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バートランド・ラッセル落穂拾い 2015

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R落穂拾い-中級篇

索引(出版年順 著者名順 書名の五十音順

* ラッセル関係文献「以外」の図書などでラッセルに言及しているものを拾ったものです。

  • マリオ・リヴィオ(著),千葉敏生(訳)『偉大なる失敗-天才科学者たちはどう間違えたか』(早川書房,2015年1月刊)(2015.12.6)
    *
    マリオ・リヴィオ(Mario Livio, 19~):宇宙物理学者。国際ピタゴラス賞とペアノ賞を受賞。

     ラッセルは,本書で4ケ所で言及(引用)されています。後半の2ケ所について,以下ご紹介しておきます。
    [pp.350-357: 最後に]

    (p.351) ロブ・ライナー監督の1978年のおとぎ話風の映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』[注:トロント国際映画祭で、最高賞である観客賞(ピープルズ・チョイス・アウォード)を受賞]で,登場人物のひとりが主人公と知恵比べをする。あるとき,彼はこう叫ぶ。「古典的なミスをしおって! いちばん有名なのは,"アジアで地上戦は絶対にするな"ってやつだ」。近年の歴史を見るかぎり,この台詞が賢明なアドバイスであることは誰しも認めると思う。著名な数学者で哲学者のバートランド・ラッセルは,狂信を確実に避けたいと思っている人々に向けて,別のコツを提案している。「何事にも絶対の確信を抱くなかれ」。本書で紹介した数々の例が示しているように,この"戒律″は大きな過ちを避けるためのヒントとしても役立つ--もっとも,それで過ちを避けられるという絶対の保証はないが。疑念は弱さの表われとみなされることも多いが,効果的な防御機構でもある。そして,科学にとっては欠かせない活動原理なのだ。
     ・・・
    (p.352) 心理学者のエイモス・トヴュルスキーとダニエル・カーネマンは,「ヒユーリステイクス」という概念を用いて,人間が犯しがちなミスの認知的な基礎を確立した。ヒユーリステイクスとは,意思決定の指針になるシンプルな経験則のことだ。彼らが発見したのは,人間は実際のデータよりも,主に個人的な経験に基づく直感的な理解に頼る傾向があるという事実だ。当然ながら,ダーウィン,ポーリング,アインシュタインといった一流科学者たちは,たとえ前に進む正しい方法がわからなくても,科学の風景が目まぐるしいペースで変化していても,直感が自分を正解に導いてくれると信じていた。先ほども述べたとおり,バートランド・ラッセルは過信や確信の危険性を理解していた。そして,彼は過信や確信を避ける策を見つけたと考えた。「人間にとってなるべく非個人的で,局所的・気分的なバイアスを可能なかぎり取り去った観測や推論に基づいて」信念を築くクセを付けるよう勧めたのだ。残念ながら,この忠告に従うのは易しくない。近代神経科学によれば,眼裔前頭皮質(脳の前頭葉にある領域)は理性的思考の流れの中に感情を組み込むことがはっきりと証明されている。つまり人間は,感情を完全にオフにできる純粋に理性的な生き物ではないのだ。

  • 斎藤兆史『努力論』(筑摩書房,2007年8月刊/ちくま新672)(2015.11.15)
    *
    斎藤兆史(さいとう・よしふみ, 1958~):本書執筆当時,東京大学大学院総合文化研究科准教授。現在,東大教育学研究科教授。
     また,あるときは,私がバートランド・ラッセル(1872-1970:イギリスの数学者・哲学者)の文章の魅力を語りつつ,ラッセルの影響を受けた論理実証主義のイギリス人哲学者 A. J. Ayer (1910-1989)の名を「エイヤー」と発音したら,(東大教養学部の小池けい教授から)「英語を専門とする人間がそんな発音をしてはいかん。あれは「エア」と読むんだよ」と注意された。・・・・

    (注:因みに,吉田夏彦氏は,吉田夏彦・訳『ラッセル』のあとがきのなかで,次のように書いている。「1967年春,Ayer は日本を訪れ,そのかざらない人柄は,彼と議論した哲学者達に,忘れられない印象を残したようである。なお,その時,たしかめたところでは,彼の名は「エア」と仮名をあてた方がよいようであるが,「エイヤー」の方がとおってしまっているので,この訳でもそれにしたがった。)

  • ピーター・F・ドラッカー(著)上田惇生(訳)『(新訳)新しい現実-政治,経済,ビジネス,社会,世界観はどう変わるか』(ダイヤモンド社,2004年1月刊/ドラッカー選書n.10)(2015.9.29)

    *
    P. F. ドラッカー(Peter, F. Drucker, 1909~2005):米国の著名な経営学者。
    * 原著:The New Realities, by P. F. Drucker, 1989.
     次にご紹介する文章(ちょうど一段落分)は,本書(p.296)のなかでは,字下げがされ,引用の形になっている。しかし,どの本からとられたか,本書のどこにも書かれていない。おかしいと思い, Google Books で全文検索したところ,原書では字下げはなく,つまり,この段落は引用ではなく,ドラッカーの地の文であることが判明した。
     初版本(初刷り)で,チェックが甘くて出版してしまった,ということならありうることであろうが,本書は,「新訳」となっていることから,それは理由にならず,お粗末である。(松下)

     コンピュータは,一七世紀末のドゥニ・パパンの時代に始まった機械的な世界という,分析的かつ概念的なプロセスの究極の表現だった。コンピュータは,パパンの同時代人で友人だった数学者ゴツトフリート・ライプニッツの,あらゆる数字はデジタルにつまり1と0によって表現できるという発見に端を発していた。その後,バートランド・ラッセルとアルフレッド・ホワイトヘッドの『数学理論』(1910-1913)【 Principia Mathematica は,ニュートンのプリンキピアにならっており,ラテン語からきていることから『プリンキピア・マテマティカ』と表記するのが標準となっている。あえて訳す場合は『数学原理』とすべきであろう。】が,ライプニッツの発見を論理に発展させた。その結果,あらゆる概念が1と0によって表現できることになった。


     
  • レイ・ブラッドベリ(作),伊藤典夫(訳)『(新訳版)華氏451度』(早川書房,2014年6月刊/早川文庫)(2015.5.24)

    *
    レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury, 本名:Ray Douglas Bradbury, 1920-2012):米国の著名なSF作家。
    * 原著:Fahrenheit 451 (1953年刊)
     出版社による紹介宣伝文: '華氏451度':この温度で書物の紙は引火し,そして燃える。451と刻印されたヘルメットをかぶり,昇火器(「消火」ではなく火を放ち火炎をあげさせる銃)の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。モンターグも自らの仕事に誇りを持つ,そうした昇火士(ファイアーマン 消防士の対局にある昇火士)のひとりだった。だがある晩,風変わりな少女と出会ってから,彼の人生は劇的に変わってゆく・・・(情報統制・思想統制により)本が忌むべき禁制品となった未来を舞台に,米国SF界きっての抒情詩人が現代文明を鋭く風刺した不朽の名作,新訳で登場!

    【(松下注) 英米の知識人の多くは,一行であっても,バートランド・ラッセルの言葉を引用したがるようである。ラッセルの言葉を引用している文学作品は多数あるが、本書もその一つ。通例,『華氏451度』は,情報統制・思想統制の未来の姿を描いたと紹介されているが,ウィキペディアの「華氏451度」の説明によれば「ブラッドベリ自身は『この作品で描いたのは国家の検閲ではなく,テレビによる文化の破壊』と2007年のインタビューで述べている。」とのことである。TVの悪影響を嫌がったとしても,多少面白いかもしれないがくだらない大量の情報ですぐれた思想や情報を圧倒・圧殺しがちな現代社会を皮肉ったものであることは間違いないだろう。
     なお,(米国における9.11事件を利用した)ブッシュ大統領によるイラク戦争を非難したマイケル・ムーア監督の『華氏911』は,この『華氏451度』のタイトルに傚ったものであることはよく知られている。】


      (p.255>
    「お仲間は何人くらいいるんですか?」

    「何千人か,といったところだな。道路で,放棄された線路で,今夜,焚火を囲む,頭のなかに図書館を持った連中がそれくらいはいる。じつは,最初から計画されていたわけではないんだ。各々,記憶しておきたい本があって,記憶した。それが二十年かそこらのうちに,放浪の途中で出会い,ゆるいネットワークができて,計画がスタートしたということでね。われわれがただひとつ頭に叩きこんでおかねばならないのは,われわれは決して重要人物などではないということだ。知識をひけらかしてはならない。他人よりすぐれているなどと思ってはならない。われわれは本のホコリよけのカバーにすぎない,それ以上の意味はないのだからな。仲間のうちには小さい街に住んでいる者もいる。ソローの『ウォールデン,森の生活』の第一章(の記憶者)はグリーンリバーに,第二章(の記憶者=図書館)はメイン州のウィローファームに住んでいる。そうそうメリーランド州には人口わずか二十七人の街がある。そんなところだから爆弾が落ちることもないだろうが,その二十七人が,バートランド・ラッセルなる人物の全エッセイ集(の記憶者)なんだ。その街をとりあげてパラパラ,ページをめくってみたら,ひとりあたり相当なべージ数になるだろうなあ。戦争が終わったら,いつか,何日か何年かのうちには,また本が書かれるようになる。ひとりひとり召集して,知っている内容を暗唱してもらうんだ。そしてそれをタイプする。その作業をつづけても,もしふたたび(思想統制・情報統制の)"暗黒時代"がやってきたら,またおなじことを最初からくりかえさねばならんだろう。しかし,そこが人間のすばらしいところだ。重要で,やる価値があると心底納得していれば,いくら勇気をくじかれようと,うんざりしようと,あきらめずに,もう一度最初からくりかえせるんだ。」
     ・・・
     

  • 『高度成長の時代 女たちは』(イザラ書房,1992年2月刊/銃後史ノート・シリーズ・戦後篇第6回配本)(2015.5.22)
    (pp.142-149: 斉藤鶴子「(1962年日記)第8回原水爆禁止大会前後

    (p.142: この日記に関するノート)
     ここに収録したのは,119ページの座談会に出席いただいた斎藤鶴子さんの1962年の日記である。斎藤さんは当時,原水禁運動の創始者
    安井郁が東京杉並公民館を拠点に主催していた主婦の読書会・杉の子会会員として熱心に原水禁運動にとり組んでいた。しかしソ連の核実験に抗議するか否かをめぐって社共の対立が表面化した1962年8月の第八回大会以後,運動に疑問を持つようになる。それは当時原水協理事長だった安井郁への疑問にもつながり,イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの平和思想への共感を深めていく。ここでは,第八回原水禁大会前後6ケカ月ほどの日記から,こうした斎藤さんの平和運動についての思索をあとづける部分を中心に抜すいしていただいた。(編集部)
    * 松下注:バートランド・ラッセル平和財団支持者協議会の事務局は東京都中野区上高田の斉藤鶴子宅に置かれていた。
     参考記事:渡辺一衛「春日庄次郎さんらの内ゲバ停止への提言

    (pp.147-148: 1962年10月22日付日記)
     Ⅰさんに電話する。たとえ,弱い力であっても,いま,私のできることは周囲のお友達に少しでも原水禁運動への理解を拡めることである。今年の大会の混乱の中で身のまわりから得た多くの意見,読んだものなど,自分の立場をはっきりしなければならない。平和運動として私はやはり,ラッセル卿の考えに一番ついてゆけそうな気がする。
    ※このあと,二十六日の日記を見ると,キューバ危機についてマスコミはさかんに報道し,またラッセル卿が米ソ両国首脳に自制の電報を打たれたことを知り,感激している。こうしていよいよラッセル卿に手紙を書く決心がつき,十月三十日付で主に二つのことについて質問した手紙を出した。日記には英語の下書きがあるが,ここに日本語で要約しておく。

    (日本語の要約)「すべての国の原水爆を禁止することを私は熱望しています。いうまでもなく,すべての国の核実験に反村せねばならないと思います。しかし,日本の或る人々は,アメリカの実験とソ連の実験を区別すべきといいます。個々の場合,各々理由はあっても,人間に害のあること,軍拡につらなること,力の政策などの意味を含めて,私はやはり区別すべきではないと思います。私はこれらの人と理解し合ってゆきたいと思います。このことについてどのようにお考えでしょうか。次は日本の基地反対運動についてです。或る人々は,基地反対運動は平和運動の立場から正しくないといっています。しかし,私は核戦争準備のためのすべてのことに反対せねばならぬと思います。もし,あなたが日本人でいらっしゃったら,基地反対に対してどのような行動をとられるでしょう。
     二,三旦前,日本の新聞でキューバ事件に際し,ケネディ大統領とフルシチョフ首相に電報を打たれたこと感謝いたします。」

    (pp.148: 1962年12月14日付日記)
     午後お買いものからかえってポストを見ると外国からの郵便。航空便でラッセル卿からの返事。
     これこそがヒューマニズムの運動であり,初期の原水爆禁止運動を現在に継承するなら基地反村は当然のことであり,反米運動ではない。国民運動とならねば。
     米ソの大国は小国に圧力をかけてはならない。小国は大国を頼りすぎてはいけない。国民の自覚が大切だ。やはり運動をつづけねばと思う。

    ラッセルの手紙は,概要,以下のようなものだった。
    「すべての核実験は即時やめねばならぬこと。このような卑劣な実験の犠牲者たちにとって,それがいずれの国の実験であっても不愉快であろう。ソ連とアメリカの死の灰を区別することは私たちの連動にとって有害であること。そして現実には冷戦の神話を恒久化する。
     また,軍事基地に反村することは,第三次世界大我をおこすまいとする運動に欠くべからざること。もし,日本市民であったら,核基地に反対することが特権であり,義務である」
     以下(付記=pp.148-149)は割愛します。興味のある方は図書館で借りてお読みください。
     

  • ディック・フランシス(作),菊池光(訳)『(小説)興奮』(早川書房,1976年4月刊/早川ミステリ文庫)(2015.5.22)

     *
    ディック・フランシス(Dick Francis,1920~2012):英国の小説家で,障害競争の元騎手。
    * 原著:For Kics by D. Francis, 1920-2010)
    * 出版社の宣伝紹介文: 最近イギリスの(競馬の)障害レースでは,思いがけない大穴が十回以上も続いてあった。番狂わせを演じた馬は,そのときの馬体の状況から推して,明らかに興奮剤を与えられていた。ところが,いくら厳重な検査をしても興奮剤を投入した証拠が出てこないのだ。どんなからくりで不正レースが行われているのか? 事件の解明を急ぐ障害レースの理事オクトーバー伯爵はオーストラリアに飛び,種馬牧場を経営するダニエル・ロークに黒い霧の真相をさぐることを依頼した。元全英チャンピオン・ジョッキーが描くスリリングな競馬ミステリの白眉
    (p.294)
     「お前の想像によるデッチ上げだ」
     「探してみろ,ある,火焔放射器も」
     「雑草を焼くのに使うやつだ。この辺の農家はみんな持っているんだ」
     彼らは,私がベケット大佐を見つけるのに二度電話をかけさせてくれた。ロンドンの召し使いは,大佐がニューベリーのレースへ行くためにバークシャーの友人の家にいると言った。バークシャーの交換局は故障で通じなかった。交換手の話では,水道の本管が破れて回線が水びたしになっている,と教えてくれた。目下修理中である,という。
     自分が障害競馬の最高責任者に電話しようとしているのに,まだ信用しないのか,ときいてみた。

     「いつかここへひっばってきた,例の女房を締め殺したやつ,覚えているか~ 正真正銘の気違いだったな。バートランド・ラッセル卿に電話をかけるってがんばっていた。平和のための一撃を加えたと言うんだ,と言ってたよ(?)」

      真夜中頃,一人が指摘した。私がハンバーとアダムズのことを探り出すために雇われたといろいろ言っていることが,かりに(自分はそんなことは信じないが),かりに全部本当だとしても,それだけでは殺す理由にならない,と言う。
     (松下注:どうも訳文 -少なくとも訳語- がよくないようです。)
     

  • 大橋照枝「未婚化・晩婚化・シングル化の背景」【善積京子(編)『結婚とパートナー関係-問い直される夫婦』(ミネルヴァ書房,2000年5月刊)】(2015.5.21)

    *
    大橋照枝(おおはし・てるえ,1941~2012.8.5):執筆時は麗澤大学国際経済学部教授,学術博士(2001年)。2012年8月に肺がんのために死去。
    <pp.40-41 (1)"子どもを産むことを金の儲かる職業とせよ”と訴えたバートランド・ラッセル>

    (p.40)スウェーデンの例を見ても,老親が子育てで経済的不利益を被ってはならないとする経済的支援が,少子化防止に最も利いていることがわかる。そして,その経済的支援の乏しい日本で,未婚化・晩婚化・シングル化,そして少子化が加速していることも事実だ。
     フランスの科学・冒険小説家のジュール・ヴェルヌは,1863年に『二十世紀のパリ』(日本語訳,1995)という小説の中で「文化は絶え果て,金がすべての世の中」と書いた。農耕社会と異なり,高度な産業社会,商品経済の社会では,お金を持たないと・存在すらできない。今日の女性が経済的メリット,デメリットに敏感になることは非難できないといえよう。
     すでに1929年に,バートランド・ラッセルは『結婚と道徳』(ラッセル,1955= 著者が参照した刷り)という著書の中で,次のように述べている。
    「子供を生むことが金のもうかる職業だと思えるくらいに報酬を与えない限りは,将来高度の文明は維持できなくなる公算が大きい。もしそうなったとすれば大部分の女性がこの職業につく必要はなくなる。それは職業中の一つだからだ。確かだと思える唯一の点は,女性解放論の今日的発展で,有史以来の男性の女性への勝利を表わす家父長制家族を破壊する上に甚大な影響を与えるであろう」。
       バートランド・ラッセルのこの主張こそ,まさに日本女性の今の実態を正確にいい表わしているといえるが,当時の欧米でも,この主張は早すぎたのか,非難を浴びて・ラッセルはニューヨーク市立大学教授就任の約束を取り消されるほど過激であったらしい(松下注:1940年のこと)。しかしその後,1950年にラッセルはノーベル文学賞を授与され,名誉を十分回復している。
     

  • 梁石日『(小説)終わりなき始まり-上巻』(朝日新聞社,2004年11月/朝日文庫)(2015.5.20)

    *
    梁石日(ヤン・ソクイル,ヤン・ソギル,1936~ ):小説家(在日朝鮮人)。1998年に『血と骨』で第11回山本周五郎賞受賞。
    (p.144) 文忠明は最後列の右端から三番日の席に座って,誰か知っている者はいないかと会場内を見渡した。席と席の間の通路を往ったり来たりしている関係者の中に金昌周と金尚浩がいた。そして中ほどの席に金桂雲助教授が座っていた。その他にも友人,知人が参加していると思われたが,後ろ姿しか見えないので探せなかった。文忠明は諦めて背もたれに体をあずけてパンフレットを開いた。最初のページに光州事件の真相と軍の弾圧と全斗換・慮泰愚の陰謀によるクーデターの無効を主張した撤文が掲載してあった。またクーデタ一によって権力を掌握した全斗換一派の行為を容認しているアメリカ政府と日本政府を激しく批判していた

    《何が彼らをあのように狼狽させるのか? 飢えた民衆の口から独裁者を称える讃美歌でも歌わせたいのか? ・・・中略・・・。

    (p.149) 金大中は彼らが考えているよりはるかに巨大な存在だった。金大中をかくも大きな存在にしたのはほかならぬ彼ら自身であった。いわば彼らはおのれの影に怯えているのである。彼らは自己の犯罪を隠蔽すべく,民衆を忘却の彼方へ連れ去ろうとしている。光州事件はとるに足りない事件にすぎなかったという結論に達するための未来四十億ドルという日本からの膨大な借款を貧窮にあえぐ民衆に尻ぬぐいさせるために,さらに大きな受難へ民衆を引きずり込もうとしている。これが全斗換一派の錬金術なのだ。しかし,裁かれるべきは彼らであり,われわれはその権利を彼らが存在する限り保留していることを忘れてはならない。かつてイギリスの哲学者バートランド・ラッセル卿が,世界の知識人に呼びかけて,ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁判にかけたように,われわれは光州で虐殺された二千人の民衆の名において,全斗換一派の犯罪を裁判にかけ,審理することを,ここに提起するものである

    かなりオクターブの高い檄文である。・・・。
     

  • 西本郁子『時間意識の近代-「時は金なり」の社会史』(法政大学出版局,2006年11月)(2015.5.19)

    * 西本郁子
    (にしもと・いくこ, 生年不詳):津田塾大学大学院(思想史専攻)を経て,マンチェスター大学において「時間論」で Ph.D 取得。現在は,明治学院大学国際学部非常勤講師。
    (p.344) 時間の浪費と人生の無駄使い,このちがいは重要だ。私たちの毎日を少しでも住み心地のよいものに変えるためのヒントは,おそらくここにある。つねに何かをしていることで時間を充たしていないと,現代人は不安な気分に襲われるものである。しかし人生には,怠惰というちょっとした空白の時間も必要だ。
     私たちは,その怠惰に禁忌の念を抱きがちである。怠けることはよくないことだ,と教えられてきた。だから,怠惰が必要だといわれて,ひとりでにある種の拒否反応が現われたとしても,やむをえないことだろう。もし惰に一抹の罪悪感を覚えるならば,別のことばに置き換えるとよいかもしれない。生活が急速なペースのただなかにあるからこそ,キュウソク (休息)をとる。急用に追いたてられているときこそ,キュウヨウ(休養)をこころがける。ペースを落とすことは,これまでしていたことをちょっとだけ休むことである。そして私たちの語彙を少しだけずらしてみることである。
     チャペックがここ(『アメリカニズムについて』)でちょっとおどけて「怠惰」といっているのは,ヨーロッパでは伝統的に「余暇」として知られている考え方である。もっとも,現代では少し皮肉な声も聞こえてくる。「休んで,どうする?」「余暇に何がしたい?」
     仕事に忙殺される毎日にあって,自由な時間に何がしたいかと突然に問われても,たしかに返答に詰まる。それを考えること自体が苦痛を生みもする。哲学者の辛殊なことばが私たちを待ち受けている。 バートランド・ラッセル(1872-1970)が言う。
    たいていの人は,自分の時間を勝手に好きなようにつぶしてもよいと言われると,やりがいのある楽しいことを思いつくのに困ってしまうものだ。・・・余暇を知的につぶすことができることは,文明の最後の産物であって,現在,このレベルに達している人はほとんどいない。その上,自分で選択するのは,それ自体わずらわしいことだ」。(『ラッセル幸福論』第14章「仕事」)
     

  • 加藤尚武『教育の倫理学』(丸善株式会社,2006年11月)(2015.5.19)

    *
    加藤尚武(かとう・ひさたけ, 1937~  ):京大名誉教授,倫理学専攻。
    本書では,3箇所でラッセルが引用されていますが,ここでは1箇所だけ,ご紹介しておきます。

    <pp.53-64:第6話 自閉症,アスペルガー症候群,母性剥奪>

    (p.62) バートランド・ラッセルは,こう陳べている。
    「子供が六歳になるまでには,道徳教育はほぼ完成していなければならない。すなわち,後年必要になるそれ以上の徳目は,すでに身についているよい習慣と,すでに刺激を受けた野心の結果として,少年少女が自発的に伸ばしていくべきものである。大きくなってから道徳教育があれこれと必要になるのは,幼年期の道徳教育がなおざりにされたか,それとも,まずかった場合に限られる。」(ラッセル『教育論』安藤貞雄訳,岩波文庫,一九九〇年,一〇二頁)
     教育の第一歩は育児である。他の子どもと比べて歩くことやことばの理解,積み木をつむなどの動作が遅れていると心配する親が多いが,大事なことは「後になったら取り返しがつかなくなる」項目を,しつかりとチェックしておくことである。「パリがフランスにある」ということを知らない人がいたら,ずいぶん非常識だと思うが,この知識には何歳までに知っておくべきであるという期限がない。生まれてすぐに目の怪我をしたので眼帯をしたら目の機能に障害が残ったという場合,どうしても一定期間は眼帯をしてはいけない時期があって,その期間内に見るという自然の教育を受けなくてはならない。ラッセルのいう「道徳教育」では親子の間の感情的なきずなができることが,最初の「道徳教育」である。そこに困難が起こる自閉症やアスペルガー症候群などの器質異常,先天異常が疑われる場合にはすぐに専門医に相談しなくてはならない。幸いなことにたいていの家庭の保育では,「赤ちゃんが笑ったら,大人も笑いかえす」とか,「赤ちゃんの目を長期間ふさぐようなことをしない」とかの必要事項が,特に指示されなくても守られる。しかし,例外的に,「赤ちゃんを決して抱こう としない親」,「言葉もわからない赤ちゃんに体罰を加える親」などがいて,虐待の事例は近年増加し続けている。
     

  • ノーム・チョムスキー+ラリー・ポーク(対談),吉田裕(訳)『複雑化する世界,単純化する欲望』(花伝社,2014年7月)(2015.5.1)
    *
    ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928~  ):生成文法理論で著名。マサチューセッツ工科大学名誉教授。
    * ラリー・ポーク:アーティスト,文筆家
    * 原著:Nuclear War and Environmental Catastrophe, by N. Chomsky and Laray Polk. Seven Stories Press, 2013.

    <pp.98-108:第7章 驚異的な人々>
    (p.98)
    ラリー・ポーク:あなたのオフィスには,他の学術文献に交じって,バートランド・ラッセルの大きなモノクロの写真がありますね。彼に会う機会はあったのでしょうか?

    ノーム・チョムスキー:会うことはありませんでした。私たちの唯一の接点は,1967年に「非合法の権威への抵抗の呼びかけ」(松下注:非合法は「権威」にかかっているのではなく,「抵抗」にかかっている。→ 「権威への非合法の抵抗」)を発表しようとしていた時でした。ベトナム戦争へのたんなる抗議ではなく,抵抗への支持を呼びかけていたのです。私は著名な人物たちに支持を求めてコンタクトを取るよう委任されました。私が最初に手紙を書いた人間がラッセルで,彼は直ちに返事をし(をくれ),声明への署名に同意したのです。

    ラリー・ポーク:核不拡散に関するラッセルの仕事は,どれほどのインパクトを与えてきたと思いますか?

    ノーム・チョムスキー:充分なインパクトは持ちませんでした。ラッセルはアメリカでは評判が悪かったのです。『バートランド・ラッセルのアメリカ』という本に適切な話があります。しばしば同様の視点を表明していたアインシュタインは,おおむね素敵な人物として扱われ,プリンストンに戻って研究すべきだと思われていました。それでも,目前にせまった容赦のない核兵器の脅威に終止符を打とうと模索していたグループ -当時はきわめて小さかったのですが- に,ラッセルの仕事は確かに一定の影響を与えたのです。後年,その運動はずいぶんと大きくなり,1980年代までには非常に力のある民衆運動になったのです。おそらくそれは,レーガン(大統領)が抗議を蹴散らすために「スター・ウォーズ」幻想(注:レーガン大統領の「スター・ウォーズ計画」)を導入するきっかけとなった主な要因でした。このことについては、ローレンス・ウィットナーの素晴らしい仕事があります。
     

  • ノーム・チョムスキー(著),鈴木主税・浅岡政子(共訳)『破綻するアメリカ 壊れゆく世界』(集英社,2008年12月)(2015.4.23)
    *
    ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928~  ):生成文法理論で著名。マサチューセッツ工科大学名誉教授。
    * 原著:Failed States, by Noam Chomsky, 2006.

     本書で,ラッセルは数ケ所で引用されていますが,第1章冒頭のところだけ,ご紹介しておきます。


    <pp.11-55:第一章 厳しく,恐ろしく,避けようのない選択>

    (p.11) 半世紀ほど前の一九五五年七月のことだ。哲学者のバートランド・ラッセルと物理学者のアルバート・アインシュタインたちが,他に類を見ない内容のアピール〔ラッセル=アインシュタイン宣言〕を,世界の人びとに向けておこなった。私たち人類が抱えるさまざまな問題にたいして,もっともな意見はあるだろうが,いまはそれを,「いったん脇において,すばらしい歴史をもつ生物学上の種の一員であることだけ」を自覚するよう人びとに呼びかけ,「その種の消滅を,私たちの誰一人として望んでいるはずがない」と訴えたのだ。世界の人びとはいま,「厳しく,恐ろしく,避けようのない」選択を迫られている。それは「人類を絶滅させるか,それとも人類が戦争を放棄するか」という選択なのだ,と。
     これまでのところ,人類は戦争を放棄していない。それどころか,世界の覇権をにぎるこの国(注:米国)は,際限のない「先行自衛」主義にもとづき,自分たちには意のままに戦争をする権利があると考えている。国際法や条約や世界秩序を保つためのルールは,きわめて独善的な姿勢によって他者には厳格に適用されるが,アメリカ合衆国には無関係なものとして退けられる。こうしたやり方は長いあいだつづけられてきて,レーガンとジョージ・W・ブッシュの両政権によっていっそう深刻なものとなった。道徳的に自明の理とされることのなかでも,最も基本的なものは,他者に適用するのと同じ基準を自分たちにも適用しなければならない,という普遍性の原則である。他者よりも自分に厳しくとまでは言わないにしても。
     ところが,驚くべきことに,欧米の知的な文化においては,この普遍性の原則が往々にして無視される。たまに言及されたとしても,非常識なものとして片付けられてしまう。とくに恥ずべきは,敬虔なキリスト教徒と称する人びとのあいだにそんな態度が見られること。福音書の偽善者の定義を知らないはずはないのに。
     

  • スーザン・トムズ(著).小川典子(訳)『静けさの中から-ピアニストの四季』(春秋社,2012年6月)(2015.3.1)
    * スーザン・トムズ
    (Susan Tomes, 1954~  ):英国を代表するピアニスト(だそうです)で文筆家。女性として初めて,英国ケンブリッジ大学のキングス・コレッジに学ぶ。訳者の小川典子氏もピアニストです。
    * 原著: Out of Silence - a Pianist Yearbook, by Susan Tomes, 2010.
    * スーザン・トムズのオフィシャル・ページ
    * 小川典子のオフィシャル・ページ

    (pp.241-245:「怠けるもよし」)

     (自宅?)近くのチャリティ・ショップに,バートランド・ラッセルが書いた『怠惰への讃歌』が入荷した。私は演奏旅行の前になると,この店に立ち寄り,旅の友になる本を購入する。バートランド・ラッセルは,私に人生の指針を与えてくれた人だ。十代のころ,学校の図書館で見つけたバートランドの自伝。この全三巻の大作と運命の出会いをしたことが,彼を知るきっかけだった。どうしてこの本が私に影響を与えてくれたのか,その理由を話しても,人にどこまでわかってもらえるだろう。とにかく,ラッセルのような人間が,この世の中にいる。そう思ったことがいちばん大きかった。ラッセルは愛情深く,人と人とは,心の交流をすることが何よりも大切だと説いている。
     イギリス人は,なかなか本音を言わない。特に私が生まれたスコットランドでは,喋る,という行動は実務的なことがらに使う伝達の手段であり,そっけないのが特徴だ。もし自分の感情をあからさまに表現したら,見せびらかすとははしたない,と眉をひそめられるか,そんなに注意をひきたいのか,と叱責されるだけだ。ラッセルが近しい友人たちと交わした書簡のなかでは,知的ななかにも,経験したことや考えていることが率直なことばで綴られている。そこに,十代の私は大きな衝撃を受けたのだった。数十年たった今も,いくつかの文章をそらで言うことができる。それほど,ラッセルの本は,私の心に深く焼きついている。
     『怠惰への讃歌』は,ラッセル作品のなかでは,比較的読みやすいエッセイ集だ。彼はこの本で,人間はもっと自由な時間,働かない時間を持つべきだ,と強調している。ラッセルによると,太古の昔から,文明の進化のきっかけとなる「妙案がひらめいた」のは,働かないで自由な時間をたくさん持っていた思索家が多くいたからだ,と言う。彼らはそんな時間を使って,考え,夢を描き,そして発明をした。ラッセルは,この世には自由な時間をたくさん持っている人間(彼自身も含めて)に対し,一日中,長い労働時間に耐えなければならない人間も多く存在することに,心を傷めていた。誰もが,働かない時間を持つべきだ,発想を自由にするためには,適度に休まなければいけない,と書いている。・・・中略(常に技術の向上が求められる演奏家の厳しさが記述されている。)・・・。
     そんな背景があるものだから,このバートランド・ラッセルの本の内容に,特にはげまされる。前に進むためには,ただ頑張るだけではいけない。ほかにも方法があるはずだ,ということを思い出させてくれる。
     

  • 竹内薫『天才の時間』(NTT出版,2008年8月)(2015.2.8)
    *
    竹内薫(たけうち。かおる, 1900年3月23日 - 1980年3月18日):サイエンス。ライター。竹内薫オフィシャル・ブログ
     本書は,竹内薫氏が天才だとみなす13名の人物について,天才の天才たる由縁,あるいは天才的業績を生み出すことのできた「休暇」(与えられたまとまったフリー時間)について紹介している,読み物です。文章はとてもこなれていて読みやすい本です。ラッセルについては、ウィトゲンシュタインについて紹介するダシに使っているだけで,最後の一文(いまでは、ラッセルは哲学上の重要人物というよりも文章の巧みさで歴史になお残しているようですが。)から伺われるように、ラッセルについては,『西洋哲学史』のようなベストセラー本しか読んでないようです。
    (p.149) バートランド・ラッセル

     イギリスにバートランド・ラッセルという哲学者がいます。彼はニュートンが『プリンキピア』を書いたのを真似して,ホワイトヘッドと共同で数学における『プリンキピア』のような論理学の本を書きます。当時,これは非常に大きな影響を及ぼした本でした。ヴイトゲンシュタインもこの本を読んでいて,第一次世界大戦が始まる前の一九一一年,彼はラッセルのもとを訪ねていろいろと話し込んでいます。
     当時の偉大なる哲学者であるラッセルが,いきなりやって来た若者のヴイトゲンシュタインといろいろなことについて長時間にわたって議論するというのはおもしろいことです。結局,ヴイトゲンシュタインは,当時ラッセルがいたケンブリッジ大学に行って勉強することになります。ヴイトゲンシュタイン自身が非常に聡明だったこともあるでしょうが,上流階級同士のつながりがあったのかもしれません。(松下注:ウィトゲンシュタイン家は富豪であっても貴族であるわけでなく,また「上流階級同士のつながり」もない。最初ウィトゲンシュタインはフレーゲに教えを請いにいったが,フレーゲにラッセルのところに行くように言われ,ラッセルを訪問したしだい。)
     バートランド・ラッセルは,日本でも多くの読者を獲得し,一世を風靡した哲学者です。僕も大学時代に虞松渉先生の授業の教科書としてラッセルの『西洋哲学史』全三巻(市井三郎訳,みすず書房,一九七〇年)を読んで,その文章の巧さに驚いた憶えがあります。いまでは,ラッセルは哲学上の重要人物というよりも文章の巧みさで歴史に名を残しているようですが。


  • エーリッヒ・フロム(著),佐野哲郎(訳)『反抗と自由』(紀伊國屋書店,1983年2月)(2015.2.1)
    *
    E. フロム(Erich Fromm, 1900年3月23日 - 1980年3月18日):ナチス・ドイツから逃れ,米国に亡命した思想家の一人。ファシズムへの心理学的な意味合いを明らかにした『自由への逃走』で有名。
    『反抗と自由』の第3章(23ページ分)は,ほとんどラッセルに関する記述です。長すぎるので,以下,一部だけ、抜粋します。(松下)
    (pp43-65)第三章 預言者と司祭

    (p.46) 預言者は,人類の歴史において時々現われるのみである。彼らは死んだあとに託宣を残す。託宣は何百万の人びとに受け入れられて,大切にされる。まさにこのために,預言者の思想を食い物にする連中が出現するのであって,彼らはその思想に対する民衆の愛着を,自分の目的 -支配し統制するという目的- のために利用するのである。預言者が表明した思想を利用する者たちを,「司祭」と名付けよう。・・・。

    (p.47) 司祭が存在するのは宗教だけではない。哲学にも司祭がいるし,政治にも司祭はいる。哲学にはあらゆる学派に司祭がいる。司祭はしばしばすぐれた学識を持っている。彼らの仕事は,創始者の思想を管理し,分かち与え,解釈し,博物館の展示物としてこれを守ることである。さらに政治的な司祭がいる。過去百五十年間に,私たちはいやというほど彼らを見てきた。彼らは自らの社会的階級の経済的利益を保護するために,自由の思想を管理してきた。二十世紀になってからは,社会主義の思想の管理を引き継いだ。この思想が人間の解放と独立を目的としていたのにもかかわらず,司祭たちはさまざまに手を尽くして,人間には自由になる能力がない,少なくとも,それはずっと先のことであると宣言した。人間が自由になるまでは自分たちが管理を引き継ぎ,思想をいかにして定式化するか,また,だれが忠実な信奉者でだれがそうでないかを決定せざるをえないのだ,と彼らは言った。・・・。

    Bertrand Russell
    (p.48) 思想が肉体において顕現し,人類の歴史的状況によって教師から預言者へと変貌した少数の人びとの中に,バートランド・ラッセル(1872-1970)がいる。ラッセルは,たまたますぐれた思想家だが,それは彼の預言者たることの真に本質的な条件ではない。彼はアインシュタイン,シュヴァイツァーとともに,(核兵器による)生存への脅威に対する西洋の人間の解答を代表している。なぜなら,三人とも発言し,警告し,選択の途を示したからである。シュヴァイツァーは,ランバレネで働くことによって,キリスト教思想を生きた。アインシュタインは,一九一四年およびその後の多くの機会に,ドイツの知識階級のナショナリズムのヒステリッグな声に和することを拒否して,理性とヒューマニズムの思想を生きた。バートランド・ラッセルは,数十年にわたって,合理性(注:合理主義)とヒューマニズムについての考えを,書物で明らかにした。しかし,最近では市場(注:街頭)にでも出て行って,国の法が人間性の法と食いちがう時は,其の人間は人間性の法を選ばなければならないことを,すべての人びとに示したのであった。
     バートランド・ラッセルが認識したことは,思想はたとえ一人の人間によって肉体化されていても,社会的な意味を持つためには,集団によって肉体化されなければならないということであった。・・・。彼の声は荒野に叫ぶ声ではあるが,孤立した声ではない。それは合唱の指揮者である。それがギリシア悲劇の合唱となるか,ベートーヴェンの第九シンフォニーの合唱となるかは,今後数年の歴史のみが明らかにすることだろう。
     バートランド・ラッセルが自らの生き方において肉体化している思想の中で,おそらく第一にあげるべきものは,人間の反抗の権利と義務であろう。・・・。
     たいていの社会体制において,服従は最高の美徳であり,反抗は最高の罪である。実際,私たちの文化においては,たいていの人びとが「」)の意識を持つ時,実は反抗したから恐れているのである。 自分では道徳上の問題で悩んでいると思っているが,実はそうではなく,命令に反抗したという事実に悩まされているのである。・・・。

    (p.50) 今世紀は,政治においても,実業界においても,労働組合においても,階層的に組織された官僚機構の世紀である。これらの官僚制は,物および人間を,一つのものとして管理する。それはある種の原理,とくにバランスシート,定量化,最大の効率,利益といった経済的原理に従うのであって,こういう原理でプログラムを組まれたコンピューターと,本質的には変わらない働きをする。個人は番号となり,物へと変貌する。しかし,顕在的な権威がないゆえに,また,服従を「強いられる」ことがないゆえに,自分は自発的に行動しているのであって,「合理的」な権威に従っているにすぎないのだ,という幻想をいだく。「理屈に合った」ことに,だれが反抗できようか。コンピューター=官僚機構に,だれが反抗できようか。自分が服従しているということさえ意識していないのに,だれが反抗できようか。家庭においても教育においても,同じことが起こる。進歩的教育理論の堕落の結果,子供が何をなすべきかを教えられず,命令も与えられず,命令を実行しなくても罰せられないという教育方法が生まれた。子供はただ「自分を表現する」のだ。ところが,生まれた時からずっと,子供は従順をこの上なく重視し,「他人と異なる」ことを恐れ,群れから孤立することを怖がる気持ちを詰め込まれる。かくして家庭と学校で育てられ,大きな組織で教育の仕上げをされる「組織人間」は,意見は持つが,信念は持たない。楽しむことはするが,幸福ではない。・・・。
     したがって,ここで用いている意味での反抗とは,理性と意志を肯定する行為である。それは本来何かに反する方向の態度ではなく,何かを求める方向の態度である。人間がものを見る能力,見たものを口に出して言う能力,見ないものを口に出すことを拒否する能力を求める態度である。そのためには,攻撃的あるいは反逆的になる必要はない。必要なのは,目を開き,十全に目ざめ,半ば眠っているゆえに滅びる危険にある人びとの目を開かせる責任を,進んで引き受けることなのである。・・・。

    (p.53) 哲学者が決まり文句に反抗し,世論に反抗するのは,理性と人類に服従するからである。理性が普遍的であり,すべての国境を超えているからこそ,理性に従う哲学者は世界の市民なのである。人間が彼の対象である - この人物,あの人物ではなく,この国民,あの国民でもない。生まれた所ではなく,世界が彼の国である。
     思想の革命的性質については,バートランド・ラッセルがだれよりもあざやかに表現した。『社会改造の諸原理』Principles of Social Reconstruction, 1916)に,こう書いている。

     (長文のため,割愛します。)

    (p.55) バートランド・ラッセルの反抗能力が根ざしているのは,何らかの抽象的な原理ではなく,この上なく現実的な体験 --生命への愛である。この生命への愛は,人物のみならず著作をも貰いて光り輝いている。これは今日ではまれな資質である。人びとが豊かさのまっただ中で生きている国々においては,とくにまれである。多くの人びとは,スリルを喜びと混同し,興奮を関心と混同し,消費することを在ること(注:存在すること/生きること?)と混同している。「死よ万歳」というネクロフィリア的なスローガンは,ファシストだけが意識的に用いるものだが,豊かな土地に暮らしている人びとの心を,知らず知らずのうちに満たすのである。まさにこの事実の中に,なぜ大多数の人びとが核戦争とそれに続く文明の破壊を甘んじて容認し,この破局を防ぐための手段をとらないか,を説明する理由の1つがありそうである。これに反し,てバートランド・ラッセルが大量殺戮の脅威と戦っているのは,平和主義者であるからでも,何らかの抽象的原理がかかわっているからでもなく,まさに彼が生命を愛する人であるからである。

     これでやめておきます。興味のある方は、講読されるか,図書館で閲覧してください。