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バートランド・ラッセル『図説・西洋哲学思想史-西洋の智恵』あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),東宮隆(訳)『西洋の智恵-図説・西洋哲学思想史』(社会思想社,1968年6月(上巻)及び9月(下巻) 304pp(上巻)及び293p.(下巻)
* 原著:Wisdom of the West, 1959, by Bertrand Russell
* 東宮隆氏略歴 略歴その2

訳者あとがき

Bertrand Russell の The Wisdom of West の表紙画像  本書の原著は Bertrand Russell: Wisdom of the West; a historical survey of Western Philosophy in its social and political setting である。原著の初版は1959年、体裁はA四判、320ページ、ちょっとした画集くらいの大型の図説西洋哲学史である。著者は「大きな書物は大きな禍だ」というカリマコスの言葉を引いて、この自分の著書を笑っているが、訳書はこれを一まわり小さくしてA五判とし、そのかわりに、上下2巻に分けた。索引は原著のそれをかなり補足して下巻の巻末に載せた。
 本書は、さきに出版された著者の『西洋哲学史』(A History of Western Philosophy, 1945) の文字通りの姉妹篇である。両書のちがいについては、著者みずから上巻の緒言に述べている通りだが、何と言っても、『西洋の知恵』の特徴は、思想という一般に言葉で表現されるものをできるだけ図形で表わそうとした点にある。その意味では、『西洋哲学史』にない現代哲学の一部が本書で扱われていることも、さまで重要ではない。この新たな企ては、本書で十分に目的を果たしているとは言いがたいが、哲学という領域でのめずらしい試みとして、やり甲斐のあることのようにおもわれる。原著には、さらに、思想や時代背景を象徴する絵、思想家の肖像と署名、有名な書物の表紙やタイトルページ、地図などが、さきの思想の図形化とともに、各頁を飾り、全体の挿図の数は500にのぼる。これらは、訳書にもほとんど全部再録したばかりでなく、相当数の肖像や絵を加え、原著の写真で多少不鮮明なものは取りかえたりした。10枚の絵を省略したのは、技術的な関係からで、そのかわりに、比較的最近撮影されたカラー写真を同数ちかく加え、時代背景を浮きあがらせるように、あるいは現実感を添えるように工夫した。これらの写真の提供は幾人かのかたの御好意によるものである。上・下巻の口絵の写真は著者の近影である。
バートランド・ラッセルの『西洋の智恵』(邦訳書)の表紙画像  本書はこれらの挿図によって親しみやすい平易さを加えているが、叙述のほうも平易で、「哲学上の専門用語をかりれば」と断ってある個所は、上・下巻を通じて数えるほどしかない。したがって、訳出もまた、できるかぎり、日常語による、くだけた感じのものにした。もちろん、ラッセルの書くものが一般に簡潔(エレガント)だということの要因としては、ほかにもいろいろのものが考えられるであろうが、少なくとも本書についてみるかぎり、その要因には次の2つがあるようである。
 第1は、素材の選択が大胆で、その結果、常識的な選択にちかい感じを与える点である。前著『西洋哲学史』にも述べられているように、後代の思想に影響を及ぼさぬ哲学者は、思い切って省かれている。著者は、思想を「真空」の中で扱わない。そのために、一人一人の思想家の迷路や魅力が切り捨てられることは、ラッセルにとっては止むをえぬことである。そのかわり、いたずらに人を惑わせる神秘な被いははぎとられる。このようにして、2000年以上に及ぶ包括的な思想の歴史が1人の人間の頭脳を通して終始辿られる。
 第2は、著者が説明的祖述の思想史を綴るかわりに、ふたたび著者自身の言葉をかりれば、「洞察力を持った」、眼光紙背に徹する、個性的な哲学史を書こうとした点にある。ピタゴラス学派の数学的伝統に立って、数学の「形相」原理を楯とし、「オッカムの剃刀」を矛として、著者は思想の道を足早やに進む。そこには快刀乱麻の趣きさえある。その上、著者は、個々の哲学者の国語の多彩さに少しも惑わされず、ただかれらの本質と目されるものだけを、中性的で無色な英語によって表現する。それは何と言っても著者の自信のあらわれであろう。以上2つは、とくに本書の叙述を明快平易なものにしている大きな要因であるといってよいであろう。
バートランド・ラッセルの『西洋の智恵』(邦訳書)の表紙画像  右のことと一見矛盾するように見えるのだが、著者は、本書で、次の2つを目指したと書いている。第1に、自分のきらいな思想家に一瞥も与えない態度はつつしむべきであるとして、嫌であろうと何であろうと、とにかく知ることが必要だとする。げんにへーゲルに割かれているページは、ソクラテスとプラトンとアリストテレスを別とすれば、ほかのどの思想家より多いと言えるし、へーゲルの長所もできるかぎり取り上げようとする態度が明らかである。第2に、問題すべては、過去の哲学史のどこかにすでに出ているから、素手で哲学を実践しようとすることは無謀だといましめて、私たちの祖先に対する知的恩恵のいかに大きいかを絶えず私たちに想いおこさせようと努めている。ラッセルは、本書で、何かというと、ソクラテス以前の思想家とプラトン、アリストテレスに遡る。まことに、思想の脈絡は、至るところに走っている。
 最後に今1つ書き加えるべきことがあるとすれば、それは、原著が、目次にある12の章立てのほか、何の切れ目も持たなければ、何の見出しも掲げていない点であろう。哲学という文字さえ避けられているかと見えるほどである。訳書もまたこの意図をくんで、註その他を加えることをしなかった。ただ、原著では、叙述の切れ目が必ず偶数ページの一番上にくるように、挿図を適宜に配置しているのに対して、このようなことの不可能なこの訳書では、 でこれを示した
 この本は、読んで考えるだけでなく、見て考えるべき本でもある。本書の訳出は、はじめ、ラッセル協会前会長、笠信太郎先生(右写真参照)監修のもとに、ラッセル協会の名で行なわれる予定であったが、昨冬、先生のまことに思いも寄らぬ御逝去のため、御校閲を仰ぐことができなくなった。先生は本書くらいの哲学上の知識を若い人びとがみな持っていたらどんなにいいことであろうと言っておられたそうである。遅筆のため、先生に親しく拙訳を見ていただく機会を失ったことは、じつに残念である。ここに、ラッセル協会の一員として、謹んでこの訳書を、笠先生に捧げるものである
 昭和43年9月2日 訳者

〈附記〉
 第2刷がようやく出る運びとなったので、第1刷で気になっていた個所を改めることができたが、書名についても、「西洋の知恵」を副題とし、内容がひと目でわかるよう、「図説西洋哲学思想史」のほうを主題名とした。  昭和52年7月17日