年譜III(1914〜1944)
ライン
1914(42歳)
・二度目のアメリカ旅行。シカゴの著名な婦人家医の娘 Helen Dudley(=2〜3年前、G.Murray のもとでギリシア語を学ぶ)との情事。ラッセルはアリスと離婚が成立したら彼女と結婚をすることを約束。その後、戦争の勃発(でラッセルの主たる関心が反戦活動に移る)、ラッセルの心変わり等のため彼女に対する熱がさめ、それが原因(?)で彼女はついには発狂。
・8月4日、英国、宣戦布告。群衆が英国の参戦に歓呼の声をあげている姿を目撃してショックを受ける。
・11月、反戦運動開始。
・自由党を離れて労働党に入党
・この年、歯槽膿漏直る。
・Our Knowledge of the External World 出版(ラッセルの口述を速記者が筆記したもの)
・7月28日、第一次世界大戦勃発

1915(43歳)
・2月頃、Ottoline Morrell によって D. H. ローレンスを紹介される。
・11月29日付けの S. Unwin の手紙により、Allen & Unwin 社との関係が始まる。
・NCF: No-Conscription Fellowship(徴兵反対協会)の委員となる。
・アインシュタイン、一般相対性理論発表

1916(44歳)
・Wilson 大統領に公開書簡
・6月15日、有罪確定:100ポンドの罰金刑
・7月11日、トリニテイ・カレッジの評議会でラッセルの免職決定
・夏、Dora Black (当時、ドラはケンブリッジ大学の Girton College の学生)と初めて会う(1919年に再会)。
・オットラインとの恋愛関係終わる。7月31日、女優の Collete O'Niel(= Lady Constance Malleson)と出会い恋愛し、2ケ月近くで肉体関係を持つ。

1917(45歳)
・1917年末には、反戦運動に見切りをつけ始める。

1918(46歳)
・1月3日、「ドイツの和平提案」を Tribunal 誌に発表
・1918年始め、ロンドンにて The Philosophy of Logical Positivism に関して8回の講義
・5月初め入獄(ブリクストン監獄:囚人番号2917番。禁固6ケ月の判決)。
[刑務所での日課]:4時間の哲学に関する著述、4時間の哲学関係の読書、4時間の一般的読書)
・刑務所内で、An Introduction to Mathematical Philosophy 執筆
・9月出獄
・11月11日、第一次世界大戦終戦

1919(47歳)
・6月より,ケンブリッジ大学の数学者 J. E. Littlewood(1885.6.9〜1977.9.6)教授とともに、Dorcet 海岸の Lulworth の近くで3ケ月の休暇を過ごす。そこで Dora Black と再会し、恋愛関係となる。
・『論理哲学論考』について議論するために、ウィトゲンシュタインに会いに行く。

1920(48歳)
・5.12〜 6.17:英国労働党代表団に加わって革命ロシアを訪問し、Lenin や Trotsky と会見(5.12:ペテルブルグ=今のレニングラード着)
・10月、ドーラとともに中国を訪問(1920年10月12日の朝9時に上海に上陸し、「一品香(イ・ピン・シャン)旅館」に宿泊)
 *1921年7月まで北京大学客員教授
・The Practice and Theory of Bolshevism 出版

1921(49歳)
・3月初旬、肺炎にかかり、3月下旬危篤に陥る。
・5月3日、アリスとの離婚、正式に成立。
・7月16日、朝、営口丸、門司港着。山本実彦の出迎えを受ける。(ただし,門司には上陸せず)。山本によれば、ラッセルは '卵色の背広' を着ていた由。

・7月17日〜7月30日: 日本訪問
・7月17日正午: 営口丸にて神戸着。神戸クロニクル主筆ヤングの出迎え。最初の夜は、神戸・北野のトア・ホテルの2階57号室に泊まる。(現在跡地は「神戸外国倶楽部」となっている。)
・7月18日、大阪ホテルにて、大阪毎日新聞副主幹と午餐。夜、神戸の阿弥陀寺で開催された演説会に出席し、約1,000名の労働者の前で短い講演を行った(通訳は賀川豊彦)。その後、自動車でトア・ホテルに帰り、夜12時頃まで歓談。トアホテル泊(2泊目)。
・7月19日、ラッセル、ヤング、ブラック、及びパワー(= Eileen Power,1889〜1940)は、午前11時2分神戸三宮駅発の列車で大阪に向かう。大阪ホテルにて昼食をとり、自動車で奈良へいく。奈良公園などで遊ぶ。夜は、奈良ホテル泊。
・7月20日、奈良の大仏見学、夕刻、同じ車で京都にいく。夜は、都ホテルに泊まったものと思われる。
(7.20〜7.24、京都)
・7月21日: 京都大学荒木総長と短時間会見。夕方5時より、改造社主催の都ホテルでの歓迎会に出席。京都大学教授その他の学者27名(新聞報道では26名)出席。
・7月22日、午前中、祇園、知恩院、本願寺等見学。午後は、ホテルで静養。
・7月23日、詳細不明(要調査)
・7月24日,7.49p.m.:東海道線特急で横浜着(京都から横浜まで10時間!)。山下町のグランド・ホテルに一泊
・7月25日、午後5時入京。夜、改造社の山本社長の案内で帝劇見物。帝国ホテルにて東京の第一夜を過ごす(2階32号室)。
・7月26日、午前11時より、帝国ホテルにて日本の著名な思想家達と会見(大杉栄、堺利彦、桑木厳翼、姉崎正治、上田貞次郎、阿部次郎、和辻哲郎、北澤新次郎、鈴木文次、与謝野晶子、福田徳三、石川三四郎他)
・7月27日、午前11時〜12時半まで、都下新聞記者20名と共同記者会見。午後は、上野及び日本橋丸善へ(桑木或雄が同行)
・7月28日、夜、慶応大学大講堂にて講演(聴衆は3,000人以上(2,000人と書いてある文献もあり。):通訳は、帆足理一郎/小泉信三などが尽力)
・7月29日、横浜のグランドホテル泊
・7月30日、午後、Canadian Pacific 社の Empress of Asia 号でバンクーバー向け出帆

・8月27日、ロンドンに戻る。生まれてくる子供のために Sidney街31番地に引越す。
・9月27日、Dora Black と再婚
・11月16日、長男 John 誕生
・この年、成人した時に相続した財産(約2万ポンド)をほぼ使い果たす。

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