました。
確かに、意図的な出題か偶然の出題かで確率は変わりますね。

モンティ・ホール問題でも
ハズレと知っている扉を開ける場合とランダムに選んだ扉がハズレだった場合では確率が変わるのと同じですね。

そこで、唯一設定で偶然の出題ならば
やっぱり眠り姫問題は問2は1/2、問3は2/3なのだということになると
残るはこれから投げるコインの確率が偏ってしまうという後投げの問題です。

でもそこで気付いたんですけど
サイコロの例ならば、先投げと後投げは明らかに違うんです。
先投げなら
「ランダムに選んだサイコロを振ると、6の目が“出た”。それぞれのサイコロである確率は?」
と問うことができます。
しかし後投げでサイコロの例を考えると
「ランダムに選んだサイコロを振ると、6の目が“出る”。それぞれのサイコロである確率は?」
と問うことはできません。
「ランダムに選んだサイコロを振ると、6の目が“出たとしたら”。それぞれのサイコロである確率は?」
と問うしかありません。
このとき回答者は、問題内のキャラクターであるにもかかわらず、
問題を外から眺める我々と同じ立場に置かれてしまいます。

すなわち、後投げにするということは、問題内キャラの立ち位置をひとレベル上げてしまう気がします。

そう考えて眠り姫問題を見るなら
先投げだと、“この目覚めの最初の時点”では、B-火である可能性があったが
月曜日だと知らされてその可能性がなくなったので確率判断を変更する。
後投げだと、“この目覚めの最初の時点”から、B-火である可能性はなかったので
月曜日だと知らされてもそれは情報として価値がなく、確率判断は変更されない。
となる気がします。
ただこれでは観念的すぎるので、やはり変形モンティ・ホール問題で考えてみます。

変形モンティ・ホール問題:
モンティは、ドアA、B、Cのどれに宝を隠すかを、コインを投げて決めたと観客に告げます。
コインを投げて表が出ればAに、裏が出たらもう一度コインを投げ、表ならB、裏ならCに。
すると、ドアA、B、Cがそれぞれ当たりである確率は
1/2、1/4、1/4です。
ここでモンティが言います。
「では、ドアBとドアCのうち、私が“ハズレだと知っている”ドアをひとつ開けましょう」
そしてモンティはドアC(Bでも同じ)を開けます。当然ハズレです。
ここで、残ったドアAとドアB(Cでも同じ)がそれぞれ当たりである確率は
1/2、1/2になります。

これを、偶然の出題にすると、
モンティはドアCをハズレだと知らずに当てずっぽうで開き、偶然それがハズレだったとなります。
このとき、残ったドアAとドアBがそれぞれ当たりである確率は
2/3、1/3になります。

またこれを後投げにすると
モンティはコインを投げる前にドアCを開き、それがハズレだと示してしまいます。
ここからコインを投げるのですが、これには二通りの手順が考えられます。

ひとつはコイン投げをやり直す手順です。
当初の予定通り、コインを投げて表が出ればAに、裏が出たらもう一度コインを投げ、表ならB、裏ならCに。
しかし、Cになったら、Cはもうハズレだと決まっているので、AかBになるまで何度でもやり直します。
このとき、ドアA、ドアBがそれぞれ当たりである確率は
2/3、1/3です。

もうひとつは二投目を省略する手順です。
コインを投げて表が出ればAに、裏が出たら、Cはすでにハズレに決まっているので自動的にBに。
このとき、ドアA、ドアBがそれぞれ当たりである確率は
1/2、1/2です。

すなわち、後投げは、手順によって確率判断が変わってしまいます。
また、後投げの、コインを投げる前にドアCをハズレだと示してしまうという状況は
この出題を偶然の出題ではなくしています。

眠り姫問題に戻ります。
眠り姫問題では、コインは一度しか投げられませんが、
裏が出た場合に、B-月であるかB-火であるかはランダムなので
これが変形モンティ・ホール問題の二投目に相当します。

そして、眠り姫問題を後投げにすると、これは変形モンティ・ホール問題の、二投目を省略する手順に相当します。
すでにB-火ではないとわかった上でコインが投げられ、
裏が出たならば、それは“自動的に”B-月を意味するからです。
よってA-月、B-月である確率は
1/2、1/2です。

まとめると、眠り姫問題は

唯一設定で、意図的な出題なら
問2は1/2、問3は1/2
唯一設定で偶然の出題なら(必ず先投げ)
問2は1/2、問3は2/3
唯一設定で後投げなら(このときは実質的に偶然の出題ではなくなっている)
問2は1/2、問3は1/2

となるのではないでしょうか。


確率問題の「虚構性」 投稿者:φ 投稿日:2008年 7月24日(木)10時01分5秒

  返信・引用
khnmrさんの問題提起に触発されて、
眠り姫問題より簡単なありきたりな確率問題によって、改めて考察してみました↓

単なるメモです。
もっとじっくり発展させる必要があるでしょう↓

http://green.ap.teacup.com/miurat/1639.html

http://green.ap.teacup.com/miurat/1639.html


Re:Re: 問3は~ 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 7月13日(日)02時43分37秒

  返信・引用
お、やった。
意味のある考察だったようでこれは嬉しいです。

先の考察に至ったきっかけは、、
モンティ・ホール問題、三人の囚人問題と、眠り姫問題がなぜ同型にならないのかという疑問でした
モンティ・ホール問題で、ドアAを選んだ客がドアCがハズレだと教えられると、
また三人の囚人問題で、囚人Aが囚人Cが死刑だと教えられると、
ドアAが当たりである確率、囚人Aが死刑になる確率は、“据え置き”で
ドアB、囚人Bについてのみ確率が変動するのに、
なぜ眠り姫問題では場合Aである確率が“据え置き”にならないのか、と思ったのです。
それに対する答えが、

眠り姫問題の問3は
「今はB-月(あるいはB-火)ではない。場合Aである確率は?」……②
ではなく、
「今は、B-火ではない。場合Aである確率は?」……①
だからだ、というものでした。

もしも眠り姫問題を②でやってしまうと。
これは実験者が、“教えてもいいデータを恣意的に選んで”教えることになるので
モンティ・ホール問題、三人の囚人問題と完全に同型になり、
問2の答えが1/2、問3の答えが“据え置き”でやはり1/2になるような気がします。


お忙しいところに時間を割いていただいたようでありがとうございます。
また来ますので、本業の方をご優先下さい。
僕もとりあえず、迫り来るゼミ発表に戻ることにします……。


Re: 問3は、“この目覚めの最初から”B-火であることはありえなかったことを意味するのではないでしょうか。 投稿者:φ 投稿日:2008年 7月12日(土)03時26分16秒

  返信・引用
> No.1988[元記事へ]

khnmrさんへのお返事です。

なるほど、大変面白い御指摘ですね!
問題そのものの「提示のされ方」を問う提言です。

眠り姫問題の本質を捉えるには、確かに、問3は

 > 「今は、B-火ではない。場合Aである確率は?」……①

ではなく、

 > 「今はB-月(あるいはB-火)ではない。場合Aである確率は?」……②

と問わねばいけなかったようですね。

ただ、眠り姫問題に好意的に解釈すると、
ほんとうは②の質問が予定されていたのだが、どちらか一つに決めねばならないので、たまたまB-火ではない、と言った場合で代表させているということになるでしょうね。だから、今がB-火だったら問題不成立、というわけではなく、その場合には

「今はB-月ではない。場合Aである確率は?」……③

 と問われたということです。
 「B-火であることはありえなかったという暗黙の前提」はなかったという解釈です。

 ただし、「今は火曜である」と言われることが絶対ないかのような問題提示のされ方であることは事実です。月曜か火曜かだけの分類で問うかのような設定に書かれていますから。その設定だと、「火曜である」と言ったとたんに問題が成立しなくなっていますから、頭ごなしに除外ですよね。

 しかし、被験者が質問の形をあらかじめ承知しているわけではなく、いきなり言われたとすれば、「火曜と言われずに月曜と言われたのだから……」と、素直に考えるのだと思います。

 それでも、被験者ではなく問題を解く人(問題内のキャラクターではなく、問題の外にいる解答者)に対しては、誤解を防ぐために、②のような方法で問いかける、という明示は必要でしょうね。

 意味論と語用論の狭間というか、
 これはもっと深く考えねばならない問題のような気がしてきました。

 問題提示のさいには、キャラクター視点(意味論的視点)と解答者視点(語用論的視点)の一致を心がけねばならない、という指摘として読みました。
 ありがとうございました。

  前回の「明晰度」の件はちょっと措いて(いずれ必ずお答えします)、まだ少し①②の件を考えてみようと思います。
 (いま『戦争論理学』のゲラをやっている関係で、抽象思考のほうはお留守になっていて時間かかるかもしれませんが)


問3は、“この目覚めの最初から”B-火であることはありえなかったことを意味するのではないでしょうか。 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 7月11日(金)22時43分59秒

  返信・引用
連続投稿になってしまいますが、唯一設定についてもう少し考えてみました。


眠り姫問題では、場合Aで月曜、場合Bで月曜、場合Bで火曜の三つの状態の被験者を同等のように論じていますが
実はこの三つはまったく同じではないですよね。
A-月、B-月の被験者は問3を問われますが、B-火の被験者には問3を問われる権利がないからです。
実験者が、A-月、B-月の被験者にのみ選択的に情報を与えているという言い方もできます。

もちろん、B-火の被験者は、火曜日であると教えてもらう権利があるとも言えますが、
火曜日であるという情報は答えを確定してしまう情報であり
一方で月曜日であるという情報は答えを確定できない情報です。

なので、
月曜の被験者は、答えを確定できるような情報を得ることができない立場
火曜の被験者は、答えを確定できるような情報を得ることができる立場
にそれぞれ置かれているといえます。
この、三つの状態の潜在的な非対称性(?)がベイズ的確率判断に上手く反映されていない気がします。

この非対称性を解消できないかと、以下のようなことを考えてみました。

まず、次のような変形モンティ・ホール問題を考えます。
モンティは、ドアA、B、Cのどれに宝を隠すかを、コインを投げて決めたと観客に告げます。
コインを投げて表が出ればAに、裏が出たらもう一度コインを投げ、表ならB、裏ならCに。
すると、ドアA、B、Cがそれぞれ当たりである確率は
1/2、1/4、1/4です。
ここでモンティが言います。
「では、ドアBとドアCのうち、私が“ハズレだと知っている”ドアをひとつ開けましょう」
そしてモンティはドアC(Bでも同じ)を開けます。当然ハズレです。
ここで、残ったドアAとドアB(Cでも同じ)がそれぞれ当たりである確率は
1/2、1/2になります。

同じように、眠り姫問題を考えます。唯一設定であることにします。
三通りの場合、すなわちA-月、B-月、B-火である確率はそれぞれ
1/2、1/4、1/4です。
ここで実験者が言います。
「では、B-月とB-火のうち、私が“事実ではないと知っている”方をお教えしましょう」
そして実験者は、今がB-火(B-月でも同じ)ではないと教えてくれます。
ここで、残ったA-月とB-月(B-火でも同じ)が今このときである確率は
1/2、1/2になります。

上の例がもとの眠り姫問題と違うのは
B-月ではないと教えられる可能性とB-火ではないと教えられる可能性が両方ある点です。
これは、どういう意味を持つ違いなのかを検討します。
もとの問3の、「今は月曜日だ」という情報は、「今はB-火ではない」と同義です。
なので問3は、
「今は、B-火ではない。場合Aである確率は?」……①
という質問だということができます。
これに対し、上の眠り姫問題では、
「今はB-月(あるいはB-火)ではない。場合Aである確率は?」……②
という質問がされることになります。

この二つの質問
「今は、B-火ではない。場合Aである確率は?」……①
「今はB-月(あるいはB-火)ではない。場合Aである確率は?」……②
の違いはどこにあるのかというと
そのときが実際にB-火であったとき、①の質問はできないが②の質問はできるという点です。

実際にB-火であっても問題のない問2の答えに対してベイズ改訂を加えるとき、
同じく実際にB-火であっても問題のない②は有効な情報であっても
実際にB-火であると問題のある①は有効な情報ではないのではないでしょうか。

①の質問は、
B-火ではないならばそれを教えてやる。B-火である場合など知ったことではない。
と言っているようなものです。

①(もともとの眠り姫問題の問3)は、それが問われたという事実それ自体が
“この目覚めの最初から”B-火であることはありえなかったという暗黙の前提を伴っており
問2に答えるための前提を覆してしまうので、
問2の時点での確率判断にそのまま問3のデータを加えるわけにはいかないのではないでしょうか。

こういう言い換えはどうでしょう。
通常どおりに問2に答えてもらったあとで、問3の代わりに問3´を質問します。
問3´「実は実験の都合上あなたに嘘をついていました。本当は、場合A、場合Bのどちらであっても
    あなたは月曜日に一度起こされるだけなのです。さて、場合Aである確率は?」
これならば、問2の答え1/2にベイズ改訂を加えて2/3、とならないのは明らかです。
“この目覚めの最初から”B-火であることはありえなかったので、
問2の時点での確率判断を「1/2、1/4、1/4」から「1/2、1/2、0」に
遡って修正しなくてはならないでしょう。(結局、問2の答えは1/2のままですが)
もともとの眠り姫問題の問3も、これと同じように処理すべきだと思われます。

すなわち問3は、単に被験者に新たなデータを与えるだけではなく、以前の確率判断を揺るがしてしまい、
それゆえに、問3が発せられた時点で“チャラ”にして計算しなおすべきなのではないでしょうか。


Re: 眠り姫問題は、やはり問2問3ともに1/2が正しいような気がします。 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 7月11日(金)03時44分48秒

  返信・引用
早速のご返答ありがとうございます。

>「今が実験中である」ということがわかっているならば、実験外の意識のときとは当然異なる確率判断が妥当となるからです。

>実験が済んでからだと、場合Aも場合Bも回答機会は同じですから、「場合Aの確率は1/2」が正解でしょう。

ということは、反復設定で実験中の被験者は
「来週の私にとっては1/2が正解だが、今の私にとっては1/3が正解だ。これは矛盾しない」
と考えるべきということになるのでしょうか。

だとすると、寝て起きる代わりに明晰度nと2nの実験を行うことにして
被験者が「1/3」と答えたところで、
実験者が、「ありがとうございます。これで実験は終了です。もう帰っていいですよ」
と言って、明晰度を通常の状態に戻す注射を打つなりしたとすると
被験者はその注射が効くにしたがって、(もちろんnだったのか2nだったのかはわからないままに)
「おお、1/3だった確率が1/2になっていく」と言うのでしょうか。


後半の話ですけど、確かに月曜と仮定するというのは乱暴すぎましたね。
自分が感じていたのは
・月曜であるという状況は、場合Aでも場合Bでも必ず生じるので、月曜と仮定しても問題はない
・火曜日であると知らされることのみが意味のある情報であって、月曜であると知らされることには意味がない
ということだったのですが、説得力に欠けていると自分でも思いますので、もう少し考えてみます。


Re: 眠り姫問題は、やはり問2問3ともに1/2が正しいような気がします。 投稿者:φ 投稿日:2008年 7月11日(金)00時27分4秒

  返信・引用
> No.1984[元記事へ]

khnmrさんへのお返事です。

興味深いご意見をありがとうございます。

 実験終了後、起こされて意識回復なのか、永遠に眠り続けるのかという違いは、問題に影響するでしょうか?
 『多宇宙と輪廻転生』では、一応、「ずっと眠り続ける」設定として書きましたが、意識回復するという設定でも、変わりないと思われます。
 「今が実験中である」ということがわかっているならば、実験外の意識のときとは当然異なる確率判断が妥当となるからです。

>
> すると少なくとも問2については、被験者は、
> 「もし来週この質問をされたなら1/2が正解だ。ならば今この時点でも1/2が正解だ」
> と考え、1/2と答えるのが正しいと思われます。問1を後まわしにしただけかもしれませんが。
>

 実験外の意識の数(回答機会)は同じなので、実験外で問われたら「1/2」が正解で間違いありませんが、実験内の意識の数(回答機会)は、場合Aと場合Bとで1:2なので、反復設定ならば、当然、「場合A」と実験内の回答機会ごとに答え続ければ正解である機会は全体の1/3にすぎないでしょう。換言するならば、どの1回の目覚め(回答機会)においても、「場合Aの確率は1/3」ということです。
 実験が済んでからだと、場合Aも場合Bも回答機会は同じですから、「場合Aの確率は1/2」が正解でしょう。

>
> 起こされ、今が何曜日であるか知らない被験者が
> 「今日が何曜日かはわからないが、便宜的に月曜日であると仮定してもよかろう。ところで問2の答えは1/2だ」
> と言うことができると考えるからです。
> この被験者は、問3に対して
> 「今日が月曜日だという情報は、先ほどの仮定の通りだ。そして問3の答えは1/2だ」
> と言うのではないでしょうか。
>

 仮定は自由にできますが、もし現実に「今日は火曜日だ」と言われてしまえば、仮定は覆ります。
 「問3の答えは、0だ」と言わねばならないでしょう。
 「火曜日だ」と言われずに「月曜日だ」と言われたことは、場合Aならば当然のことであり、場合Bならばちょっと驚くべきことです。つまり、情報価値があります。
 したがって、場合Aの確率が増えることになりますね。(頭ごなしの「月曜」という仮定の下ではもちろん情報価値はありませんが)

> もしも記憶を消さないとするなら、もちろんすべての答えは常に1/2です。
> 場合Bの月曜日と火曜日が、合わせてひとつの経験になるからです。
> しかしながら、記憶を消したとしても、場合Bの月曜日と火曜日はやはり合わせてひとつの経験なのではないでしょうか。
>
> すなわち、
> 「今日が何曜日かはわからないが、便宜的に月曜日であると仮定してもよかろう。」
> と“言ってもいい”のなら、問2、問3ともに答えは1/2です。
>
> そして、“言ってはいけない”のなら、なぜいけないのでしょうか?

 言ってはいけない理由は、「火曜日である」と言われる可能性が常に考えられるからです。

 「便宜的に月曜日であると仮定」した時点では、「今日は火曜日である」と言われる可能性は無視していますね(月曜だ、と言われた場合を設定しているのだから)。
 ところが、仮定ではなく本当に通告される場合は、「火曜日である」と言われる危険にさらされているのですから、安全な仮定と危険な現実が一致する保証はありません。場合Bのとき、仮定が現実に一致する確率は1/2です。
 はじめから、仮定と現実が一致する場合だけに限定して考えるならば、「月曜である」と言われる場合においてだけ仮定が生かされることになります。(つまり、「火曜である」と言われてしまったら「ノーカウント」になり、計算から除外されます)。
 そのような新たな取り決めであれば、仮定のときの確率は、「月曜日である」と言われた後の確率に一致しますね。その確率を「1/2」と判定するのであれば、「月曜日である」と言われたと仮定する前の(つまり、「火曜である」と言われても「ノーカウント」にせず、場合Aの確率0とベイズ改訂する用意のある姿勢のもとでの)確率判断は、「場合Aは1/3」であるはずではないでしょうか。

 khnmrさんの考えは、「火曜日である」と言われるような場合をいっさい除外して、そのような場合に出くわしたらチャラにする(つまり、場合Aと場合Bの両方の可能性を常に保留できている)ときにだけ成り立つようです。
 実際は、場合Aだけは「火曜日である」と言われてしまったら反証されるので、場合Bよりも危険にさらされているのです。そこが眠り姫問題のポイントではないでしょうか。


眠り姫問題は、やはり問2問3ともに1/2が正しいような気がします。 投稿者:khnmr 投稿日:2008年 7月 9日(水)23時25分53秒

  返信・引用
はじめまして。

下でも紹介されている『量子力学の解釈問題』で眠り姫問題に触れて非常に興味を引かれ、
『多宇宙と輪廻転生』を拝読させていただきました。

いろいろ考えたのですが、問2で1/2、問3でも1/2が正しいように思われるので
それについて書かせていただきます。

まず、この実験の被験者が、実験の次の週に起こされ、
「場合Aであった確率は?」と聞かれたならどうか、と考えると、
これは唯一設定、反復設定、先投げ、後投げを問わず1/2が正しいと思われます。問1と本質的に同じなので。

すると少なくとも問2については、被験者は、
「もし来週この質問をされたなら1/2が正解だ。ならば今この時点でも1/2が正解だ」
と考え、1/2と答えるのが正しいと思われます。問1を後まわしにしただけかもしれませんが。

で、問題は月曜日であると知らされる問3ですが、
実験前の日曜日に、問1に対して1/2が正解であるとし、
月曜日であると知らされることによって、そこにベイズ改訂が加わり、
1/2派にとって問3への答えが2/3になるとするなら、これは翌週までに
再び1/2へと戻るのでしょうか。それとも2/3のままなのでしょうか。
戻るとしたら、いかなる根拠で戻るのでしょうか。


わたしは、月曜日であると知らされるのはまったく有用な情報でなく、ベイズ改訂の必要がないため
問2に対して1/2、問3に対しても1/2が正しい答えなのではないかと思います。

というのは、起こされ、今が何曜日であるか知らない被験者が
「今日が何曜日かはわからないが、便宜的に月曜日であると仮定してもよかろう。ところで問2の答えは1/2だ」
と言うことができると考えるからです。
この被験者は、問3に対して
「今日が月曜日だという情報は、先ほどの仮定の通りだ。そして問3の答えは1/2だ」
と言うのではないでしょうか。

わたしには、眠り姫問題のポイントは、記憶を消すことの意味が不明瞭なことにあると思われます。
もしも記憶を消さないとするなら、もちろんすべての答えは常に1/2です。
場合Bの月曜日と火曜日が、合わせてひとつの経験になるからです。
しかしながら、記憶を消したとしても、場合Bの月曜日と火曜日はやはり合わせてひとつの経験なのではないでしょうか。

すなわち、
「今日が何曜日かはわからないが、便宜的に月曜日であると仮定してもよかろう。」
と“言ってもいい”のなら、問2、問3ともに答えは1/2です。

そして、“言ってはいけない”のなら、なぜいけないのでしょうか?


「小故」、「大故」 投稿者:乱層雲 投稿日:2008年 7月 7日(月)23時35分58秒

  返信・引用
「故。小故は、これ有るも必ずしも然らず、これ無ければ必ず然らず。…
大故は、これ有れば必ず然り、これ無ければ必ず然らず。」

これは、中国の古典『墨子』からの引用です。墨子の没後、秦の全国統一までの間
(およそ紀元前370~220年)にまとめられた、と考えられています。

『中国古典文学大系 5 韓非子・墨子』(平凡社、1968)の
藪内教授(中国科学技術史)による訳注に、「故」は物事の成立の原因または理由、
「小故」は必要条件、「大故」は必要十分条件、と解説されています。

必要条件の「小故」はパーリ仏典『相応部 22.54 種子』の一般的な因果関係に相当し、
必要十分条件の「大故」は縁起の定型句(これあるとき彼あり、これなきとき彼なし)に当ります。

仏教とほぼ同時代、それとは独立に、しかも仏典よりも明確に、この二つが公式として
『墨子』で述べられていた、ということに驚かされます。